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日本下水文化研究会 分科会 屎尿・下水研究会
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屎尿・下水研究会



第3回 特別企画

講師派遣

トイレの文化史

「水環境と暮らしのフォーラム」における基調講演

地田 修一
平成15年10月18日
1 はじめに
2 立ち小便
3 糖尿病の判定
4 環境ホルモン
5 汲取り
6 肥舟
7 防臭薬
8 貨車による輸送
9 屎尿の投棄
10 トイレの変遷
11 下水道と屎尿
12 おわりに


1 はじめに

 ただいま、ご紹介いただきました地田でございます。
 今日は、この後、パネルディスカッション、その前に研究発表会というように盛沢山の行事が組まれておりますので、私はその前の前座のつもりで標題にあることを、あれやこれや、とりとめが無くなるかもしれませんが、トピック的にお話したいと思います。
 日本下水文化研究会の中に、屎尿研究会という分科会が5年前にできました。私は歳が上の方でありましたから、会長にまつりあげられております。だいたい3ヶ月に1回位、各会員が、自分の調べたテーマを持ち寄って、1時間半位話をし、後の30分ぐらいディスカッションするというようなことを、ここのところ続けている会でございます。
 何故にこのような会を創ったかというと、お手元のレジュメのところに書いておりますが、日本だけではなく、外国でも、なかなかこの手のことは、人の前で、特にマイクの前で喋るようなテーマでは無いというような風潮がありましたが、非常に重要なことが多く含まれているということで、会を創りました。

2 立ち小便

 レジュメの2に移りますが、この屎尿、大便と小便と言った方が分りがいいんですが、いろいろエピソードがございます。立小便って今…、小さい方は見たことがないと思いますが、私が小学校の低学年のころは、よく街の真中でも見ましたし、郊外なんか行くと女性でもそういうところを見ました。
 それは、なにもその人が特別に道徳心が無かったからではないんですね。日本古来から、あるいは人類そのものが、ヨーロッパの人も、だいたいが、便所、トイレというものを使わないんです。野外でチョット空いているところがあれば、大きい方も小さい方もする、ごく自然な生理現象でした。小さい方を立ってする、これは男は当たり前だと思うのですが、ここに書いたのは、女性も立ってするのが普通だったんですね。
 ついこの間まで、皆さん方、年配の方も居られるので、「よく見たよ」という経験をお持ちの方も多いと思います。例えば、日本の首都でありました京都の街でも、江戸時代では絵に描かれて残っておりまして、それは、ちゃんと桶みたいなものがありまして、そこにするんです。
 そこに罰金というのが書いてありますが、明治維新になりましてヨーロッパの人と付合いを始め、ヨーロッパでも立小便というものはやっていたのですが、明治維新ころになると、さすがにあちらの国の人達は、特に紳士淑女のような人が日本にやってくることが多いですから、そういうのはしていなかった、そこで、「日本というのは、なんと野蛮な国なのか」と、時の国あるいは県レベルのお役人に言ったのでしょうね。
 立小便禁止という規則というか法律ができまして、それは全国一律にできたのではなく、外人が多く立寄る横浜の港、今の横浜市ですね。京都、京都は早かったですね、明治のごく初めに罰金10銭ぐらいですかね。今で言えば地方の条令ですね、県条令、市の条令レベルで罰金を取った、けっこう高かったそうです。お米が何10キロも買えるくらいの罰金が1回の立小便で取られたというふうにものの本には書いてあります。

