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日本下水文化研究会 分科会 屎尿・下水研究会
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環境講座(9)

企画:屎尿・下水研究会

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

水道・水環境に関する講話(2)

V 東京の都市河川の現状−主に神田川水系と玉川上水−
     (平成24年11月18日,保坂公人氏)

 行政の市民委員としての立場から,また趣味の街歩きとして神田川の流域や玉川上水縁を隈なく探索している講師に,東京の都市河川の現状を語っていただきました。

神田川と玉川上水とは?
 神田川は,水源である井の頭池(三鷹市)を流れ出た後,武蔵野台地の浸食谷を東へ流れ,途中,善福寺川(水源は善福寺池)や妙正寺川(水源は妙正寺池)を合わせ,御茶ノ水駅の前を通り柳橋の先で隅田川に注いでいる都市河川です。江戸初期から明治半ば過ぎまでの間,神田上水として江戸・東京の飲料水源として利用されていました。
 また,玉川上水は,江戸の飲料水需要の増大に伴い1653年に開削された,多摩川の羽村取水堰から四谷大木戸(今の新宿御苑)までの約43m,高低差92mの人工の用水路です。

流域の洪水対策と水質保全対策
 現在では神田川の洪水対策として,都道環状七号線の地下40mに貯留水量54万m3(直径12.5m,延長4.5km)の雨水調節池が造られているほか,増水した河川水を分流する地下河川「高田馬場分水路」が建設され,さらに水質保全対策として落合水再生センターに高度処理施設(砂ろ過処理)が付加されています。神田川を流れている水量の90%は落合並びに中野水再生センターの再生水が占めています。
 都電荒川線面影橋近くの「高戸橋」に立つと,神田川本流と落合水再生センターからの放流水と地下化された妙正寺川の三つの流れを見ることができます。水再生センターからの流れは処理の程度が進んできているとは云え窒素分がまだ残っているためか,水は澄んでいるものの水草の繁茂が他に比べ顕著です。

玉川上水における清流復活事業
 淀橋浄水場が廃止(昭和40年)された後,小平監視所から下流の玉川上水は昭和46年から一時空堀状態になっていたが,清流復活事業により昭和61年から,小平監視所から浅間橋(杉並区)までの区間約18kmは多摩川上流水再生センターからの高度処理水(当初は二次処理+砂ろ過処理,現在は嫌気,無酸素・好気法+砂ろ過処理+オゾン処理)が環境保全用水として流れるようになりました。浅間橋から先は暗渠でバイパスされ,神田川に合流しています。

河川への新たな役割
 支流の桃園川,井草川,江古田川,谷端川などは暗渠化され,多くは下水道に転用されています。その上部は生活道路や遊歩道(人工的なせせらぎが設けられているところもある)として活用されています。

図28 神田川はここから始まる

 近年,都市河川に対し新たな役割が求められており,雨天時の河川流量を調節するためのオンサイトの調整池や災害時に使用する船着場や親水テラスなどが造られています。
 神田川水系の地域では下水道は合流式で設計されており,計画降雨量(1時間に50mm)以上の雨水は吐き口から川に放流されます。少雨時にも流出が目撃されることがあり,下水道サイドでも,雨水浸透型下水道の促進や雨水を一時的に貯留する調整池の設置などの対策を講じています。

船による川めぐり
 鯉やボラやアユなどの魚影がみられるようになり,ユリカモメやカワウが上流域にまで飛来してくるようになりました。
 川を船で航行して船上から東京の街をウオッチングしていると,街づくりに関する新たな観点を見出すことがあります。

行政や市民活動の取組み
 先日(平成24年9月29日)小平市主催の「玉川上水サミット」が開かれ,清流復活に関わる各都市のこれからの取り組みが「宣言」としてまとめられました。「神田川ネットワーク」が行なっている市民活動の紹介や土壌の持つ雨水貯留能力の重要性についての指摘がありました。


W 身近な水辺に生きる水生昆虫と魚
       (平成25年11月17日,安齋純雄氏)

