屎尿・下水研究会

TOP

屎尿・下水研究会の概要

お知らせ

発表タイトル

特別企画

企画図書類

更新履歴


読み物シリーズ


シリーズ ヨモヤモバナシ



環境講座(7)

企画:屎尿・下水研究会

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

下水道に関する講話(3)

Y 古代遺跡にみる上下水道
     (平成24年12月16日,中西 正弘 氏,清水 洽 氏)

 日本とイタリアの古代遺跡を実際に訪ね,上下水道遺構を巡った探訪談です。中西氏からは奈良・明日香村の飛鳥寺酉門跡から出土した日本最古と思われる水道管について,また,清水氏からは古代ローマの上下水道施設について紹介してもらいました。

飛鳥寺西門跡の遺跡
 遺跡の案内板には「寺の西門の西には塀があり,土管をつないだ上水道が埋まっていた」とあり,その添付写真には塀の外側に土管が10数m直線に並んで発掘された様子が写っていました。また,あるホームページにこんな解説が載っていました。「飛鳥寺跡から1996年に日本最古と思われる土管が2種類出土した。一つは長さ51cmの灰色のもの,もう一つは長さ51cm。広口外径18cm,細口外径11cm」。これらの土管は朝鮮半島から伝来した技術で作られたもので,瓦を作るときのように円筒模骨に粘土紐を巻きつけて製作したものと,円筒埴輪のように粘土紐を輪積みにして製作したものとがあると云います。
 また,この土管と平行して幅1.2m,深さ15cmの石組溝が発掘されているが,こちらは排水路とみられています。

土管は水道管か?
 発掘した明日香村教育委員会の見解は,「この土管の内径は10cmほどで,下水を流すと詰まり易く,下水道管とは考え難いので水道管とした」と云うことでした。そして,「飛鳥寺西門の北側,南側でも同じような土管が発掘されており,これらは南北に一直線に並んでいるので,つながっていた可能性が高い」と云う。では,この土管の水道は何に使われていたのだろうか? たぶん,この遺跡の近くにあった水時計や広場にあった噴水などへ自然流下で給水されていたのではないだろうか。

上水銅管も出土
 飛鳥寺西門跡から北へ300mほど行くと,水時計遺構で有名な水落遺跡があるが,ここで上水銅管が出土されています。案内板には.「土管水道から導かれた水を水時計に引く部分には,上水鋼管が使用されていた」とあります。上水銅管は,銅板を丸い棒に巻いて筒状にし継ぎ目を溶接して作ったものと思われます。

ローマのヴェルジネ水道
 古代ローマの首都ローマの6番目の水道で,BC21〜19に建設されたものです。テヴェレ河支流のアニオ川の清流が水源で,導水距離約20kmのほとんどが隧道です。17〜18世紀に再整備され近代ローマ市の水道となり,今でもトレビの泉の水源となっています。

ローマのクロアカ・マキシム
 紀元前600年頃より建設が始められた,ローマの低地を排水・干拓する目的で造られた大下水溝です。当初は開水路であったが,その後蓋がかけられました。ローマで最初の水道であるアッピア水道の建設(BC312年)よりもかなり早い時期に建設されています。後年,下水が流されるようになったが,現在は雨水渠として利用されています。

図22 ローマ時代の腰掛け式水流便器

オスティア(古代ローマの港町)の水洗トイレ遺跡
 オステイアには公共広場,神殿,円形歌劇場,公共浴場,商店街など古代ローマの遺跡が一通り揃っており,公共水洗トイレの遺跡もほぼ完全なかたちで残っていました。大理石の台座や化粧タイルの装飾が施された壁があり,その前面にはかつて水が流れていた水路がありました。スポンジ状の海綿をつけた棒が備えられ,トイレットペーパーの代わりに尻の洗浄に用いられていたと云います。オスティアの水道管は鉛製で今回の,見学中にも何ヶ所かで銘の付いた水道鉛管を見ました。

ポンペイ遺跡の水道と水洗トイレ
 79年のヴェスヴィオ火山の大噴火により,一瞬のうちに厚い火山灰で埋もれたのがポンペイの遺跡です。今回は排水路やトイレの遺構を見ることはできなかったが,資料によると,ポンペイの住居にはトイレが水洗式であったらしい形跡があり,水洗排水は歩道の下に設けられたピットに貯留され,そこで分解浸透処理されていたのではないかと云います。また,水圧が十分にあったので二階にも給水できたようで,二階から下りてくる排水管が多く見つかっているとのことです。


Z エクアドルの水
      (平成25年2月17日,福田寛允氏)

