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シリーズ ヨモヤモバナシ



番外編:マンホールのヨモヤモ 私たち,地中から路上に出ました

講話者:石井 英俊*

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1.はじめに

 前2回は水の中から路上に登場しましたが,今回は土の中から路上に出てきたものにスポットを当ててみましょう。遠い過去を現代に示してくれるということで,貴重な資料ともなり国宝に指定されているものもあります。街の自慢のものであり,観光資源となっていたりもします。土足で踏んづけたらもったいないような気もしますね。

2.土器や土偶

 はじめに紹介するのは「遮光土器土偶」です。写真−1は木造町(現つがる市)のマンホールです。明治20年に亀ケ同遺跡から出土した遮光器土偶は,古代北方民族が使用していたと思われる“サングラス”に似ていることからこの名前が付きました。重要文化財に指定され現地の資料館にはレプリカが展示されていますが,なんといってもJR五能線の木造駅の駅舎に乗っかっている遮光器土偶像には圧倒されます。



写真−1


写真−2

 同じ遮光器土偶が登場するのは宮城県の田尻町(現大崎市)のマンホールです(写真−2)。こちらは昭和18年に発見されました。木造町のものは片足が破損しているのに対し,田尻町のものはほぼ完全な形で発見されています。高さ36cm,肩幅が21cmあり,こちらも昭和56年に重要文化財に指定され,現在は東京国立博物館に所蔵されています。
 隣の山形県の舟形町で見つかったのは「縄文の女神」と呼ばれる土偶です。西ノ前遺跡から発掘され,高さは46cmあり縄文時代中期のものといわれています。平成24年に国宝に指定されましたが,私が訪れたのはその少し前,紹介する石碑には年月日を書き入れる部分が空白になっていました。今はきちんと書き入れられていることでしょう。写真−3では周りにアユが描かれていますが,町の花のコブシが描かれている蓋もありました。



写真−3


写真−4

 写真−4は青森県の田舎館村のマンホールです。垂柳遺跡から発掘された「田舎館式土器」と稲穂が描かれています。この遺跡からは弥生時代中期の水田跡約650枚ほどが見つかり,国の史跡にも指定されています。古代から稲作がおこなわれていたということからでしょうか,役場東側の田んぼでは数種類の色の稲を使って絵を描く「田んぼアート」が毎年デザインを変えて作られています。役場の天守閣?から見下ろす田んぼアート は見事なものでした。
 秋田県の琴丘町(現三種町)のマンホールには真ん中に“ペン先”のようなものが描かれていました。これは土笛だそうです(写真−5)。高石野遺跡(縄文時代後期〜晩期)から発掘されたそうです。形はアシカを型どっているそうです。アシカは縄文人から神の使いとしてあがめられ,その音色で神への感謝の心を表していました。土笛を囲むのは町章で,「コト」をデザインしているのでしょう。花はツツジです。
 写真−6は長岡市のマンホールです。お城の奥に花火,花はツツジですが,右側に大きく描かれているのは火焔土器です。信濃川流域にはかつて縄文文化が栄え多くの遺跡が残されていますが,長岡では関原町で出土,当地には市立科学博物館が設置され火焔土器も展示されています。自転車で町を走っていて,大きな火炎土器のモニュメントに驚かされました。



写真−5


写真−6


写真−7

 山梨県甲府盆地にある中道町(現甲府市)の曾根丘陵には,銚子塚古墳など多くの古墳があり,「甲斐風土記の丘」が作られました。県立の考古博物館もあります。写真−7のマンホールに描かれているのは6つの縄文土器です。壷だと思ったのですが,底が円いのでナベでしょうか?中央の町章は「中ミチ」です。

