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廃棄物分野の海外技術協力である「クリーンダッカ・プロジェクト」に携わって
第3講:廃棄物管理マスタープランを実現するために

講話者:石井明男・小谷倫加恵*

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

 第1講,第2講ではバングラデシュ国ダッカ市の廃棄物管理マスタープラン「クリーンダッカ・マスタープラン」の策定過程の話をした。第3講では,同マスタープラン策定後の実施段階で直面した課題を振り返り,「清掃事業のシステム化」について考えていきたい。

9.廃棄物管理局はできたものの・・・

 クリーンダッカ・マスタープランに基づきダッカ市に「廃棄物管理局(WMD)」を設立した。それまでの清掃事業は,収集運搬は「運輸部」,埋立地管理は「技術部」,道路清掃は「道路清掃部」とばらばらの組織が実施していた。これらの組織を統合して,清掃事業を一元管理する「廃棄物管理局」を設立する考えは,当初,関係者に自然に受け入れられた。その後,実際の設立に至るまでには多くの課題があり,手続きも煩雑であったが,幸いにダッカ市の職員,JICAバングラデシュ事務所の支援なども得られ,2008年に廃棄物管理局が発足した。設立の過程については「クリーンダッカ・プロジェクト」に記述しているので割愛し*1,ここでは廃棄物管理局が設立されたその後を書きたい。

図1 北ダッカ市の廃棄物管理局の組織図の例

 廃棄物管理局の設立当初,そのポストが1年たっても3年たってもなかなか埋まらなかった。その結果,廃棄物管理局の設立で生まれるはずの効果が出なかった。
 不思議に思い調べてみると,これまでの組織やポストの裏側には,簡単に手放せない既得権益が網の目のように存在していることがわかった。この既得権益の問題をどう解決するか。組織に内在する既得権益を外そうとすると,組織改革への反対運動が起こる。新しいポストには特権が無い。驚いたことに,収集車両を管理するダッカ市運輸部からは,廃棄物管理局の設立後にも関わらず,「廃棄物管理局は不要であり,組織を元に戻すべき」という嘆願書が中央政府に提出され,中央政府による検討会議が開かれたこともあった。

10.チェンジメーカーは現場職員だった

 組織を変えることは,単純に組織図を書き換えることではない。当事者にとっては,所属する組織やポストが変わることであり,給与や処遇にも関わってくる。もう少し大きな視点で言えば,仕事への取組み方や清掃事業そのものに対する考え方が変わる。例えば,それまでごみを集めて運ぶだけが仕事だった現場職員が,清掃員の労務管理をし,ごみ減量のための住民啓発を行い,収集改善を行う。このことを職員が心から納得する説明をする必要があったが,これは案外難しいことであった。本人だけでなく,時には家族も呼んで処遇について説明したこともあった。

収集改善前のダストビン
(収集効率が悪く,周囲は不衛生)

 少し話は逸れるが,廃棄物管理局の設立と同時期に,現場管理を強化するワード・ベースド・アプローチ(WBA)を取り入れて活動を開始した。きっかけは大都市の清掃行政をどうするか考え,この考えをダッカ市の清掃局長,技術職員,そして清掃監督員に相談していた時である。唯一,清掃監督員だけが「この考えでやってみたい」といってくれた。彼らは既得権益を手放し,これまでよりも高度な仕事をより多くこなさなければならない。周囲からは「精神論では動きませんよ」と言われたこともあった。しかし,実際に活動が始まってみると,清掃監督員はイキイキと働き,不衛生だった街のダストビン(公共ごみ箱)を閉鎖するなど,WBA活動を主体的に推進していった。この中で,当時約8,500人いた清掃員を清掃監督員とワード清掃事務所の下に移籍させ,廃棄物管理局の機能を拡充することができた。彼らを突き動かしたものは,清掃行政の公共事業としての使命感や正義感,また,硬直した人事制度への閉塞感と自らの仕事の可能性が広がっていくことへの期待感であった。

ダストビンを閉鎖し,花壇として利用

パレスチナでの組織改革の事例

 筆者が2006年から参画した「パレスチナ国ジェリコ及びヨルダン渓谷における廃棄物管理能力向上プロジェクト2005−2010」では大きな組織改革が行われた。パレスチナのヨルダン川西岸では,小さな遊牧民の自治体が点在していた。ここで,17村を共同で経営する清掃組合を作り,広域管理体制を構築することがプロジェクトの目標であった。この際,各々の村から職員を出し,共同清掃組合に異動する必要があった。職員の身分が変わり,給与も,退職金も,処遇も,福利厚生もすべて変わるので,各村や職員と慎重に話し合った。時には家族も参加して話し合った。信用してもらうために,各村長や市長も参加した。
 その結果,異動する職員は処遇について合意し,清掃組合への合併が進められた。

