屎尿・下水研究会

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シリーズ ヨモヤモバナシ



屎尿・下水研究会の活動の歩み(1)

講話者:地田 修一*

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1.はじめに

 個人的な思い出話であることをお断りして,屎尿・下水研究会の発足に繋がった屎尿とトイレに関わる情報を二つ招介します。

(1)聞書きから得た屎尿情報
 昭和57年3月をもって,東京都下水道局・砂町水処理センター(現水再生センター)内で実施されていた29年間に及ぶ屎尿の消化処理事業(清掃局からの受託事業)が廃止になりました。屎尿を処理する過程で発生する消化汚泥を原料としたコンポスト(商品名:みやこ有機肥料)が市場に流通し良好な評価を受けていたことから,その廃止を惜しむ声が多々ありましたが,下水道の普及に伴う水洗化率の向上とともに,汲取り屎尿の収集量が減少傾向にあったと云う背景の中での,やむを得ない歴史的選択でした。
 当時この「みやこ有機肥料」の生産から出荷までを一貫して請け負っていた民間会社に勤務していたN氏は,次のような回想を私にしてくれました。
 『戦中,戦後の一時期,肥料といえば牛・馬の堆肥や鶏糞それに下肥しかありませんでした。化学肥料の絶対量が不足していたからです。このため,回虫,ぎょう虫などの寄生虫に多くの人々が冒されていました。学校で,虫下しの薬を配布していたほどです。このような情況がありましたので,原料が屎尿ということで,当初,販売面で非常に苦労したことが思い出されます。先入観がありますと,いかに高度に処理されて出来上がったものでも,人の心を解きほぐすことはむずかしいものです。
 発売元の営業努力により,問屋さんや農家の人が少しずつ理解を示してくれるようになり,使い易くどの作物にも良く効くことを認めてくれるようになりました。それからが,出荷元としての当社の苦労が始まりました。化学肥料は24時間フル操業で生産することができますが,「みやこ有機肥料」の生産は,天候に左右されたり,原料となる消化汚泥の発生量が不安定であったりしたので,需要量に見合った供給をどのようにして確保していくかが大変でした。(中略)「みやこ有桟肥料」の主な用途は育苗用でした。化学肥料とは異なり,ハウスで育てている苗にガス障害が起きることもなく,力強い丈夫な苗ができるとのことでした。施肥においても肥料の分量がアバウトであっても作物への影響が少ないとい、う評判でした。ハウス園芸だけでなく,稲作にも適しており,高知県のある農家には稲作日本一の大臣賞受賞の稲穂が飾られていました。もっとも問屋さんの話では,稲作での増収を図るよりも,早出しのハウス園芸の方が利益になるので,この用途での需要が高いとのことでした。』

堆積して発酵させる(『トイレ考・屎尿考』より)


 わが国の古来から行われていた尿尿の農地への還元に,近代科学の息吹きを与え取り扱い性を大幅に改善した,「嫌気性消化処理並びにこれに引き続くコンポスト化技術」は,先駆的かつ画期的な事業であったことは確かです。

(2)書物から得たトイレ情報
 これとは趣を異にします書物から得た,私は大発見だと思っていますが,トイレに関する情報があります。それは東京・神田の古本屋で見つけた大杉栄著の『日本脱出記』(岩波文庫)です。「パリの便所」の項に1923年当時のパリのトイレのことが書いてありました。あの花のパリにおいても殊(こと)トイレとなると,その実態は大変だったことが読み取れます。少し引用してみます。
『高級ホテルでは湯もあり西洋風呂,西洋便所もあった。安ホテルは西洋トイレではなく,ただ,たたきの傾斜があり底に穴があり,(中略)その汚さはとても日本の辻便所の比じゃない。(中略)そとへ出て,横町から大通りへ出ると,すぐ「有料の辻便所」があるのを発見した。番人のお婆さんに20サンティム(ざっと3銭だ)のところを50サンティム奮発してはいって見ると,そこは本当のきれいな西洋便所だった』
 いかがですか。私は子どもの頃からの昆虫好きで,何種類かの『ファーブルの昆虫記』を読んでいるのですが,大杉栄が獄中で訳したものは文章も優しく名文です。この紀行記もパリにおけるトイレ体験を実に生き生きと描写しています。

地面を連想させる平らなトイレ(『トイレ考・屎尿考』より)


