屎尿・下水研究会

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第21回 し尿研究会の定例会

日時 2003年6月13日(金)18時30分から20時30分
場所;東京ボランテイアセンター・市民活動センター
     セントラルプラザ 10階 会議室
講演者  小松 建司氏 (東京都下水道局)
講演タイトル 「トイレの神様」
内容: 様々な現世的な「ごりやく」があるとして、民話や伝承の世界で語り継がれている「トイレの神様」について、民俗学の分野の諸文献に当たった結果を皆様にご披露するものです。

(地田修一)

事務局で調べた参考文献
1, 戸田民夫「日本の神々」新紀元社
2, 宗教民俗研究所「ニッポンの神さま」はまの出版
3, 糞尿を民俗学




「トイレの神様」を聴いて

 私自身、下水道のこともトイレのことも、はたまた屎尿のことも、日々お世話になっているものでありながら、全くよく存じ上げない分野でしたが、夫が下水文化研究会に所属しているご縁で、こちらのし尿研究会定例会にも時々参加させていただいております。皆様どの方も下水道やトイレの分野に詳しく熱心な方々ばかりの中ではありますが、毎回、私のようなずぶの素人にも親しみやすく興味深いお話を、下水道やトイレの様々な観点からして下さいます。
 今回は平成15年6月13日午後6時半、飯田橋の東京ボランティアセンターに於いて、小松建司氏が「トイレの神様」と題して講演されました。日本には様々な神様がいらっしゃいますが、「トイレの神様」とは、と驚きをもって拝聴いたしますと、レジメの中には、小松氏自ら足を使って集められた写真がカラーで収録されていました。一つは東京都大田区にある東光寺。もう一つは静岡県天城湯ヶ島町の明徳寺。明徳寺については御札も紹介されました。御札は二枚あり、一枚は文字のみのもの、もう一枚は神様のお姿が描かれたもの。御札の入っている御札袋には、御札のおまいりの仕方が、貼る位置、高さ、心構えに至るまで、丁寧に細かく示されていました。
 レジメの中では、日本の神様も引用されていました。新しい家に宿ると言われる七人の神様が、順番に家に到着し、居場所を選んでいきます。金銀財宝がたっぷり入った、一番大きな袋を背負った神様が、最後に到着し、最後までどの神様にも居場所として選ばれずに残されていた「トイレ」を居場所に決め、「トイレの神様」となるという話です。昔から、「残りものには福がある」と言いますが、「トイレ」が名案の浮かぶ場所として知られていることなども思いあたり、「トイレ」に隠された神秘をも感じずにはいられませんでした。
 あたり前のように毎日お世話になっている「トイレ」に改めて新しい光が差し込んで、日々の暮らしまでも再活性化されたような、あたたかい講演でした。

 森田幸子(し尿研究会会員)



便所の神様

小松 建司
1 トイレの神様を祀る寺社
2 トイレの神様のいわれ
3 民話との関わり
4 雪隠参り
5 トイレの神様のいろいろ

 私が、「トイレの神様」といわれるものに最初に出会ったのは、だいぶ前にある探訪記事の取材で東京の品川にある東光寺に行った時でした。その時はさして興味をもたなかったのですが、このし尿研究会でいろいろな話を聞いているうちに、このことを思い出し今回のテーマとすることにしました。

