屎尿・下水研究会

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平成20年度 小平市ふれあい下水道館・特別講話会

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平成24年度 小平市ふれあい下水道館・特別講話会




平成24年度 小平市ふれあい下水道館特別講話会のあらまし


 平成24年度の小平市ふれあい下水道館特別講話会は、同館講座室において10〜翌3月の毎月1回、13時30分〜15時30分に、合計6回開催されました。

第1回 くらしと飲み水 (10月21日、 野田 功 氏)

 東京の区部、多摩地区さらには島嶼部における上水道事業及び簡易水道事業について、水道局、衛生局・福祉保健局に在職していた当時を振り返り具体的に語っていただいた。講師は、技報堂出版(株)より出版された『みんなで考える 飲み水のはなし』の共同執筆者(アクア研究会)の一人である。
1.水の日
 8月1日は「水の日」である。水道水は厚生労働省、工業用水は経済産業省、農業用水は農林水産省が所管している。三園浄水場には工業用水を専門に浄水する系列があり、主として下町の工場へ供給しているが、一部はトイレの水洗水として大規模団地にも送水されている。
 給水人口が5,000人を超える場合は上水道事業、これ以下の場合は簡易水道事業となる。式根島は、新島(水源は井戸水)からの海底送水管で水道水を確保している。
 水道水源の割合は、全国ベースで河川水:26%、ダム湖水:47%、井戸水:20%、伏流水:4%である。東京都では利根川・荒川水系が3/4を占める。給水系統間や浄水場間をループ化して相互に融通できるバックアップ体制をとっている。
 水道メーターより外側は水道局の管轄、それより内側は私有財産である。一般家庭での水使用量は4人家族で1?/日であり、そのうちトイレの水洗用が28%を占める。
2.水質基準
 水質基準は平成15年現在、健康関連が30項目、生活上支障関連が20項目ある。
   このほか水質管理目標設定項目として、健康関連14項目(農薬類102物質は1項目と してカウントされている)+生活上支障関連13項目があり、さらに要検討項目が48項目あげられている。
 給水栓において遊離残留塩素を0.1r/?以上保持していることが、水道法によって定め られている。主な消毒剤は、液化塩素、次亜塩素酸ナトリウムである。浄水場から送水されるときの濃度は、0.7〜0.8r/?程度である。塩素消毒の際、浄水にわずかながら含まれているある種の有機物と反応して、トリハロメタンなどの副生成物が生じるおそれがあるので、塩素注入量はむやみに増やせない。
3.緩速ろ過 と急速ろ過
 1u当たり1日4〜5?の緩やかな速さでろ過する方法が緩速ろ過である。砂層表面や砂 層内に生息している微生物の働きで臭い成分や有機物が分解される。境浄水場で実施されている。急速ろ過は、凝集剤を加えて濁りを除去した後、1u当たり1日120〜150?でろ過する。
4.高度浄水処理
 利根川水系の金町浄水場などでの異臭味障害を解消するため、高度浄水処理(オゾン処 理+生物活性炭処理)が導入されるようになった。
 オゾン処理: オゾンの強い酸化力で臭い物質や有機物を分解する。
 生物活性炭処理: 基本的には、細孔を有する活性炭の吸着能力によって臭い物質や有 機物を処理する方法であるが、粒状活性炭の表面に微生物を繁殖させて微生物による 浄化能力(有機物やアンモニア性窒素の分解)を加味させ、ひいては活性炭の吸着機 能をより持続させる効果がある。
5.膜ろ過法
 近年、膜ろ過法(精密ろ過、限外ろ過、逆浸透など)が、島嶼部での井戸水の塩水障害 対策への適用ばかりでなく、区部や多摩地区における小規模浄水場においても注目されるようになり8箇所で採用されている。メンテナンス性に優れているためである。砧浄水場の緩速ろ過法も膜ろ過法に変更された。
 ポリエチレン、ポリプロピレンなどからできている有機膜と、アルミナ系の無機膜とがあり、形状にはスパイラル状や中空糸状がある。細孔径の大きさによって異なるが、細菌、ウイルスばかりでなく、分子、イオンまでも除去できる。
6.直結給水と水質データの自動計測
 「飲み水はペットボトル入りの水で!」と云った風潮が起こり、ミネラルウォーターの 消費量が増加傾向にある。水道事業者としては「蛇口からの水を飲み水に!」との思いで、できるだけ貯水タンクを経由させずに直接、浄水を蛇口に送水する「直結給水」を実施した(現在は3階まで)。
 浄水場には毒物検知水槽が設置されており、魚をセンサーとして用いてその活動電位を 連続的に測定することによって、毒物混入の有無を監視している。さらに、残留塩素、電気伝導度、濁度などを自動的に計測する「水質計器」が都内131箇所の給水栓に設置され、テレメータによりそのデータが水質センターに送られている。
 なお、各家庭での浄水器の普及が進んでいるが、蛇口へ直結する型は手軽であるが、浄 水器によって残留塩素が除去されてしまい微生物繁殖の温床となることがあるので、浄水器の交換は早めにすべきである。