2.屎尿・下水研究会の発足と講話 会の開催

 浄化槽や下水道の普及とともに,屎尿の汲取り・処理・処分の仕事が縮小してきたため,屎尿・トイレに関わる歴史的事実や技術的成果の流れが忘れ去られようとしている兆しを感じて,石井明男氏,小松建司氏,森田英樹氏,地田修一氏等が屎尿研究会(後に屎尿・下水研究会と改称)を平成10年に立ち上げました。その後(NPO)日本下水文化研究会の下部組織として位置付けられ,初代会長は地田修一氏,現・2代会長は石井明男氏が務めています。
 3ケ月に1回ほどのペースで,日頃なんとなく口にすることが憚られ,話題にし難い屎尿,トイレ,下水道などに関する講話会(例会としては70回余り,これに小平市ふれあい下水道館における市民向け講話会を含めると110回余り)を開き,幅広くみんなで情報を交換し合っています。
 現在,会員は20名ほどで,屎尿処理の研究者,下水道や清掃関係の行政担当者,家庭紙の研究家,教育関係者,業界紙関係者,コンサルタントなど多士済々です。
 例会の会場は,当初9回ほどは参加人数も5〜6名と少数でしたので本部の事務室(新宿区富久町)で行っていましたが,平成13年度からは東京都ボランティア・市民活動センター(新宿区神楽河岸)の会議室を借用するようになりました。その後,20〜22年度は会員からの紹介を得て一時,(株)TOTOの会議室(新宿区西新宿)を利用しました。さらに平成20年度以降は,主に小平市ふれあい下水道館の講座室(小平市上水本町)で開くようになり,現在に至っています。

屎尿を海洋に投棄する(『トイレ考・屎尿考』より)


屎尿の施肥(『トイレ考・屎尿考』より)


 資料の準備ができた会員が講話者として手を挙げるということにしており,テーマの縛りもなく強制的にならないように心がけています。どのテーマも講話者の思い入れの強いものであり,また奥の深いものですので,毎回,熱のこもった講話会となっています。途中で聞き手からの質問や独自の解説などの飛び入りがあり,双方向の情報交換あるいは座談会といった雰囲気の極めてアットホームな集まりです。会員から推薦された非会員の方に講話をお願いすることもあります。
 講話は,先輩の方々からの「聞書き」,自分の体験記,古文書の現代語訳,文学・芸能からの引用,歴史資料の解説,広報映画の紹介,最近の技術動向調査など,多岐にわたっています。
 聴講者の理解を深めるため,講話の中で映画・映像を補助的に使用することもあり,ときには,ずばり『劇映画に見る下水道』と云ったタイトルの例会もありました。広報映画の『生活と水』,『し尿のゆくえ』,『汚い!と言ったお嬢さん』や劇映画の『真夜中の河』などを鑑賞しました。

3.講話内容の文章化と業界誌への 投稿

 屎尿・下水研究会では,自分たち会員だけが自己満足した会ではいけない,講話会活動で得られた情報を関連した仕事に携わっている仲間に知ってもらおうということで,講話内容を「屎尿研究会講話シリーズ」として『生活と環境』誌【(財)日本環境衛生センター】に,平成15年(2003)8月号から16年4月号まで9回にわたって連載しました。
 さらにその後は,『都市と廃棄物』誌【(株)環境産業新聞社)】に平成16年5月号から「トイレヨモヤモバナシ(四方八方話)」と題して連載中です。平成29年11月号で106回目になりました。
 講話の都度,録音テープを回しその講話内容を文章化するわけですが,私はこのいわゆる「テープ起こし」の作業を担当しました。講話を文章化するに当たっての作業経過は次のとおりです。
 テープを少し聴いては止め,その内容を筆記し,またテープを回し,… という作業を繰り返し行ないます。その労力は案外たいへんでした。馴れてくると,講話者の言葉を単にそのまま文章化するのではなく,書き言葉としておかしくないよう修正を加えつつ文章化することが直接できるようになりました。それは,忠実に講話者が話したとおりにテープを起こしても,添削のときに文章的におかしいところは修正しなくてはならないからです。話し言葉と書き言葉は所詮違うものだからです。
 結果的に,いわゆる速記録ではなく,耳で聞いた言葉を私流の書き言葉に変換していくという作業になりました。この手法ですと単に講話内容を速記するだけでなく,講話内容を整理しわかりやすい文章でもって,読者に伝えようとする若干の創造的な作業が付加されます。単純な作業と思われがちな「テープ起こし」を飽きずに続けてこら、れたのは,この部分にやりがいを見い出したからです。