南スーダンでの組織改革の事例

 清掃事業は外部機関や関係者との調整が多いので,組織の力を使って外部機関との調整や交渉ができることは,廃棄物管理局を作る大きな利点の1つである。
 最近では,南スーダン国ジュバ市の事例がある。ジュバ市の清掃事業について遠隔調査を行った際に,ジュバ市の清掃担当の職員が,市役所内の調整や州政府,地区長等と交渉するため,「ジュバ・ラジャフ廃棄物管理委員会」という組織を作った。組織を作ったことで,それまで連携の無かった関係者にまとまりができ,予算や人事,住民の対応について,現場の実情に詳しい担当職貝の意見が市役所内で認められるようになっていった。この結果,パイロットプロジェクトを現実的な内容で計画し,自らの予算や力で実施できるようになっていった。この経験により,ジュバ市の清掃事業を進める組織基盤ができ,事業改善の方向性が定まった。

ダッカ大学で行った公開講義
「ダッカ市の廃棄物処理の取り組み」の様子


ダッカ大学に日本の無償供与のコンパクターを持ち込み
「今後ダッカ市が取り組む収集改善」の現場講義の様子

11.マスタープランを実現するための仕掛け:「清掃審議会」と「清掃事業指針」

 マスタープランの実現のための仕掛けとして,組織だけでなく「制度」としてどのように安定性と持続性のある活動を組み込むかを考えた。
 東京都では,どのように清掃事業を持続させているのか,その仕組みをいろいろ考えた時期がある。その時に気が付いたのが,昭和37年(1962年)に条例で設立された「東京都清掃審議会」の活動とその果たした役割である*2。そこには,多くの目を見張る教訓があった。
 東京都清掃審議会は昭和37年(1962年)に知事の附属機関として設置された。学識経験者,都民,関係団体の代表,区市町村の長の代表などによって構成され,清掃事業をとりまく急激な環境変化に対処し,将来の清掃事業の方向性を検討するための諮問機関である。清掃審議会の役割はその時代,時代で変化しているが,例えば,第1回答申では,@ごみ処理作業の合理化について,及びA清掃工場の建設規模および焼却炉の構造についての提言を行っており,ごみ戦争時には自区内処理の原則に基づき急激に増加するごみ量への対処方針を示すなど,時代を切り開く先導的な役割を果たした。この仕組みをダッカ市にも取り入れ,ダッカ市清掃審議会を設置しようと試みたことがある。

清掃事業指針(WMD Directives)の講習会

 「清掃事業指針(WMD Directives)」はマスタープラン実現の仕掛けとして定着し,機能しているものの一つである。ダッカ市では,廃棄物管理局長は3年程度で交代する。早ければ1年もたたないうちに交代する。しかも,廃棄物管理局長は廃棄物管理局からの持ち上がりではなく,全く清掃とは関係ない部署から異動してくる。清掃事業を分かりかけてきたころに異動になるので,清掃事業を継続して行うことが非常に難しいと感じていた。
 そこで,マスタープランや年次計画とは別に,5−6年先の清掃事業を見据えた方針として清掃事業指針を作ることにした。内容は清掃事業を推進するうえで堅守しなければならない基本方針で,かつマスタープランの実現に向けて重要度や緊急性の高いことを記載する。例えば,一次収集人と共存してゆくこと,零細リサイクル事業者と共存してゆくこと,中間処理(焼却処理)を推進してゆくことなどである。
 清掃事業指針は,廃棄物管理局長が変わっても基本方針が変わらないようにするためのものなので,市長の決裁を取る。第1回(2007年),第2回(2012年)の清掃事業指針は,外部の有識者(バングラデシュ工科大学の教授,社会団体の代表)を交えて議論し,内容を決定した。第3回(2019年)の清掃事業指針は,11名の区長と廃棄物管理局の要職で構成される廃棄物管理常任委員会が設置されたことから,その委員会を通じて議論し,最終案を市長に提出した。

清掃事業指針(WMD Directive)の策定

 2007年以前の南北ダッカ市の清掃事業は場当たり的で,清掃局長が変わるたびに,リサイクルに取り組んだもののすぐに止めたり,列車の車両ほどの大型の箱に車輪をつけた収集運搬機材を50台も調達しながら,結局うまく使用できず中止したりと,組織として一貫性のある対応ができていなかった。当時,マスタープランはあったが,上位計画のため現場に浸透しておらず,現場の活動に直結した方針が求められていた。そこで,2008年に廃棄物管理局が設立されたのを機会に,具体的な方針を示した清掃事業指針を策定した。
 ダッカ市分裂後の2011年に全面改訂した清掃事業指針では,社会情勢の変化に対応してPPPや新しい廃棄物処理システムといったキーワードが盛り込まれた。
〈第2回(2012年)清掃事業指針の内容〉
*廃棄物管理局の組織強化
*PPP(官民パートナーシップ)の促進
*市レベルでの啓発活動
*既存のごみ収集運搬及び最終処分の改善
*新しい廃棄物処理システムの検討
*廃棄物管理機材の最適配置と効率化
*3Rを含めたワード・ベースド・アプローチ(WBA)の拡大
*清掃員の作業環境及び作業衛生の改善