第2回 東京の都市河川の現状−主に神田川水系と玉川上水− (11月18日、 保坂 公人 氏)

 行政の市民委員としての立場から、また趣味の街歩きとして神田川の流域や玉川上水縁を隈なく探索している講師に、東京の都市河川の現状を語っていただいた。
1.神田川と玉川上水とは?
 神田川は、水源である井の頭池(三鷹市)を流れ出た後、武蔵野台地の浸食谷を東へ流れ、途中、善福寺川(水源は善福寺池)や妙正寺川(水源は妙正寺池)を合わせ、御茶ノ水駅の前を通り柳橋の先で隅田川に注いでいる都市河川である。江戸初期から明治半ば過ぎまでの間、神田上水として江戸・東京の飲料水源として利用されていた。
また、玉川上水は、江戸の飲料水需要の増大に伴い1653年に開削された、多摩川の羽村取水堰から四谷大木戸(今の新宿御苑)までの約43q、高低差92mの人工の用水路である。
2.流域の洪水対策と水質保全対策
 現在では神田川の洪水対策として、都道環状七号線の地下40mに貯留水量54万?(直径12.5m、延長4.5q)の雨水調節池が造られているほか、増水した河川水を分流する地下河川「高田馬場分水路」が建設され、さらに水質保全対策として落合水再生センターに高度処理施設(砂ろ過処理)が付加されている。神田川を流れている水量の90%は落合並びに中野水再生センターの再生水が占めている。
 都電荒川線面影橋近くの「高戸橋」に立つと、神田川本流と落合水再生センターからの放流水と地下化された妙正寺川の三つの流れを見ることができる。水再生センターからの流れは処理の程度が進んできているとは云え窒素分がまだ残っているためか、水は澄んでいるものの水草の繁茂が他に比べ顕著である。
3.玉川上水における清流復活事業
 淀橋浄水場が廃止(昭和40年)された後、小平監視所から下流の玉川上水は昭和46年から一時空堀状態になっていたが、清流復活事業により昭和61年から、小平監視所から浅間橋(杉並区)までの区間約18qは多摩川上流水再生センターからの高度処理水(当初は二次処理+砂ろ過処理、現在は嫌気・無酸素・好気法+砂ろ過処理+オゾン処理)が環境保全用水として流れるようになった。浅間橋からは暗渠でバイパスされ、神田川に合流している。
4.河川への新たな役割
 支流の桃園川、井草川、江古田川、谷端川などは暗渠化され、多くは下水道に転用されている。その上部は生活道路や遊歩道(人工的なせせらぎが設けられているところもある)として活用されている。
 近年、都市河川に対し新たな役割が求められており、雨天時の河川流量を調節するためのオンサイトの調整池や災害時に使用する船着場や親水テラスなどが造られつつある。
神田川水系の地域では下水道は合流式で設計されており、計画降雨量(1時間に50mm)以上の雨水は吐き口から川に放流される。少雨時にも流出が目撃されることがあり、下水道サイドでも、雨水浸透型下水道の促進や雨水を一時的に貯留する調整池の設置などの対策を講じている。
5.船による川めぐり
 鯉やボラやアユなどの魚影がみられるようになり、ユリカモメやカワウが上流域にまで飛来してくるようになった。
 川を船で航行して船上から東京の街をウオッチングしていると、街づくりに関する新たな観点を見出すことがある。
6.行政や市民活動の取組み
 先日(平成24年9月29日)小平市主催の玉川上水サミットが開かれ、清流復活に関わる各都市のこれからの取り組みが「宣言」としてまとめられた。
 「神田川ネットワーク」が行なっている市民活動の紹介や土壌の持つ雨水貯留能力復活の重要性の指摘があった。