3 糖尿病の判定

 その次の話、人助けをしたという話ですが、これは実際にトイレの汲取りを、職業としていた方から、私達研究会の者がお話を聞いた時がございます。この方から糖尿病の人がトイレを使いますと違った臭いがすると聞きました。
 屎尿の中に糖分が混じっておりますので、本来糖分は人間の体の中で使われなければならないのです、それが分解するときの臭いというものは特有なものがありまして、汲取りの人達は、屎尿はある種の臭いがするものだけれども、糖分が混じった尿は、また一種独特の違った臭いがするので解るそうです。
 汲取った後に「お宅の誰かに糖尿病の気のある人がいるみたいですよ。」と、教えてあげたという話です。心ある人は「ありがとうございました。早速、病院へ行き治療して、軽い段階で治りました。」と喜んでくれましたが、「余計な事を言うな。おまえなんか汲取らせてあげない。」というような話になることも、しばしばあったということのようです。
 これは昭和の20年代の話しです。この人は元々、東京郊外の農家の人です。その当時は、今みたいな化学肥料が無いものですから、汲取りトイレの屎尿が、農作物、特に野菜系統の肥料として非常に貴重であったのです。だから汲取らせてもらわないと困るわけですよね。作物が良く育たないというようなことで、その方は汲取りを始めたわけですが、そのうち専業の汲取り業を興したのです。

4 環境ホルモン

 その次に環境ホルモンが小便の中に含まれているという話です。今日お集まりの方は環境に関心が深い方ですので、環境ホルモンと聞くと、化学物質、それも工場等で合成された化学物質のことを言うんじゃないの?と、その化学物質を人間が摂取して尿に入るのかな?と思われるかもしれませんが、それも無いことも無いかもしれませんが、私が言いたいのは、これは自然に、特に女性の小便には、環境ホルモンと言われる物質の元になる、基本の物質が元々含まれているということです。
 環境ホルモンが問題になったのは、魚とかが摂取すると、本来オスになるはずの魚がメスになる、だから大変なことだということからです。元々、尿の中には女性ホルモンが入っています。殆どが女性の体の中で分解され、環境に出ても悪さをしないような物質に肝臓で変わるのですが、一部分は出ちゃうんですね。
 尿の中には、水の中に棲んでいる生き物に悪さをするかもしれないものが若干含まれていて、それが下水処理場などに流れてくるのですが、下水処理場では微生物処理していますので、その成分の殆どはまた分解されます。ただゼロにはできないので、川等に流れ出てしまうというのが現在わかりつつあるところです。私が言いたかったのは、そんなようなものが、自然現象として含まれているということです。

5 汲取り

 次に『汲取り』の話に移ります。話題がいっぱいあります。
 下肥の値段というのが書いてありますが、『下肥』というのは、屎尿を昔は農業で肥料として使いましたので、そういう場合に『』という言い方をしました。若干、生のまま使うこともあったようですが、もう一回溜めて分解させて安定化させ、さらに水で薄めてから作物に撒いたということです。これは大変に高い値段が付いていた商品でした。商品価値のあるものであったということをここでは言いたかったのです。
 昭和20何年頃は、私がお話しを聞いた汲取り業の人が始めた頃は、タダで汲取って、畑に使い、たまに、そこで取れた野菜を置いていった。あるいはお金で置いていった時代であります。ところがそのうち下肥をあまり使わなくなりました。化学肥料が出まわったからです。そうすると今度は値段が付かない、タダの時があります。その次に汲取ってもらう方が汲取り業者にお金を払う、あるいはチケットとか何かを事前に買っておいて、それで払う、というふうに逆転するのです。

6 肥舟

 次に川の水で屎尿を薄めた、肥舟の船頭さんがいたという話。舟に屎尿を積んで都会から郊外の農村地帯に運んだ、それを『』といいます。
 肥舟には2種類ありまして、肥桶を舟に積む形式のものと、舟そのものが、油を積むタンカーの小型みたいになっていて屎尿をそのまま液体の状態で積み込む形式のもの、の2種類ありました。ここの話は、その後者のタンカー型の肥舟です。
 液体のまま舟に積み込み、だんだん上流の農村地帯に行って、途中、途中売って行くわけですから、舟に積まれた屎尿は減っていきます。すると、船べりは水だから、その水でヒョイと薄めて増量をし、上流の村の人に売ったのですが、それがバレちゃったんですね。何故かというと、川の中にある藻や水草が、屎尿に混じっていたからです。それを農家の人にわかってしまって「こりゃ、薄めたな」ということで、問題になり、トラブルの原因になったということが、いろいろな本に書いてあります。

