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世界の列車トイレ −ポーランド−

講話曹:清水 洽

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

 今回は京都大鉄道研究会OB新谷恭将氏からの情報です。ポーランドはショパンのエチュード『革命』やドイツによる侵略,さらにソ連の圧政に耐えた暗い国というイメージがありますが,11世紀にポーランド王国となった歴史ある国です。
 現在のポーランド領での最初の鉄道は1842年に開業したヴロツワフ〜ミスウォヴイツェ間の一部を結ぶ上シレジア鉄道ですが,本来のポーランド領内においては1845年6月にワルシャワ・ウィーン鉄道(軌道1,435mm)のワルシャワ〜グロジスク・マゾヴイエツキ間が最初に開業しました。この鉄道が1846年に全線開業することによりベルリンと結ばれていた上シレジア鉄道とヴロツワフで,皇帝(カシザー)フェルデイナンド北部鉄道トウィーンデ,クラクフ・上シレジア鉄道とつながり中欧の基本鉄道網が形成され,その結果ワルシャワは他のヨーロッパの首都とむすばれました。
 18世紀後半から第1次世界大戦までポーランド領内はロシア,プロシア・オーストラリアの3帝国に分割統治されていたため,鉄道は地域ごとに違った方式で建設されました。
 西側のプロシア占領地では広範囲に鉄道は整備されましたが,南部のオーストリア側は無計画に鉄道網が整備され,ロシアが占領した地区の鉄道整備は遅れ軌道も1,524mmのロシアゲージで整備され西ヨーロッパからの列車の乗り入れも出来ませんでした。第1次世界大戦後共和制のポーランドが誕生し1926年9月にポーランド国鉄PKP(ペカピ)が設立され,1936年にワルシャワ都市貫通線に電車(DC3kV)の運航を開始しました。第2次世界大戦後PKP鉄道の1/3はソビエト連邦に吸収されワルシャワからベルリンに向かって整備され西部と北部の地域が新しくポーランド領になりました。
 社会主義計画経済時代は鉄道が重点整備され1980年代には電化工事が推進され,1995年には幹線のほぼ全線が電化され11,600km全輸送の85%以上が電化されました。1989年の民主化以降輸送体系の構造的変化によりKPKの輸送量は半減しましたがEU加盟に向け国際協定で定められた重要路線の整備や上下分離とオープンアクセスを可能体制とする鉄道輸送法,民営化などが進められました。2001年にはPKP SA(PKPグループの持ち株会社)とPKP PLK(鉄道インフラ管理会社)PKP Intercity(長距離旅客輸送会社,PKP Cargo(貨物輸送会社),PKP Przewozy Regionalne(地域旅客輸送会社)などに商業化・子会社化されました。
 将来インフラ環境実施計画に基き160km/hr運転可能な路線の整備やワルシャワ〜クディニア間は200km/hr走行を目標としています。
 今回は日本の新幹線の成功に刺激され,1977年にワルシャワ(ポーランドの首都)〜クラクフ(ポーランドの第2の都市)を結ぶ中央幹線鉄道(CMK)が完成し最高速度250km/h最小半径4,00Om最大カント100mm,最高勾配6/1,000で設計された、PKPインターシティのベンドリーノ号です。

引用文献
1.一般社団法人 海外鉄道技術協力協会「世界の鉄道」(株)ダイヤモンド社2015.10.

※NPO21世紀水倶楽部



  
写真1 2014年12月から運航開始したED250型ベンドリーノ
    クラフクーワルシャワ  新谷恭将氏提供 2016.3.19
 
写真2 PKPインターシティ ベンドリーノ号
    新谷恭将氏提供 2016.3.19


 
 
写真3 トイレの入口ドアと便座
    新谷恭将氏提供 2016.3.19
 
 
写真4 真空式トイレと便座
    新谷恭将氏提供 2016.3.19


 
 
写真5 手洗いとゴミ箱
    新谷恭将氏提供 2016.3.19