屎尿・下水研究会

TOP

屎尿・下水研究会の概要

お知らせ

発表タイトル

特別企画

企画図書類

更新履歴


読み物シリーズ


シリーズ ヨモヤモバナシ



屎尿・下水研究会の活動の歩み(8)

講話者:地田 修一*

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

 屎尿・下水研究会では出版活動として,『トイレ考・屎尿考』(技報堂出版,2003年),『ごみの文化・屎尿の文化』(技報堂出版,2006年)及び『トイレ』(ミネルヴァ書房,2016年)の3冊を会で編著し刊行しました。以下に,それぞれの本のコンセプト,目次,幾つかの項目のダイジェストを紹介します。

1.『トイレ考・屎尿考』

(1)コンセプト
 屎尿は人間の日常生活に必ずついて回ります。かつて日本で行われていた屎尿のリサイクルシステムへの評価は,つとに高いところです。2003年3月に京都で開催された「世界水フォーラム」では21世紀の水資源が中心課題となりましたが,屎尿の処理を含めた水処理は世界的にも,解決しなくてはならない様々な問題を抱えています。
 トイレや屎尿,広くいえば下水文化は生活に密着しすぎているためか,なかなか書き残されることがありません。トイレの水洗化が進んだ今日では,屎尿の行方やその処理に対して世間はますます無関心になっています。そこで本書では,聞書き,体験記,文学・芸能からの引用,歴史資料の解説及び現代語訳,最近の技術動向などをわかりやすく纏めてみました。

(2)目次
 プロローグ−屎尿の処分と処理の移り変わり/屎尿汲取り業の一代記/ バキュームカーの開発/ 屎尿積み替えと貨物輸送/ 海洋投棄とその歩み/ 日本独自の技術−屎尿消化槽/ みやこ肥料−コンポスト化/ 屎尿汲取りの移り変わり−仙台市から/ 京都屎尿事情/ 大正末期の大都市の屎尿停滞−大阪市/ トイレの異名あれこれ/『十字號糞倍例』に見る屎尿施肥/『都繁昌記』に見る汲取り/ 籌木とは−長岡京のトイレ跡から/ 下肥の流通と肥船/ 厠と屎尿の法制史/ 屎尿の文章表現−文芸作品から/ 江戸川柳に詠まれている便所と屎尿/ 落語から便所と屎尿の噺を拾う/ 絵画に見るトイレ/ トイレットペーパーと下水/ し尿処理技術の開発/屎尿の活性汚泥処理−綾瀬作業所/ 狂乱−浦安の舞/ 糞便の排泄機構/ 屎尿と環境ホルモン/ 世界のトイレを旅する/ インドネシアの屎尿事情/ 英仏の水洗化以前の屎尿処分/ 欧米における水洗便器の発達/ エピローグ−屎尿の行方/ あとがき

@ 尿積み替えと貨物輸送(佐野丈夫氏談)
 昭和19年当時の屎尿取扱所の状況を記憶で絵に描いてみました。現在の荒川区南千住4丁目の隅田川の常磐線鉄橋の側にありました。ここでの作業は,まず,汲取り屎尿の入った肥桶をリヤカーに10〜12個積んで,肥船への投入場所まで運んでいきます。そこには水槽があって,木製の樋が肥船に向かって設置されています。肥桶を持ち上げて屎尿をこの水槽に入れると,樋を通って肥船に流れ込む仕掛けになっていました。エンジン付きの引き船が肥船を3隻ぐらいつないで曳航していました。

船への積み替え(『トイレ考・屎尿考』より)

 東武伊勢崎線牛田駅の近くに引込み線をつくり,ここに屎尿の中継所を設け水槽貨車に積み替えていました。中千住駅まで人力で水槽貨車を移動させ,貨物列車に連結しました。屎尿の貨車での輸送は夜間でした。

A屎尿汲取りの移り変わり−仙台市から(佐藤昭典)
 昭和初期の仙台市では,農家は個人の家だけでなく,学校・会社・軍隊などを含めて固定した汲取り先を持っていました。昭和28年における屎尿の運搬方法は,馬車が71.5%,牛車が18.0%,人力荷車が8.9%でした。
 昭和30年に「清掃条例」が施行され,「市直営」と「民間業者」とによる汲取りが始まりました。年々,汲取り量が増加してきたので,バキュームカーを導入するなど機動力を強化しました。しかし,終末処理場がないため,6箇所の貯留槽を設け,有料で農家に還元しました。しかし,農家からの需要は次第に減少し,低料金に設定しても屎、し尿の引取り手がない状態になってきました。この頃から化学肥料が出回り始めたことがこの傾向に拍車をかけました。