第3回 古代遺跡にみる上下水道 (12月16日、 中西 正弘 氏、清水 洽 氏)

 日本とイタリアの古代遺跡を実際に訪ね、上下水道遺構を巡った探訪談である。中西氏からは奈良・明日香村の飛鳥寺西門跡から出土した日本最古と思われる水道管について、また、清水氏からは古代ローマの上下水道施設について紹介してもらった。
1.飛鳥寺西門跡の遺跡
 遺跡の案内板には「寺の西門の西には塀があり、土管をつないだ上水道が埋まっていた」とあり、その添付写真には塀の外側に土管が10数m直線に並んで発掘された様子が写っていた。あるホームページにこんな解説が載っていた。「飛鳥寺跡から1996年に日本最古と思われる土管が2種類出土した。一つは長さ51cmの灰色のもの、もう一つは長さ51cm。広口外径18cm、細口外径11cm。」これらの土管は朝鮮半島からきた技術で作られたもので、瓦を作るときのように円筒模骨に粘土紐を巻きつけて製作したものと、円筒埴輪のように粘土紐を輪積みにして製作したものとがあるという。  また、この土管と平行して幅1.2m、深さ15cmの石組溝が発掘されているが、こちらは排水路とみられている。
2.土管は水道管か?
 発掘した明日香村教育委員会の見解は、「この土管の内径は10cmほどで、下水を流すと詰まり易く、下水道管とは考え難いので水道管とした」であった。そして、「飛鳥寺西門の北側、南側でも同じような土管が発掘されており、これらは南北に一直線に並んでいるので、つながっていた可能性が高い」という。では、この土管の水道は何に使われていたのだろうか。たぶん、この遺跡の近くにあった水時計や広場にあった噴水などへ自然流下で給水されていたのではないか。
3.上水銅管も出土
 飛鳥寺西門跡から北へ300mほど行くと、水時計遺構で有名な水落遺跡があるが、ここで上水銅管が出土されている。案内板には、「土管水道から導かれた水を水時計に引く部分には上水銅管が使用されていた」とある。上水銅管は銅板を丸い棒に巻いて筒状にし、継ぎ目を溶接したものと思われる。
4.ローマのヴェルジネ水道
 古代ローマの首都ローマの6番目の水道で、BC21〜19に建設された。テヴェレ河支流のアニオ川の清流が水源で、導水距離約20qのほとんどが隧道である。17〜18世紀に再整備され近代ローマ市の水道となり、今でもトレビの泉の水源となっている。
5.ローマのクロアカ・マキシム
 紀元前600年頃より建設が始められた、ローマの低地を排水・干拓する目的で造られた大下水溝である。当初は開水路であったが、その後蓋がかけられた。ローマで最初の水道であるアッピア水道の建設(BC312年)よりもかなり早い時期に建設されている。後年、下水が流されるようになったが、現在は雨水渠として利用されている。
6.オスティア(古代ローマの港町)の水洗トイレ遺跡
 オスティアには公共広場、神殿、円形歌劇場、公共浴場、商店街など古代ローマの遺跡が一通り揃っており、公共水洗トイレの遺跡もほぼ完全なかたちで残っていた。大理石の台座や化粧タイルの装飾が施された壁があり、その前面にはかつて水が流れていた水路があった。スポンジ状の海綿をつけた棒が備えられ、トイレットペーパーの代わりに尻の洗浄に用いられていたと云う。オスティアの水道管は鉛製であった。今回の見学中にも何ヶ所かで銘の付いた水道鉛管を見ることができた。
7.ポンペイ遺跡の水道と水洗トイレ
 79年のヴェスヴィオ火山の大噴火により、一瞬のうちに厚い火山灰で埋もれたのがポンペイの遺跡である。今回は排水路やトイレの遺構を見ることはできなかったが、資料によると、ポンペイの住居にはトイレが水洗式であったらしい形跡があり、水洗排水は歩道の下に設けられたピットに貯留され、そこで分解浸透処理されていたのではないかと云う。また、水圧が十分あったので水道は二階にも給水でき、二階から下りてくる排水管が多く見つかっていると云う。



