屎尿・下水研究会

TOP

屎尿・下水研究会の概要

お知らせ

発表タイトル

特別企画

企画図書類

更新履歴


読み物シリーズ


シリーズ ヨモヤモバナシ



軍艦のトイレ(下)

△講話者 松田 旭正 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

Y 海上自衛隊の艦船

1.ミサイル護衛艦「はたかぜ」

 旧防衛庁から公表された資料によると,海上自衛隊の護衛艦には,司令と艦長は専用のバス・トイレがあるほか,士官用に2ヵ所,自衛官用に3ヵ所ある。「はたかぜ」は乗員250人で戦艦大和の10分の1だから人数比でも戦艦「大和」は士官・兵士合わせて50ヵ所くらいあったと考えられる。





海上自衛隊護衛艦のトイレ 左「あぶくま」右「さわぎり」

2.海上自衛隊砕氷艦 新「しらせ」

(1)新「しらせ」要目
 艦番号AGB−5003の新「しらせ」は京都舞鶴市のユニバーサル造船所で進水命名された。2代目「しらせ」の次の四つの特徴
1.砕氷航行能力 2.輸送能力3.ヘリコプター2機以上搭載能力4.洋上観測能力

 南極観測隊の物資や人員を南極の日本基地まで輸送するためには南極海の氷の海を航海しなければならない。海上自衛隊の砕氷艦新「しらせ」の屎尿の処理システムは下図に示されている方式が採用されている。海上自衛隊が公表したものである。この方式は潜水艦を除く海上自衛隊のすべての艦に適用されていると思われる。

(2)廃棄物処理システム
「しらせ」の廃棄物処理は二つの系統で処理を行う
 @ 海上廃棄:
 A 着岸後の陸揚げ
 右図は処理システムを図式化したものである。南極海においては,海上における廃棄物の投棄は厳しく制限されており新「しらせ」の廃棄物処理のシステムは国際条約に沿った方式となっている。

新「しらせ」の廃棄物処理のシステム

Z 不審船(工作船)のトイレ

1.工作船事件経緯

 平成13年12月22日午前1時10分海上保安庁は,九州南西海域で一隻の不審船が航行中との情報を入手した。巡視船「いなさ」が追跡を開始した。
 左前方の船が不審船 右後方の大きい船が海上保安庁巡視船「いなさ」不審船は,巡視船「いなさ」の威嚇射撃によっても停船しなかった。さらに巡視船に対して攻撃してきた。攻撃により巡視船の海上保安庁の巡視船「いなさ」が不審船追跡中乗組員三名が負傷し巡視船の機器も破壊され,直ちに巡視船は正当防衛射撃を行った。その直後工作船は自爆と思われる爆発を起こし,急激に沈没した。

2.引きあげた工作船

 水深90メートルの海底から引き揚げた工作船のほか,1,032点に及ぶ証拠物が回収され同船が北朝鮮の工作船であったことが判明し本船にトイレと思われる箇所が見られる。



3.工作船のトイレ







 工件船のエンジンはロシア製の高速ディゼルエンジン4基が装備され,本船の中に小型上陸用船が収納され,トイレは上甲板から船底に配管された排水管船側から船外に排出する構造となっている。

[ 17世紀のヨーロッパの軍艦

1. イギリス海軍の帆走戦艦「ヴィクトリー号」

 トラファルガー沖の海戦においてネルソン提督率いるイギリス艦隊の旗艦として奮戦,フランス・スペイン連合艦隊に大勝利し,ナポレオンのイギリス本土上陸を断念させ,ナポレオン戦争の一転機となった,歴史的な海戦。19世紀初頭以来,「ヴイクトリー号」はイギリス海軍の象徴として,ポーツマス軍管区の世界最古のドライドックにイギリス海軍記念艦として保存されている。
排水量:3,500トン
船体:木造,全長:226フィート 帆走
乗員:850名

帆走戦艦「ヴィクトリー号」

2.プリンス・ウィレム(1651年オランダ)模型

 1652年第一次蘭英戦争勃発。武装商船から軍艦に改造され、旗艦として任務を果たした。戦後アジアとオランダを結ぶ貿易船として活躍した。(この絵は模型制作中)

プリンス・ウィレム 模型制作した船


プリンス・ウィレム

1652年第一次蘭英戦争勃発。武装商船から軍艦に改造され,旗艦として任務を果たした。戦後アジアとオランダを結ぶ貿易船として活躍した船。

[ 軍艦形式の御座船(日本)

@ 寛永9年(1632年)当時の将軍,徳川家光の命で造られた軍艦形式の御座船「安宅丸」 (あたけまる)

A 複元された「安宅丸」のトイレ

\ 潜水艦「あきしお」のトイレ

1.潜水艦「あきしお」要目

海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)に展示の潜水艦「あきしお」

 昭和60年に進水した,ゆうしお型潜水艦「あきしお」は任務を終了し平成16年3月除籍され,18年9月に呉資料館に展示された。
長さ:76.2m 深さ:10.2m
基準排水量:2,250トン 幅9,9m
船型:完全複殻式  速力:20ノット