屎尿汲取りの農家分布(『トイレ考・屎尿考』より)

長岡京跡の町並み復元(『トイレ考・屎尿考』より)

 市は,林地や奥地の開拓地への還元や海洋投棄,屎尿消化槽の建設などにより対応しました。ようやく昭和39年から下水処理場が運転を開始し,翌年からトイレの水洗化が可能となり屎尿処理問題は解決に向かいました。
B籌木(ちゅうぎ)とは−長岡京のトイレ跡から(山中章)
 考古学的発掘によって発見された遺構がトイレであることを証明するためには,遺構の形態,規模,位置,埋土の状況,出土遺物などを検討し,堆積土の科学的分析を実施する必要があります。トイレ研究は,1200年前の生活文化解明に欠かせない一級の成果を私たちに与えてくれます。
 古代のトイレ跡から出土する籌木(用便が終わった後,尻を拭う木片)は,長さ20cm前後,幅0.5〜1.0cm,厚さ0.5cmです。この法量は,道元の記載した籌木とほぼ一致しています。また,籌木には木簡などからの転用品が含まれています。木と紙との違いはありますが,道元が「字を書いた紙は使用するな」とした点と,相違しており興味深いところです。

C欧米における水洗便器の発達(平田純一)
 1847年,ロンドンに大下水が完成して,「汚物はこれに放流すべし」と云う法令が出ました。水洗便器が使用されるようになり,水洗便器では英国が世界の先頭に立ちました。材質面でも,1800年代の中葉になると従前の鉛製鉢が窯業技術の発達によって次第に陶器製に置き換わりました。1875年頃から,機械部を全くなくした便鉢とトラップとから成る「総陶器製便器」が出現しました。1880〜1890年までの10年間は,現代の陶器製水洗便器の基礎を作った時代と言えます。

イギリス特許の水洗便器第1号(『トイレ考・屎尿考』より)

D屎尿と環境ホルモン(田中宏明)
 生体内で分泌されるステロイドホルモンと構造が似ている人工的な物質は,生物の恒常性を撹乱する作用を持つことから「環境ホルモン」と呼ばれ,新たな環境汚染物質として注目されています。
 下水処理水で雄コイを飼育し,その血液を継続的に採血し,血中に含まれるビテロゲニン(卵黄タンパクの前駆物質,雌化の指標物質)の変化を調べてみました。1回目の実験では,下水処理水に暴露することで4週間上昇しましたが,処理水から水道水に戻すと3週間で低下がみられました。しかし,2回目及び3回目の同様の実験では,ビテロゲニンの上昇はみられませんでした。
 このようにビテロゲニンが誘導されたり,されなかったりする理由の一つとして,魚の持つ性周期が関与している可能性があります。今後の解明が待たれます。

2.『ごみの文化・屎尿の文化』

(1)コンセプト
 最近,リサイクル社会のモデルとして昔のことがよく取り上げられますが,ごみや屎尿は生活と密接な関係をもっているため,研究が進むにつれて,思ってもいなかった当時の社会生活や習慣・文化を知ることができます。
 処理・処分の技術が進んだ現代では,ごみや屎尿の行く末に無関心な人がますます増えています。本書は,失われようとして高る記憶や資料,施設・道具,風俗・習慣,および忘れ去られようとしている歴史的事実あるいは技術的成果の流れなどを掘り起こし,ごみ・屎尿にまつわる文化的側面にスポットを当ててみました。

