読み物シリーズ
シリーズ ヨモヤモバナシ
番外編:マンホールのヨモヤモ 伝統産業2 みなさんご存知でした?これが我が街の自慢です
講話者:石井英俊*
コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)
1.はじめに
前回に続き各地の伝統産業のマンホール蓋を探してみましょう。全国的,いや世界的に知られているものから,「えっ,ここで作っているの?」というものまで,いろいろとあります。これまでも「お城」の回で紹介した丸亀市のウチワ,「川の魚」では大和郡山市のキンギョもありました。今回はどんなものが登場するでしょうか。
2.世界的にも有名です
先ごろ日本で「世界盆栽大会」が開催され,多くの外国人の方が会場の大宮を訪れました。「ボンサイ」は今や世界中にそのファンが広がっています。日本の「デザインマンホール」も「ボンサイ」のように世界に広がっていくのが楽しみです。写真−1の旧大宮市のマンホールには「盆栽の松」が描かれています。氷川神社の北に「盆栽の町」があります。この一角には何軒もの盆栽屋さんがあり,とても運べそうもない大きな松の盆栽を門前に飾っているところもありました。外国の方も多く訪れるそうです。土呂駅前には形の良い松の木がありましたが,よく見ると大きな盆栽を形どるように造られていました。
写真−1
同じく松の盆栽が描かれているのが香川県の国分寺町の蓋です(写真−2)。国分寺町は香川県北部の高松市の西に接する町です。讃岐の国の国分寺があったところで,国分寺跡は特別史跡に指定されています。現在の国分寺は四国霊場の80番札所になっています。マンホールには松の盆栽と町の花のサツキが描かれています。町章が消された同じ絵柄で合併後の高松市の名前入りもありました。ここは全国屈指の盆栽の産地で「錦松発祥の地」だそうです。香川県はマツの盆栽の生産では日本一,特に国分寺町はその半分を占めているそうで,道路沿いでも随所で植木・盆栽を売っていました。2006.1.10高松市に合併しました。
写真−2
こちらは盆栽ではなく植木の特産地,愛知県の稲沢市です。「各地の祭」で同市のけんか祭りの蓋を紹介しましたが,私が訪れた時は同じ会場を使って植木市が開催されていました。名古屋市の北西にある稲沢市,ミカン・カキを中心に苗木栽培が盛んで,埼玉県の安行,大阪の池田とともに「日本の三大植木産地」になっています。写真−3のマンホールに描かれている花は「ベニサザンカ」,稲沢市で生まれたサザンカの代表的な品種で,市の花にも選ばれています。周りに描かれているのは松,こちらも市の木になっていて,「クロマツ」の生産量は日本一だとか,さすがに植木の街ですね。
写真−3
同じく世界中に知られているのが「錦鯉」です。「川の魚」で養父市の蓋を紹介しましたが,新潟県の小千谷市は世界各地のバイヤーが訪れる錦鯉の生産地です。小千谷市は新潟県中央部にあり信濃川の谷口集落から発達した商業の町です。マンホールにはニシキゴイが描かれていました(写真−4)。かつての新潟出身の総理大臣の池には多くのニシキゴイが泳いでいましたが,ここ小千谷のコイでした。現在もニシキゴイ養殖が盛んで,西欧・アジアなどからも大きな注目を集めているそうです。盆栽と並んで日本文化が海外に受け入れられています。
写真−4
輪島市のマンホールに描かれているのは「輪島塗」です(写真−5)。輪島漆器会館で文化財級の輪島塗を眺めてきましたが,その説明で「実際に使いこんでみて本当の輪島塗の良さが出てくるんですよ」と教えていただきました。でも私は箸の使い方がへたくそ(いわゆる“×点箸”)で,どうも“塗り箸”は苦手なんですよね。「椀,お重」という高級品はなかなか縁がなさそうだし。マンホールに描かれた「輪島塗」が私にピッタリの品なの かもしれません。
写真−5
