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有料トイレの系譜 〜主に博覧会・共進会の高等便所〜

講話者 山崎 達雄**

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

新しい形の公衆トイレ

「オアシス@akiba」は,東京・千代田区が8年前に設置した100円トイレ(スタッフが常駐)です。JR秋葉原駅前にあり,1日当たりの利用者は男性200人,女性40人ほどです。経営的には赤字ですが,2020年の東京オリンピックに向けて改善を考えているとのことです。
 長野県・軽井沢の観光会館にも100円トイレがあります。1日当たりおよそ140人の利用者があり化粧室,着替え室もあります。
 名古屋駅の近くに10円トイレがありますが,料金を入れる人はほとんどいないようです。
 近年,コンビニのトイレが開放され,以前より困ることは少なくなりましたが,5年後の東京オリンピックをひかえ,おもてなしの一番の基本である排泄空間について,その質の一層の向上が求められています。排泄に際し対価を支払う有料トイレも,その役割の一翼を担うと思います。  有料トイレの歴史をたどり,それらの設けられた時代や背景等を考察することが「快適な公衆トイレ」造りに繋がれば幸いです。

第五回内国勧業博覧会

 江戸落語の『開帳の雪隠』や上方落語の『雪隠の競争』は,花見の名所等で他人の貸雪隠に一日中入って,自分の貸雪隠にお客を導き儲ける臭い話です。この近世の貸雪隠を除けば,明治36年(1903)に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会の高等便所が,日本で最初に設置された有料の公衆トイレです。

表1 内国勧業博覧会の開催状況


図1 絵葉書 第五回内国勧業博覧会 3枚綴りの絵葉書は珍しい。

 内国勧業博覧会は,明治10年に東京の上野で初めて開かれましたが,当時の内務卿大久保利通がウィーン万国博覧会を参考に産業の振興のために推進したものといわれています。内国勧業博覧会は,生産物や製品等の優劣を競うことにより,出品者の技能を奨励し,農林水産業や工業等の振興を図るものです。その後,太政官布告により概ね5年毎に開催されることになり,第二回内国勧業博覧会が明治14年に,第三回内国勧業博覧会が明 治23年にそれぞれ東京で開催されています。第四回内国勧業博覧会は,平安遷都千百年の記念事業として明治28年に京都の岡崎で開かれています。第五回内国勧業博覧会は,当初は明治33年に開催される予定でしたが,この年にパリで万国博覧会があるため,明治36年に延期されています(表1)。
 大阪は,明治維新以降大きなイベントを誘致できておらず,第五回内国勧業博覧会の開催は悲願であり,東京と厳しく競った結果,大阪での開催が決定されます。博覧会の成功にかける大阪の意気込みは高く,会場には天王寺(現在の天王寺公園・動物園とその周辺)が予定され,京都の岡崎の第四回内国勧業博覧会に比べて約2倍の広大な面積が用意され,堺にも第2会場(水族館)が準備されています。開催期間も前回の京都に比べて1ヶ月も長い,3月1日から7月31日まで予定されています。出品の優劣を競う従来の博覧会よりも,むしろ「祭り」としての色彩を強め,パリ万国博覧会で好評であった無線通信や]光線をはじめ,顕微鏡反射鏡,天然彩色写真実態鏡,月世界望遠鏡により不可思議な世界に誘う不思議館,動物の生態を見せる余興動物園,更には珍しいウォーターシュートやメリーゴランドなども設けられました(図1)。
 博覧会の規模や出品数,その内容から,第五回内国勧業博覧会は日本で初めての万国博覧会といわれています。多数の入場者が予想され,伝染病予防の点から汚物処理等の衛生面に十分注意を払う必要がありました。

第五回内国勧業博覧会の公衆トイレ

 博覧会の公衆トイレといえば,1851年(嘉永4)に開催されたロンドン万国博覧会では男子用22ヶ所,女子用47ヶ所の有料の水洗公衆トイレが初めて設置され大好評でした(『水晶宮物語』松村昌家著)。
 第五回内国勧業博覧会では,高等便所と呼ばれた有料の公衆トイレが日本で初めて登場しています。当時刊行された博覧会の案内書や案内地図により,高等便所をはじめ場内のトイレの様子をみてみましょう。
 金港堂が発行した『第五回内国勧業博覧会総説博覧会案内』には,会場内の公衆トイレについて「事務局に於いて公衆便所を設けず。これを私設の営業に許したり。その設営に係るもの総べて十数所あり。普通便所の使用はこれを無料として公衆の便に供し,別に中等上等高等の区別を設け,以てこれを賃貸す。高等便所には化粧室等の設けありて紳士貴女の便に供せり」とあります。博覧会としては初めての試みですが,大阪の北野徳三郎氏に,有価物であった場内の屎尿の処分を任す代わりに公衆トイレの設置と管理を行わせたものです。
 同じく金港堂が発行した『博覧会手引』の観覧者心得によれば,会場内のトイレは「高等便處(洋式)」,「上等便處 日本式」,「中等便處 日本式」,「無料便處」の4種類です。また,『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』(山田鎗之助著)では,「場内営業の雑部」のなかで「高等便所 普通便所 十四ヶ所 北野徳三郎」とあり,『第五回内国勧業博覧会案内記』(芳文社発行)では「高等休憩所 大阪北野徳三郎」とあります。
 地図関係では,大阪朝日新聞の附録として発行された『第五回内国勧業博覧会案内』では「高等便所」,『第五回内国勧業博覧会平面図』においては「休憩所 高等便所 北野」,実業世界太平洋臨時増刊の附録である『第五回内国勧業博覧会全図』では「休息 北野」と書かれています(図2)。

