屎尿・下水研究会

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環境講座(14)

講話者:屎尿・下水研究会※

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

平成28年度の講話(2)

 小平市ふれあい下水道館・講座室(電話042-326-7411)で行われた講話会のダイジェストです。

V トイレ探訪の話
    【12月18日,森田英樹氏(本会会員)】

 旅の道すがら得たトイレや屎尿にまつわる情報を,エピソードを交えながら臨場感溢れる語り口で紹介されました。

博物館・網走監獄
 明治45年〜昭和59年までの間使用されていた舎房(博物館として公開されている)の独居房のトイレは,部屋の奥に衝立で仕切られた内側に桶が置かれていました。また,雑居房のトイレはガラス張り(上部は透明,下部は曇りガラス)の電話ボックスのような個室で,桶が置かれていました。
 刑務所の前の網走川を利用して屎尿を農場へ運ぶなどしていたそうですが,肥桶を筏に載せて農場に運ぶ様子がマネキン人形を使って再現されていました。

沖縄ワールドの豚便所
 豚便所とは豚の飼育小屋を兼ねた便所のことで,中国から伝来したものと云われています。石組みで区画され,屋根は石造のアーチ形,茅茸,瓦茸などがあり,床は石敷きでした。人間の大便を餌として豚に食べさせる形式の便所ですが,通常の餌入れも設置されていました。戦後,豚便所は見られなくなりました。それは,衛生指導による県民の意識の向上,ライフスタイルの変化による家庭へのトイレの普及などが主な要因です。

図47 豚便所

 沖縄県北中城村の「中村家住宅」は,トイレそのものが単独で国の重要文化財に指定されています。

糸数(沖縄県)のアブチラガマ
 ガマとは洞窟のことで,沖縄戦では住民の避難場所となりました。ここを見学した時,便所と表示された場所でガイドさんはこのように説明してくれました。「便所と云っても,サトウキビから黒糖を作るときに使用される大きな鍋が置かれ,その上に板を渡しただけのものでした。溜まった屎尿は桶で汲出し,洞窟の外に捨てに行っていました。」

出島のオランダ屋敷
 オランダ商館員の住まいに「おまる」が展示されていました。想像するに,当時,屎尿を溜めて置く習慣のないオランダ人は,和式トイレを使用せずに,「おまる」で用を足し,海に捨てていたものと思われます。

鳥浜貝塚(福井県)の糞石
 鳥浜貝塚の発掘物を展示している若狭三方縄文博物館に,桟橋式トイレ(桟橋から尻を突き出して排泄する)の杭跡の周辺から出土した糞石(化石となったウンコ)が10個展示されていました。地中で眠っていた糞石は発掘の瞬間までウンコ色を維持しているが,その後空気に触れると次第に白っぽくなるとのことです。

大宰府天満宮(福岡県)
 和式便器,洋式便器とも,足跡マークが白いペンキで描かれており,外国人観光客へトイレの使い方をアナログ的に教える工夫がされていました。

九州・長崎自動車道の川登サービスエリア
 大便室の扉の上部に,和式便器のマークと洋式便器のマークとがフラッグのように大きく表示されていました。使用中だと,フラッグは扉面と平行になり,通路からは見えにくくなる仕掛けです。

サン・モリッツ(スイス)
 昼食後,トイレでペーパータオルを使ったところ,なかなか引き出せず,しばし観察。ペーパータオルホルダーの前面にセンサーがあり,手をかざすとモーター音とともに,ニョロニョロとペーパータオルが出てきてミシン目が入っている位置で止りました。なんと電動式だったのです。
 このほか,首里城,姫路城,松江城, 小倉城,御城番屋敷(三重県),一条谷朝倉氏遺跡(福井県),旧沼津御用邸,旧塩原御用邸,国父記念館(台湾),旧遠山家民俗館(岐阜県),旧小采家住宅(徳島県),木村家住宅(徳島県),本居宣長旧宅(三重県),旧小津清左衛門住宅(三重県),四国村(香川県),金比羅大芝居(香川県),海上自衛隊呉資料館,海上保安資料館横浜館(工作船展示館)などを訪ねて,トイレに関する情報を得ました。

W 外国人観光客のトイレ対策ほか
【1月22日,白倉正子氏(日本トイレ協会運営委員)】

(公財)高速道路調査会の平成27年度研究制度に採択された「外国人観光客のトイレ利用への課題と対策」について,調査に関わった立場で東名高速道路の海老名サービスエリアを中心に具体的に報告されました。

図48 和式便器の座り方?