12.「清掃事業のシステム化」をどう評価するか

 マスタープラン実現に向けた実践のなかで,「清掃事業のシステム化」とは,単に廃棄物の収集運搬・処理・処分を一元的に管理することだけでなく,それを下支えする組織や制度を体系的に整備し,全体が安定的に機能している状態を指すのではないか,と考えるようになった。
 では,この考え方に基づいて「清掃事業のシステム化」の達成状況を客観的に評価するには,どうすれば良いか。例えば,分かりやすい例として「ごみ収集率」の話をしたい。ダッカ市では2004年時点のごみ収集率は44%であり,大半のごみは不法投棄されているか,民間の零細リサイクル業者に引き取られているものの実態が分からない状態であった。WBAを導入し,清掃監督員(現,ワード清掃事務所長)の指導によりダストビン(不法投棄場所を含む)は2013年までに合計400カ所閉鎖された。また,コンテナは50ヶ所撤去された。この結果,不法投棄が減少し,ごみ収集率は2014年に66%,2017年には80%に達した。ごみ排出量は年々増加するので,ごみ収集率は約2倍であるが,ごみ収集量は約3.5倍に増加している。

コンテナ撤去前の道路
(コンテナ周辺にごみが散乱し,悪臭を放っている)

 では,ごみ収集率が改善したことを以って「清掃事業のシステム化」が達成されたということはできるのか。
 筆者は,ごみ収集率をとてもトリッキーな数字だと思っている。第1講で述べたように,途上国では十分な基礎データが無いなかで計画を策定している。ごみ収集率は,その地域の人口,ごみ排出原単位,ごみ収集量をもとに算出するが,途上国では人口統計は不確かで,ごみ量調査の手法も定まっておらず,最終処分場にはウェイブリッジ(大型計量器)も設置されていない(設置されていても故障して使われていなかったりする)となると,日本のように信憑性の高いデータを継続的に取得することは難しい。また,南北ダッカ市では2017年に市域が約2倍に拡大している。新市域を含めると,例えごみ収集量が増加しても,ごみ収集率は大幅に悪化する。ごみ収集率を評価指標にする際には,これまでの背景や周辺の状況を正しく把握したうえで,実態に即した数字が示されているかを分析し,必要に応じて補正や考察を加える必要がある。そうでなければ,清掃事業の実態から乖離し,数字に翻弄されてしまう危険性もある。

図2 ごみ収集量及び収集率の推移(南北ダッカ市合計)

 また,ごみ収集率はあくまで収集運搬の「結果」を表した数字であることも忘れてはならない。少し話は逸れるが,システム思考という考え方に「氷山モデル」というフレームワークがある。目に見える課題や結果は海水面の上に出ている氷山の一角に過ぎず,海水面の下に隠れている構造的な問題を捉えて根本的な解決を行うことが重要,という問題解決のアプローチの一つである。筆者は,「ごみ収集率が改善した(改善しなかった)」というのは,この氷山の一角,全体の中の目に見えている部分に過ぎないと理解している。
 水面下にある根本的な問題の原因(行動パターンや構造,価値観)を変えようと,これまで様々な提案や実践を行ってきた。考えには確信があったが,どうしてそれで成果が出せるのか,自分でもその理由が複雑でうまく説明ができず,真意が周囲に伝わらないことも多かった。例えば,地域の廃棄物管理の拠点であるワード清掃事務所を建設したい,と初めて相談した時,プロジェクトチームや関係者にその意味がなかなか理解してもらえなかった。「どうしてそう考えるんだ」と聞かれ,「長年の勘で」と答えたら,それでは信用できないので「東京都での経験に基づいて」と説明するように指摘されたこともあった。
 清掃行政はこれまで述べてきたように,衛生的な生活環境という「日々の当たり前を守る」仕事であり,安定性と持続性が確実に保たれなければならない。その視点から問題の核心を深掘りし,全体最適化を目指して潜在的な問題を解決するとなると,問題解決のための投入と成果は一対一対応とは限らないし,何十年も先の将来を見据えて社会の構造や価値観を変えるアプローチを取るのだから,その成果の発現は予測が難しく,1年後かもしれないし,5年後や10年後かもしれない。

地域の廃棄物管理の拠点である「ワード清掃事務所」
(南北ダッカ市に合計49ヶ所ある)

 廃棄物管理の技術協力では,問題を明確にするために要素分解し,「収集改善のために,収集機材を供与する」というような直線的な問題解決のアプローチが主流化している。一方,本質的で複雑なアプローチを探求し,その構造を解明するような社会科学的な知見の蓄積や研究は十分でなく,これからの課題である。WBAはその際たるもので,10年後や20年後を見据えて導入した。南北ダッカ市ではWBAを導入して12年になるので,そろそろWBAの社会的価値やその果たした役割について,評価をしてもよい時期かもしれない。


参考文献
*1 石井明男,眞田明子「クリーンダッカ・プ ロジェクト ゴミ問題への取り組みがもたらした社会変容の記録」JICAプロジェクト・ヒストリー,p.128−p.139,佐伯印刷,2017
*2 東京都「東京都清掃事業百年史」,p.166,財団法人東京都環境整備公社,2000

(次号に続く)

※八千代エンジニヤリング