 身近な水辺に棲む水生昆虫や魚について,講師が在住している町に流れている川を観察して得た写真や動画を基に具体的に解説していただきました。

 幼少年期の水遊び:ホタルが棲む田んぼがあり,農業用水路も浅い素掘りの緩やかな流れで幼い子どもでも裸足で入れました。ここでメダカやエビやヤゴを捕まえました。道路脇の岩窪にはサワガニ(雑食性で,岸際の流れや石下に棲む)もいました。河川も土手か,せいぜい石積みの護岸で,半ズボンにゴム草履姿で川遊びができました。水路にはトンボが飛び交い,朝夕行き来するときにオニヤンマを捕まえるのが一番のワクワクでした。自宅前の待従川(横浜市金沢区)の上流に宅地が開発され生活排水の汚れが流入し水質が悪くなり,コイやフナが増えてきました。それでも,石積みの間に短い釣竿を入れてウナギを専門に釣るオジサンを見掛けたものです。農業用水路が接続する浅瀬にはウナギの稚魚が群れていました。
 待従川に親しむ会:私の小・中・高校の後輩が立ち上げた団体で,下水道が整備され,きれいな清流が戻った待従川の生き物の観察と川の清掃活動をしています。昔からあった湧水池から始まって,その先の川に棲んでいる生き物や水辺環境へ,さらに今では川が注いでいる平潟湾にまで,その活動範囲を広げています。
 現在,神奈川県・秦野に住んでいるが,ここは市内に湧水群が点在する水の汚れとは無縁の土地柄です。20年来家族で「子供と生活文化協会」(小田原市)に関わっていますが,水生昆虫の観察会を行なったり,大雨による山林破壊や川の生き物を守るため,杉の間伐やその雑木林への転換を進めるなど幅広い活動をしています。
 水生昆虫:ゲンゴロウの幼虫はお尻に気泡を溜めて,空気呼吸を行ないます。トビゲラの幼虫は砂粒や植物,口から出す絹糸状のものを組合わせて独特な形をしたケースを作ります。ほかに,カワゲラの幼虫,カゲロウの幼虫,ミズスマシの幼虫,ガガンボの幼虫,ヤゴ,タイコウチの幼虫,ミズカマキリ(カメムシの仲間)の幼虫についての説明がありました。
 自宅の近くを流れる清流に生息している生き物について,手作りの動画を駆使しての解説がありました。カワニナ(落葉などに生えた付着藻類を食べる)やトビケラの幼虫がおり,羽化したばかりの黄色いカゲロウも観察できました。カゲロウの成虫は頼りない飛び方をしているが,幼虫は水中でびっくりするはどすばしっこく動いていました。
 金目川のアユ:二宮の海岸に注ぐ,アユが遡上する小河川です。水生昆虫が多く生息していますが,雨が降るとかなりの水量となり濁流となります。
 数年前にテレビで放映していた,東京湾の生き物に関する映像:大都会に囲まれた東京湾にも自然が戻ってきており,意外なところ(東京湾アクアライン)にスズキが群れており漁場になっています。波消し用のコンクリートブロックにワカメが根を張り繁茂し,水中林を形成しているところにはメバルなどの魚が集まり,一つの生態系が形成されています。また,工場の排水口回り(水温が付近より高い)には暖海性のムラサキイガイが繁殖し,ボラなども寄ってきています。
【参考】:淡水域の水質を, 水生昆虫,魚類などを指標生物として次の4段階に分けることがあり,これを水質階級と云います。
 貧腐水性(BOD=0〜4mg/l):きれいな水で,キカワゲラ,ムナグロナガレトビケラやヘビトンボの幼虫,サワガニ,イワナ,ヤマメなどが生息する。
 β−中腐水性(BOD=4〜13mg/l):少し汚れた水で,コガタシマトビケラ,サホコカゲロウの幼虫やカワニナ,シジミ,ヌマエビ,ウグイ,シマドジョウなどが生息する。
 α−中腐水性(BOD=13〜22mg/l):汚い水で,ミズムシやヒルやヒメタニシ,コィ,フナなどが生息する。
 強腐水性(BOD=22mg/l以上):大変汚い水で,イトミミズやセスジユスリカなどは生息できるが,魚類は普通みられない。

図29 貧腐水性水域に生息する魚

X 弁天様と水
      (平成25年1月20日,栗田彰氏)

 弁天様は幸運や財宝をもたらす神様であると信じられているが,実は水の神様でもあります。東京周辺の弁天様を訪ね歩いた講師に,そのアラカルトを語っていただきました。

弁財天の由来と性格
 一般には弁天様と云われています。梵語のサラスヴァティーから派生しており,これは「水をもつもの」の意であり,「川や池や湖などを含めた水を神格化した女神」を指す言葉です。元々はインドの古くからの神であるが,仏教では仏を守る神のひとつとされています。日本では七福神の一つとして信仰されています。
 とうとうと流れる川がよどみない弁舌や音楽を連想させるためか,学芸の女神として信仰されるようになったが,この場合は「弁才天」と書くとか。琵琶を持って音楽を奏でている姿は,これに由来します。
 また,インドの聖典『リダ・ヴェーダ』に「サラスヴァティーは世界の富を知りて」とか「サラスヴァティーは富を伴侶とし」との記述があることから,財福の神としての性格も有しており,この場合は「弁財天」と書くとか。