1 トイレの神様を祀る寺社

 久しぶりに東光寺を訪ねてきました。小さなお寺で、境内に「東司(便所)守護 烏?沙摩大明王」と書かれた説明板が建っていました。この難しい漢字は「うすさまだいみょうおう」と読むのだそうです。トイレの神様の名前です。住職もいないようで、この寺のどこに祀ってあるのかはわかりませんでした。
 便所に宿る神様は、便所神、厠神(カワヤガミ)、雪隠神(センチガミ、セッチンガミ)、閑所神(カンジョガミ)などと言われています。便所も単に用をたすだけの空間ではなく、台所や風呂に宿る神様と同様にちゃんと神様がいて、家の守り神の一つとして機能していたのです。家の守り神の中では、トイレの神様が一番偉いのだそうです。
 トイレの神様を祀っている寺社を調べたところ、24ほどありました。神社は一つだけ(岩手県の走湯神社)で、あとはお寺です。
 このうち、静岡県の伊豆湯ヶ島にある「明徳寺」に、この五月に参詣してきました。山門のある立派なお寺で、「東司の護神 うすさま明王堂」と大きく書かれた看板を掲げたお堂があり、そこにトイレの神様が祀られていました。賽銭箱の奥に、またぎ棒があり、これをまたぐと「下の世話を他人にしてもらわなくてもすむ」と言われているそうです。
 ここで、トイレの神様のお札を買ってきました。これがそうです。お札は2枚あり、1枚は文字のみのもの、もう1枚は神様のお姿が描かれたものです。
 文字のみのお札は、便所の入り口のドアーの上の壁に貼るそうです。お姿のお札は、和式の便所では用をたす正面に、洋式の便所では入口の裏に貼るとのことです。また、お札は息のかからない高いところに祀るよう注意書きがあります。
 そう言われてみると、昔、親戚の家の便所でこれと似たものを見たことがあります。今は代がかわって、取り外されてしまいましたが。

2 トイレの神様のいわれ

 古事記に記載されている神話に、「いざなみ」が「ひのかぐつち」を産んで死んだとき、大便、小便を排泄し、大便からは土の神が、小便からは水の神と穀物の神が誕生するという話があります。これは、日本には古くから、排泄物が新たな生成をもたらすという考えがあったことを示しています。
 神道の世界ではこの神話に則して、屎から生まれた「はにやすびこ」、「はにやすびめ」と、尿から生まれた「わくむすび」、「みつはのめ」とをトイレの神様としています。
 その後、仏教が伝来し、北の守り神である「うすさま明王」が仏様は臭気に弱いからと帝釈天が築いた糞の城を食い破って仏様を守ったということから、一般に広く、この「うすさま明王」が便所の神様として崇められるようになりました。特に禅宗で多く祀られています。この「うすさま明王」は、元々は、インドの民族神で、仏教に受け入れられた神様です。

3 民話との関わり

 茨城県の川越に「三枚のお札」というこんな民話が伝えられています。
 「あるお寺の小僧が和尚様のいうことをちっとも聞かないので、怒った和尚様は三枚のお札を持たせて寺を追い出してしまう。小僧はしかたなく山に行き、山で出会った山姥の家に泊まる。小僧が夜中に怖くなり便所に行きたいというと、腰に縄をつけられてしまう。小僧は便所の柱に縄を結わえ付けて、便所の神様に後を頼んで急いで逃げる。山姥はすごい形相で追いかけてくるが、小僧が和尚様にもらった三枚のお札を投げると、それぞれ川(海)、山、火をつくって小僧を助けてくれる。命からがら逃げ帰った小僧が、和尚様に助けを求めると、和尚様は山姥と化け比べを始める。結局、豆に化けた山姥を和尚様が食べてしまい、小僧は救われて心を入れ替えてよい子になった。」
 この世とあの世の境目がトイレであり、トイレにはあの世に通じる特別な神様がいると信じられていました。現在でも、正月にトイレにお供えをする家庭があります。
 また、「トイレでお尻をなでられた」という伝承は各地にあり、その正体は河童であるという話が多く残されています。河童に関してはこんな話もあります。「便所で河童の手をもぎ取り、その奪った手を返してやる代わりに、ある薬の調合の秘法を河童から教わった」と。地方でよく聞かれる家伝薬の秘密伝授の逸話の一つです。
 沖縄では、「便所の神様」をフールヤヌカンといいますが、こんな話があります。「ある時に神様をいろいろの場所に配置することになって、便所(フールヤ)にはどの神様が行くかとなった時に、とびきり美人でまた位も高い女の神様が希望して、便所の神様(フールヤヌカン)になられたそうです。それで、便所の神様は、特別に力の強い神様で、他の神様にお願いしても通らない願い事でも、便所の神様にお願いしたら通るといわれているのです。」これは、ユタ(職業的な霊能者)が話してくれたことだそうです。