第4回 弁天様と水 (1月20日、 栗田 彰 氏)

 弁天様は幸運や財宝をもたらす神様であると信じられているが、実は水の神様でもある。 東京周辺の弁天様を訪ね歩いた講師に、そのアラカルトを語っていただいた。
1.弁財天の由来と性格
 一般には弁天様と云われている。梵語のサラスヴァティーから派生しており、これは「水をもつもの」の意であり、「川や池や湖などを含めた水を神格化した女神」を指す言葉である。元々はインドの古くからの神であるが、仏教では仏を守る神のひとつとされている。日本では七福神の一つとして信仰されている。
 とうとうと流れる川がよどみない弁舌や音楽を連想させるためか、学芸の女神として信仰されるようになったが、この場合は「弁才天」と書くとか。琵琶を持って音楽を奏でている姿は、これに由来する。
 また、インドの聖典『リグ・ヴェーダ』に「サラスヴァティーは世界の富を知りて」とか「サラスヴァティーは富を伴侶とし」との記述があることから、財福の神としての性格も有しており、この場合は「弁財天」と書くとか。
2.弁天様のいろいろ
琵琶湖の竹生島、鎌倉の江ノ島、広島の宮島、松島の金華山それに奈良・吉野の天の川の弁財天は五大弁財天と称されている。弁財天の多くは、川辺、湖辺、海辺あるいは洞窟内の祀堂に置かれている。
個人の屋敷内の弁天様: 小平市内でいくつか確認(水の恵みへの感謝)、池上本門寺の近所の屋敷内
 鎌倉の宇賀福神社の銭洗弁天: 巳の日に境内の湧き水で貨幣を洗うと、銭が福銭となり2倍の効力を発揮するとされる。水との関わりを強く感じさせる。ここの弁天様は、神道の宇賀神(功徳が弁財天と似ている)と習合して成立した宇賀弁財天(頭上に蛇身の宇賀神王いただいている)である。
 江ノ島の弁天様: 「552年4月に大地震がおこり、海上に小さな島が顔をのぞかせた。それが現在の江ノ島である。そこに天女が降臨し、それが弁財天である」と、謡曲にも謡われている。裸身で琵琶を奏でている姿である。
 不忍池の弁天様: 上野の寛永寺が創建(江戸時代初期)された後、琵琶湖の竹生島に ならって不忍池に島を築き安置されたものである。
 神田上水と弁天様: 井の頭池、善福寺池(市杵島姫神社)、妙正寺池 
 水源や池に祀られた弁天様: 清水窪弁天(大田区)、洗足池弁天(大田区)、三宝寺池弁天
 洲崎の弁天様: 深川洲崎弁天、羽田弁天(移転し、現在は玉川弁財天と称す。護摩を焚いた後の灰を固めて造った姿)
 岩窟の弁天様: 威光寺弁天(稲城市)、鷭龍寺弁天(目黒区)、本所一つ目弁天(神社の境内に造った岩屋内)
 神社の弁天様: 鶴岡八幡宮の旗上弁財天社(着衣の姿)、品川神社の清滝弁天、愛宕神 社の弁天社(宇賀御魂神)


第5回  エクアドルの水 (2月17日、 福田 寛允 氏)