弁天様のいろいろ
 琵琶湖の竹生島,鎌倉の江ノ島,広島の宮島,松島の金華山それに奈良・吉野の天の川の弁財天は五大弁財天と称されています。弁財天の多くは,川辺,湖辺,海辺あるいは洞窟内の祀堂に置かれています。
 個人の屋敷内の弁天様:小平市内でいくつか確認(水の恵みへの感謝),池上本門寺の近所の屋敷内。
 鎌倉の宇賀福神社の銭洗弁天:巳の日に境内の湧き水で貨幣を洗うと,銭が福銭となり2倍の効力を発揮するとされています。水との関わりを強く感じさせます。ここの弁天様は,神道の宇賀神(功徳が弁財天と似ている)と習合して成立した宇賀弁財天(頭上に蛇身の宇賀神王をいただいている)です。
 江ノ島の弁天様:「552年4月に大地震がおこり,海上に小さな島が顔をのぞかせた。それが現在の江ノ島である。そこに天女が降臨し,それが弁財天である」と,謡曲にも謡われています。裸身で琵琶を奏でているお姿です。
 不忍池の弁天様:上野の寛永寺が創建(江戸時代初期)された後,琵琶湖の竹生島にならって不忍池に島を築き安置されたものです。
 神田上水と弁天様:井の頭池,善福寺池(市杵島姫神社),妙正寺池。
 水源や池に祀られた弁天様:清水窪弁天(大田区),洗足池弁天(大田区),三宝寺池弁天。
 洲崎の弁天様:深川洲崎弁天,羽田弁天(移転し,現在は玉川弁財天と称す。護摩を焚いた後の灰を固めて造った姿)。

図30 洲崎弁天社(江戸名所図会)

 岩窟の弁天様:威光寺弁天(稲城市),鷭龍寺弁天(目黒区),本所一つ目弁天(神社の境内に造った岩屋内)。
 神社の弁天様:鶴岡八幡宮の旗上弁財天社(着衣の姿),品川神社の清滝弁天,愛宕神社の弁天社(字賀御魂神)。

Y 水琴窟を訪ねて
      (平成21年2月7日,中村隆一氏)

はじめに
 近年,水琴窟が奏でる「ピチャピチャ,コロコロ,ピチャーン」という澄み切った幽玄な音色が癒しの時代に適合するのでしょうか。TVや新聞などのマスコミが取り上げ,ちょっとした水琴窟ブームになっています。しかし,実を言いますと,30年前には広辞苑をはじめとしてどの百科辞典にも「水琴窟」の記載はありませんでした。江戸時代の初期に考案され,昭和の初めまで継続していたにもかかわらず,戦中・戦後,しばらくは忘れ去られていたのです。
 一般の人々に水琴窟の存在が広く紹介されたのは,昭和58年に朝日新聞の東京版に「水の音色,江戸の風雅,旧吉田記念館」という記事が掲載されたのが最初でしょう。旧吉田記念館は旧安田財閥・安田善次郎の甥・善助氏によって昭和2年に建てられたものですが,その後人手(吉田氏)を経て,品川区がこの家を買い取って歴史館を造りました。この旧吉田邸には立派な日本庭園がありました。そして,かつてこの家を訪れたことのある人の口から,たしか「水琴窟」という風変わりな仕掛けがあったという話が出て,庭を調べてみることになったのです。これが水琴窟の発掘・復元の始まりであると云われています。昭和初期までは,水琴窟を自邸に設置する風雅の趣向が残っていたようです。
 演者は今までに,水琴窟ブームの発端となった「品川歴史館(旧安田邸)」や「旧今井家」をはじめ,「木曽古文書歴史館」,「大橋家苔涼庭」,「深田邸」などの多くの水琴窟を直接訪ね,その由来を聞き,その音色を自分の耳で確かめ,その都度探訪記として纏めてきました。ここでは水琴窟の由来,日本人独特の音感覚との関連,ならびに新しく造られたものではありますが印象に強く残っている浅川水再生センター(東京都日野市)の水琴窟に絞って述べることにします。