背景
 今,訪日外国人旅行者(インバウンド)が急増しており,2015年には1,973万人を数えています。外国人観光客からは,日本のおもてなし文化や温水洗浄便座の快適さが賞賛される一方で,言語や文化の違いから「トイレの使い方が分からない」との困惑が示されています。一方,受け入れ側の観光地からは「マナーが悪い,誤った使い方によりトイレの故障が絶えない」との悲鳴が聞こえてきます。

問題点と課題
 観光地への視察,トイレ清掃貞へのヒヤリング,参考文献等の分析などを行い,問題点と課題を次のように洗い出しました。
@和式便器
 欧米にはしゃがみ式トイレが無いので,欧米系観光客はその使い方が分からない。アジアではしゃがみ式トイレの穴(排水口)に肛門を向ける習慣があるため,主にアジア系観光客は金隠し側に背を向けてしまう。
A洋式便器
 アジア系観光客は,洋式便器の使い方が分からない,あるいは便座に直接座ることへの抵抗感があり,便座に靴ごと乗って排泄するため,汚物がはみ出たり,便座が割れたりするトラブルが急増している。
B水洗水
 非水洗トイレの地域が世界的にはまだ多く,水洗水を流さない外国人観光客が多い。また,日本人でも水洗水の流し方が分かり難いとの指摘があった。
 流し方を説明した表示はあるが,日本語のみであったり,4ケ国語で表示してあっても字が小さくて読み難い。
Cゴミ箱
 ゴミ箱に女性用ナプキン以外のゴミ(お尻を拭いたトイレットペーパーなど)が捨てられている。日本語のみで注意事項が表記されているケースが多い。また,女性へのマナー教育が不足していることが指摘された。
D紙問題
 アジア系,欧米系とも,外国人観光客の多くの母国では,排水管が細かったり,水に溶けない紙質のため,お尻を拭いた紙は流さないで,ゴミ箱に捨てる習慣がある。従って,日本ではトイレットペーパーを流せることを積極的に周知する必要がある。

対策
@外国人旅行者に,旅行者が手にする配布物に「日本のトイレの使い方」を記載しました(NEXCO中日本東京支社が対応してくれました)。
Aトイレにおける表示物の文字の大きさ,色,位置,表現方法を再度調整しました。
B外国におけるトイレ文化の日本の場合との違いについて,清掃員やトイレ管理者へ説明しました。
 これらの対策を講じたところ,清掃月から「汚れが減った」,「お客様の困惑の声が減った」,「汚されても仕方がないな」等の回答がありました。また,外国人観光客(450名)からも「分かり易くなった」,「日本のトイレ文化への理解が深まった」と喜ばれました。
 今後,「イスラム圏への対応」,「性的マイノリティへの対応」に取り組むことが必要と思われます。2020年の束京オリンピックに向けての,日本のきめ細かなトイレの使い方への積極的な対応は,世界での評価を高めることになるでしょう。

X 大名行列とトイレ事情(U)
     【2月19日,松田旭正氏(本会会員)】

 大勢の人々が一斉に旅をした大名行列に際して,行く先々でのトイレをどのようにして準備したのであろうか。萩の大名・毛利氏に関する古文書(『長州藩主北浦沿岸巡視記録』)をひもとき,大名行列の実態をトイレ事情の面から探りました。