4.声のライブラリーの保存

「講話の文章化」とは別に,「屎尿・下水研究会」がストックしているものに「声のライブラリー」があります。これは,先ほどの録音を長期間保存するためにCD化したものです。勿論,なにも手を加えていない肉声のアルバムです。話口調の癖や間の置き方などは三者三様です。

5.見学会の実施

 文献,聞書き,映像からの情報収集に止まらず,日帰りあるいは一泊の見学会を実施し,実際の建物や実物を見開するとともに,会員相互の親睦を図ってきました。

6.ホームページの開設

「屎尿・下水研究会のホームページ」にアクセスしていただければ,これまでの講話内容のダイジェストをご覧になることができます。
 屎尿や下水は,限りなく生活に密着し,生活の一部になっているが故に,かえって一般には文字に書き残されることがほとんどありません。トイレの水洗化が90%に達した現在,私たちが生きるために食べた後に毎日必然的に排泄される「屎尿の行方」について無関心になりつつあります。
 そこで,私たちの講話会活動の中で得られた情報を多くの一般の方々にも知っていただきたいと考え,ホームページを開設しました。

7.小平市ふれあい下水道館におけ る市民向け講話会

 屎尿・下水研究会では平成20年度より,小平市ふれあい下水道館(小平市上水本町1−25−31)とタイアップしてトイレ,下水道,廃棄物,水環境などに関連した市民向け講話会を10月〜翌3月の毎月1回, 年に6回の頻度で開いています。
 講師は主に本会会員ですが,それぞれの分野の専門家に依頼することもあります。聴講対象は市内に在住あるいは勤務・在学している者としていますが,席に余裕がある場合はそれ以外の方も可としています。私たち研究会会員はこの枠で参加しています。
 玉川上水沿いに建つ「ふれあい下水道館」は,地上2階・地下5階建てで,地下25mに埋設されている内径4.5mの実際の下水道管に入ることのできる「ふれあい体験室」を有する下水道博物館です。講話会は地下1階にある講座室(定員25名)で行っています。

ふれあい下水道館(『パンフレット』より)


 会員のみを対象としてきた今までの講話会を発展させた出前講座としての性格を有しています。ちなみに,小平市は日本下水文化研究会の古くからの賛助会員(公共団体では唯一)です。
 国内の話題ばかりでなく,年に1回は海外の情報も提供するよう心掛けています。上から目線で言えば環境教育ですが,むしろ,会員自らが研鑽して得た情報をわかりやすく一般の方々に披露する場であると考えています。

8.文化資料の作成と出版活動

 屎尿・下水研究会は,会員ないし会員より推薦された方々に,講話・講演もしくはインタビューをお願いし,「声のライブラリー」や「専門雑誌等への投稿記事」によりその記録を残すことを活動の主体に置いています。  さらに平成20年度からは,「屎尿・下水研究会文化資料」シリーズを自主的に作成し,研究会会員あるいは会の活動趣旨に賛同された会友に配布しています。出版社からの図書の刊行にはテーマ,時間など多くの制約条件があります。この簡易な印刷・製本による文化資料は,その点をカバーするものです。
 今までに,『トイレと下水道の歴史』,『水琴窟探訪』,『論考−トイレと下水道−』,『下水道マンの東京散歩−職場界隈探訪−』,『乗り物のトイレ』,『家庭紙とトイレグッズ』,『トイレの歴史と探訪』並びに『ふれあい下水道館と環境講座』の8冊を件成してきました。この文化資料のさきがけと云えるものとして,すでに平成18年に,英文冊子『Toilet and Night Soil』を作成しています。
 幸いにも,各種雑誌への投稿記事が技報堂出版の目にとまり,『トイレ考・屎尿考』(2003年)及び『ごみの文化・屎尿の文化』(2006年)として刊行され,この分野の専門家ばかりでなく広く一般の方々へ向けて情報を発信することができました。
 さらに新たにミネルヴァ書房からシリーズ・ニッポン再発見の一巻として,屎尿・下水研究会編著『トイレ−排泄の空間から見る日本の文化と歴史−』が2016年に出版されました。この本作りにおいて編集のプロ集団「こどもくらぶ」の手を借りましたが,この縁で図らずも,児童向け図書『トイレの自由研究』(フレーベル館,全3巻,こどもくらぶ編,2016年)の監修者としても関わることができました。