3,埴輪や銅鐸

 県名を冠する群馬町はその名の通り群馬の中心だったところです。上野(こうづけ)の国分寺があったところで,寺跡は史跡に指定されています。前橋・高崎2市に接する町で2006.1.23高崎市に合併しました。マンホールには埴輪と町の木のマツと市の花の梅が描かれています(写真−8)。古代東国の中心だった毛野国には大和王朝のものに匹敵する巨大古墳があり,そこから多くの埴輪が発掘されています。蓋には「馬型埴輪」が描かれていますが,この時代に馬は富と権力の象徴とされていたものです。
 同じ群馬県の藤岡市のマンホールにも埴輪が描かれていました(写真−9)。「上毛野(かみつけの)」と呼ばれた群馬県は,東日本でも古くから人々が棲んだところです。多くの古墳が見つかっており,その数は1万3千基以上とも言われています。藤岡には野見宿禰が埴輪を焼いたという本郷埴輪窯跡(史跡’44.11.13指定)や,野見宿爾を祭った土師神社,当麻蹶速(たいまのけはや)と相撲をした相撲辻などの史跡があります。藤岡市のもう1枚の蓋には「鬼瓦」が描かれていますが,こうした焼き物の技術が今に伝えられているんですね。



写真−8


写真−9


写真−10

 写真−10の「家形埴輪」が描かれたマンホールは赤堀町の集落排水の蓋です。赤堀町は群馬県南東部にある農業の町で,2005.1.1伊勢崎市に合併しました。ここに描かれている家型埴輪は昭和4年今井茶臼山古墳から8棟「こ」の字状に配置されたものが発見されました。5世紀ころの豪族の母屋を表現したものとされています。これも富の象徴なのでしょうね。町の花のサルビア,町の木のけやきも描いてありますが,花は赤堀花しょうぶ園の24,000株のハナショウブが有名です。
 吉見町は埼玉県の東松山市と鴻巣市の間にある町ですが,古墳時代後期末の横穴古墳群で知られる吉見百穴(史跡’23.3.7指定)が有名です。人骨・玉類・鉄器・土器などが出土,天然記念物に指定されているヒカリゴケ発生地でもあります。吉見町のマンホールに描かれているのはその吉見の百穴と埴輪でした(写真−11)。カラーのマンホールはよく駅前などに置かれているのですが,鉄道の通っていない吉見町では「道の駅」の前にありました。
 千葉県の芝山町のマンホールには馬の埴輪と飛行機,町の木のヤマザクラが描かれています(写真−12)。町には古墳時代後期のものといわれる芝山古墳群があり,町域北部は新東京国際空港用地となっています。また「はにわ博物館」,「航空科学博物館」もあり,両方とも町のシンボルにふさわしいものになっているんですね。町の観光案内には「時空の交差点」と表現してありましたが,なかなか面白い組み合わせだと思います。



写真−11


写真−12


写真−13

 一気に西に行って鳥取県西部,米子市の南に接する会見町,ここは付近に古墳・条里遺構があり,古代伯耆国西部の中心と推定されるところです。会見町のマンホールに描かれているのは大きな柿の実と埴輪でした(写真−13)。町の歴史から埴輪が描かれているのはうなずけますが,柿は?鳥取県はナシじゃなかったかなあ。町の特産には二十世紀梨のほかに富有柿もあるんだそうです。2004.10.1西伯町と合併して南部町になりましたが,南部町のマスコットキャラは柿の「フーくんとユーくん:なんぶカッキーズ」だそうです。
 隣の島根県に行って宍道湖西岸の斐川町,マンホールに描かれていたのは銅鐸でした(写真−14)。斐川町の神庭荒神谷遺跡では6個の銅鐸のほかに358本の銅剣や16本の銅矛も出土し,これらの出土品は国宝に指定されています。2011.10.1出雲市に合併しました。
 静岡県浜名湖の北を走る天浜線の気賀駅で降りると細江町です。東海道本坂道に作られた気賀の関所を見た後,見つけたマンホールに描かれていたのは銅鐸です(写真一15)。町内には「銅鐸公園」があり,銅鐸が展示されているそうです。また「銅鐸サブレ」というお土産も用意されているとか。蓋にいっしょに描かれているのはソメイヨシノ,町の花に指定されています。本坂道は大名や公家の女性たちが多く利用したことからのちに「姫街道」と呼ばれ,サクラの頃に「姫様道中」という豪華絢爛な行列が街を練り歩きます。