参勤交代
 大名行列は,外様大名は4月,譜代大名は6月ないし8月に行う,隔年ごとの参勤交代でした。参勤交代は将軍への軍事奉仕と考えられ,「大名の行軍」を建前としました。騎馬一騎(馬に乗る身分の武家)には,若党,槍持ち,馬の口取り2人,草履取り,指物持ち,具足櫃持ち,手明き中間など8〜10人の従者が付きました。
 日本最大の大名・加賀藩前田家の場合では190回の参勤交代を行い,江戸後期には2,000人程度で編成され,金沢と江戸の間は12泊13日を要したと云われています。

大名の食事と風呂
 宿泊時の大名の食事は,本陣(大名が休泊する旅籠)が提供したものではなく,同行するお抱えの料理人が調理したものを食しました。また,大名は本陣の風呂には入らずに,国元から運んできた専用の風呂桶を使いました。さらに,風呂で使う水も布で漉して便いました。腰掛や手桶までも運ばせたと云います。風呂桶は,4人の人足が担いで運びました。

大名の雪隠
 大名の携帯用トイレ(大便用,小便用)は,長持ちに入れて持ち渾びました。「先番」と称する侍が先に本陣に乗り込み,本陣の上雪隠に携帯用トイレをセットし,大便や小便を受けられるように乾いた砂を予め筥(はこ)に入れておきます。

 
図49 膳米や風呂桶の運搬

 急に用を足す必要となり,近くに大名が使えるトイレがない場合は,しかたなく「農家の裏に葦簀(よしず)囲に致し,土を掘り杉葉を下に敷き申し候」と云う如く,トイレを急造することもありました。この時,大名が使用している間は侍が2人ボディガードを勤めたそうです。

萩藩主(毛利敬親)の北浦沿岸巡視
 諸外国から幕府が開国と通商を迫られていた幕末,萩藩においても日本海・長門沿岸の防備を固める必要から,嘉永5年(1852)閏2月26日から5泊6日の行程で北浦(萩から石州まで)沿岸の藩主の巡視を実施しました。益田越中守(1万2千石)の田屋御殿に2泊していますが,お座敷並びに田屋御殿内外の諸準備について,内密な指示が文書で出されています。
 トイレに関する箇所を抜書きすると,次の通りです。
@御雪隠(大便所)のもみ紙台は,檜の木にして上に唐金ふんどうの文鎮を置く。おもみ紙は,お先越のお小人より差し出す。落し箱には「すくも」を詰める。
A御小用場は,杉の葉を詰める。
B御用場で履く御上の草履は,お持ち廻りにてすまされるので,用意しなくてよい。
C山ノ手家屋の後ろに造る大便所は3ヶ所。小用場は2ヶ所とし,杉の葉を詰め,武士用の便所とすること。
D御式台(客の送迎時に挨拶する部屋)の前の喰い違い塀の内に用場(大便所)を1ヶ所設け,小用場は2ヶ所とし杉の葉詰めとする。武士用便所も同じとする。
E御小用場は1坪位にして青柴垣で整え,小便器は杉の葉詰めにしておくこと。
F「組糸の幕張」は,御用場については土地の掃除を整え置き,お持ち廻りの御小人が御先越にて相整えお持ちの幕などを公儀の分とする。
G西之峰御小休場において,御小用場は青柴垣にして,小便器に杉の葉を詰めて置く。もっとも,御手水幕などは公儀(本藩)の分は御持廻りのこと。
H御仮用場の後ろの縁側の突き当たりの,御張子方の前通りへ,9尺に1間の仮御用場を相整え,便器の蓋等を用意すること。外は御手水囲いにして,内は篠の簀垣(すがき)とし,御通り筋は突き当たりの縁側は残らず薄縁(裏を付け縁を付けた筵)を敷渡すこと。

Y ダッカをきれいに
   −ゴミ処理への技術援助−
     【3月26日,石井明男氏(本会会員)】

JICA(国際協力機構)は,バングラデシュの首都ダッカのゴミ問題に対して,2000年から15年以上にわたり様々なODA(政府開発援助)を行ってきました。講話者は,民間のコンサルタントとして本プロジェクトに深く関わってきた方です。

