屎尿・下水研究会

TOP

屎尿・下水研究会の概要

お知らせ

発表タイトル

特別企画

企画図書類

更新履歴


特別企画

分科会
屎尿・下水研究会



第12回 特別企画

屎尿・下水研究会 平成20年度特別企画報告

平成21年08月08日〜09日


那須に昔のトイレを訪ねる

 去る平成21年8月8〜9日(土〜日)、屎尿・下水研究会では平成21年度特別企画として、栃木県・那須高原に点在している「昔のトイレや用水路などの遺産」を訪ねる旅を企画しました。宿泊人数の関係もあり、参加者の募集は口コミとしました。参加者は9名で、全行程を車で移動しました。以下に、見学した施設の概要を述べます。

1.塩原・天皇の間記念公園
1) 場所: 那須塩原市塩原の箒川沿いの塩原温泉の入口
 明治・大正・昭和の三代にわたり、天皇はじめ多くの皇族が避暑地として利用した「塩原御用邸」の一部を移築保存。
2) 沿革: 元々は、栃木県令・三島通庸氏の別荘。明治37年、三島家が皇室に献上し、以来「塩原御用邸」として、大正天皇はじめ皇族が毎夏、ご愛用された。 戦後、厚生省に移管。昭和39年、国立塩原視力障害センターとなり近代的施設に改築されたが、「天皇の間」と尊号されていた「御座所」は、原型のまま保存。昭和56年に、やや離れたこの地に移築された。
3) 建物の概要: 和風木造平屋建て、252u。屋根は銅板平葺き、内部は畳敷き。各部屋の間仕切りは襖建て、照明器具は洋風、栃木県の有形文化財。
4) 便所: 畳敷きで、木製和風便器。便器の下は便壷ではなく、引出し式の箱の中に「おまる」が置かれ、出し入れできる仕組みになっていたという。外から見ると、便所の下部は観音開きになっている。同じ形式の便所が二つ並んでいた。

 館内のアナウンスの説明で、この便所の使用方法にまで言及していた。「天皇の間」の見学中でもあったので、びっくりするとともに我が意を得た思いでもあった。今までに、いろいろな建物を見学したが、便所についてはほとんど説明がなく、あってもただ単に「便所」という名称が示されているだけのところがほとんどである。それにひきかえ、館内説明のアナウンス(テープに録音したものを流していた)で、しかもここまで詳しく触れているとは! 録音器を持参してこなかったことが悔やまれるほどであった。

2.青木周蔵那須別邸
1) 場所: 黒磯市青木の道の駅「明治の森・黒磯」の一画

 板室街道沿いに造られた「道の駅」の整備にあわせ、近くにあった「青木周蔵那須別邸」を移築・復元。
2) 沿革: 外務省次官であった青木周蔵が、那須野ヶ原で経営していた青木農場を管理するために、明治21年に建築した。平成10年に、50m離れたこの地に移築された。
3) 建物の概要: 設計はベルリン工科大学などで建築技術を学んだ松ヶ崎萬長氏が担当。
 ドイツ式の木造洋風二階建て、鉄板葺き。建築面積319uで、平成12年、国の重要文化財に指定。
4) 便所: 後に、和式の便所が付け加えられたようであるが、移築に当たって、建物の初期の間取りを復元したため、今回見学した「青木周蔵別邸」には便所がついていなかった。

 建築当初、この別邸には和式のいわゆる汲取り式便所がなく、洋風の腰掛け式の便器(一種のおまる、座の下に屎尿を受けるバケツ状の受け器があり、背もたれの中に砂を収容してある)が使われていたという(「昭和のくらし博物館」小泉和子、河出書房新社)。建築主の青木周蔵が外交官としてドイツなどでの外国暮らしが長く、また夫人がドイツ人であったことからと思われる。
 もっとも、邸内の説明をしてくれた説明員の方によると、この別邸の収納庫で以前見たことのある「腰掛式の便器」の形は、「昭和のくらし博物館」に掲載されているもの(写真)とは少し違っているとのことであった。


3.那須疎水の取入口
 那須野ヶ原では、明治13年以降、大農場が生まれ開拓事業が始められたが、もともと水利に乏しく、人や牛馬の飲用水にも事欠く状況であった。こうした中で、那須野ヶ原大農場の飲用・灌漑用水として、那須疎水が明治18年9月15日に開通した。その3年前に開削した「那須原飲用水路(旧堀)」に対して「新堀」ともいわれる。

 安積(あさか)疎水(福島県)、琵琶湖疎水(滋賀県、京都府)とともに「日本三大疎水」の一つである。本管水路が約16kmで、4本の分水路に分かれる。約1万町歩の那須野ヶ原大農場地域を潤し、現在では数万人が利用する上水道源ともなっている。
 取水口は、黒磯市西岩崎にあり、水源(那珂川)の流れの変遷に応じて、これまでに何度か変わっている。
 当初は、那珂川の絶壁にトンネルを掘り、その入口(取水口)には切石による石組みがつくられた。
明治38年に、200mほど上流の河原に新しい取水口を設け、堀と新たなトンネルによって地中で従来のトンネルに接続させた。新しい取水口は、河岸にある(当時は川の中か?)長径6〜7mの大きな自然石を利用した上で、堀の中に橋脚のような構造物を設置して、この間に簡単なゲート(開閉施設)を設けた。
 現在、この取水口跡には、ゲート用の溝と管理用の階段が刻まれている巨石と堰堤の一部が残っている。
 大正4年に初めの取水口に戻り、昭和4年にはその取水口に開閉施設が設けられた。
 さらに、昭和51年に20mほど下流に近代的な取水口が新設され、現在に至っている。

【珍しい公衆トイレ】: 那須疎水の取水口を見学中に、珍しい公衆トイレに出会った。建物はごく普通の造りの大小兼用のものである。ドアーを開けると、トウトウと水洗水が流れている。和式の水洗トイレである。こんな人里離れたところにも、「水洗トイレがあるのか!」と感心した。「前の人が流した水洗水かな?それにしても水量がばかに多いな!」と思いつつしばらく待ってみたが、いっこうに止まらない。「壊れているのかな?」と考えていたとき、ようやく便器の前の張り紙に目が留まった。そこには「ここの水洗水は流し放しです」と書かれていた。「そうか、ここの水洗水は近くの川の水を使っているので、流し放しでもったいなくないのか?」。小用を足した後で、「待てよ、こんなにたくさんの水洗水を流し続けていたら、浄化槽の能力をオーバーしてしまうのではないか?」と心配になってきた。それとも、ここはいわゆる「高野山式」の垂れ流しトイレなのだろうか。今時、それは許可にならないはずだし。もしかしたら、土壌浸透式?… 思い悩むことしきりであった。ともあれ、謎めいた公衆トイレがあったことだけは事実である。

(屎尿・下水研究会幹事 地田修一)