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第10回 特別企画

旧三河島処理場喞筒場施設の見学

平成20年03月27日


旧三河島処理場喞筒場施設の見学

 標記の施設が、平成19年12月に国の重要文化財(建造物)に指定されたことを記念して、平成20年3月27日に一般公開されたので、屎尿・下水研究会としての見学会を催した。一般公開されるという情報を得たのが直近であったので、口コミでの募集にならざるを得なかったが、10名の方々が参加された。
 受付で概要が記されたパンフレットをいただき、往年の写真などのパネルが展示されているレンガ建てのレトロな施設を巡る。70年以上都民の衛生を支えてきた当該施設が今後も永く当地に保存されることとなったことは、誠に喜ばしい限りである。桜やツツジなどの緑の木立を背景とし、チンチンと警笛を鳴らしながら施設をかすめて走る路面電車を前景に、春夏秋冬とも一幅の絵となる名所として、今後も永く地元の人々とともに歩むこととなるでしょう。
 以下に、この施設の概要を示す。
 東京都荒川区で現在も下水処理を続ける三河島処理場(旧三河島汚水処分場、現三河島水再生センター)の建設工事が始まったのは、1914(大正3)年。主ポンプ室は1920(大正9)年、その他の関連施設は翌年に、それぞれ完成した。運転開始は1922年。日本初の近代的な下水処理場が誕生したのである。
 当初は、砕石に下水を散水し空気中の酸素を利用する「散水ろ床法」を採用したが、1934には「活性汚泥法」に変更。以後、下水処理技術は格段の進歩を遂げているものの、微生物によって汚れを分解するという意味では、大まかな流れは変わっていない。
 三河島水再生センターの敷地内には、運転開始時に築造された「主ポンプ室」が、今も残されている。その際設置された大型ポンプや自走式クレーンは、当時の最新技術であり、大きな注目を集めた。それらの技術と同じくらい、都民の関心を誘ったのが、ウイーン分離派の影響を色濃く残す建物だった。ウイーン分離派の活動は、英国のアーツ・アンド・クラフトや、フランスを中心に花開いたアール・ヌーヴォーとともに、19世紀末ヨーロッパのデザイン史を彩っているが、規則的に配置された「主ポンプ室」の柱型はそのまま近代化のリズムと呼応しているように見える。
 これらの施設は、1999(平成11)年まで稼動していた。休止後の2003(平成15)年、「主ポンプ室」(正確には、三河島処理場主ポンプ室及び関連施設)は、東京都指定有形文化財(建造物)に指定される。これは、「稼動当初の構造を良くとどめ、近代下水処理システムの遺構として貴重であり、土木・建築技術の歴史の上で価値が高い」という評価を受けてのこと。さらに、2007(平成19)年には、国の重要文化財(建造物)にも指定された。
 どうしても、赤レンガ造りの建物、つまり、地上部分の「建築」に目が向いてしまうが、阻水扉室や沈砂池といった「構造物」、すなわち地下の土木・設備技術の体系もまた、近代日本を支えてきた文化だということには留意しておきたい。「主ポンプ室」は、建築史のうえでも、下水道技術史のうえでも、大きなメッセージを発している構造物なのである。
 別途、三河島水再生センターの関根泉センター長からお話を伺うことができたので、次に紹介する。
 「 効率だけを考えたら、『主ポンプ』を取り壊して施設を建てる方がいいかもしれません。ただ、技術というのは時代の要請に応えるなかで、必ずしもリニアに進展するものではないので、こうして近代下水発祥の礎を遺し、折にふれて原点に立ち返ることができるというのは大変意味があることでしょう。建物の細部はもちろんのこと、見えないような地下の下水道管の意匠にまでこだわった、先人たちの意気込みを垣間見るだけでも、一見の価値があると思います。 」

(記:地田 修一 運営委員)