9.例会における講話

 屎尿・下水研究会の例会における講話の一覧は,資料−1のとおりです。平成10年10月が第1回で,28年11月まで合計71回(ほかに特別企画が1回)開催しています。
 講話の良いところは,裏話が聞けることです。私たちも原稿用紙に向かっていると,どうしても美辞麓句が並び本音が書けません。その点,講話は臨場感をかもし出すことのできる良い手法です。『屎尿汲取り業の顛末』や『下水管の清掃業に転身して』は,講話者自身の一代記でした。
 現場経験が豊富な人に古い写真を見てもらい,思い出された体験を好きに喋ってもらうと云う手法があります。作業に使う道具の使い方などは,出来ればビデオに録画しておけば動きが分かり貴重な史料となります。具体的な作業という視点から,トイレや下水道の歴史を掘り起こす可能性を持っています。『写真を読む−管渠の建設と清掃−』,『消えゆく下水処理設備を映像に残す』,『航空写真にみる処理場用地』などの講話は,これに属します。保存された工具や道具は,重要な証言物となります。

浅草幹線の工事現場(『江戸・東京の下水道のはなし』より)


おまるの博物館(『ごみの文化・屎尿の文化』より)


 江戸時代の文献は,便所とか下水といったキーワードで探しても記述がありません。関連する川柳を丹念に拾い出したり,絵図を一つずつ調べていかなければなりません。読み本は文章だけでなく挿絵がついています。これらを精査していくと,便所や下水に関する思わぬ情報が見つかることがあります。さらに,筆記体の古文書を読み解いていくには,専門知識がなくてはできませんが,役所の文書が数多く残っていますので,沢山の史実が発掘される可能性があります。『町触にみる江戸の小便所』や『江戸の下掃除代金の高騰にみる行政の対応』は,これらの成果に基づく講話です。
 トイレ関係の情報には多様性があります。自分の住んでいる町だけでなく,出張で立ち寄った他所の町で,また世界を旅したときの外国の街角等で,過去のものと思っていたものから,最新のものまでの様々な様式のトイレを現実のものとして、見ることができます。『世界のトイレを旅する』,『世界のトイレ博物館を巡って』,『世界の列車トイレの現状』などはこの範疇です。
 次回以降は,例会での講話のエッセンスを紹介していきます。