写真−14


写真−15

4.恐竜

 福井から越前鉄道に乗ると終点が勝山です。勝山市には国内最大の恐竜化石発掘場「杉山恐竜壁」があります。福井県立恐竜博物館もありまさに「恐竜王国」です。白亜紀前期,肉食の「カツヤマリュウ」をはじめ8種類の恐竜の化石が発見されているそうです。マンホールにはカツヤマリュウとその足跡が描かれていました(写真−16)。市内元禄線通りには勝山市キャラクターの「チャマリン・チャマゴン」をはじめ8種類の恐竜像があります。カラーのマンホールもこの通りで撮りました。
 歌津町は,2005.10.1志津川町と合併して南三陸町になっています。気仙沼線の歌津駅から階段を下りて駅前広場,そこで見つけたカラーのマンホール(写真−17),イルカが描かれていると思ったのですが,何かを咥えています。イルカではなく魚竜の「ウタツザ ウルス」と三葉虫,周りに町の花のツツジだそうです。歌津町館崎で魚竜の化石がみつかったそうで,天然記念物に指定されています。町のはずれの海岸にこれを展示する「魚竜館」があったのですが,津波で跡形もなくなっていました。



写真−16


写真−17

 北海道北部の天塩川流域にある中川町では首長竜の描かれたマンホールがありました(写真−18)。こちらも右上には三葉虫が描かれています。役場の玄関にはカラーの蓋が展示されていました。街中には親子連れの首長竜の描かれたものもあります。明治36年に天塩川沿岸に28戸入植したのが最初,天塩川・安平志内川沿いでは酪農が行われ,宗谷本線.から見る車窓には牧草地が広がっていました。
 福島県の南東部,いわき市の北にある広野町を歩いていて見つけた汚水桝と思われるマンホールには恐竜が描かれていました(写真−19)。なぜ恐竜がいるんだろうと思ったのですが,調べてみると昭和61年に町内の桜沢地内からカモハシリュウの歯の化石を発見,その後草食・肉食の恐竜の化石などが発見されたそうです。草食の恐竜はヒロノリュウ,肉食の恐竜はフタバリュウと名付けられています。マンホールに描かれているのは肉食の恐竜のようですね。恐竜にちなんだお土産物やお酒もあるそうです。



写真−18


写真−19


写真−20

 長野県の北部,野尻湖のほとりにある信濃町は,ナウマン象やヘラジカの化石が発見されたところです。国道18号線沿いにはナウマンゾウの親子像があり,野尻湖への観光客を出迎えてくれます。湖畔にはナウマンゾウ博物館もあり,その発掘の様子や骨格標本などが展示されていました。写真−20のマンホールにはそのナウマンゾウと町の花のコスモスが描かれています。

5.遺跡として

 秋田県の流域下水道のマンホールは幹線名とN0.が描かれているものばかりでしたが,小坂幹線にはデザイン蓋がありました(写真−21)。山に囲まれた十和田湖,泳ぐ魚はヒメマスでしょう。それと左に描かれている石碑のようなものは,「大湯ストーンサークル」です。野中堂・万座にある2つの環状列石は特別史跡に指定されている縄文時代後期の遺跡です。隣接する大湯ストーンサークル館で史跡の調査からわかった縄文時代の様子を紹介しています。
 宮城県中部,石巻湾西部にある鳴瀬町は奥松島の名所「嵯峨渓」のあるところです。その入口にあたる野蒜(のびる)駅近くで見つけたのが,モリを持つ原始少年?と獲物達(ヒラメ,ウニ,コンブ,ヒトデ,ホラガイなど)の描かれたマンホールです(写真−22)。宮戸島の大高森からの眺めは松島四大観の一つだそうですが,島では「里浜貝塚」という,縄文時代前期から弥生時代中期にかけての集落が発見されたそうです。古くから松島湾の豊かな水産物があったんですね。鳴瀬町は2005.4.1矢本町と合併し東松島市になりましたが,このデザインは東松島市にも受け継がれていました。



写真−21


写真−22

6.おわりに

 古代史や考古学にはほとんど縁のない私でしたが,マンホールの絵柄を見て少しずつ興味を引き出されてきました。他のテーマの絵柄でも同じですが,「なぜこれが描かれているんだろう?」という疑問が解決されるたびに,その街の印象が強くなっていきます。皆さんにマンホールがどこのものかと聞かれても○○県の○○町のものですよ,という答えが出せるのです。もっとも最近は年のせいか,覚えていても「名前」が出てこなくなりましたが。

※日本のマンホール文化研究会