(2)目次
 プロローグ−ごみと屎尿の文化/「ごみ」の変遷/ 平安京の清掃行政/ 中世の使い捨て文化/ 水に捨てる文化/「振袖火事」伝説の成立/江戸のハウス栽培/ 2枚の絵−深川「十万坪」と湯島「ごみ坂」/ 資源回収業界の変遷と現状/屎尿という文字の探求/ 江戸小咄に拾う雪隠と屎尿/ 映画に登場する下水道/ 戦後開発された屎尿分離式トイレ/ 東京における屎尿の処理・処分の変遷/ 屎尿処理技術の歩み/ 日本の埋立てを変えた福岡方式/ トイレに関する文献紹介/ 間取りから見るトイレの歴史/ トイレの神様/ トイレグッズのコレクション/ 日本人はなぜ,しゃがんで排便するのか/ 世界のトイレ博物館を巡って/ トイレマナーから見るトイレ文化/ トイレ研究史と総合トイレ学の提唱/浄化槽法制定の経緯と現状/ 江戸の下掃除代金の高騰に見る行政の対応/ 東京東郊の下肥利用の歴史/ 大正8年の屎尿問題/ 農村から見た都市屎尿処分問題/ 李家正文−「厠考」の出版と厠学の誕生/ 大倉孫兵衛・和親親子と衛生陶器/高野六郎の言論活動と実践−改良便所/ 西原脩三−市井にあって日本の衛生工学を育む/ 楠本正康と浄化槽/ 岩橋元亮−ごみ焼却の先駆者/発展途上国における屎尿由来の寄生虫事情/ 途上国の屎尿処理を考える/ バングラデシュのエコロジカル・サニテーション/ あとがき
@ 安京の清掃行政(稲村光郎)
 延喜式には清掃関連の規定が次のように書かれています。第一は「役所や屋敷の前の道路清掃は自分でやりなさい」と。第二は「樋を置いて通水せよ。汚物を露出させるな」と。これはトイレの始末のことです。道路の溝の流れを邸内に引き込み,その流れで汚物を流していたのですが,なかには水流を溢れさせるようなこともあったらしく「蓋のある樋を設けて流せ」としたのです。平城京遺跡からは分厚い板の木樋が発掘されています。

古代王都のトイレ(『ごみの文化・屎尿の文化』より)

A間取りから見るトイレの歴史(森田英樹)
 江戸時代の農家(旧工藤家,川崎市立日本民家園に移築)では,うまやの正面入口の脇に小便所があります。壷が地面に埋め込まれた形で,3方が目隠しとなっているため回りからは見えません。主屋から離れた別棟に大便所があります。直径75cm,深さ63cmの大きな木桶が埋め込まれ,2本の板が渡されています。この渡し板に跨り大便をしたのです。
 長屋(江東区深川江戸資料館に再現)に隣接した屋外に住民共同のトイレがありました。5〜6坪の空地に,井戸,ごみ溜め,小さな稲荷,そして共同トイレがありました。トイレの扉は下半分のみで,上半分がありません(ちなみに,京都や大阪では上部まで扉があります)。
 大正時代の長屋(台東区立下町風俗資料館で再現)では,座敷の奥の裏露地に面した濡れ縁伝いにトイレがあります。扉を開けると木製の便器が設えてあります。裏露地側に汲取り口があります。

大正時代の下町住宅のトイレ(『ごみの文化・屎尿の文化』より)

 昭和30年代の公団住宅(松戸市立博物館で再現)では,水洗トイレ,ガス風呂,ステンレスの流し台などが備えられています。
A 家正文−「厠考」の出版と厠学の誕生(森田英樹)
 昭和7年,トイレ研究史上記念すべき『厠(加波夜)考』が出版されました。著者は,当時まだ国学院大学の学生であった李家正文氏(1909〜98)です。それまで多くの文献で部分的にしか触れられることがなかったトイレに関する記述を,主に和漢の文献から引用・抜書きをし,分類・整理したものです。

厠(加波夜)考の表紙(『ごみの文化・屎尿の文化』より)

 主な内容をその目次より紹介しますと,「字義及び起源,建築様式並家相,特殊便所考,享楽と刑罰と,雪隠用具雑考,厠神と祭りと,’迷信口伝並咒,黄金の芸術,便所怪異事件,便器褻器溺器,厠の衛生掃除,厠に纏る雑談,屎尿の概要」などです。なお,褻器は「おまる」,溺器は「しぴん」のことです。歴史学,文学,地理学,考古学,民族学,民俗学,化学など多岐にわたる分野を網羅・整理し,世に初めて打ち示した学問体系であり,まさに大挙といえます。