図2 第五回内国勧業博覧会案内図等に描かれた高等便所

 これらから考えると,第五回内国勧業博覧会の高等便所は有料の公衆トイレというよりは,むしろトイレのある有料の休憩所と考えた方が適切かもしれません。高等便所の場所は会場正門から奥まった博覧会式場の近くで,その辺りには美術館や楊柳観音座像噴水があり,博覧会の中心部の一つです。日本全国書画倶楽部と料理店に鋏まれる形で,「休憩所 高等便所 北野」が営業しています。
 なお,水槽に「魚介禽獣」を放って見せる水族館がある堺の第2会場にも,「高等洋式便處 一ヶ処 日本式 同 一ヶ處 無料 同 二ヶ處 合計 四ヶ所アリ」(金港堂発行の『博覧会手引』)とあり,洋式と和式の高等便所各1ヶ所が設けられています。

洋式の高等便所,和式の上等便所・中等便所

 高等便所は,金港堂の『博覧会手引』によれば,「紳士及夫人用ニシテ,特ニ夫人ニ限り化粧室アリ」とあります。高等便所には洋式の男子用便所と婦人用の便所が別々に設けられ,婦人用の便所には洋式の化粧室が備えられていました。使用料金は,男子は10銭,女子は15銭です。
 上等便所と中等便所は,「右ハ十ヶ処アリ,各一棟ニシテ,内ニ等区別アリ。但シ上等ニハ日本式化粧室アリ」(『博覧会手引』)とあり,1棟の建物を区分して,上等便所と中等便所が設けられました。いずれも日本式で,上等便所には日本式の化粧室が用意されています。使用料は,『博覧会手引』には記載されていませんが,後述の日出新聞(現在の京都新聞)の記事から推定すると,1,2銭と思われます。
 上等・中等便所は,会場内に10ヶ所設置されました。『第五回内国勧業博覧会案内』(大阪朝日新聞付録)に工業館の近くなどに洋式便所の記載がありますが,これが上等・中等便所と思われ,無料便所は会場内に6ヶ所設けられています。

高すぎて,敬遠された高等便所

 第五回内国勧業博覧会において日本で初めて生まれた有料トイレですが,使用料が高すぎて敬遠され利用されることは少なかったようです。
 日出新聞は,明治36年(1903)4月27日付けに,新聞記者が博覧会を取材した「博覧会雑観」を掲載しています。そのなかで,「有料便所は,従来に例なきことであれば,彼れ是れ小言のあるも尤もであるが,また一方より考えれば,当今の時勢は,斯ることも今後追々行はるゝことであろう」と紹介しています。
 記者は,有料の公衆トイレを会場内に設置したことは,いろいろ批判はあるかもしれないが,時代の趨勢であると肯定しています。続けて,「十銭,三十銭抔取る高等便所に入る者は,殆んど稀にして,一銭,二銭の便所が多い」と書き,高等便所に入る者がほとんどおらず,せいぜい中等便所までと報じています。
 日出新聞記者が高いと槍玉にあげた高等便所の使用料は,男子10銭,女子15銭です。第五回内国勧業博覧会の観覧券(入場料)は,観覧時間が午前8時から午後5時までの通常日は1枚5銭です。夜間10時まで入場可能な日曜日・水曜日及び大祭日は,観覧券2枚が必要となります。
 高等便所を使用するには,男子では通常日の観覧券の2倍,女子は3倍の料金が必要となります。平成17年(2005)に愛知県で開催された「愛・地球博覧会」の入場料は,1人4,600円でした。入場料の比較によって,博覧会の高等便所の使用料を現代の価格に換算すると,男子は9,200円,婦人用は13,800円です。当時の暮らしなどを全く考慮せずに,単純に比べるのは妥当性を欠くことかもしれませんが,それでも高等便所の利用料が大変高額であったことがわかります。