岡山県南東部に位置する長船町のマンホールには,刀鍛冶と菊の花が描かれていました(写真−6)。長船・福岡は「備前長船」,「福岡一文字」で知られた名刀の産地です。長船の刀鍛冶は鎌倉時代から.始まったもので,福岡庄は当時の備前の中心でした。福岡庄出身の黒田家がのちに九州に転封後,その地を福岡と名付けたのが今の福岡市です。マンホールに「瀬戸内市」と書かれていますが,邑久町,牛窓町と合併し瀬戸内市になっています。合併後も「おきふね」の名前のマンホールを作ってくれました。
写真−6
菊川町は静岡県南部菊川中流域にある町ですが,現在は隣の小笠町を合併し菊川市になっています。お茶で有名な静岡県,その代表的な産地の牧の原を控え,お茶の生産が盛んなところです。マンホールの絵柄もお茶摘みですね(写真−7)。絣の着物を着た娘さんがお茶を摘んでいます。両側にはお茶の花も書かれています。私が走った県道沿いにはお茶畑は目立ちませんでしたが,新幹線の車窓からは一面のお茶畑が見られます。茶の木は市の木になっています。
写真−7
三条市は新潟県中央部の加茂市と燕市の間にある商工業都市です。写真−8のマンホールにはペンチなどの工具やナイフなどの食器が描かれています。三条の街は享保年間頃から金物鍛冶が始まり,泉州堺(大阪府堺市)と播州三木(兵庫県三木市)と並んで日本三大金物町として発展してきました。その伝統が今に続いているんですね。私は庭木の剪定に三条で買い求めた「枝切り鋸」を愛用しています。
写真−8
三木市は兵庫県南部,六甲山地の北西麓にある工業都市です。写真−9のマンホールをみて,ずっとただの幾何学模様だとばかり思っていました。三木市の観光案内を読んでいたら,「江戸時代からの伝統を持つ大工道具などの金物の生産が多い」とありました。そう思ってみてみると,ナタやノコギリ,カナヅチのように見えてきました。周りのギザギザはノコギリの刃でしょうね。市内には「金物資料館」や「金物神社」もあるそうです。
写真−9
3.伝統工芸品から日用品まで
天童市は山形県山形盆地中央部の東半部をしめる都市です。天童市のマンホールに描かれていたのは将棋の駒とカエデです(写真−10)。雨に濡れて将棋の駒ははっきりとしませんが,水道の止水弁には同じ絵柄が色付きで描かれていました(写真−11)。「将棋駒」は幕末に旧織田家中の内職として家臣吉田大八が奨励したのに始まるそうで,全国の9割を生産しています。私の「ヘポ将棋」も天童の駒を使えば少しは上達するかもしれません。
写真−10
写真−11
城端(じょうはな)町は富山県南西部の砺波平野南端にある町です。マンホールには,中央にミズバショウとその周りにはサクラです。その外側の模様は山車の車輪だそうです(写真−12)。5月に城端曳山祭が行われ絢欄豪華な山車が登場しますが,その車輪の模様が描かれています。絵柄ではわかりませんが,実際には華やかな色彩も施され,これ自体も見事な工芸品です。私は町内にある六連の「曳山水車」でこの車輪の美しきを楽しんできました。2004.11.1福野町などと合併して南砺市となりました。
写真−12
与板町は新潟県の中東部にある金物製造の町で,合併して長岡市に加わりました。写真−13の蓋を自転車で走っていて見つけた時は何となく「大八車の車輪?」と想像していましたが,帰ってからよくよく眺めてみて「花火を模様化したものかな?」。でも与板町に花火の催し物は見当たりません。打ち刃物,金物製造の町だそうですから,やっぱり大八車の車輪でしょうか。テレビの大河ドラマの影響で「直江山城守の居城の町」として有名になりました。
写真−13
山梨県南部の富士川沿いの山村の六郷町のマンホール(写真−14)は「特定環境保全 公共下水道事業 六郷町」と書いてあります。そして中央上には町章,下には町のシンボルの“ハンコ”です。ここは「日本一のハンコの町」です。町内の印章資料館には,武田信玄の旗印にもなっている“不動如山”のドデカイはんこがあり,他にも“ハンコ”に関する貴重な資料が多数保存されているそうです。毎年10月1日には「印章供養祭」があるとか。このマンホールをよく見ると全体が「印鑑」になっているんですが,わかりました?
