屎尿・下水研究会

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第53回 屎尿・下水研究会

生活改善運動とトイレ・上下水道

小峰 園子 氏

会員各位様
 気候がおかしく、極端な大雨が降ったりしていますが、いかがおすごしでしょうか。第53回の例会が近づいて参りましたのでお知らせします。

日時: 9月25日(木) 18時30分〜
場所: TOTO新宿ショールーム(スーパースペース)
     会議室(プレゼンテーションルーム)
演題: 生活改善運動とトイレ・上下水道
講師: 小峰園子 氏(葛飾区郷土と天文の博物館)
内容: 日本の近代の歴史において、西洋の「衛生観」が広まったことは庶民の生活に大きな変化をもたらしました。特にトイレや飲み水に関する慣習を近代的で清潔なものへと変化させることは、生活文化のみならず生業や暮らしぶりまでをも変容へと促すものであったのです。今回は大正・昭和期の農業村における旧来の生活文化を、より近代的なものへと変える目的のあった「生活改善運動」にスポットを当て、その内容を紹介し、トイレや上下水道に関する文化がどのような変化を見せていったのかについて考えていきたいと思います。



第53回 屎尿・下水研究会例会報告

生活改善運動とトイレ・上下水道

 平成20年9月25日(木)、標記のタイトルでの講話会を東京・新宿のTOTO新宿ショールーム・会議室(プレゼンテーションルーム)において行いました。講師は、葛飾区・郷土と天文の博物館の小峰園子氏です。大正・昭和前期の農村における「生活改善運動」に焦点を当て、そのなかでトイレや上下水道がどのように変化を見せていったかについて、お話していただきました。講話の骨子は次のとおりです。
@ 江戸時代、農村では現在でも一部で見ることのできる汲取り式の外便所を使用し、屎尿は定期的に汲取られて、下肥として一滴残らず大事に農地に施肥されていた。一方、上水は湧き水や沢水に頼るところが多かった。
A 明治に入っても、下肥は貴重なものであった。
B トイレは地理的要因、気候などの違いによって地域ごとに様々な形態のものがある。例:沖縄の豚便所、豪雪地帯の男子用の内トイレ。
C トイレの水洗化以前(大正、昭和前期)に、わが国においては多数の改良便所が考案された。
 城口式便所(便槽が密閉されており、微生物の働きで寄生虫卵などを死滅させることができる)
 大正便所(便槽に目印をつけ、汲取りの時期がわかるようにした)
 文化便所(跳ね返りをなくす工夫。大正便所と類似)
 内務省式改良便所(便槽が隔壁によって複数に仕切られており、3ヶ月ほど経過したものを汲取る。この間に、寄生虫卵、消化器系伝染病菌が死滅する)
 昭和便所(大便器の下の配管を湾曲させトラップの役割をもたせた。隔壁により3槽に仕切られていた)
 簡易水洗便所(洗浄水として家庭雑排水を用い、便池を設けずそのまま下水道に流す)
D 戦後、GHQの主導による生活改善運動が、栄養改善、居住改善から家族計画、人生儀礼に至るまで、清潔、合理化、簡素化をモットーに強力に推し進められた。
E トイレの改善として、厚生省式3槽型便所や屎尿分離式便所が推奨された。ともに、雑誌「家の光」(昭和31年9月号の別冊「生活改善グラフ工夫実践」)において、図をふんだんに使っての手作り法が紹介されている。
F 屎尿分離式便所は、昭和25年に神奈川県衛生研究所が発表したもので、便器に二つの穴があいており、大便と小便を分けてそれぞれ別の便池に溜めるものである。農業において下肥が重要な肥料であった時代の最後の考案である。これは、小便は伝染病菌が極端に少なく肥料としての速効性があり、また、大便は最低3ヶ月腐熟させれば安全性が確保でき肥料としても有効であるので、両者を分離した方が合理的であるという発想に基づいている。
G 農村においてかつて行われていた天秤による飲料水確保の労力や非衛生的な用水利用を解消するためには、近代的な水道(簡易水道を含む)を引く必要があるが、この問題を扱った「生活と水」と題する厚生省監修のドキュメンタリー映画(1952年岩波映画製作、羽仁進監督)を鑑賞した
H 集落のみんなが総出で勤労奉仕をして、水源から水道管を引くなどした「簡易水道」造りを克明に追った画面は感動的であった。

(運営委員・地田修一 記)