水琴窟の由来と復元・新設
 江戸時代の初期から中期にかけて,江戸の庭師が豪商の庭を造っていく中で,粋を凝らし,贅を尽くす−目立たない所に贅を凝らす−ことを自慢しあっていた金持ちの商人たちには,「水琴窟は格好な対象」であったと思われます。
 これは,江戸の町人文化がもたらした遊び心,私的な密やかな楽しみの世界なのではないでしょうか。だから,公式な文献も図面も残っていないのです。
 水琴窟は,「洞水門」と云われるものがその原型だと考えられています。成立の経緯を推測すれば,雪隠などから出てきて縁先の手水鉢で手を清めます。ところが縁先であり,茶室の側でもある場合,水をただ捨てたままの状態にしておくのは具合が悪い。そのため,排水機能としての洞水門が考えられたのではないでしょうか。構造は,瓶を逆さにして土中に埋め,上部に穴を開け,その穴から水が流れ込み,土に染み込みます。この土に染み込ませる機能だけのために造られていたのが,ある時,音が出ている事に気付き,それが粋,わび,さびといった風雅の境地に進んでいったものと思われます。特に茶会とか句会のような大勢の人々が集まるような時には,手水から水が沢山流されるので,排水設備が必要になってきたのでしょう。とすれば,これは下水道の一種であると考えられます。
 現在,全国に200余箇所あります。都道府県別では愛知県が最も多く,次いで岐阜県,東京都,京都府の順になっています。そのうち江戸時代に造られたものは,わずか16箇所です。近年,新開,TVなどに取り上げられるようになってから,新設,復元共に急増する一方で,創作水琴窟とか室内水琴窟あるいはそれを発展させた壷中琴といわれるタイプも出現しています。

小堀遠州創案の洞水門
 水琴窟の原型といわれるものを小堀遠州が18歳の時に創案したと云うことが,遠州の門弟である村田一斎の門人・桜山一有が書き残した記録に載っています。その当時の蹲踞の下は水吐けが非常に悪く,蹲踞を使うと水が溜まり,泥を跳ねてしまうので,なんとか水が流れるようにしようと考えた遠州は,下に瓶を埋め,そこに水を落すということを考え付いたのです。この排水設備こそが洞水門であり,水琴窟の原型ということになります。

日本人の音感覚が生み出した水琴窟
 水琴窟を生み出した日本人は,虫の声とか松風といった自然界の音を愛でるという習慣があります。このことは,ヨーロッパ人はもちろんアジア,東洋人にもない習性だそうです。虫の声は,日本人以外の民族には単なる雑音でしかないそうです。二つ以上の音の関係,つまり音楽でなければ彼らは楽しめないと云われます。そこへいくと,日本人は単音でも音色に反応します。音,響きそのものが嗜好の対象になっているのです。響きへのこだわりという日本人独特な音の受容の仕方,或いは感性と云いますか,それが水琴窟を生み出した源泉ではないでしょうか。

甦った浅川処理場の水琴窟の音色
 今回再訪して驚いたのは,日本庭園が出現していたことです。ビオトープとは柳の木で遮られ,そこからは長方形の敷石が続き,やがて丸みのある飛石になっています。盛り土されて少し傾斜した飛石道を上っていくと手水鉢(蹲踞)があり,玉石を囲んで投石,竹製の鑓水(筧)が配置され,そのうしろに景石がズシリと置かれています。さらに細く真っ直ぐに伸びた4,5本の北山杉が全体の景観を引き締めています。これこそ典型的な日本庭園の水琴窟です。処理場の方によると,水琴窟が壊されて修復するに当たって,最初の欠点を洗い出し,徹底的に検討したそうです。音が響かないことや瓶の中の水位が変動することなど 。そして,決定的に違ったのは新たに施工を担当したのが,処理場の植栽を受持っている造園業者で,その会社の社長さんは庭師さんで「若い頃に水琴窟を造る手伝いをしていたことがある」と云っていたそうです。社長さんの入れ込み様は大変なもので,まず自宅の庭にそっくり同じ水琴窟を造り良い音がするのを碓かめてから,自ら指示をして浅川処理場に水琴窟を設置したそうです。確かに,以前のものの昔とは雲泥の相違で,余韻を伴った良い音で鳴っていました。この水琴窟の音をデジタルで収録した30種類ほどのサンプルをCD−Rにコピーしたものをお借りして聴きましたが,同じ音のするものは全くありませんでした。水琴窟の音は,自然が作り出す「自然音」なのです。

図31水琴窟のしかけ