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屎尿・下水研究会 (社)倫理研究所 取材報告

平成21年07月05日


「トイレの歴史を知ろう」に答えて

地田修一(日本下水文化研究会運営委員)

 平成21年の春まだ浅い頃、雑誌「新世」((社)倫理研究所発行)の森泉宏記者から、「トイレの歴史」についての一問一答を受けました。このときのやりとりは、「新世」の5月号と6月号の「トイレ探訪」の欄に掲載されていますが、団体の機関誌であるこの雑誌は一般には市販されていません。そこで、私が答えた部分を以下に再掲することとします。

縄文の頃(自然浄化)

 「古来、人間は外で排泄をしてきました。いわゆる野糞、立小便です。猫なんかでも、糞をするときは地面をちょっと掘って、終わったら土をかけるでしょう。あんな感じですね」
 「やがて一定の集落ができるようになると、そこいらじゅうでするわけにはいかない。外は外でも、特定の場所を決めて排泄するようになりました。
 たとえば、縄文時代の貝塚を調べると、人体の寄生虫卵の化石が見つかります。貝塚か、その付近がトイレ代わりに使われていたのではないかと思います」

奈良・平安(屎尿は捨てるもの)

 「奈良、平安時代くらいまでは、こうして外でするのが庶民の生活でした。
 一方で、藤原京跡などを発掘すると、町中の水路を流れていた水を、貴族が屋敷に引き込んでいた形跡があります。引き込んだ宅地内の水路の上に屋根を作って、そこで排泄する。大便がそのまま流れていかないよう、途中に穴を掘り大きなものは沈むような仕掛けになっていました。一種の「水洗式トイレ」を、当時の貴族たちは使っていたようです」
 「同様のトイレで有名なのは、高野山のお寺(平安初期に開山)のものです。高野山では谷川から水を引いて、たくさんのお寺で使っていましたが、トイレは台所などで使った生活雑排水を下に流す、便壷のない形式のものでした。高野山では昭和10年頃まで、この仕組みで屎尿が処分されていました」
 「平安時代になると、貴族たちは、部屋の中の「おまる」がトイレ代わりでした。「おまる」で用を足すと、下女が邸宅の隅っこの方に捨てに行っていました」

鎌倉末期〜江戸(汲み取りトイレー農業利用)

 「外でするか、家でするかの違いはあるにしても、長らく屎尿は「捨てるもの」でした。それが、鎌倉時代の終わり頃から、屎尿を溜めて、後から汲取るように変わってきました。何故かといいますと、人糞が農業の肥料に使われるようになったからです。それまで肥料といえば、草や落葉を使った堆肥が主でした。それが「人糞が作物の肥料になる」とわかり、江戸時代に全国に広まったのです」
 「樽や壷などに屎尿を溜めて、農業の肥料として使う。今風に言えばリサイクルです。 屎尿をまけば作物がよくとれる。農家はお金を払ってでも手に入れたかった。屎尿を汲取って、農家に売る業者も生まれた。屎尿は値段がついて取引きされるものになりました」

明治以降(有価物から廃棄物への移行)

 「江戸時代が終わって、明治になっても、屎尿は肥料として農地にまかれていました。
 ところが大正の中頃になると、化学肥料が安く売られるようになります。農家の人にしてみれば、やはり屎尿より、化学肥料の方が扱い易い。そのうえ都会の人口が増えて、だんだん屎尿がお荷物になってきたのです。需要と供給のバランスが崩れてきたのです。汲取り作業が滞るようになり、便壷から溢れそうになった屎尿は、自分で捨てるしかない。たとえばここら辺り(倫理研究所)の人ならば、バケツにでも汲んで神田川に投げ込むこともあったのではないでしょうか」
 「こうなると、当然、都会の屎尿処分は社会問題化しました。伝染病の原因にもなりますから。そこで初めて、当時の東京市が役所の仕事として、汲取りを行うようになりました。今まで屎尿を肥料として買取ってもらっていたのに、今度は市民がお金を払って、持っていってもらうようになったのです」
 「役所が大量の屎尿を処理しなければならなくなりました。東京の場合では、汲取った屎尿は、農家や屎尿処理施設だけでは処分しきれませんでした。それで、半分以上は海に捨てざるを得ませんでした。昭和10年頃からです。初めは東京湾内でしたが、漁業者からの苦情が絶えず、その後、伊豆大島沖の外洋に捨てるようになりました。それでも、海流に乗って黄色い帯状の屎尿が東京湾内に流れ込むこともありました。
 昭和38年の東京オリンピックの時、「外国のお客さんが来るのに、これではまずい」ということで、薬品を添加して屎尿の沈降性を増すなど、いろいろ苦心をしたそうです」

水洗トイレの普及

 「その後、下水道や浄化槽の普及により、トイレの水洗化が進みました。水洗トイレが普及するための条件は、水が豊富に得られることです。かつて水道局の仲間から、「水洗トイレに使う水は、飲み水なんだ。ジャージャーと無駄に使うなよ」と、よく言われたものです。水洗トイレで大便を流すときに、一回でおよそ13リットルもの水洗水を使います。これだけの水の恩恵を受けられるからこそ、今の快適な生活があることを忘れないで欲しいですね」