プロジェクトの概要
 グリーンダッカ・マスタープラン(ダッカの廃棄物管理の改善のための将来計画)が策定されたのは2005年です。2007年から4年間のプロジェクトであったが,廃棄物行政の確立とWBA(各地区に設置した清掃事務所に自主性を持たせるアプローチ)の促進に焦点を当てた活動を継続するために,2年間延長されました。その結果,クリーンダッカの成果の兆しが至るところで確認されるようになりました。具体的には次のような目に見える変化がありました。
 2008年時点でのダッカには,525個のゴミ収集用のコンテナがありました。2010年に,無償資金協力で供与された45個のコンテナに加えて,ダッカ市が独自に製作した195個の新しいコンテナを,壊れた200個と置き換えました。2013年には,516個のコンテナが新たに稼動しました。また,ある地域で不要になったコンテナを他の地域に移動することにより,市全体でコンテナへのアクセスが容易となりました。
 もともと,約350台のゴミ収集車両が稼動していたが,無償資金協力により100台が追加され,さらに,ダッカ市が独自で購入したコンパクタ一車32台とオープントラック5台が加わりました。2017年現在,故障・廃棄した130台を差し引いた320台が実稼動しています。
 2005年にはゴミ収集量が日量1,400トン,収集率44%でしたが,2014年にはゴミ収集量が日量3,350トン,収集率が65%と,大きく改善されました。なお,2017年度には150台の新しい車両が導入される予定です。
 一次収集業者は,今もゴミの収集と同時に有価物を回収しています。しかし,従来は一旦ゴミを道路に落とし道路にゴミを広げて選別をしていたが,今では,コンパクターのところにゴミを持ってきた時点で選別が終わっていなければならないため,道路にゴミを広げずにゴミを選別するようになりました。
 もう一つの目立った変化は,自分たちの住む地域にコンパクター車を導入したい(コンテナやダストビンを撤去でき,効率的で衛生的なシステムに変えることができるので)と考える住民と,それを推し進めようとするローカルリーダーがたくさん出現したことです。これらのリーダーたちの連合体が発足し,コミュニティへ新しい収集システムを導入するために,地元住民も交えて取り組む流れが生まれてきたことです。

『ダッカを廃棄物から救え』の刊行
 ダッカで行った技術協力の専門家やJICA職員の仕事の一端を,国際協力に関心を持つ若い人たちに伝えたいと云う思いで,本書を執筆しました。次の観点を強調しました。
@参加型の廃棄物管理
 既存の住民組織を生かしコミュニティごとにミーティングを開き,ゴミや衛生の問題を話し合いゴミ出しのルールを決め,これをコミュニティ全体に広めていきました。
 一方,市の清掃監督員たちは,ダッカの社会に適した住民参加の方法は何かについて,自ら問い続けガイドラインとして取り纏めました。

図50 ワード(区)を中心とした廃棄物管理

A清掃職員のスティタス
 住民から頼られることで,清掃監督員や清掃員は,自分たちは町や住民のために働いている,自分たちにできることはたくさんある,と云うことに気付き,市職員としての使命感が芽生えてきました。
Bダッカのプロジェックトの評価
「クリーンダッカ」の取組みは,ダッカ市で廃棄物管理に関わる職員ばかりでなく,住民,一次収集業者,地元議員など多くの関係者から信頼を得,関係者の意識も大きく変わりました。それは,外から支援するのでなく,自分たちも同じテーブルで議論し同じ現場に立ち一緒に悩み,旧体制や抵抗勢力との争いも辞さず真正面から渡り合ったからです。
 こちらが本気で組織の体制や業務の方法を変えていこうとしていることがわかると,相手もようやく自分のこととして真剣に考え始めました。
 日本人の専門家が,痛みを伴う改革を,ダッカ市の職員や住民と一緒になって乗り越えていったところに,技術協力・「クリーンダッカ」の「日本らしさ」があります。