7 防臭薬

 その次の『防臭薬の発明』。これは明治維新直後の京都の話でございます。
 日本が明治維新になり、その前の江戸時代の幕末ころから徴候が出ていたのですが、日本が大変な脅威にさらされました。それはコレラの大発生です。原因がよく解っていなかったのですが、どうもその大小便のなかに何やら悪いものがいると解りました。
 フランスのパスツールが細菌学を一生懸命やって、病原菌を探しあてますけれど、その少し前ですから、肥桶で屎尿を運んでいるときの臭気の中に、毒気、つまり原因のものがあり、コレラにかかると思われていた時代がありました。そのために、その臭気を消す方法を考えました。
 2つありまして、1つは肥桶に蓋をする。もう1つは、その臭いを消す薬を作った。明治維新のころは、外人の技術者をたくさん雇っていまして、お雇い技師というのですが、京都に居たその人達が作ったそうです。
 私も本で読んだのですが、どういう薬なのか書いてなく、ただ防臭薬を発明したと書いてあるだけだったのですが、その薬で臭いを消す、屎尿特有のアンモニアの臭いが消えたのでしょうね。それを使いなさいという条令、京都府だけで通用する条令をつくったそうです。それくらいコレラの発生は、大問題になりました。

8 貨車による輸送

 その次に、貨車による農村への屎尿の輸送の話です。
 太平洋戦争中と考えて下さい。私、昭和18年生まれですから、ちょうど私が生まれた頃の話、あるいはチョット前頃の東京の話です。農村地帯に屎尿を運ぶのに、さっき言った舟で運ぶ方法がありましたが、戦争が激しくなりまして、兵隊にとられて人不足になり、そういうことをする人がいなくなりました。また、東京の街に汲取り業者、汲取ることを専業にしている人の数も減ってきました。それで東京に屎尿が溢れ返った時代があります。
 神田川、目黒川などにバケツか何かに入れて流す、そうでもしないと、汲取り便所が溢れるということが実際に起こったのです。普通の歴史の本には書いていないですが、実際に起こりました。
 今の都知事にあたる、東京府長官、東京都長官という人がいまして、その人が、頭を痛めました。その中で貨車を使って郊外へ運ぼうということが行われました。昭和の19年頃です。東京の西武鉄道、東武鉄道という鉄道会社が請負ました。これは戦後も続き、昭和30年頃まで、その方式で汲取り屎尿を運んだということでございます。
 それくらい屎尿の問題は、汲取ってくれる人がいる、下水道が完備されている、あるいは後にでてくる浄化槽があるとか、うまく流れてまわっていれば良いのですが、まわらなくなった時、これは生理現象ですから大変なことになるということで話題にしてみました。

9 屎尿の投棄

 その次に、『素掘り穴への投棄』。内陸地帯はこういうことです。海に面しているところは『海洋への投棄』というようなことが、ついこの間まで行われていました。東京はこの2つ、両方ありました。
 素掘り穴は、ただ地面に穴を掘って、そこへ流すだけです。畑や何かを借りることもあるでしょうし、汲取り業者が土地を買って、あるいは借りて穴を掘って流すということもあるでしょう。これはどこの都市でもやむをえない時はやったと思います。はなはだしいのは、穴など掘らないで、『山林投棄』と言いまして、山の間にある谷間に流すということも行われました。
 海へ投棄するのは、肥舟というのが江戸時代からあったくらいですから、それが、農村へ行くのではなく、海の方へ行き、始めのうちは港を出てすぐのところで捨てたというのが、現実いろんな地域であり、漁業被害などのトラブルが起きました。それで東京の場合は、東京湾の外側、黒潮が流れているところまで行って捨てるようにと、取り決めが厳しくなったということがございました。つい3年ぐらい前まで、下水道をどんどん造りましたので汲取り屎尿も量は減ったものの、まだあったので、海に捨てていました。

