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 第67講:知識創造理論に基づく ODAプロジェクトの実施 その3

講話者:石井明男*

コーディネーター 地田 修一

 5月29日に,2025年春の研究討論会(一社)廃棄物資源循環学会主催)において,「知識創造理論に基づくODAプロジェクトの実施」 という内容で政策研究大学院大学,松永正英氏による話題提供のご講演が行われた。松永正英氏はJICAおかれても,長くODAのご経験があり,そのご講演内容は示唆に富んでいた。第65講から第68講,4回に分けて講演要旨を報告する。
 その1第65講は政府開発援助(ODA)の動向,その2第66講は知識創造理論についての考え方についてのご講演,そして今回は,ダッカ廃棄物管理事業を見るとどういうことが分かるかについてのご講演である。

 1 政府開発援助(ODA)
 2 知識創造理論
 3 知識創造のプロセスと「日本型開発協力とソーシャルイノベーション
 4 ダッカ廃棄物管理事業を見るとどういうことが分かるか
 5 現地との共感と信頼関係を深め,暗黙知を深く共有していくこと

4 ダッカ廃棄物管理事業を見るとどういうことが分かるか

 廃棄物管理ODAの中でも一番難しい部類の事業で,地下鉄を作る,橋を架ける,あるいは病院を作るというのと訳が違う。というのは,社会的に様々なステークホルダーが関与していて,そういった人たちが同じ方向で行動を変えないと問題解決しないということです。社会システムに係る問題であるということですね。特にダッカの場合は1,000万人規模の市で非常に状態が悪い中で,写真にあるようにビフォーアンドアフターで大きな改善が起こりました。具体的には廃棄物の回収率が40%から85%に10年ちょっとで大きく上がった。
 これは世界的にも常識的なことではない,非常に稀な成功例だと認識されています。

図 ダッカ廃棄物管理事業(左:改善前,右:改善後)

 この図はもともとのダッカの廃棄物管理システムであり,一時収集として決められた場所まで住民事業者がごみを持っていかなくてはいけないと,そこから市が二次収集で運ぶ。そのあとは7,000人ぐらいの清掃員がごみを取って,汚い道路を掃除しているとういう体制でした。問題は道路清掃をやるところ,収集車を管理するところ,処分場を管理するところが縦割りになっていて,お互いに協力していないという状況でございました。

図 事業開始前の廃棄物管理システム

 2004年当初の状況ですけれども,排出されるごみのうち,43%が道や側溝に捨てられていたということですね。処分場で処理してあるというのは40%ぐらい。リサイクルされている割合は13%ということは,ほとんど進んでいません。途上国で,よく日本の3Rをやるべきというようなことを言っていますが,そんなことができる途上国というのは限られます。基本的には,ごみをちゃんと処分場に持っていって処理するという仕組みを確立する,ということが世界的な課題でございます。
 そこで当初,いろんなステークホルダーがどういう認識を持っていたかということですが,ダッカ市当事者が持っていた問題認識は要するに,廃棄物収集車を増やせば解決できる,あと,処分場を拡張すれば解決できる,ハードさえ日本が支援してくれれば何とかなるということでした。一方,日本側は,まず石井さんも含むコンサルタントチームが入ったのですが,コンサルタントチームが指摘した問題は,日本の自治体に対する戦略コンサルタントのアプローチとも似ていますけれども,まずマネジメントの体制を改革しなさいということと,長期計画とガイドラインを策定しなさいということとでした。また,ダッカ市というのは,当時90の行政地区に分かれていたのですけれども,それぞれで,NGOと連携するなどして住民参加型で一次収集を改善しなさいということでした。

図 事業開始当初に認識されていた課題と認識されていなかった課題

 図の中で破線で示してあるのは,着手当初は認識されていなかった課題です。これらが決定的に重要な課題であったということです。地区レベルのマネジメントの改革と,7,000人いる清掃監督員を管理する現場管理者の行動変容,あとドライバーの行動変容,清掃員の行動変容,などです。  日本側は,当初の認識に基づいて,住民主体による一次収集の改善を一生懸命やろうとしたわけですが,これが全く動きませんでした。いろいろ石井さんも苦労されたそうですけれども,ダッカ市側がそんなことできるわけがないということで乗ってこなかったということです。また,組織改革も簡単にできる話ではないので,ダッカ市政府は,なかなか自分ごととして動いてくれなかった。それで開始されて1年ぐらい経ってプロジェクトがもう立ちもいかなくなって,JICAとしてはこれ以上続けられないのではないかという雰囲気が生まれてきた。そうした時に,石井さんが中心になって,ダッカ市的には仕事できないというふうに思われていた清掃監督員に,この一次収集のマネジメントを任せるというアイデアをやってみた。そうしたら非常にうまくいったのです。90ある地区全部でいきなりはできませんので,石井さんが奔走してダメ元で2地区でやってみましょうということになり,やってみたところ,能力がないと市から判断されていた清掃監督員が潜在力をものすごく発揮しまして,NGOを使ってもできなかった一次収集の改善が実現した。それで市側も地域住民が主体的に動くということが分かって,それを2区から広げようという判断を行い,それを踏まえてJICA,日本政府としては,ちゃんと動くのだったら収集車供与してもいいよね,ということになったということです。

図 廃棄物管理システムの変容後の流れ

 システムがない中で収集車を供与すれば利用されないということで日本のマスコミから叩かれるのは分かっていますので,システムができない限りはハードはやらない,というのが日本のスタンスでしたが,システムが動くことが分かったので,そのタイミングで収集車を供与したところ,さらに物事がうまくいって,要するにいいタイミングで物理的な変化が目に見える変化が起こると,それで持ってステークホルダーの人たちが行動をさらに変えるという好循環が生まれ,最終的にはこの清掃監督員が中心になって一次収集をマネージするワードベースアプローチというものができたのですね。(次号につづく)


※元東京都清掃局,元ダッカ廃棄物管理能力強化プロジェクト総括,元スーザン国ハルツーム州廃棄物管理能力強化プロジェクト総括,元パレスチナ廃棄物管理能力強化プロジェクトフェーズU総括,現東洋大学大学院博士後期課程,元南スーダンジュバ市廃棄物処理事業強化プロジェクト総括