不潔極まりない無料便所

 無料便所ですが,『大日本私立衛生会雑誌』(明治36年(1903)6月28日発行 第241号)に引用された大阪朝日新聞の記事によれば,「最も不潔を極むるものは場内の無料便所なり その男子用の方は甚しきに至らずと雖も,婦人用のものに至っては一見嘔吐を催ほさしむるものあり,僅かに一銭乃至二銭を投ずれば 他の梢清潔なる便所にて用便するを得る譯なれども,矢張人情として無料のものゝみ非常の繁昌を極めつゝある」とあり,無料便所は繁昌しているが不潔極まりないと断じています。
 これは,場内に少ない無料便所に利用者が集中して掃除や汲取が行き届かなかったので,前述の『日出新聞』は,無料便所に行くのに往復で2,3町(約200〜300m)も歩くのであれば,1,2銭で用を足すことは止む得ないと,暗に上等便所や中等便所の使用を奨めています。
 時事批評で有名となった『滑稽新聞』でも,第五回内国勧業博覧会の高等便所が取り上げられ格好の標的にされています。
 明治36年3月の『滑稽新聞』第45号には,「博覧会の三小便」が挿し絵付きで紹介されています(図3)。特に,高等便所は,「京都では大根一本ぐらひよこす筈 博覧会では定価1銭以上の有料,「エライ難儀ヤ」と京美人の驚き」と皮肉られ,また,「事物始原一覧」(『滑稽新聞』第57号)のなかでも,「小便をさして銭を取ることを発明したのは織田一と云ふ」と書き,博覧会の事務官である織田一を強烈に椰鍮しています。

図3 博覧会の三小便
(『滑稽新聞』第45号(京都府立図書館所蔵))

 当時,屎尿は有価物として取り引きされていましたから,排泄にお金がかかるとは観覧者は考えてもみなかったことでしょう。公衆トイレに関する庶民の本音を,『滑稽新聞』は見事に代弁したのでした。
 第五回内国勧業博覧会は,約530万人の入場者を迎え大成功で終了し.明治38年に『第五回内国勧業博覧会事務報告』が出されていますが,その中で,会場の公衆トイレについても言及されています。「欧米ニ於ケル有料便所ノ例ニ倣ヒテ」,有料トイレを採用したのをはじめ,場内のトイレの建設・管理等を民間に任したことは主催者としては費用を節約することはでき,観覧者にも大いに便利に感ずることができたと評価しています。しかし,「有料ノ便所ハ未タ一般ニ行ハレサルヲ以テ之ヲ使用スル者比較的少カリシカ」と,その利用状況は芳しくなかったと認めています。また,無料便所は入場者数に対して数が少なく,また,観覧者の中には無料と有料の区別がわからず相当混乱したとも述べています。

東京勧業博覧会,第六回内国勧業博覧会に向けて

 第五回内国勧業博覧会の誘致に敗れた東京ですが,明治41年(1908)に開かれるであろう第六回内国勧業博覧会の東京開催をめざして早くも動きだしています。東京府会は,明治38年12月に「第六回内国勧業博覧会開設ニ応スル準備」として「製作品ノ一大共進会ヲ開設スヘキ」意見書を決議し,また.実業界においても同様の建議が採択され,これを受けて東京は,明治40年3月20日から7月31日まで上野公園を会場とした東京勧業博覧会を開催しています。
 会場は,第一会場(上野公園竹ノ台地区),第二会場(不忍池周辺),第三会場(博物館と帝国図書館の問の茗荷谷地区)に分かれ,全国から約9万3千点が出品され,観覧料は平日大人10銭,日曜・祭日15銭ですが,約657万人が入場しています。
 トイレは,第一・第二・第三会場併せて,無料便所31ヶ所.西洋人便所3ヶ所に,有料便所も設けられましたが,開会当初からトイレの不足とその衛生状態が心配されています。
 開会式の翌日の3月21日の東京朝日新聞は「博覧会の便所 尚不足を感ず」とし,「追々観覧者の増加と共に到底不足を免れず,現に昨日の如き,上野山下の便所は修繕中にて入るを許されざる為め,広小路の巡査派出所に至りしもの多く,其の結果忽ち汚水溢れ,続いて三橋際の共同便所も流れ出て,臭気紛々たり」と不衛生な状態を嘆き,3月28日付けの同紙は「第一第二両会場とも比較的便所の少きと,其所在の判り難き為め,大に不便を感ずる事は,入場者の口々に唱ふる所なり」と,その不足等を断じています。