 2009年3月から2年間、JICAのシニアボランティアとしてエクアドルに滞在した講師か ら、エクアドルの下水道を含めた水事情についての話を伺った。
1.エクアドルの紹介
 南米の赤道直下にある国で、日本の2/3ほどの面積に1,400万人が暮らす。山(アンデス山脈)あり、海(太平洋)あり、ジャングル(アマゾンの上流)ありで、さらにダーウィンの進化論で有名なガラパゴス諸島も含まれる。首都キト(200万人)は山岳地帯(シエラ)の盆地にあり、年間を通して春のような気候である。港町グアヤキル(220万人)に代表される海岸地帯(コスタ)の海岸付近は、気温は高いが寒流の影響で比較的しのぎやすい。ちなみに、ハチドリはエクアドルのシンボル的な鳥である。首都キトはインカ帝国第二の都であったところで、1531年にスペイン人によって征服され、1822年に独立するまでスペインの統治下におかれていた。
 現在の人口はメスティーソ(混血)が約8割で、ほかに少数の先住民、黒人などがいる。人口の半数はシエラに住んでいる。主要な産業は農業、水産業、石油産出で、現政府は石油販売で得た金を低所得者層に配分する政策をとっている。基軸通貨は米ドルだが、アメリカには反抗的である。
 日本のODAは、貧困対策、環境保全、防災の3分野について協力する旨の覚書を交わし、これまでバナナ・花卉栽培、エビ養殖、水産加工や石油採掘に対して協力してきた。ただし、現在、石油採掘からは撤退している。
2.上下水道事業の状況
 コスタ地方の経口感染症の蔓延と全国的な上水源となるべき湖沼の富栄養化は深刻な問題を提起している。
 都市部における2003年時点での水道普及率は97%、下水道普及率は72%である。下水道事業の課題は処理施設の建設にある。
 水環境の保全に関する各種法律には理念だけしか述べられておらず、具体的な基準はエクアドル衛生事業協議会(1965年設立)が上梓した「上下水道設計基準」に水道水質基準や上下水道施設の設計基準が定められている。
 この衛生事業協議会が1992年までは全国の上下水道事業を主導していたが、資金源の石油輸出が滞ったため行政改革が実施され、現在では地方政府に事業の実施が委譲されている。主要な地方政府は公社を設立して事業を行なっている。
さらに、2001年より「中小規模の自治体の上下水道サービスに関する技術的支援計画」が開始され、私が派遣されたエスタド銀行(公共投資銀行で、資金と技術で支援する機能をもつ)が代行している中小規模地方政府への技術支援は、この「支援計画」が根拠となっている。
 一方、キト、グアヤキル、クエンカ(50万人)の3大都市では、それぞれ独自の技術力で上下水道事業を実施している。
 現在稼動している下水処理方法は散気しないラグーンが主流であるが、最近では散気ラグーンや土壌処理も採用されている。これは「下水処理水の放流基準をBOD100mg/?」と定めていることにある。キトでは未処理下水を深い谷底に放流している。
3.技術支援の内容(提言、講演、助言、投稿)
 今後のエクアドルの下水道整備に対する提言を行なったほか、エスタド銀行の行員を対象とした7回にわたる講演会を開き、@ 下水道建設における日本の経験(関係法令の整備、施設整備資金の調達、技術者の育成、下水道の効果)を紹介する A 下水道事業を行なうにあたっては、山岳地帯の人口が多いこと、都市への人口集中がまだ続いていること、電力が不足しかつ地価が安いことなどから、用地型の処理施設の採用を勧める B 未処理下水の閉鎖性水域への放流が富栄養化を促すことについて考えを述べる C 高級処理方法(活性汚泥法、好気性ろ床など)を教示し、中級処理以下の処理施設(ラグーンなど)の改善手法を示す などの情報提供を行なった。
 個々のプロジェクトに対しても、建設中のイムホフタンクへの助言、腐敗したラグーンを改善する方法の提案、ベットタウンの下水道計画への助言、小集落からの下水放流が農業用水用ダムの富栄養化を招いた事実を指摘し、観光資源としての湖の水質改善方法の提案 などを行なった。
さらに、日本と同様、火山噴火や地震が多発する国土であることから、「地震の発生に備えよう」、「地震と下水道」などの論文を地元の業界誌や大学紀要に投稿し、いくつかの対策を提示した。
4.エクアドルの生活実態の紹介
 キトをはじめ各地の街並みを紹介しつつ、それぞれの地域の水処理事情(未処理放流が多いこと、あるいは施設を造っても維持管理が不十分であること)や行事・生活実態などの説明があった。



