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シリーズ ヨモヤモバナシ



番外編:マンホールのヨモヤモ 我が街の顔,この伝統産業が自慢です

講話者:石井英俊*

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1.はじめに

 「マンホールのヨモヤモ」も今回で10回目となりました。これまでに200枚余りのマンホール蓋の写真を紹介してきましたが,まだまだ見ていただきたい蓋があります。前回は土器などを中心に「古代からの贈り物」を並べてみましたが,今回は焼き物をはじめとする各地の伝統産業・産品を描いたマンホールを紹介しましょう。いつものことですが蓋の絵柄を見て,初めてその地にそのような伝統があったことを知ったこともありました。

2.焼物

 写真−1と2は益子町のマンホールです。益子町は栃木県南東部にある陶器の町として知られています。「益子焼き」ですね。マンホールにもその益子焼が描かれています。上のほうにあるのは町の花のヤマユリです。退職の記念にと友人から益子焼の茶碗をいただきました。年に2回ある陶器市でわざわざ選んできてくれたそうですが,もっぱら焼酎をいただくときに使っていたところ,割れてしまいました。酒器に使ったのが悪かったのでしょうか?冬はお湯割り,夏はロックと手荒い使い方をしてしまいました。益子町の2枚目の蓋にも益子焼,ヤマユリ,そして松の木とウグイスも一緒に描かれていました。一枚目のほうは焼き物が中心でしたが,こちらは町の花・木・鳥が中心になっています。

写真−1


写真−2

 藤岡市は群馬県の南部にある商工業都市です。前回埴輪の描かれた蓋を紹介しましたが,藤岡市のもう一枚のマンホールには「鬼瓦」が描かれていました(写真−3)。

写真−3


写真−4

 藤岡は「瓦」の生産が盛んです。その歴史は奈良時代にさかのぼるといわれ,国分寺の瓦も焼かれたそうです。一時衰えたこともあったようですが,江戸時代に川越から大勢の瓦師が入り,再び盛んになり現在に続いているそうです。群馬藤岡駅の正面には怖そうな鬼瓦が掛けられていました。鬼瓦の両側に描かれているのは市の花のふじです。
 多治見市は岐阜県中南部の庄内川上流の土岐川沿いにある,美濃焼で知られる窯業都市です。最近「日本一暑い街」になり注目されました。多治見市で見つけたマンホールには,陶器(とっくりと杯?)と花はキキョウのようです(写真−4)。カラーの蓋は市内の商店街にありました。花の色がピンクなので桜の花だったかなとも思いましたが,市の花はキキョウでした。市域各地から蛙目・木節などの良質な陶土を産出するそうで,タイル・洋食器・酒器などが作られています。
 写真−5は土岐市のマンホールです。土岐市は岐阜県南部の土岐川沿いにある「美濃焼発祥」の地です。マンホールにも美濃焼が市の花のキキョウとともに描かれていました。土岐市の南部では多治見市同様に蛙目・木節粘土の良質陶土を産出し,1200年前から「美濃焼」が作られていたそうです。桃山時代には志野や織部など茶器として有名な「美濃桃山陶」も創出される一方,日本一の「どんぶり」生産地でもあるそうです。市内駄知町にはどんぶり型をした道の駅「どんぶり会館」もあるそうです。

写真−5


写真−6

 岡山県の南東部にある備前市は「備前焼のふる里」,マンホールには備前焼の獅子が私をにらんでいます(写真−6)。なかなかの迫力ですね。備前の焼き物の中心は伊部,伊部駅の駅ビルが備前焼伝統産業会館にもなっていました。ちょっと小高い所から街を眺めると,あちこちに窯の煙突が見えます。現在約20軒の窯元があるそうですが,明治時代には一時衰えたそうです。大正から昭和初期にかけて再興されたそうです。街を歩くと多くの陶器店が備前焼独特の赤茶色の作品を並べていました。
 宮崎町は宮城県北西部にある「陶器の里」として知られた町です。田川上流部の切込地区では,江戸時代後期から明治初期に「切込(きりごめ)焼」という陶器が生産されたそうです。白地に藍色で模様を描く染付の磁器が主ですが,彩り鮮やかな「三彩」の作品もあるとか。宮崎町のマンホールには,萩の花と切込焼のツボが描かれています(写真−7)。陶器の模様にはハギ,マツ,キジ,町の花・木・鳥です。2003.4.1中新田町,小野田町と合併して加美町になりました。