東京勧業博覧会の模範高等便所

 第五回内国勧業博覧会で初めて設けられた有料便所ですが,東京勧業博覧会でも第一会場・第二会場併せて13ヶ所の有料便所が許可されています(表2)。乱立等もあって,その多くは経営不振に陥り,使用料の値下げや途中廃業を余儀なくされています。その中でも,特に評判を呼んだのが「消毒防臭模範便所」(図4)と名付けられた扇橋製薬株式会社の有料便所です。
 「模範便所 アルポーズ消毒防臭の便所は,第三号館と演芸館の筋向ひ模型日本橋通りの角に在りて,其内部は如露仕掛にて絶えず糞便にアルポーズ液を注射して消毒防臭し,手洗器は手先より病毒の感染せざる新案のものにて,手洗水もアルボーズ希薄液を用ひ,婦人用の方には三畳数の姿見洗面器を備へたる化粧室の設けあり,男子用の方にも姿見あり,亦長六尺の布団付腰掛を備へあり,料金は男子三銭,婦人五銭なれとも,各料金と同価格のアルポーズ石鹸を進呈し,用便紙手拭を要する場合には,入口にてアルポーズを買えば特別廉価にて販売し,景品として右二品を添へる仕組みにて,衛生家潔癖家は必ず一度試みて参考とするむの価値ある模範便所なり,両口の両側に紫袴の婦人控へて,料金引替へに石鹸を渡し,正面売店の飾棚等一見便所とは心付かざる程の構造なり」(『風俗画報増刊第三百六十一号 東京勧業博覧会図絵第二編」)。
 「消毒防臭模範便所」では,婦人用の姿見鏡や化粧用具等だけでなく,悪臭防止のため,自家製の薬品も使用でき,接遇も懇切丁寧であり,「扇製薬株式会社小栗貞雄ノ出願ニ係レル模範高等便所ト名ツケタルモノハ,其名ニ背カス,最モ整備シタル施設」と,『東京勧業博覧会事務報告』は絶賛しています。

表2 東京勧業博覧会有料便所一覧


図4 消毒防臭模範便所
(『風俗画報増刊第二編 東京勧業博覧会図絵』(京都府立図書館所蔵))

失敗に終わった東京勧業博覧会の有料便所

 扇橋製薬以外の有料便所は,「此他相当ノ設備ヲ為シタル便所アリシト雖モ,概シテ何レモ其結果良好ナラス。其甚ハタシキモノニ至テハ,一日ノ収得其使用人ノ給料ヲモ払フニ足ラス。会期中維持ノ見込ナク,遂ニ中途ニシテ廃業ヲ申出ルノ巳ヲ得サルモノアルニ至レリ」(『東京勧業博覧会事務報告』)の状況でした。また,明治40年(1907)6月20日付けの読売新聞は,3ヶ所の有料便所が集中している「外国館裏手にある有料便所は,昨今観覧人少くなりし為め,使用者殆どなく,それが為め,設置主である鳴海英和氏から廃業願がだされる」と報じています(図5)。

図5 (東京勧業博覧会)場内の便所
(『東京パック 博覧会パック 第三巻十壱号』(京都府立図書館所蔵))

 「七八百円の建築費を要したるに,今日まで二円と収入ありたる日はなし」のように有料便所が不振であったのは.無料便所の影響を受けたことに加えて,特定の場所への乱立(例えば,外国館裏手に有料便所3軒,無料便所1ヶ所)や設置場所もわかりくいこともありました。しかし,それ以上に,有価物として屎尿が取引されていた当時,排泄にお金を払ってまでトイレを利用する意識は非常に希薄であったのです。このため,採算を度外視して自社製品の宣伝もあった扇橋製薬以外の有料便所は,厳しい状況に追い込まれたのは当然の帰結でありました。
 しかし,東京勧業博覧会の事務局は,「有料便所ノ設置ハ,博覧会ニ於ケル便所ノ設備ニ対シテ,大ニ便宜ヲ輿フルモノナルヲ以テ,将来ハ其維持ノ方法ニ就キ,必ラス一考ヲ費スヘキ問題」(『東京勧業博覧会事務報告』)と考え,将来有料便所が果たす役割があり維持方法を検討すべきとしています。