 2009年3月から2年間,JICAのシニアボランティアとしてエクアドルに滞在した講師から,エクアドルの下水道を主とした水事情についての話を伺いました。

エクアドルの紹介
 南米の赤道直下にある国で,日本の2/3ほどの面積に1,400万人が暮らしています。山(アンデス山脈)あり,海(太平洋)あり,ジャングル(アマゾンの上流)ありで,さらにダーウィンの進化論で有名なガラパゴス諸島も含まれています。首都キト(200万人)は山岳地帯(シエラ)の盆地にあり,年間を通して春のような気候です。港町グアヤキル(220万人)に代表される海岸地帯(コスタ)は,気温は高いが寒流の影響で比較的しのぎやすいです。ちなみに,ハチドリはエクアドルのシンボル的な鳥です。
 首都キトはインカ帝国第二の都のあったところで,1531年にスペイン人によって征服され,1822年に独立するまでスペインの統治下におかれていました。
 現在の人口はメスティーソ(混血)が約8割で,ほかに少数の先住民,黒人などがいます。人口の半数はシエラに住んでいます。主要な産業は農業,水産業,石油産出で,現政府は石油販売で得た金を低所得者層に配分する政策をとっています。基軸通貨は米ドルだが,アメリカには反抗的です。
 日本のODAは,貧困対策,環境保全,防災の3分野について協力する旨の覚書を交わし,これまでバナナ・花卉栽培,エビ養殖,水産加工や石油採掘に対して協力してきました。ただし,現在,石油採掘からは撤退しています。

上下水道事業の状況
 コスタ地方の経口感染症の蔓延と上水源となるべき湖沼の全国的な富栄養化は,深刻な問題を提起しています。
 都市部における2003年時点での水道普及率は97%,下水道普及率は72%です。下水道事業の課題は処理施設の建設にあります。
 水環境の保全に関する各種法律には理念だけしか述べられておらず,具体的な基準はエクアドル衛生事業協議会(1965年設立)が上梓した「上下水道設計基準」に水道水質基準や上下水道施設の設計基準が定められています。
 1992年までは,この衛生事業協議会が全国の上下水道事業を主導していたが,資金源の石油輸出が滞ったため行政改革が実施され,現在では地方政府に事業の実施が委譲されています。主要な地方政府は公社を設立して,上下水道事業を行なっています。
 さらに,2001年より「中小規模の自治体の上下水道サービスに関する技術的支援計画」が開始されました。私が派遣されたエスタド銀行(公共投資銀行で,資金と技術で支援する機能をもつ)が代行している中小規模地方政府への技術支援は,この「支援計画」が根拠となっています。
 一方,キト,グアヤキル,クエンカ(50万人)の3大都市では,それぞれ独自の技術力で上下水道事業を実施しています。  現在稼動している下水処理方法は散気しないラグーンが主流であるが,最近では散気ラグーンや土壌処理も採用されています。これは「下水処理水の放流基準をBOD 1OOmg/L」と定めていることにあります。キトでは未処理下水を深い谷底に放流しています。

技術支援の内容(提言,講演,助言,投稿)
 今後のエクアドルの下水道整備に対する提言を行なったほか,エスタド銀行の行員を対象として7回にわたって講演会を開き,
@ 下水道建設における日本の経験(関係法令の整備,施設整備資金の調達,技術者の育成,下水道の効果)を紹介する 
A 下水道事業を行なうにあたっては,山岳地帯の人口が多いこと,都市への人口集中がまだ続いていること,電力が不足しかつ地価が安いことなどから,用地型の処理施設の採用を勧める
B 未処理下水の閉鎖性水城への放流が富栄養化を促すこと」こついて考えを述べる 
C高級処理方法(活性汚泥法,好気性ろ床など)を教示し,中級処理以下の処理施設(ラグーンなど)の改善手法を示す などの情報提供を行ないました。
 個々のプロジェクトに対しても,建設中のイムホフタンクへの助昔,腐敗したラグーンの改善方法の提案,ベットタウンの下水道計画への助言,小集落からの下水放流が農業用ダム湖の富栄養化を招いた事実を指摘し,観光資源としての湖の水質改善方法の提案 などを行ないました。
 さらに,日本と同様,火山噴火や地震が多発する国土であることから,「地震の発生に備えよう」,「地震と下水道」などの論文を地元の業界誌や大学紀要に投稿し,いくつかの対策案を提示しました。

エクアドルの生活実態の紹介
 キトをはじめ各地の街並みを紹介しつつ,それぞれの地域の水処理事情(未処理放流が多いこと,あるいは施設を造っても維持管理が不十分であること)や行事・生活実態などの説明がありました。