写真−7

 会津本郷町は福島県の中央部,会津若松市の西隣にある町です。写真−8のマンホールには「やきものの郷」として,会津本郷焼の陶器が描かれていました。本郷焼は蒲生氏郷が会津に築城する際に,屋根瓦を製造するために播磨の国から瓦工を招いたのが始まりで,江戸時代に本格的な陶器の製造が始まりました。戊辰戦争などで何度も存続の窮地に陥りましたが復興し,現在は伝統的工芸品として認められています。2005.10.1会津高田町・新鶴村と合併して会津美里町になっています。

写真−8


写真−9

 写真−9は,石川県南部の手取川下流南岸にある寺井町のマンホールです。絵柄に描かれている焼き物を見て,寺井町が「九谷焼」の本場であることを知りました。獅子の像?や壷に描かれた絵など,なんとなく九谷焼らしさが感じられます。町の花のツツジも描かれています。後から気が付いたのですが,周囲に描かれている模様から見て,マンホール全体も九谷焼の大皿を表しているようです。2005.2.1根上町・辰口町と合併して,能美市になりました。
 写真−10は長野県塩尻市の農業集落排水のマンホールです。「本洗馬(せば)農集排」,絵柄は川の魚と「洗馬焼」のツボが描かれています。魚は奈良井川のアユでしょうか?塩尻から中央西線に乗って次の駅が洗馬(せば),以前は洗馬村があったそうです。1961年に塩尻市に編入されました。中山道の宿場のあったところですが,そこを走った時ちょうどお祭りがあり,子供たちのお神輿と出合い自転車を休めしばらく眺めさせてもらいました。
 愛知県中部の高浜市は「三州瓦」の生産の中心地で,写真−11のマンホールにも屋根瓦が描かれています。そして鬼瓦とキクの花が加わっています。鬼瓦は瓦の街のシンボルです。屋根の棟の端に据えられる装飾瓦で雨の侵入と魔よけとして使われています。鬼瓦を作る職人を「鬼師」というそうで,その高い技術を生かし鬼瓦以外にもいろいろな飾瓦,留蓋,さらには仏像なども造るそうで,市内の各所でそれを見ることができるそうです。私は下ばかり見て走っていたせいか,残念ながら気が付きませんでした。

写真−10


写真−11

3.織物

 写真−12は大阪府泉大津市のマンホールです。見つけた時には何かの花だろうと思っていました。家に帰ってから印刷してみてようやく「ヒツジの親子」だということがわかりました。泉大津は毛織物の町,特に毛布の生産が盛んで,明治18年に日本初の毛布がこの 地で作られ,現在国内で生産される毛布のほとんどは泉大津産だそうです。泉大津駅前には「緬羊像」もあるということですが私は見てきませんでした。泉大津市では2枚目のマンホールも見つけました(写真−13)。こちらは「機織り」の様子が描かれています。泉大津は毛布を中心に毛織物の生産が盛んですが,「和泉もめん」の産地でもあり,“織り・編み”も重要な産業になっています。現在市内テクスピア大阪の二階には「織編館」があり,泉大津の伝統産業を伝えているそうですが,10数年前にはなかったなあ。

写真−12


写真−13


写真−14

 大阪市の東隣,都市化の進んだ八尾市ですが,マンホールには昔の糸紡ぎの様子と周りには菊の花が描かれていました(写真−14)。八尾のあたりは「河内木綿」の集散地だったそうで,明治時代は綿の栽培から,撚糸,織りまでを盛んに行っていたそうです。機械化と外国綿のために大正頃に衰退したそうですが,市民の方々の熱意で甦りつつあるそうです。真ん中下に紡いだ糸巻が二つ,細かいところまで表現していますねえ。