写真−14
安曇川町は滋賀県北西部の琵琶湖西岸の安曇川下流にあります。安曇川町のマンホールにはたくさんの扇子が描かれていました(写真−15)。これは「扇骨(おうぎばね)」,全国の90%を生産しているそうです。安曇川の氾濫を防ぐために植えられた真竹を使って始められ,300年の歴史があります。製品は「京扇子」として販売されますが,最近は地元で仕上げ「近江扇子」として売り出しています。2005.1.1高島町他と合併して高島市になりました。
写真−15
近鉄の下市口駅から吉野川を渡ったところに下市町があります。奈良県南部の吉野川支流の秋野川と丹生川の流域を占める農林業の町です。スギの割りばしを生産しているそうですが,町の木もスギだそうです。下市町で見つけた写真−16のマンホール,花の周りに松葉のようなものが描かれていましたが,これは割り箸だったんですね。これは珍しいものが描かれていました。町の花がマツハボタン,描かれている花はマツハボタンとすれば,これもマンホールの絵柄では見かけないものです。
写真−16
島根県東部の中海南岸にある東出雲町のマンホールには町の花のツツジとカキの実が描かれています(写真−17)。町の木がカキになっていますが,町内の畑地区は江戸時代から干し柿の里として知られているそうです。絵柄のカキも干し柿のようです。ところで絵柄に四つの「歯車」が見えるのですが,これは何でしょうか?町の中心の揖屋(いや)地区は農機具工業が盛んだそうで,それを示す「歯車」だと思います。これは観光案内にも載っていませんでした。2011.8.1松江市に合併しました。
写真−17
横田町は島根県南東部の斐伊川上流域にあり鳥取・広島2県との県境にある町です。砂鉄採取と「たたら」製鉄の歴史は古く,これを現代によみがえらせ日本刀の制作も行われています。鉄穴流しの跡にミネラルたっぷりの良田が多いそうで,酒米の産地にもなっています。ヘビ年の年賀状に使おうと,「ヤマタノオロチ」のマンホールを探しに行きました。でも写真−18の蓋に描かれているのはどう見ても「龍」ですね。龍の背景になっている六角形は「そろばんの玉」だそうです。「雲州そろばん」を製造していて,「そろばんと工芸の館」をみて気が付きました。2005.3.31仁多町と合併して奥出雲町になりました。
写真−18
福井県の清水町を走っていて見つけたのが写真−19の蓋です。コシヒカリのふる里福井平野の西側にあり,コメ作りの盛んなところですから稲穂が描かれているのはわかりますが,何で菅笠が描かれているんでしょうか?合併した福井市の観光案内からも何も得られませんでしたが,日本地名辞典には「すげがさを産する」という記述がありました。これも伝統的な産品だったんですね。
写真−19
4.今に伝わる伝統の技
岩手県中西部,花巻市北隣にある石鳥谷町は南部杜氏の発祥地やす。もちろん酒造地でもあり,「南部関」,「七福神」などのお酒が造られています。写真−20のマンホールの蓋に描かれているのは酒の仕込みの様子です。大きな樽が中央に,周りにリンゴとリンドウの花です。南部杜氏は冬の出稼ぎとして各地の酒蔵にかかわっていて,日本三大杜氏(他に越後,丹波)の一つに数えられています。町には伝承館もあります。2006.1.1花巻市に合併しました。
写真−20
岩手県北東部の端で北は青森県,三陸海岸の北部にあり,太平洋に臨む種市町です。マンホールにはウニを手にした潜水士とカモメが描かれています(写真−21)。「南部もぐり」と呼ばれる潜水士の地として知られているそうです。素潜りの「海女さん」じゃなくて,あの重い潜水服を身に着けて潜るようです。種市駅前の公衆トイレも「潜水帽」をかたどったものでした。2006.1.1大野村と合併して洋野(ひろの)町になりました。
写真一21
石川県北部,能登半島の中部に食い込んだ七尾湾北湾にあるのが穴水町です。かつては能登半島の輪島・珠洲へ通じるJRの分岐点でしたが,現在は民営化され,のと鉄道の終着駅になりました。湾内ではカキ・真珠の養殖や,2〜7月にはボラ待ち網漁が行われますが,その漁に使われる「ボラ待ちやぐら」がマンホールに描かれていました(写真−22)。“かつての漁法を今に伝える”となっていますが,今も使われているんでしょうか。上部の三角形のところに乗って見張っていたんでしょうね。能登線の車窓からも見ることができま す。
写真−22
滋賀県中東部の日野川上流域にある日野町は,近江商人の出身地として知られています。日野町のマンホールには朝日?を背に歩く行商人が描かれています(写真−23)。古くから絹織物・製薬業がおこり,京都という大消費地に向けて,呉服をはじめ薬・漆器などの行商が行われていました。絵柄に描かれているのは,朝早くから行商に向かう近江商人の姿ですね。シャクナゲの花も描かれていますが,「鎌掛谷ホンシャクナゲ群落」は天然記念物に指定され,町の花にもなっています。
写真−23
5.おわりに
川口はマンホール蓋にも縁のある町です。「鋳物の街」と書かれた写真−24は川口駅東口に残されていた蓋です。かつて盛んだった鋳物工場が移転して,今は高層住宅の立ち並ぶ街になっています。川口駅近くのビルの屋上には鋳物製の大きなライオン像があり,「鋳物の街」を叫んでいるように見えます。
写真−24
※日本のマンホール文化研究会