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シリーズ ヨモヤモバナシ



番外編:マンホールのヨモヤモ これも日本の誇る建築物

講話者 石井 英俊*

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1.はじめに

日本の誇る建造物の一つに「お城」があります。欧州の古城などと並んで姫路城も世界文化遺産になっているのですが、残念ながらマンホールには登場していません。でも全国各地の「我が街の自慢」には多くのお城が登場します。お城の登場するマンホールの代表はなんといっても大阪市でしょうか(写真−1)。桜(市の木)に囲まれた大阪城です。現在の天守は昭和6年に再建されたもので、秀吉時代の天守閣を再現したものだそうです。江戸時代に再建された天守閣は落雷で焼失、その後は再建されなかったそうです。



 世界遺産にはなっていませんが、近代日本の遺産ともいえる建築物が絵柄になっているマンホールふたが沢山あります。今回はその一部をご紹介しましょう。

2.国宝になってます

 多くの天守閣は再建されたものですが、その中で戦国時代の天守閣がそのまま残っているものもあります。もちろん何回もの修復を経てはいますが。その中で国宝に指定されている天守閣は4城、先に挙げた姫路城のほかに、松本城、彦根城、犬山城です。消火栓の回に取り上げた名古屋城も再建されたもので、国宝にはなっていません。その中でマンホールのふたに描かれているのは犬山城(写真−2)です。木曽川沿いの丘陵の上にそびえる天守閣は関ヶ原後の建築ですが、国宝になっている4城のうちでは最も古いもので別名「白帝城」と呼ばれています。迂闊なことに、私は木曽川で鵜飼いが行われているのをこの絵柄を見て初めて知りました。



 写真−3は彦根市のマンホールです。彦根城の天守も国宝に指定されているのですが、残念ながら絵柄には濠と石垣しか描かれていませんでした。白鳥とともに描かれているのは市の花のハナショウブです。長浜城大手門を移築した天秤櫓の石垣は「牛蒡積」という当時のものが残っているそうですが、この石垣ではなさそうです。



3.各地のお城を見てみましょう

 北から順にみていくことにしましょう。まず北海道では松前城が知られていますが、マンホールの絵柄になっているのは函館五稜郭です。こちらは以前(14年No.12)紹介させていただきましたが、主役は旧函館区公会堂でした。お城が主役のマンホールの写真−4は宮城県の涌谷町です。涌谷城は伊達騒動の中心人物だった伊達安芸の居城だった城で、現在は城山公園となって桜の名所として親しまれています。大阪城でも一緒に描かれていましたが、お城と桜はよく似合いますね。



 写真−5の秋田県の横手市のマンホールにも横手城と桜が描かれていました。一緒に描かれているのは「かまくら」、冬と春が同居していますがマンホールの絵だからいいんでしょうね。



 写真−6は同じ秋田県の五城目町です。ここにお城があったかな?このお城は町の森林公園に建てられたもので、森林資料館になっています。「新築」のお城ですね。町の花のヤマユリも描かれていました。まぁ町の名前からお城があっても不思議じゃないですけどね。



 写真−7は山形県の松山町(現酒田市)にある松嶺城の大手門です。松山藩は庄内藩の支藩で、当初は陣屋でしたが、城主が若年寄りになり城の建設が許されたとか、県内で現存する唯一の城郭建築だそうです。



 写真−8は福島県の白河小峰城、松平定信の居城だった城です。JR白河駅前でこれを撮ったのですが、見上げればお城が見えたはず、下ばかり見ていたんですね。



 ここから関東地方に入ります。写真−9は茨城県の石下町のふたです。「ここにお城があったの?」と思いましたが、鬼怒川の石下大橋から振り返ると真っ白なお城が見えました。江戸時代には豊田城と呼ばれたお城だそうです。ウメとツツジは町の木と花で、現在は常総市になっています。



 写真−10は行田市にある忍城、関東の名城で室町時代に成田明泰が築城、石田光成の水攻めにも落城しなかったことは有名です。現在ある「三階櫓」は昭和63年に再建されたものです。行田の辺りは古代から人が住み着いたところで、稲荷山古墳他多くの古墳が見つかっています。この地の「さきたま」が埼玉になりました。絵柄のキクの花が青いのにはちょっと驚きましたが。



 写真−11は千葉県にある関宿城です。関宿は利根川と江戸川の分かれるところ、江戸時代から舟運の要所として栄えたところです。町の花のバラが描かれたマンホールがメインでしたが、偶然このカラーのふたを3枚だけ見つけました。現在は野田市に合併しています。