10 トイレの変遷

 こんどは『トイレ』。トイレの言い方もいろいろありますが、便所、雪隠という言い方もあります。
 ヨーロッパは、はじめから今のような水洗トイレをもっていたかというと、ぜんぜん違います。ものの本によると、樽に溜めると書いてあります。判り易く言うと病院などで『おまる』を使いますよね、あの『おまる』にします。家の戸口に樽を置きまして、おまるがいっぱいになると、その樽にあける。その樽の中の屎尿を集めに来る人がいた。
 そのうちパリやロンドンには、今で言うアパートが早くから出来まして、2階、3階、4階は、1つのパイプを上から下までつくりまして、それぞれの階の便所にあたるものが作られました。ところが、そのパイプの下には樽が置かれていまして、樽がいっぱになると運んだというような時代が、日本の明治維新の頃まであったのです。
 そういう状態にしているうちは水質汚濁は無かったのですが、そのうち樽をやめて、下水管につなごうと、今話している下水管とは、雨水を川に流すための下水管です。それにトイレの水を流すことをしたら、水質汚濁がおき、大変なことになり、それから下水の処理を考え始めるようになりました。
 もう1つ言いたいのは、農家の出身の方は知っていると思いますが、日本の家屋の基本の間取りではトイレは家の中にありません。外に置くか、せいぜい軒下、玄関に入る外のところにトイレを置く。紫式部の源氏物語の時代の貴族達は、おまるで用をたしていたと聞いたことがあると思います。
 寝殿造りという建物には便所という特定の施設は無いのです。廊下の隅、部屋の隅に、パーテーションをしておまるにし、それを下女たちがどこかに捨てに行った、というのが貴族の世界でした。下々はさっきのように外でしていましたので、農家といわずその頃の日本では、家の中には汲取り便所というものを造らなかったのです。
 造るようになったのは、武士の時代になりまして、建物の形式が書院造りになってからです。仏教の禅宗の影響か何か知りませんが、便所を床の間の真裏に置き、お客様や上司、お殿様などが来たときに使ってもらう、『便所』を造ったくらいでして、そのころから建物の中に造るようになりました。ただ、家の中に完全にトイレがあるというわけではなく、廊下の隅や廊下から少し出っ張りをだし造るということがございました。
 『便所』というのは、武士の家もそうですが、下りまして江戸時代以降になって、商売をしている人の家などは、二つの便所を、男、主人が使うトイレと、使用人、あるいは女が使うトイレを分けていたのです。これは、武士の時代の女性をあまり尊ばなかった風習の現われかもしれませんが、そういうようなことがありました。
 『水洗化トイレ』これは、非常に重要なことで、『水洗化トイレ』は2つ条件を満たさないと危ないです。
 1つは『水』です。砂漠の真中では水洗化トイレは出来ないですよね。もう1つは家庭雑排水に加えて屎尿を流すわけですから、その分の汚濁負荷というものは、当然プラスされますよね。だから、必ず公共下水道にしようが、浄化槽、あるいは農村排水にしろ一番末端にはきちんとした処理施設を必ずつけないと、成り立たないのが『水洗化トイレ』です。フランスで初めて採用したときに、向うの国の人が言っていた言葉を載せておきました。