Cバングラデシュのエコロジカル・サ二テーション(保坂公人)
 2004年から始まったバングラデシュのプロジェクトでは,コミラ県に15基のトイレを建設しました。ここには,大便と小便を分離して回収し大便と小便を別々に貯留するトイレを導入しました。エコロジカル・サニテーション(エコサン)は,捨てる技術ではなく,使う技術です。人間が排出する大小便を,簡便な方法で農業に使える材料に変換するものです。循環型社会を実現させるための手段の一つとして位置づけられる技術です。
 大便の貯留ピットは2槽あり,鉄板の蓋を懸けて集熱板として大便の乾燥の促進を図りました。6ヶ月間使用すると封鎖して乾燥期間に入り,それまで利用していなかったもう一方の貯留ピットをやはり6ヶ月間使います。後者のピットが一杯になる頃には,前者のピットの乾燥期間が終わり,サラサラとした粉末状になります。肥料あるいは土壌改良材としての利用が考えられますので,乾燥状態,pH,有害細菌,寄生虫卵の有無などの検 査をして,その安全性を確認しているところです。
 小便の貯留ピットは1槽で,柄杓で汲出して使えるように,上部に開口を作ってあります。10倍程度に希釈して,葉物野菜(キャベツ,カリフラワーなど)の育成に使っています。

3.『トイレ』

(1)コンセプト
 トイレは人が毎日行わなければならない排泄の作業場であると同時に,ホッと一息つく場とも言えます。どのような場所,どのような便器がトイレとして使われ,どのように屎尿が処理されていたかを通して,日本の文化と歴史を探ってみます。

(2)目次
 はじめに/ しゃがみ式トイレ(和式トイレ)/水洗トイレ・腰かけ式トイレへ/ 世界最古のトイレは,しゃがみ式? 腰かけ式?/ 水洗トイレのルーツ/ 紙と手/ トイレで日本再発見/節水とユニバーサルデザイン/ 子供用トイレと特注品のトイレ/ 日本のトイレ文化を世界に発信/ 土坑式トイレ/ 高野山式トイレ/ 移動式便器の登場/ 江戸時代になると/ トイレも文明開化/ 改良便所の研究/ 下水道の建設と水洗トイレの普及/ 和船の歴史と便所/ 江戸時代の便所/ 江戸近郊における下肥の流通と肥船/ 拭う紙・捨てる紙/ トイレットペーパーの歴史/ トイレットペーパーの初めての新聞広告/ トイレの神様/ 有料トイレの系譜/ 近代公衆トイレの第1号/ 昭和10年代の東京における屎尿処理/ 屎尿汲取り業を顧みる/ 日本独自の屎尿消化処理と農業利用/ 豚便所フール/ 列車のトイレ/ 富士山のトイレ/ 日本にも水洗腰かけトイレを/ 陶器で便器をつくるむずかしさ/ 家庭のトイレにも新風/ ウォシュレットの開発秘話/ 陶器の便器ができるまで/トイレの別名いろいろ/ 編集後記

@豚便所フール(森田英樹)
 フールとは,人間の大便を家畜である豚に飼料として食べさせる形式の便所のことです。一般に豚便所と呼ばれています。「おきなわワールド」にありました。
 石造りで,長方形の箱型豚舎が2区画に仕切られ,各区画は後方が石造りのアーチ型の屋根で覆われており,雨の時などには豚がここに退避します。床も同じく石造りで,前方に傾斜していて雨水が溜まらないような構造になっています。フールの手前前方の上部には穴があり,人間がこの穴から大便を排泄すると,下で待ちかまえている豚が食べると云う仕組みになっています。しかし,もちろん豚は人間の大便のみを飼料とするわけではありません。フールにはトウニイと呼ばれる餌入れも設置されています。「おきなわワールド」の解読プレートに,「フールは,戦後はみられなくなりました」と書かれていました。衛生上の問題(寄生虫の有鉤条虫(サナダムシ)の中間宿主が豚であること)のほか,体型が大きな改良豚の導入により,狭いフールでは豚が運動不足に陥り,飼育上も不都合となったことがその原因であろう。
 沖縄県北中城村字大城にある「中村家住宅」のフールは,トイレそのものが単独で国の重要文化財指定を受けています。

おきなわワールドのフール(『トイレ』より)

※屎尿・下水研究会幹事