第十回関西府県連合共進会

 博覧会とは別に,生産品の優劣等を競う共進会が全国各地で企画されています。関西府県を中心とした関西府県連合共進会は,明治16年(1883)に大阪で初めて開催されて以来,ほぼ3年毎に持ち回りで広島,京都,奈良,石川,三重等で開かれてきた伝統ある共進会です。
 明治43年は,名古屋城が慶長15年(1610)に築城されてから300年にあたるところから「名古屋開府300年」の記念事業として,第十回関西府県連合共進会が名古屋市の鶴舞公園で開催されていますが,ここでも有料トイレが設けられています。
 関西府県連合共進会は,関西の名前が示すとおり従前は西日本が中心でしたが,第十回関西府県連合共進会は関東・甲信越まで出品範囲を広げ,3府28県から8万6千人の出品者数,18万6千点の出品がありました。これは,大阪で開催された第五回内国勧業博覧会(出品者数11万8千人 出品点数27万7千点)には及びませんが,三重県で開催された第九回共進会の出品数の約2倍と,大規模な共進会となりました。
 開催場所は,前年に開園された名古屋市鶴舞公園,敷地は9万9千坪で,第五回内国勧業博覧会の大阪天王寺の敷地(10万5千坪)とほぼ匹敵する大きさで,開催にかける地元の意気込みがわかります。3月16日から6月13日まで開催され,約263万人の観覧者を迎えます。皇太子殿下(大正天皇)の行啓をはじめ,賓客の来場も多く4千人を超える外国からの来場者もありました。第五回内国勧業博覧会には及びませんでしたが,京都で開催された第四回内国勧業博覧会を大きく上回る大盛況でした。なお,現在の鶴舞公園には開催当時の噴水塔や奏楽堂が復元され,若者の集いの場所にもなっています(図6)。

図6 絵葉書 第十回関西府県連合共進会正門 奏楽堂

第十回関西府県連合共進会の有料便所

 関西府県連合共進会としては曾てない規模で行われた第十回関西府県連合共進会ですが,この時も有料便所20箇所が設けられています(図7)。

図7 第十回関西連合共進会会場案内図
有料便所(●)のすぐ憐に,東京日々新聞他七社休憩所(●)がある

 明治43年3月10日付けの『新愛知』は,開場前の準備状況に関して「会場構内に設置さるべき便所の数は約三十四ヶ所の予定なるが,其内有料無料の二種に分たれ,無料便所は県より設置し,有料便所は市より設置(中略),有料は又高等普通の二種に分たれ,高等は一回の料金が五銭,普通二銭宛徴収」と報じています。高等の有料便所の使用料が5銭,普通の有料便所が2銭ですから,第五回内国勧業博覧会の高等便所(男子10銭,女子15銭)に比較すると安いですが,共進会の観覧料金(平日の昼間,14歳以上10銭,子供5銭,休日は15銭,10銭)と比べると,まだまだ高額でした。
 有料便所の構造は,「五間に二間の全部鉛板茸となし,正面内には二畳の腰掛あり 此処には大鏡を備え附け,両側半間の入口を入れば両便所四個宛計八ヶ所」(同前)とあり,「高等便所には二人,二銭の普通便所には一人宛の婦人看守」(新愛知,明治43年3月26日)が接遇し,有料便所の設置場所まで具体的に報じています。

有料便所の経営

 有料便所ですが,1ヶ所の建設費約500円,婦人看守の給与は1人1ヶ月平均12円,月給15円の掃除夫10人ですから,便槽に溜まった屎尿が有価物として処理できるとはいえ,会期中に余程の利用者がいないと,東京勧業博覧会と同様,その経営はかなり厳しいものになると予想されました。
 実際,有料便所の利用状況は寂寞たるもので,『新愛知』は,20ヶ所を通じて利用料金の収入は多い日で40円,少ない日には25円に満たない状況と報じています。利用者数に換算すると,高等便所では40人以内,普通便所では100人以内で,共進会の1日の平均入場者2万9千人からすると如何に閑散とした状況かがわかります。
 このように利用者が極端に少なく苦境に陥っている有料便所ですが,その競争相手は無料便所だけではなく,団体等が開いた無料休憩所が強力なライバルでした。赤十字社愛国婦人会が設けた無料休憩所は,便所はもちろん,姿見・座布団等を備えた休憩所や化粧室・洗面所が用意され,更に茶の接待もありました。これでは有料便所がはやらないのは当然かもしれません。

図8 津市の連合共進会
(『贅六パック第壱号』(京都府立図書館所蔵))

 関西連合府県共進会での有料便所は,名古屋市が初めてではありません。前回津市で開催された第九回共進会でも設けられました。この時は『贅六パック第壱号』が「入場料は三銭だが,場内に共同便所がなく,会で拵へた有料便所と下足料とで弐銭を取る」(図8)と,強烈に皮肉っています。前回の共進会のように有料便所を半ば強制的に使用させる仕組みがない限り,その経営が難しいことはわかっていたはずです。