 小田原市のマンホール(写真−12)には箱根の山をバックに、酒匂川の蓮台越えを前にして小田原城が描かれていました。戦国時代北条氏が造った小田原城は町全体を囲い込む惣構えがあったそうですが、江戸時代に石垣を用いた城になりました。このマンホールに描かれているのも江戸時代の城のようですね。それにしても酒匂川の川越えと箱根の峠越え、昔の東海道は大変だったんですねぇ。



 写真−13は長岡市のマンホールです。長岡には江戸時代牧野家の居城があり、幕末河合継之助が家老となり京都新政府軍と戦いを交えたことでも有名です。右下には「火焔土器」、街角に大きなレプリカが据えられていました。右上は三尺玉で知られる「長岡の花火」も描かれています。



 写真−14は同じ新潟の松代(まつだい)町のマンホール、町の花のユキツバキとともにお城が描かれています。ほくほく線の松代駅近く、城山の中腹にありますが、この辺りは新潟の中でも豪雪地帯、登城するのは大変だったでしょうね。

 


 写真−15は越前大野城、大野市の雨桝に描かれていました。多くの名水のあるところで朝市も有名です。この雨桝の左半分にはその朝市の様子が描かれています。



 写真−16にある掛川城は山内一豊が城主だった城です。関ヶ原の戦いで家康に城を差出し、その功で一躍土佐24万石の大大名になりました。この天守閣は平成6年に復元されたとのことです。



 家康が生まれたのが写真−17にある岡崎城、夜桜の美しさは東海随一と言われる岡崎公園の桜とともに描かれていました。岡崎市にはもう2種類の絵柄のふたがありますが、どちらにもお城が描かれています。



 同じ愛知県の豊橋市、マンホール(写真−18)には吉田城と手筒花火が描かれていました。現在あるのは昭和29年に復元された隅櫓です。お城とともに豊橋のシンボルになっているのが手筒花火、降りかかる火花をものともせずに筒を支え続ける男衆の心意気に拍手が湧きます。絵柄の男衆も相当意地っ張りのようですね。



 こちらも愛知県の日進市のふたにもお城が(写真−19)。このお城は岩崎城、織田信長の父信秀が造った城で、「小牧・長久手の戦い」の緒戦で徳川方として戦ったそうです。その小牧市のマンホールには城のようなものが描かれていますが、信長が美濃攻略のために造った城は翌年廃城、家康はここに陣を張っただけで城はなかったようです。



 「女城主の城」と書かれているのは岩村城(写真−20)、岐阜県東濃盆地にあり鎌倉時代からある城です。標高717mの城山にあり、日本三大山城の一つに数えられています。織田・武田の攻防の中で「女城主」の悲劇が伝わっています。



 写真−21は三重県の上野市のマンホールです。伊賀上野城と忍者が登場しています。現在の天守は昭和10年に造られた模擬天守で、藤堂高虎が造ろうとした五層の天守閣は完成前に暴風で倒壊しその後つくられなかったそうです。上野市は合併後伊賀市になりましたが、マンホールの絵柄は忍者と花・木・鳥になりました。



 私が岸和田を自転車で走る前夜の泊りは堺、居酒屋のマスターはだんじり祭りのマニアで、店内は“だんじり”一色でした。
 マスターは「岸和田のマンホールは“だんじり”だろ」、残念ながら岸和田市はお城と市の花のバラ(写真−22)でした。毎年お出かけだそうですが、マンホールまでは見ていなかったようです。ちなみに“だんじり”のマンホールは岡山県の久世町にありました。



 写真−23には大きな団扇の中に丸亀城が描かれています。丸亀市は団扇の生産量も日本一ですが、お城の石垣も日本一です。私が市役所の駐車場に自転車を停めてお城を見上げていると、管理人のオジサンが近づいてきました。「すごいお城ですね」と話しかけると「石垣だけはね」とそっけない返事、もっと自慢話が聞けると思ったんですが。山口県にも岩国城のマンホールがありますが、



 こちらの主役は錦帯橋、お城は小さく書かれているだけでした。最後に紹介するのは沖縄の玉城村(たまぐすくそん)のマンホール(写真−24)です。グスクは14〜5世紀に築かれた城で、村には玉城をはじめ4つのグスクが残っているそうです。中央に鶴が稲穂をくわえて飛んでいますが、この地は稲作発祥の地と伝えられています。名水百選にも選ばれている垣花樋川(かきのはなひーじゃー)など湧水も多くあり、稲作に適した土地なんですね。



4.おわりに

 全国(西の方が少ないのですが)のお城の描かれたマンホールふたをご紹介しました。明治初めに廃城となった城も数多く復元され、その美しい姿を見ることができます。また思いのほか名城と言われていない城もマンホールのふたには描かれています。その城が町のシンボルになっているんですね。かつての城下町の繁栄が地方の小都市にも再現されるとよいのですが。

* 日本のマンホール文化研究会