2.展示潜水艦「あきしお」経歴

 第2次大戦中,すぐれたレーダー,潜望鏡,魚雷発射管制盤を装備して活躍した米国の潜水艦で艦名は「ミンゴ」,昭和18年(1943)の竣工で,昭和30年に「くろしお」と名を変え日本に来た。

「くろしお」と海上自衛隊


汚水の流し方

3.潜水艦「あきしお」のトイレ詳細

内訳 幹部:5名 海曹士:70名
トイレ:総数 2ヵ所 内訳 幹部用1ヵ所 乗員用1ヵ所
便 器:総数 6個  内訳 大便器 5個 小便器 1個
汚物の排出:水面下30メートルまで浮上し,圧力ポンプで水中に汚水吐出する。

幹部用大便器


洗浄用海水弁


幹部用トイレ


幹部用トイレドアー


幹部用洗面所

] 戦艦「三 笠」

 明治35年(1902)にイギリスのヴィッカース造船所で建造された。日露戦争における日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を対馬沖で迎え撃ち,東郷平八郎司令官指揮する連合艦隊の旗艦として勇敢に戦い圧倒的な勝利に貢献した。

昭和36年復元され,横須賀港に記念艦「三笠」として保存された

1.戦艦「三笠」要目

排水量:15,140トン
   全長:122メートル 幅:22メートル
軸馬力:15,000HP  速力18ノット
砲:30cm×4 15cm×15 8cm×20
発射管:45cm×4

2.戦艦「三笠」兵員厠と便器

 イギリスやアメリカ海軍の艦船の便所は,むかし艦首にあったので「head」と呼び,日本海軍では昔の言葉で「厠(かわや)」とよび,掃除をする人を「厠番」と呼んだ。戦艦「三笠」はイギリスの造船所で建造されたのでトイレや浴室はすべて洋式であった。兵員厠の絵は「三笠」の当時乗組員であった島野氏の書かれたものである。汚物は便座下の排水管から貯留タンクに集める方式であった。

3.戦艦「三笠」兵員厠のイラスト

4.戦艦「三笠」館内展示の模型

5.戦艦「三笠」の現役当時の艦内居住環境

 下図の洗面台は戦艦「三笠」が建造された当時,艦内に備え付けられた英国製の洗面台である。洗面器の後ろに給水タンクとなっており,排水は下部の排水タンクに溜めて処理する。



左図艦長トイレ・上図艦長浴室
艦長洗面台の説明

6.戦艦「三笠」分割詳細図三分之一

7.戦艦「三笠」分割詳細図三分之二

8.戦艦「三笠」分割三分之三

? ナイアガラ号(遺米使節三船)

1.遺米使節三船とは,ポウハタン号,ロアノウク号,ナイアガラ号のアメリカの軍艦三隻のことである。遺米使節は小栗上野介ら一行を運んだ三隻の軍艦の航程は,ポウハタン号(powhatan)〈江戸→ハワイ→サンフランシスコ→パナマ〉 ロアノウク号(roanoke)〈大西洋側の町,コロン→ワシントン〉 ナイアガラ号(niagara)〈ニューヨーク→ロアンダ(アフリカ)→ジャワ(インドネシア)→香港→江戸〉 米国海軍の最新鋭スクリュー艦ナイアガラ号で江戸品川沖に着いて使節一行は下船した。

2.万延元年(1860)に新見正輿を正使として遺米使節七十七名が派遣された。安政五年(1858) 年にアメリカの全権ハリスと下田奉行との間で締結された日米修好通商条約の批准書を交換するため使節一行はアメリカの軍艦ポーハタン号に乗り込み,世界一周の旅にでた。ポーハタン号に乗った遺米使節の随員のひとりで帰国後「航米日録」を著した,仙台藩士の玉蟲左太夫(たまむし さだゆう)の記録から,ナイアガラ号の船中トイレ事情を調べてみた。

3.

 ナイアガラ号はニューヨーク港を出航し,船長はマッキーンでこれまで大西洋からアジアへの航海の経験はなく,喜望峰を回るのも初めてということだった。

 マッキーン船長は,使節団一行に次の様な船中の規則が伝えられた。
・日本の使節員が甲板に出んと欲する時は当番の士官に知らすべし。
・役人部屋の燈火は夜10時に消すべし。且煙草も夜10時後は用ゆべからず。但し懸灯篭の火は消すに及ばず。
・日本従者の部屋内に裸蝋燭を許さず。且雨天のほかは部屋内にて煙草を用ゆべからず。
・煙草は部屋外甲板上にて,洋中は風下,港内は左にて用ゆべし。
・役人ならびに従者へ一日に水一人前,一ガルロンづつ給すべし。

4.従者たちはアメリカ式トイレに困ってしまった。
 上司を除く従者のトイレはとも艫の端にあり,穴のあいているところに数人が並んで腰かける仕掛けだが,個々の仕切りや囲いはないから水兵たちは煙草を吸い,隣と談笑しながら用をたしている。日本人はこれには面喰い,日本の習慣にはないことだからと航海士にかけあい,中層の士官用の個室トイレを一つ借りて日本人専用に使えるようになって,ようやく安堵した。

※日本下水文化研究会会員