貿易製産品共進会の有料便所

 名古屋で開催された第十回関西府県連合共進会の成功は,他府県市にも大きな影響を与えました。主要な貿易港であった神戸では,貿易の一層の隆盛により神戸の経済の振興を図るため,貿易品を主な対象とした貿易製産品共進会を明治44年(1911)3月に開催していますが(図9),ここでも有料トイレが設けられています。
 共進会を主催するため兵庫県知事や神戸市長の賛同を得て,神戸市商工協会が新たに設立され,3月15日から神戸市湊川埋立地(現在の湊川公園)において貿易製産品共進会を開催しています。共進会には,東北や九州の一部を除き全国から約15万点が出品され,4月4日には皇太子殿下であった大正天皇の行幸啓もありました。約76万人が入場して成功を収め,大正3年(1914)3月にも大正天皇の即位も記念して第二回の共進会が開催されています。

図9 絵葉書 貿易製産品共進会

 第一回,第二回の貿易製産品共進会とも有料便所が1ヶ所設けられていますが,『神戸又七新報」(現在の神戸新聞)は,有料便所はボツボツと婦人が入るだけの閑散な状況で,また,「コノベンジョヲカネイリマス」と表口に書かれていても,有料便所に入って「神戸ちうとこは,迂闊り(うっかり)小便も出来ない」と,こぼす婦人もいたと報じています。
 また,会場内の便所以外のところで,放尿する人が後を絶たなかったようです。第一回共進会では,喫煙制止(1,737人)に続いて多い360人が放尿制止の指導を受け,第二回では優待休憩所の裏に「此所小便する事ならん」との柵・看板が設けられています。有料便所を利用するより,場内で放尿する人が多かったことがわかります。

東京大正博覧会

 東京では明治40年(1907)の東京勧業博覧会に続いて,大正天皇の御即位を奉祝し産業と教育の振興を図るため,大正3年(1914)3月に上野公園を主会場として東京大正博覧会が開催されています。上野公園の主会場では,東京市内の模型等を展示した東京館,外国館,白木・三越呉服店等が建ち並び,全国から,教育学芸,美術,農業,化学工業,染織工業,建築,機械・船舶・電気等の14部180類にわたって,16万点が出品されています。また,自動電動昇降機(現在のエスカレータ一,上野の第一会場と第二会場を結ぶ,1回15銭)が日本で初めて導入され,不忍池の上空を遊覧する遊覧索道車(現在のロープウェイ,8人乗り1回20銭)もあり,別会場となった青山飛行場(青山練兵場)や芝浦飛行場(芝浦埋立地)では,陸海軍の飛行機の展示と試験飛行も催されました。更に,大人の入場券は平日15銭ですが,10万枚当たり1等100円の物品購入券が2本,2等50円が10本等当たる福引が付いていることもあって,観覧者は東京勧業博覧会に比べて62万人増の約746万人に達するなど,大変な賑わいでした。

有料便所設けず,便所不足,掃除不足,場内で放尿目立つ博覧会

 有料便所が乱立し営業不振に陥った東京勧業博覧会の失敗に懲りたのか,東京大正博覧会では有料便所は許可しない方針でした。博覧会の事務局は「便所の設置は,特に衛生に留意し,警視庁医務部と打合せ,完全なる便所(図10)を設置」(『大正博覧会事務報告』)したとあります。しかし,会場は約10万坪と東京勧業博覧会よりも広い上,公衆便所は東京勧業博覧会の47ヶ所(有料便所を含む)より半分の23ヶ所(外国人専用便所(図11)2ヶ所,婦人専用便所1ヶ所を含む)に過ぎず,観覧者はかなり不満が募ったと思われます。
 博覧会が開始された当初の3月22日の『東京朝日新聞』には,「便所が不足 只困るのは会場通じて共同便所が一箇所もない事で有る」と書かれています。3月30日の『読売新聞』は,東京府会議長が「便所の掃除不行届で,靴では入れないと,その不潔さ」を嘆き,同日の『東京朝日新聞』は「大正博覧会と世評」の連載の中で,「思い付三箇条(略)第二は便所の少ない事である,尤も之は開館式当時から当事者に御忠告申した事で 周章てゝ五六の新設を見たが また足りない」と注意しています。

図10 東京大正博覧会第一会場公衆便所
(『東京大正博覧会事務報告』(京都府立図書館所蔵))


図11 東京大正博覧会外人専用便所
(『建築世界臨時増刊 東京勧業博覧会建築号』(国立国会図書館所蔵))

 『東京大正博覧会事務報告」は,「本会ノ便所モ,大ナル悪評ナカリシバ幸トスルトコロナリシ」とあります。しかし,会場の規模と観覧者数や公衆便所の数を考えれば,便所の不足は一目瞭然で,会場内で放尿する人も多かったようです。「会場内取締規則」により,506名が「場内ノ便所外ニ放尿セントセシモノ」として指導を受け,「便所不潔ノ注意」も866名にのぼるなど,「完全な便所」以前に会場内の衛生確保さえもままならなかった状況ではないでしょうか。
 なお,有料便所ですが,青山飛行場においては小石川区音羽町山内吉之助が出願の有料便所が認可されています。