※屎尿・下水研究会幹事

資料−1 尿尿・下水研究会

 例会における講話者とテーマの一覧
第1回(平成10年10月3日)石井明男
 「史料にみる東京の屎尿処理の変遷」
2(11年1月29日)地田修一
 「屎尿の嫌気性消化処理と消化汚泥のコンポスト化について」
3(11年4月16日)鈴木和雄
 「東京市綾瀬作業場概要」
4(11年9月3日)鈴木清志
 「世界のトイレ見聞記」
5(11年12月10日)森田英樹
 「都繁昌記(天保九年)に見る汲取りの状態」
6(12年3月3日)鈴木和雄
 「糞尿史−遷都は糞尿汚染からの逃避だった」
7(12年6月9日)地田修一
 「郷土史料に見る下肥の流通と肥舟」
8(12年9月8日)関野勉
 「下水とトイレットペーパー」
9(12年12月15日)河村清史
 「屎尿処理技術の動向」
10(13年6月15日)森田英樹
 「トイレ異名と総合トイレ学」
11(13年7月13日)鈴木和雄
 「衛生に関わる生活と奇習」
12(13年9月14日)高杉喜平
 「屎尿汲取り業の顛末」
13(13年12月15日)地田修一
 「英仏における水洗便器の技術開発史」
14(14年3月30日)鈴木和雄
 「海洋投棄とその歩み」
15(14年7月5日)菅家啓一
 「地方都市における下水道整備の経過ならびに中国広州方面への視察報告」
16(14年10月4日)鈴木清志
 「世界のトイレを旅する」
17(14年12月13日)広瀬祐
 「有機性廃棄物のリサイクルと農業利用」
18(15年1月30日)長谷川清
 「下水管の清掃業に転身して」
19(15年3月19日)栗田彰
 「江戸小噺から拾った雪隠と屎尿」
20(15年4月27日)山崎達雄
 「京都の屎尿事情」
21(15年6月13日)小松建司
 「便所の神様」
22(15年9月5日)関野勉
 「トイレのグッズ」
23(15年10月31日)佐々木裕信
 「浄化槽法制定の経緯と現状」
24(15年12月4日)平田純一
 「しゃがむ姿と日本人」
25(16年1月16日)楠林勝二
 「屎尿という文字の探求」
26(16年3月2日)小野川尊
 「発展途上国における屎尿由来の寄生虫事情」
27(16年3月5日)中村隆一・地田修一
 「大正末・昭和初期の屎尿事情」
28(16年6月4日)地田修一・稲村光郎
 「工藤庄人氏と武藤暢夫氏の屎尿処理分野における活動と貢献」
29(16年9月24日)平田純一
 「衛生陶器のできるまで」
30(16年10月22日)関野勉
 「世界のトイレ博物館を巡って」
31(16年11月24日)八木美雄
 「楠本正康先生,簡易水道と浄化槽と」
32(16年12月17日)相原篤郎
 「平安・鎌倉における屎尿にまつわるよもやま話」
33(17年1月14日)伸光克顕
 「江戸遺構にみる町屋の下水」
34(17年2月27日)柳下重雄
 「江戸の下掃除代金の高騰に見る行政の対応」
35(17年6月3日)安彦四郎
 「劇映画に見る下水道」
36(17年7月8日)安藤茂
 「市井にあって環境衛生を考えた西原脩三氏を語る」
37(17年9月2日)稲村光郎
 「大正8年の屎尿問題−その定量的検討」
特別企画(17年9月26日)神山圭一
 「屎尿処理技術の歩み」
38(17年10月7日)堀充宏
 「都市近郊における下肥の利用」
39(17年12月」2日)上田憲一
 「ヨルダンにおける下水処理水の灌漑利用」
40(18年3月17日)関野勉
 「トイレマナーとトイレ文化」
41(18年6月9日)地田修一
 「写真を読む−管渠の建設と清掃」
42(18年9月8日)石井英俊
 「銀輪で集めたマンホール蓋のデザイン」
43(18年10月5日)斉藤健次郎
 「ロンドンの下水道とバザルゲットの業績」
44(18年12月1日)松田旭正
 「船の便所に関する話題」
45(19年3月1日)石井明男
 「途上国におけるトイレ建設から下水道の整備に至る段階的整備について」
46(19年6月1日)酒井彰
 「バングラデシュでエコサントイレをつくる」
47(19年9月26日)幹事会
 「研究会所蔵ビデオの放映」
48(19年12月7日)栗田彰
 「町触にみる江戸の小便所」
49(20年1月24日)大島善徳・ひろゆうこ
 「トイレのひみつ刊行のいろいろ」
50(20年3月27日)稲場紀久雄
 「旧下水道法制定の経緯」
51(20年6月13日)竹島正
 「消えゆく下水処理設備を映像に残す」
52(20年7月11日)田中修司
 「下水道管路管理の課題」
53(20年9月25日)小峰園子
 「農村改善運動とトイレ・上下水道」
54(20年12月4日)関野勉
 「ユニークなトイレマーク」
55(21年3月13日)地田修一
 「航空写真にみる処理場用地」
56(21年6月18日)清水洽
 「列車のトイレ」
57(21年9月17日)松田旭正
 「明治の改革にみる屎尿の文明開化」
58(21年12月10日)中村隆一
 「水琴窟を訪ねて」
59(22年1月21日)谷口尚弘
 「米元晋一と当時の最先端技術−合理式と散水濾床法の導入−」
60(22年3月25日)齋藤健次郎・菊池隆子・石井明男
 「日本の水処理の基礎を築いた柴田三郎博士」
61(22年9月9日)山野寿男
 「上下水道に関する言葉の起源」
62(22年12月9日)清水洽
 「世界の列車トイレの現状」
63(23年6月12日)石井明男
 「パレスチナ・ヨルダン川西岸の廃棄物処理改善」
64(23年10月23日)新保和三郎
 「東京・下水道よもやま話」
65(24年10月21日)野田功
 「くらしと飲み水」
66(25年3月26日)平田純一・地田修一
 「川柳と俳句にみるトイレ・屎尿」
67(25年10月20日)岩堀恵祐
 「改善された富士山トイレ問題」
68(26年2月21日)石井明男
 「ごみ処理と地域特性」
69(26年10月19日)山崎達雄
 「有料トイレのルーツ」
70(27年11月8日)八木美雄
 「城と上下水」
71(28年11月20日)蛭田廣一
 「玉川上水と小平」