Z 下水道マンの東京散歩
      (平成24年1月22日,高橋敬一氏,小松建司氏,地田修一氏)

 席上配布した屎尿下水研究会・文化資料−4「下水道マンの東京散歩−職場界隈探訪−」のエッセンスを,取材にまつわるエピソードを交えて三人の分担執筆者に語っていただきました。

1.絵地図にみる森ヶ崎界隈の今昔;(明洽32年に鉱泉が発見され保養地となり,関東大震災後「三業地」に変貌し,戦後は戦災者や引揚者の寮となっていた界隈(大田区)である。)
 海苔養殖,干拓地,海水浴場,鉱泉の発見,養魚場,文士村,飛行機の墜落,鉱泉街の衰退,漁業権の放棄,森ヶ崎処理場,海面埋立て。
2.白鬚西ポンプ所界隈の今昔;(汐入大根や胡粉作りで知られた近郊農村であったが,明治維新後物流の拠点となり,やがて繊維工場やエネルギー産業が進出してきた。その後,産業構造の変化を受け再開発事業が進行している界隈(荒川区)である。)
 汐入集落,胡粉作り,隅田川貨物駅,ドッグと舟運,ガス工場,火力発電所,毛織物工場,紡績工場,南千住ポンプ所,橋場ポンプ所,汐入ポンプ所,紡績工場の衰退,貨物駅の縮小,再開発と防災拠点,スーパー堤防,下水道施設のリニューアル,自鬚西ポンプ所。
3.明石・築地界隈の今昔;(江戸初期に隅田川河を埋立てて出来た築地(中央区)は,維新後,外国人居留地となった。ミッションスクール発祥の地であり,異国情緒の豊かな界隈であった。)
 中央出張所,箱崎ポンプ所,運上所,築地の居留地,ミッションスクール,解体新書の記念碑,指紋捜査の記念碑,ウサギ飼育のバブル,運河の埋立て,明石町ポンプ所。
4.浮間・舟渡界隈の今昔;(桜草の名所であった一面の葦原が,荒川の河川改修に伴い造成され,宅地と工場とが混在する工場地帯に変貌していった(北区)。)
 浮間ヶ原,河岸,桜草,荒川の河川改修,浮間地区の埼玉から東京への編入,新河岸川の延伸・開削,宅地化と工場の進出,新河岸川浄化対策,浮間ポンプ所,新河岸東処理場(現 浮間水再生センター)。
5.小松川界隈の今昔;(小松菜の生産で知られる中川と江戸川の三角州から成るこの界隈(江戸川区)は,荒川放水路の開削により分断されてしまった。)
 三角州,御鷹場,小松菜,日本一の葦,小名木川,新川,舟運,荒川放水路の開削,閘門,工場の進出,舟運の衰退,遅れた下水道事業の進捗,東小松川ポンプ所,西小松川ポンプ所,小松川ポンプ所,新川ポンプ所。
6.高島平界隈の今昔;(板橋の宿から始まる川越街道沿いの武蔵野台地とその崖下に広がる低地を訪ねた。この地ゆかりの童謡詩人・清水かつらにも触れる。)
 川越街道,板橋の宿,松月院,高島秋帆記念碑,赤塚不動の滝,東京大仏,赤塚溜池公園,ハケ田道,前谷津川.水車公園,徳丸が原の開墾,新河岸川,浮間処理場,工場排水の水質料金制度,清水かつら,成増童謡まつり。
7.杉並南出張所界隈の今昔;(井伏鱒二「荻窪風土記」や大岡昇平「武蔵野夫人」の舞台である,善福寺川,神田川,玉川上水の3流域を横断的に踏査した(主に杉並区)。)
 松渓公園,杉並南出張所,善福寺川.荻窪風土記,スワール,郷土博物館,荒玉水道道路,大宮八幡宮,甲州街道,神田川,玉川上水,井の頭池,武蔵野夫人。
8.八王子界隈の今昔;(桑都と言われた八王子と港町・横浜を結んでいた浜街道(一名「絹の道」)を辿り,養蚕の盛んな頃を偲んだ。歩いてみて始めて知ることの醍醐味を実感した。)
 桑都, 生糸,織物,南多摩処理場,多摩ニュータウン,小泉家(元養蚕農家.都・文化財),浜街道(絹の道),鑓水商人,絹の道資料館,道了堂跡,も三角点,郷土資料館,片倉製糸,消防自動車。
9.本郷・菊坂界隈;(文京区本郷の菊坂界隈にかつて住んでいた文学者たち(一葉,賢治,逍遥,啄木,秋声)の旧跡を訪ね,彼らの日常の姿を追った。)
 後楽ポンプ所,湯島ポンプ所,菊坂通り,作家の旧居(樋口一葉,宮沢賢治,坪内邇遥.石川啄木,徳田秋声),林芙美子の足跡,本郷館,蓋平館,菊富士ホテル,馬つなぎ場。
10,みやぎ水再生センター界隈の今昔;(かつては煉瓦の生産地であり,現在はワシントンから里帰りした桜で知られる「みやぎ」界隈の地名の謂れを探った(足立区)。)
「みやぎ」のいわれ,荒川堤の五色桜,豊島の渡し,小台の渡し,ポトマック川の桜,里帰りした桜,荒木田,煉瓦の生産,煙害,畑土の売却,村の半分が池,工場の進出,処理場の建設計画,小台処理場(現みやぎ水再生センター)。
11.向島界隈の今昔;(荷風の小説「?東綺譚」や滝田ゆうの漫画「寺島町綺譚」に措かれている墨田区東向島を追体験するとともに,墨堤通り界隈を探訪した。)
 玉の井,もう一つの「おはぐろどぶ」,永井荷風,滝田ゆう,ラビラント.墨堤通り,墨田ポンプ所,隅田川神社,木母寺,撮影所跡,白鬚橋,小松島遊園,長命寺の桜餅,業平橋ポンプ所,ビール工場。
12.神谷ポンプ所界隈の今昔;(鎌倉から奥州へ通じていた古道・鎌倉街道中の道の宿場であった北区岩淵町界隈を巡り,新旧の岩淵水門を目の当たりにした。)
 志茂ポンプ所,神谷ポンプ所,奥州道,志茂銀座通り,岩淵宿,町名存続之碑,鎌倉街道,岩槻街道,岩淵河岸,舟橋,岩淵水門,荒川知水資料館,草刈の碑。
13.流域下水道本部界隈の今昔;(地元のアマチュア日本画家が明治後期に描いた「立川村十二景」の界隈を諸文献の記述を基に追体験した。)
 立川村十二景,甲武鉄道,若山牧水の歌碑,所沢街道の八店,立川飛行場,昭和記念公園,柴崎用水,鮎漁,筏乗り,日野の渡し,日野橋,砂利の採掘,錦町処理場,親水公園,モノレール。 14.芝浦水再生センター界隈の今昔;(旧品川浦から芝浦・高輪海岸の埋立地を訪ね,品川駅の ホームが海の中に造られたことを知った(品川区,港区)。)
 江戸切絵図,品川駅,旧品川宿,旧品川浦,御殿山下台場跡,目黒川の改修,芝浦・高輪海岸埋立,芝浦第三号埋立地,芝浦処理場。