第6回 下肥が作った江戸野菜 (3月17日、 堀 允宏 氏)

 葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員をされている講師より、かつて葛飾周辺の東京東郊の農村で行われていた下肥の農村還元の実態を古老からの聞書きに基づいて振り返ってもらった。
1.江戸野菜
 葛西地域における耕地への肥料源は、河川・池からの泥、水草のほかは購入肥料に頼るほかなく、その一つが下肥であった。下肥を一年中絶やすことなく利用して、金町コカブ、小松菜、山東菜、ねぎ、亀戸大根、枝豆などの蔬菜類を栽培する都市近郊型農村になったのは江戸後期からである。
2.下肥の施肥
 蓮根: 水はけの悪い水田を転用しての蓮根栽培。大量の下肥を、元肥を入れる3月下旬だけでなく、追肥として初夏にも入れた。たいへん富栄養化した田んぼであった。こうした情況が昭和40年代まで見られたと云う。
 長ネギ: 春、種を蒔いて冬に収穫。元肥として一反歩につき30荷の下肥を施したが、これは稲作の1.5倍の量である。大量の下肥施肥により、ネギの白軸が長くなり、柔らかく美味しくなるとされた。白い部分を見た目にもきちんと揃った状態になるように育てた。
 きゅうり、なす: 苗床を作って早春に種を蒔き、苗を育てる。東京都心部の家庭から出る生ゴミを発酵させたものを苗床として利用した。苗を本畑に定植した後も、一週間に一度の割合で下肥を与えた。これらのことは促成栽培につながっている。江戸っ子は初物が好きで、高いお金で買ってくれたからである。
 ミトラズ: 注連飾りの材料として使われる稲をミトラズといい、穂が出ないうちに刈取った。青々とした色が求められたので、稲の茎を青く長く伸ばすために下肥が大量に施肥された。ミトラズを蓮根田の縁にぐるりと植えることもある。
稲: 水田の元肥として、田植えの直前に下肥を入れた。1石ほどの大きな桶を水田の中に運び、ここに下肥を一時貯留しておく。広い水田に下肥をまんべんなく撒くには熟練を要した。「下肥の呑み倒れ」という言葉が残っているが、これは、下肥を入れ過ぎると窒素分が過多となり、稲が倒伏したり病虫害を受け易くなることを指している。
3.下肥運搬船
 下肥に依存した農業を支えてきたのは、下肥を運搬する船である。下肥運搬船の経営は、 富裕な農民層が行なった。安政年間の下肥取引に関する記録に、本所菊川の大久保肥後守 邸の下肥の汲取り権を3ヶ年にわたり22両で買取ったとある。
 下肥運搬船は長さ12m、幅2mほどの大きさ(肥桶260杯ほどの下肥を入れることができた)で、「長船」と呼ばれていた。セイジという船室がついていて船頭ともう一人くらいが寝泊りすることできた。昭和30年代まで活躍していた。
 下肥は、船から岸に「やいび」と云われた長さ20mほどの幅の狭い木の板を渡し、天秤棒で重い肥桶を担いでその上を歩いて降ろした。バランスを崩して落ちることもあった。 下肥の供給が千葉県や埼玉県に及ぶようになった昭和10年代以降は、トラックや鉄道による輸送が主力となり、長船で運ぶという風景は次第に少なくなった。
4.下肥にまつわるエピソード
 農家の人たちが生産した野菜を遠くの市場まで、朝早くから荷車に積んで運んだ苦労話、下肥を扱っている農家に嫁いだ方が嫁入り前に実家の農家で肥桶を天秤で担ぐ練習をしたという話、下肥運搬船は銅版を使ってきらびやかに飾り立てた豪華なものであったという話などが披露された。
                                      以上