写真−15

 桐生市は群馬県東部にある絹織物の街です。桐生付近は古くから絹織物の産地で,本町一,二丁目にはいくつもの大正時代のノコギリ屋根の工場,レンガ造りの倉庫などが残り,絹織物の近代化の歴史を見ることができます。写真−15のマンホールには反物になった絹織物と織り機の歯車が描かれています。桐生市の花はサルビアですので,ここに描かれているのはサルビアだと思うんですが。
 仲里村は沖縄県の久米島東部の農村です。久米島は中央を南北に連なる山地で仲里村と具志川村と二分されていましたが,2002.4.1合併して久米島町になりました。御願崎の長大なサンゴ礁があり,ダイビングにも人気のあるところです。サトウキビ生産が中心ですが,副業で「久米島紬」も作られています。写真−16のマンホールを見て「何の模様かなあ?」と考えていたのですが,「紬の模様」のようです。ツバメが織り込まれているんで すね。久米島紬は琉球王朝時代からの伝統があり,染付・織りなどの一連の工程を一人が手件業で行うそうです。
 久留米市では2種類のカラーのマンホールを見つけました。写真−17の蓋には,真っ赤なクルメツツジと久留米絣(かすり)が描かれていました。江戸時代に井上伝により考案されたという「久留米絣」,かつての久留米藩の特産品から,現在では国の重要無形文化財・伝統的工芸品になっています。絣の絵模様を織る織機を発明した「からくり儀右衛門」こと田中久重は,井上伝と同郷で後の東芝の礎を築いた人だそうです。このような「ものづくり」の気風が久留米の工業の発展につながっているんでしょうね。

写真−16


写真−17

 岩倉市は愛知県北西部にある織物業が盛んなところです。五月幟(のぼり)・張幕の生産が全国的に知られています。写真−18のマンホールに描かれていたのは,染め上った鯉のぼりの川での晒しと市の花のツツジの花でしょうか。市内を流れる五条川周辺は宅地化が進んでいますが,今でもこの“晒し”は行われているんでしょうか?

写真−18


写真−19

 新潟県中部にある五泉市では4種類のデザインマンホールを見つけました。その中で気になったのが写真−19の絵柄です。衣桁(いこう)にかけられた松竹の入った着物が描かれています。五泉市は古くから織物が盛んで,はかま地で知られる「五泉平」は江戸中期から始められ,各地に普及しました。明治に入って羽二重なども特産されるようになったそうです。古そうな蓋ですが,絵柄の方にも“歴史”がありました。

4.紙漉

 白鷹町は山形県中部の長井盆地北部にある町です。フラワー長井線の終点荒砥駅で下車,街の散策で見つけたマンホールに描かれているのは,コブシ(町の花),魚はアユ(町の魚)ですね。上の方は紙すき,下は機織りをやっているんでしょうか?(写真−20)。紙の方は地元の楮(こうぞ)を原料にした「深山和紙」です。“蚕桑(こぐわ)”という地名が示すように養蚕も盛んで,それを原料にした「白鷹紬」があります。また「隠れそば屋の里」と呼ばれるそばの名所だそうです。

写真−20

 中富町は山梨県南西部,富士川の西岸にある町です。写真−21のマンホールに描かれていたのはアジサイの花の中の紙漉きです。町名は「南巨摩郡中央の富裕な町に」という願いを表しているそうです。アジサイは町の花ですが,「紙漉き」のほうは西島地区で行われている伝統的な和紙生産を描いています。2004.9.13身延町に合併しました。
 川之江市は愛媛県東端の燧(ひうち)灘に面する製紙工業都市です。金生川の伏流に恵まれ製紙業・紙加工業がおこり,生産できないのは「紙幣と郵便切手」といわれるほどです。隣接する伊予三島市とともに,静岡県岳南地区に次ぐ日本第2の製紙業地帯になっています。2004.4.1伊予三島市他と合併し四国中央市になりました。写真−22のマンホールにはたくさんの折鶴が描かれていました。「四国かわのえ 紙のまち」とあります。汚水桝にも一羽の折鶴が描かれています。

写真−21


写真−22


写真−23

 伊野町は,高知県中南部にある高知市の西隣の町です。写真−23のマンホールには「紙の里 伊野町」と書かれ,建物が措かれています。古い街並みに合わせて作られた「紙の博物館」です。中心の伊野は製紙の町,土佐紙発祥の地という成山とともに藩の保護を受けて発展しました。白壁土蔵造りの紙問屋・紙すき工場が立ち並ぶ,味わいのある町並みでした。仁淀川の清冽な水と,町の木にもなっている紙の原料のミツマタ,これが「土佐和紙」をはぐくんできたんですね。

5.おわりに

 今回は焼き物・織物・紙を紹介したところで中断です。この他にも第1回では埼玉県の小川町の消火栓には楽しそうな紙漉きのお姉さんが描かれた蓋,第6回の日本の祭りでは山梨県の市川大門町特産の障子紙が描かれたマンホールも紹介しました。また有田や伊万里など九州の焼物の産地にはまだ行っていませんので,まだまだ増えることでしょう。
 次回は,今回紹介できなかった多彩な各地の特産品・伝統産業を紹介しましょう。

※日本のマンホール文化研究会