図23 芝浦処理場のシンプレックス式曝気槽

15.砂町水再生センター界隈の今昔;(江戸時代に埋立・開拓された江東区の砂町・深川地区は掘割が縦横に走っていた界隈であるが,その今昔を巡った。)
 小名木川,閘門,船番所,砂村新田の開発,元八幡,野菜の促成栽培,旧大石邸,精製糖発祥之地碑,金魚池の跡,旧葛西橋,砂町処理場,州崎球場,工場の移転と住宅団地の建設,ウオーターフロシト開発。
16.三河島水再生センター界隈の今昔;(吉村昭の歴史小説「彰義隊」をガイドブックとして,小説の舞台である荒川区三河島界隈を追体験した。)
 彰義隊と上野戦争,吉村昭の小説「彰義隊」,輪王寺宮の潜行経路,小説に登場する三河島界隈,寛永寺,江戸道,藍染川の分水路,三河島処理場ポンプ場の重要文化財指定。

図24 現在の三河島処理場

17.都庁界隈の今昔;(新宿駅西口界隈の都市計画図(昭和9年)を縦糸に種々の引用文を横糸にして,新宿副都心の昔の姿を再現した。)
 昭和9年の新宿駅西口界隈の都市計画図,淀橋浄水場,学校,煙草工場,写真工場,火除けの原,小田急線,京王線,築山の六角堂,新宿副都心,都庁舎,かつての制水弁,新水路のあった土手を潜る道路,春の小川のモデル。
18.銭瓶ポンプ所界隈の今昔;(東京駅にほど近い銭瓶町ポンプ所界隈(日本橋,神田,秋葉原)を巡り,今でも現役で活躍している東京の近代下水道発祥の施設や設備を探る。)
 銭瓶町ポンプ所,旧常磐橋,常盤小学校,日本銀行,三越,照代勝覧(きだいしょうらん),三井本館,エレベーターゲージ,日本橋,老舗,十軒店,神田下水,和泉町ポンプ所。


