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第25回 屎尿研究会の報告 

「屎尿という文字の探求」

日時 2004年1月16日(金)18時30分から20時30分
場所 ;セントラルプラザ 10階 C会議室
講演者  楠林勝二氏(古書店経営者)
講演タイトル 「屎尿という文字の探求」
内容: 中国および日本の古典をひも解き、「屎尿」という文字のルーツを探し 求めた結果を、原典を資料として解説していただくことになっています。




し尿という文字の探求

 講師は古書店経営者の楠林勝二氏です。今回の企画は、会員の栗田彰さんが深く係わっています。特にお願いをして、中国および日本の古典を探索し、「屎尿」という文字のルーツを追っていただきました。ここでは、要旨を紹介します。
 1)紀元前13世紀に作られた中国の甲骨文字の中に、「屎」と「尿」の原型となる象形文字がある。
 2)紀元前4世紀の中国の書「荘子」に、「屎溺」という文字が出てくる。「しにょう」と読み、意味は「屎尿」と同じである。なお、この書物が日本に入ってきたのは、西暦285年以降と思われる。
 3)奈良時代に編纂された古事記に「屎まり散らしき」とか「屎なすは、…」との文があり、「屎」を「くそ」と読ませている。
 4)同時代の万葉集に、「屎鮒(くそふな)」という文字が出てくるが、これは屎を食った鮒のことを指している。また、「倉立てむ 屎遠くまれ」という一節があるが、これは「倉を立てようと思っているので、屎(くそ)は遠くでしなさい」ということである。
 5)平安時代初期の空海の仏書に、「屎」の文字が見える。
 6)平安時代前期の倭名類衆抄では、「屎を大便也、尿を小便也」と説明している。
 7)平安時代末期の今昔物語集に、「其家二屎尿ノ積ヲ浄ムル女有り」との文があり、ここに、ずばり「屎尿」の文字が出てくる。
 8)鎌倉時代の仏書、正法眼蔵にも「屎尿」の文字が見える。なお、尿の訓読みは「いばり」で、古語では「しと」と言いました。

地田 修一(本会運営委員)




「屎尿という文字の探求」

楠林 勝二
1 甲骨文字
2 荘子
3 古事記・日本書紀
4 万葉集
5 倭名類聚抄・今昔物語集・正法眼蔵

1 甲骨文字

 紀元前13世紀の殷の時代に記された中国の古代文字の中に、「屎」と「尿」の原型となる象形文字があります。殷墟(いんきょ)から発掘された亀の甲羅(腹甲)や牛、鹿などの骨にこれらの文字が刻まれていたのです。当時は、甲羅や骨を火であぶり、これによってできる亀裂の形を読んで占いを行って政りごとを始めいろいろなことを判断し決定していましたが、その結果を亀甲や獣骨そのものに文字を刻んで記録していたのです。文字を刻むという行為があったため、これらの甲骨文字は長らく土中にあっても消えることなく現代に残されました。
 「屎」の原型となるのは、 です。人のお尻から排泄物が出る様をかたどっています。また同様に、「尿」の象形文字は、 です。人の前の方から水がほとばしっている様を表しています。

2 荘子

 紀元前4世紀の中国の思想家荘周の書「荘子」(そうじ)の知北遊篇に、「屎溺」という文字が出てきます。これは「しにょう」と読み、意味は「屎尿」と同じです。「溺」の字は、放物線を描いて小便を垂れる様のイメージです。「尿」の古い字体です。
 なお、この書物が日本に入ってきたのは、百済から和仁(わに)が「論語十巻、千字文(せんじもん。漢字四字句の詩文で、習字の手本などに用いられた。)一巻」を携えて日本に渡来した応神天皇16年(西暦285年)より後のことと考えられます。また、遣隋使を派遣した600年頃に伝えられた可能性もあります。いずれにしましても、285年以降で、後で説明しますが少なくとも、古事記が編纂された712年以前に、日本においても「屎」の字が使用され始めたと考えられます。
 なお、「屎」や「尿」の文字の垂は、しかばね垂といい、人の死体を意味していますが、人体をも表しています。したがって、人体から排泄された「食べたもの(米)」や「飲んだもの(水)」という意味が込められています。