4 雪隠参り

 栃木県小山市での雪隠参りは、「出産後、便所に赤飯や塩などを供え箸を添えて、生まれた赤ちゃんを連れてお参りをし」、その時そこで「汚物を食べさせるまね」をしたそうです。このような厠神信仰は、栃木や長野や群馬県に多く見られますが、次のような特徴があります。
 @ 新生児は、生まれて3日目とか7日目、あるいは33日目にお産婆さんに抱かれて厠神にお参りをする。
 A その時、橋を渡らず、自分の家を含めて両隣の3軒の雪隠にお米を撒く。
 B 桑などで作った長い箸で汚物を挟んで、赤ちゃんに食べさせるまねをする。(こうすると、赤ちゃんが丈夫に育つと考えられていた。)
 C 厠神には、男女一対の人形を供える。
 D 神様の中で一番偉いのは、厠神である。
 さらに、「妊婦が便所をいつもきれいにし花を供えて厠神を祀れば、安産で、きれいな子供が生まれる」とか、「出産の時は、山の神と箒神と厠神とが産神(うぶがみ)となってその場に居り、産婦や新生児を守ってくれる」と信じられていました。
 生後七日目に行われる「お七夜」という祝いに、産婆や祖母が赤ちゃんを抱いて「竈神」と「水神」と「便所神」とにお参りをする風習があり、この時が新生児の初めての外出となります。
 また、トイレを造るとき、人形や鏡や化粧品を埋めて祀るとよいとの伝承があります。化粧品がよいのは、「化粧=化生」つまりトイレがあの世との接点であると同時に、再生の場所であることも意味しているからだそうです。

5 トイレの神様のいろいろ

 @ 昔の便所は、大きな桶や壷を埋め込んだものだったので、子供が便所に落ちることがよくあったそうです。そうした時、子供の名前を変えることがありました。それは、便所が現世とあの世との通路であるという意識に基づくもので、便所に落ちると一度あの世に行ってきたことになるので、助かるとその子供の霊魂が現世に再生したものとして、新たな霊魂に新しい名前をつけたのです。
 A 便所の神様の形態は、時代や地方によってさまざまです。盲目であったり、手がなかったりという身体の欠損がみられることがあります。出雲地方では「カラサデ婆」といわれる老婆のかたちをとっています。
 B 便所の神様のご利益としては、東京の奥多摩では、「1月16日に便所を掃除して線香を1本立てると、結膜炎にならない」とか、群馬では、「夕立の時に、便所を箒で3回撫でて後ろを見ずに帰るとイボがとれる」といったものが伝承されています。
 C 佐渡地方のしりとり歌です。「さよなら三角四角で豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ、ウサギは跳ねる、跳ねるは蚤、蚤は赤い、赤いはホオズキ、ホオズキは鳴る、鳴るは屁、屁は臭い、臭いは便所、便所の神様四十で臭い。」
 D 「子供の臍の緒を便所に吊るしておくと、子供が夜泣きをしない」とか、「便所の中に痰をすると、中気になる」とかいわれています。
 E 「ほととぎすの初音を便所で聞くと不吉なことがある」、「便所で転ぶと、身内に不幸がある」などの言い伝えがあります。
 F 便所の神様は、「右手で小便を、左手で大便を受け止め」、常に人間の健康を気遣ってくださっているそうです。
 以上で、私の話を終えたいと思います。トイレの神様を祀ることは水洗トイレになっても続いているようですが、新しい世代になると絶えてしまいつつあります。