11 下水道と屎尿

 『下水道計画による屎尿の扱い』、これも実は今の話しにつながる、初めから下水道に屎尿を入れるというのは歴史的には無いです。
 下水道はもともと雨水を流すか、せいぜい家庭雑排水を流すもので、屎尿は別のルート、日本の場合は汲み取って農業利用。大部分の国の場合は、屎尿は、どこかへ持って行き捨てる。
 東京の例ですけど、デ・レーケというオランダ人のお雇い技師は、東京の神田下水というところを計画するときに、屎尿は下水に入れないと、ハッキリ宣言しました。汲取りにするということです。その後、バルトンというイギリス人が、東京の下水道計画を作成しましたが、もっとも、この方の計画は実施されなかったのですが。下水道は水道と違い、ポンプの圧力で送るのではなく、自然流下と言いまして、川と同じで高いところから低いところに流す方式です。その勾配をきちんと設計しておかないと、どこかに大便が溜まってしまうということを考えまして、将来、屎尿が流されてもいいように管の断面、管の勾配を設計しています。
 『中島鋭治』、初めて日本人で東京の下水道を設計した人。雨水も家庭雑排水も屎尿も全部1つの管に入れましょうということを計画しました。これが、長い間、東京だけでなく全国の下水道の基本的な考えでした。昭和45年頃の公害国会のあたりから、雨水は別にしようということで、分流式という方式がとられました。雨水を流す管と家庭雑排水、屎尿を流す管を別管、つまり2本の管を通すように今は替わっています。

屎尿の処理

 今話してきたことを、冷静に考えてみますと、屎尿は生理現象ですから出ますよね、これをどのように集めてくるかという観点で考えてみます。
 『浄化槽』、これは便所と考えればいいです。ただ、昔の便所は溜めるだけだったのですけれども、これに処理能力、浄化能力を付加させた。つまり、一軒一軒の家で屎尿処理を行うということです。
 『屎尿処理場』というのは、汲取りトイレから、汲取って運んで処理する。一軒一軒の処理施設が地域で共同の処理施設になったという考えです。
 『下水道の普及』とは、花巻市の下水は、下水管を縦横に埋設して北上川沿いの処理場にもってきます。そこにさっき述べた処理施設をつくって浄化し北上川に流す。これがいわゆる公共下水道ですね。団地の下水処理場なんて聞いた事ありますか?団地に公共下水道と同じ団地のための下水処理施設をつくる。これをコミュニティープラント、コミプラと言います。公共下水道と似てますが、ただエリアが小さいのと、つくったのが公共団体か民間かの違いです。いずれにしても屎尿は処理しなければ、環境には出せません。
 屎尿を農業利用していたのは、日本のほか、韓国、中国の東・北部あたり。日本はあちらの方から教わったのです。一説によると仏教の伝来と付随して屎尿の農業利用が入ってきた言われています。稲作はもっと前に入っていました。
 浄化槽にしろ屎尿処理場にしろ公共下水道にしろ、何らかの処理を施す。ところが処理を施すと全部、有機物が分解されて炭酸ガスと水になるかというと、そうはいかないのです。やはり、残さが出ます。その残さ、この世界では『汚泥』と呼んでいます。
 馴染みの無い方も居るのではと思いますが、まさに『土』ですよね。少し有機物の含有量が多い土が、最後には残ります。汚水はきれいになります。だいたいが微生物処理で、微生物が汚れ成分を食べてくれるのですが、食べきれない部分、あるいは微生物が食べて太った部分というのが『汚泥』、つまり『土』のような状態で処理場、浄化槽に発生します。これをどうやって処理するかというのが、本当の意味の汚水、屎尿の処理です。
 昔に立ちかえり汚泥を堆肥化して、『コンポスト』にし最終的には農業利用されることもあります。また、相変らず穴を掘って捨てているところもあります。東京だけではなく大都市では、そういうことも少しはしますが、なんせ出てくる汚泥の量が膨大なものですから、燃やしてしまうことが多いです。ゴミと同じで、焼却炉で800度ぐらいで燃やしています。そうすると灰ができます。これは建設資材、セメントやレンガの原料になります。ようするに粘土に似た化学成分を汚泥はもっていまして、そこに目を付け、セメントやレンガの原料にするのです。リサイクル化が広がっています。

12 おわりに

 自分たち会員だけが自己満足した会では、いけないということで、今年の四月に例会で話し合ったことを中心とした本を出しました。技報堂出版からの「トイレ考・屎尿考」と言う本です。興味のある方は読んでいただければ、私の話したことより、もっと核心に触れた31の話が載っています。お読みいただければ幸いです。それでは私の話はこれで終りたいと思います。