始政五年記念朝鮮物産共進会の有料高等便所

 始政五年記念朝鮮物産共進会は,日本が朝鮮を明治43年(1910)に「併合」し植民地支配を始めてから5年を経過したことから,大正4年(1915)9月11日から10月31日まで李氏朝鮮の王宮であったソウルの景福宮で開催されています(図12)。朝鮮をはじめ台湾・日本等から4万8千点余りが出品され,116万人を超える観覧者がありました。

図12 絵葉書 始政五年記念朝鮮物産共進会


図13 始政五年記念朝鮮物産共進会配置図
 演芸館の側に有料便所の表示がある。

 会場内には共同便所12ヶ所(当初6ヶ所,その後6ヶ所を増設)が設けられましたが,有料便所も始政五年記念朝鮮物産共進会京城協賛会が演芸館の裏手に「建坪十一坪八合ノ洋式建築ニシテ,外部ハ漆喰塗」(『始政五年記念朝鮮物産共進会京城協賛会報告』)の高等便所を設けています(図13)。使用料は1回2銭で,手洗場には化粧品が備へられ,入場者が随意に使用することができました。第十回関西府県連合共進会(明治43年,名古屋市開催)の有料便所の使用料が5銭ですから,これに比べると低く設定されていますが,観覧料(大人平日5銭, 祝祭日・日曜日10銭)と比較すれば,まだ高い使用料です。このこともあって,実際に高等便所を利用する人は,「其設備稍完全ナルモ,之レニ入ルモノ比較的少ナク,日日百名内外ニ過キス」(『始政五年記念朝鮮物産共進会報告書のの状況でありました。
 なお,昭和10年(1935)10月に台湾博覧会が台北市で開催されていますが,無料の公衆便所6ヶ所のみで有料便所は設けられていません。

名古屋汎太平洋平和博覧会の有料便所(W.C.)

 最後に,昭和12年(1937)に名古屋市が愛知県・名古屋商工会議所の協賛を得て,海の大玄関となった名古屋市臨港地帯で開催した名古屋汎太平洋平和博覧会の有料便所を紹介します。
 名古屋市は,昭和12年が名古屋港開港30周年に当たるところから,同港の大規模な修復工事をはじめ名古屋駅の大改築,大飛行場や国際観光ホテルの建設等,国際都市として一大飛躍を図るべく都市整備を進めてきました。昭和12年にその竣成を記念し太平洋の平和と新文化建設のため,名古屋汎太平洋平和博覧会を3月15日から5月31日まで開催しています。
 名古屋市臨港地帯の会場は,東会場(運河東,中央部,運河南子供遊園付近)と西会場に分かれていますが,有料便所(W.C.)は,東会場の運河東と中央部,西会場に各1ヶ所の計3ヶ所(無料便所は38ヶ所)に設けられています(図14)。

図14 名古屋汎太平洋平和博覧会案内図
有料便所は●有,便所は●で図示 有料便所は東会場演芸館前,兵庫館の後,西会場現代化学館の裏


図15 名古屋汎太平洋平和博覧会有料便所
(『名古屋汎太平洋平和博覧会会誌』(愛知県立図書館蔵))

 有料便所(図15)の入口には切符売場があり,中は和式便器,洋式便器各1個,小便器3個,手洗い・鏡が備え付けられています。使用料は,1回5銭です。名古屋汎太平洋平和博覧会の昼間の入場料が大人60銭・小人30銭ですから,高額であった第五回内国勧業博覧会の高等便所に比べれば,妥当な料金の設定と思われます。

高等便所(有料便所),駅に設けられる

 第五回内国勧業博覧会の影響もあってか,東京市は明治39年(1906)に,浅草橋駅前に有料公衆便所(使用料1銭)を開設し,更に,後藤新平鉄道院総裁の指導もあって,明治43年に新橋駅に2銭銅貨を入れると「使用中」と云う札が出る高等便所が新設されました。高等便所には,姿見,帽子掛け,荷物置き場があり,用便紙も備えられていました。便器は西洋式が5つ,日本式が3つで,1日に50人ほどの利用客がありました。
 上野駅の高等便所には,外国人用と日本人用の区別がありました。  また,外国人観光客が多く訪れる京都駅にも,明治45年(1912)に2銭銅貨を入れると自動的にトビラが開閉する有料便所(水洗式。洋式が2つ,和式が2つ)が設置されています。ペーパーホルダーがありましたので,トイレットペーパーも使用されていたようです。新しい京都駅の見物が市民の間で話題となり,用もないのに有料便所を覗く人がいて,駅員に注意されるなど,評判になりました。汚物は,駅の東西に設置された浄化装置(5槽にわたるろ過処理,現在の屎尿浄化槽の前身となる水槽便所の先駆け)で処理され,上澄水が近くの溝に排水されました。