\ 水再生センターに集まる鳥たち
      (平成26年2月16日,水口忠行氏)

 野鳥の会の会員である講師に,水再生センターやその放流水城に飛来してくる野鳥との驚きの出会いを語っていただきました。
 世界中には9,000種の野鳥がいるが,このうち約350種が国内に生息もしくは定期的に見ることができます。身近な家の周囲ならスズメ,ハト,カラスが,季節によってはヒヨドリ,ムクドリが見られます。高原や草原に行けば,ノビタキ,コヨシキリの姿を目にできます。
 桜や梅の花の蜜を吸いにメジロ,ヒヨドリが,柿の実にはムクドリやジョウビタキが群れます。ウグイスやムシクイは葉が茂ったところや藪を好むので声がしてもその姿をとらえることが難しい。初冬にはイヌワシ,クマタカが大空を飛ぶ姿が見られる。山地の森ではコルリ,コマドリと,渓谷ではオオルリ,ミソサザイと出会えることができます。
 淡水域の水面ではカモ,パン,カイツブリが,水際にはセキレイ,チドリ,サギが見られ,また,干潟ではシギ,チドリがカニやゴカイを食べに集まります。冬の海岸の代表はカモメ類です。
 新河岸水再生センター:カモメ,オナガガモ,カルガモ,コガモ,ハシビロガモ,ヒドリガモ,マガモ,ヒヨドリ,ムクドリ,オナガ。
 浅川水再生センター:ハクセキレイ(雛や卵を守るために親鳥が傷ついているように動き回り敵の注意をそらす「擬傷」の習性がある),アオサギの若鳥の魚採り。
 砂町水再生センター:数百羽のカワウ(冬の砂町運河),キンクロバジロ,ゴイサギ,カワセミ。
 荒川左岸流域下水道処理場:放流先の荒川河川敷の野火の後の焼け野原で,カシラダカ,ツグミ,アカハラ,シロハラが餌をついばんでいました。
 八王子水再生センター:オオタカがクロツグミを狩りする情景を目撃しました。メジロは枝の間に細い植物質などをクモの糸で絡めた小さなお椀型の巣を件ります。
 南多摩水再生センター:高い木の上でアオサギの寝床を発見しました。近くの木にも5羽ぐらいの仲間がおり,コロニーを作っていました。

図25 南多摩処理場

 中川水再生センター:アオサギが池の鯉を狙っているのに遭遇しました。池のふちに止まって身動き一つせずに数十分間。さっと嘴を池に入れたかと思うと,なんと40cmを越える大きな鯉を捕らえ,草の上へ放り投げ,暴れる鯉を頭から飲み込んでしまいました。しばらくじっとしていたが,やがて川の方へ飛んでいきました。
 マンション横のケヤキ:ハシブトガラスの巣が強い風で落下し,木でできた巣の下には大量の色とりどりのハンガーが残されていました。
 浮間公園:北風が強く吹く日に,同じ様に風上に向くオナガガモの群に出会いました。
 野鳥の見分け方:くちばし,尾,翼,色彩模様,大きさなどのほか,とまり方,尾の動き,飛び方,歩き方.声,採食,水浴びや砂浴びの様子などを記録します。
 例:コゲラは樹をまっすぐ上へ昇り,キバシリはらせん状に昇り,ゴジュウカラは逆さになります。モズは円を描くように尾を回し,セキレイは大きく上下に,ジョウビタキは細かく上下に動かします。スズメやカモは翼を規則的に動かし真っ直ぐ飛び.セキレイやヒヨドリは,はばたきと滑空を交互に繰り返す波状飛行を行ないます。カモやキジは両足を交互に動かして歩き,スズメやホオジロは両足を揃えてぴょんぴょんと跳ねて進みます。水浴びや砂浴びは,羽毛を清潔に保つために行ないます。水浴びには,浅瀬で暴れるように浴びる小鳥型,ゆっくりと浸かるように浴びるハト型,飛びながら瞬間的に水に入るツバメ型,水面に浮かんでバシャバシャ浴びるカモメ型などがあります。キジやヒバリは砂浴びを行ないます。
 自宅へ鳥を呼ぶ:自分の庭に鳥を招くのも,じっくりと生態を観察できるので楽しい。食物が少なくなる冬場をねらって,食物(リンゴなどの果物)と水を用意しておくだけでよい。