3 古事記・日本書紀

 奈良時代の古事記の「須佐之男命の勝さび」の項に、「屎まり散らしき」とか「屎なすは、…」との文があり、「屎」を「くそ」と読ませています。参考のためにここの部分を現代語訳(荻原浅男訳)で紹介します。
 『その勝ちに乗じて荒々しくふるまい、天照大御神が耕作する田の畦を壊したり、その潅漑用の溝を埋め、また大御神が新米を召し上がる神殿に大便をし散らしたりした。このような乱暴をはたらいたけれども、天照大御神はその行為をとがめないで仰せられることには、「大便のように見えるのは、酒に酔ってへどを吐き散らそうとして、わがいとしい弟はこんなことをしたのでしょう。…」…』
 同じことが、日本書紀の神代紀にも述べられています。ここでは、「陰(ひそか)に自ら送糞(くそま)る」とあります。「くそ」の漢字として「糞」を用いています。「まる」という言葉は、排泄をする行為を表しています。今でも、方言として「まる」とか「ばる」とかいう言葉があちこちに残っています。

4 万葉集

 さらに、同時代に編集された万葉集の尼ヶ崎本に出てくる歌の中に、「屎鮒(くそふな)」という文字が出てきますが、これは屎を食った鮒のことを指しています。この歌の全体の意味は、「香を塗ってある清浄な卒塔婆に近寄ってはいけない。川の曲がり角(ここに厠があり、屎が川に落ちる)にいる汚い屎鮒を食べた、ひどい女の奴よ」です。
 別の歌に、「倉立てむ 屎遠くまれ」という一節がありますが、これは「倉を立てようと思っているので、屎(くそ)は遠くでしなさい」ということです。
 このことから、万葉の頃は、野外の空き地や川の流れの上で排泄をしていたことがうかがわれます。

5 倭名類聚抄・今昔物語集・正法眼蔵

 平安時代初期の空海の著した仏書に、「屎便」の文字が見えます。
 さらに、平安時代前期の倭名類聚抄(一種の辞書)では、屎を「大便也」、尿を「小便也」、糞を「牛、馬、犬などの排泄物」と説明しています。
 なお、尿の訓読み(日本の言葉)は「いばり」(「ゆまり」あるいは「ゆばり」)で、「しと」という別の呼称もあります。
 平安時代末期の今昔物語集の巻第三・第二十一話「長者ノ家ノ屎尿ヲ浄(きよ)ムル女、道ヲ得タル語(こと)」に、ずばり「屎尿」の文字が出てきます。この部分を書下し文で紹介します。
 「今ハ昔、天竺ニ一人ノ長者有リ。其家ニ屎尿ノ穢ヲ浄ムル女有リ。家ノ内、若干(そこばく)ノ人ノ屎尿ヲ朝夕ニ運ビ浄メテ年来(としごろ)ヲ経タリ。然(さ)レバ家内ノ人皆、此ノ女ヲきたナミ蔑(あなづり)テ、自然(おのづか)ラ道ニ会フ時モ、唾ヲ吐キ鼻ヲ塞ギ更ニ不親近(しんごんせ)ズ。
 其時ニ仏、此ノ女ヲ哀ビ給テ、女屎尿ヲ頭ニ戴テ行ク道ニ会ヒ給ヌ。女仏ニ恥奉テ、藪ノ中ニ隠レ入ヌ。衣服穢レ屎尿身ニ懸レバ、女弥(いよい)ヨ恥奉テ、尚深ク隠レ入ル。…」
 この後も、二度「屎尿」という言葉が出てきます。
 鎌倉時代の道元が著した仏書、正法眼蔵にも「屎尿」とか「屎糞(しふん)」とかの文字が見えます。
 最近、「し尿」と、「屎」の字をひらがなで書くことが多いのですが、今日お話しましたように「屎」の字の由来はたいへん古く、また人体に密着した字でもありますので、ぜひ「屎尿」と全部漢字で表記していただきたいと考えています。