観光京都における外国人誘致のため,昭和初期に有料トイレを設ける

 京都では,外国人観光客の誘致のため,当時の市長が積極的に水洗式公衆トイレの整備をはかり,嵐山,恩賜京都博物館(現在の京都国立博物館)や円山公園に有料(使用料5銭)の洋式便所(水洗式)を整備しています。うどん・蕎麦代が7銭の頃です。更に,しゃがむことが苦手な外国人のため,旅館では水洗式の洋式便所が整備できないのであれば,和式便器に腰掛式の便座を用意する必要性も強調されています。
 また,京都・奈良・大津・伏見でも,共同して,様式ホテル・物産館・案内所・遊覧乗合自動車,更には洋式便所の整備を推進しています。

戦後の有料便所−四條トアレー

 昭和22年,進駐軍の指示(立小便対策)もあって,京都・四条木屋町に,フランス語で便所を意味するトアレットから名付けられた,多目的公衆トイレ「四條トアレ」が設けられています。使用料は10円。トイレは,男女別に分かれ,洋式便器も備えられ,女子トイレにはビデもありました。また,幼児用ベットも備えられ,物品販売や観光案内のサービスカウンターもあり,ライターの修理,荷物や伝言カード等も預かっています。秋葉原の「オアシス@akiba」の設備をはるかに超える多目的トイレでした。昭和23年1月の1日平均利用者は106人です。

大阪駅前の有料トイレ−梅田トイレット−

 四条トアレの影響もあってか,大阪駅前の広場に,有料トイレ「梅田トイレット」が昭和24年に開設されています。使用料は20円でした。利用者は1日平均200人,多い時は700人。化粧室や売店の他,小奇麗な待合室があり,お茶も出され商談もできました(1日に4組から5組が利用)。
 「梅田トイレット」は,林芙美子の遺作の新聞小説『めし』にも,舞台として登場とします。なお,大阪には,法善寺横丁にも,有料トイレがありましたが,経営不振(利用者が少ない)ため,開設から短期間で閉鎖に追い込まれています。四条トアレや梅田トイレットと同様の有料トイレは,新橋,江ノ島,皇居外苑前でも整備されています。
 なお,現在の大阪駅構内には,「梅田トイレット」と同様の機能を持つ,トイレ付有料化粧室「アンジェルベ」があります。使用料は1時間300円。着替えもでき,ハーブティーなども飲み放題です。地の利が良いことから,平日の昼間で30分待ちの大盛況です。

これからの有料トイレ

 誰もが,清潔な排泄空間を求めています。主に明治から大正,昭和に開催された博覧会・共進会のトイレをみてきましたが,清潔なトイレを求めることはいつの時代も変わりません。また,清潔な排泄空間が得られるのであれば,有料便所を使用する少々の費用の負担は惜しまなかったわけです。しかし,負担できる金額にはおのずと限度があり,観覧料の2倍,3倍と非常に高額であった第五回内国勧業博覧会の高等便所は敬遠され,名古屋汎太平滓平和博覧会では常識的な料金に近い額にまで下がっていきます。
 また,肥料として流通し有価物である屎尿を競って求めた時代には,少々費用がかかっても,便所の建設に意味があったわけですが,大正期に入り屎尿も無価物に転落し更に廃棄物となると,有料便所の経営は使用料のみに頼らざるを得なくなり,厳しい状況に直面してきます。大正3年(1914)の東京大正博覧会において有料便所の設置が見送られたのも,そんな時代背景があったのかもしれません。
 公衆トイレの多くは,5K(汚い・暗い・怖い・臭い・壊れている)のため嫌われ,龍谷大学の学生を対象とした調査では,約70%の学生が,路上の公衆トイレを極力避けると回答しています。
 観光客に清潔な排泄空間を提供するため清水寺などに設けた京都市の完全洗浄式快適トイレ(有料)は平成24年に廃止に追い込まれ,その一方で,JR大阪駅構内のトイレ機能も有する女性専用の有料化粧室は時間待ちの状況もあると聞きます。これからは清潔は勿論ですが,快適で多様な機能を持つ排泄空間が求められる時代になっています。第十回関西府県連合共進会の高等便所が多様な機能を持つ無料休憩所に追い詰められていったことをみると,ますますその印象が強くなります。そんなところに,歴史を調べる愉しさがあるのです。

(本文は,平成26年10月19日に東京・小平市の「ふれあい下水道飽」で開催された特別講話会の講話ならびにその後に得られた資料をもとに再構成したものです。)

※日本下水文化研究会会員,ごみ文化研究会会員,元亀岡市副市長