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芸術とトイレ

△講話者 森田 英樹 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1 はじめに

 1998年,美術館のリーフレットを手にした。男性用小便器が1個横たわり,上には大きく『なぜ,これがアートなの?』と書かれている。衝撃的なデザインのリーフレットであった。私も『なぜ,これがアートなの?』自問自答するばかりである。

川村記念美術館リーフレット

 答えは無い。有名な芸術家の作品なのか,奇を衒う新進若手芸術家の作品であるのか,どのような謂れのある便器なのか,芸術を解さ無い私にとっては,皆目見当がつかない。展示を行っている川村記念美術館も寡聞にして知らない。とりあえず,何か時代を感じさせる,外国製の小便器の写真であるので捨てないでおくことにした。

芸術新潮2005年2月号表紙

2 再会

 2005年,書店で『芸術新潮』の表紙に目がとまり釘付けになった。何と.『芸術新潮』の表紙を,先のリーフレットと同じ男性用の小便器が大きく飾っている。しかも『わたしが世界一有名な「便器」です』と大きく書かれている。『芸術新潮』に『世界一有名な』と,きっぱり言い放たれてしまっては,知らない私の方がいけないことは明らかだ。少しは読んで勉強しなくてはなるまい。便器の作者はマルセル・デュシャンというフランス人のようだ。1887年,ノルマンディー地方ブランヴィル近郊で公証人の父のもとに生まれ,かなり裕福な家庭であったようである。母方の祖父は画家,版画家で長兄も後に画家,版画家になる。次兄も彫刻家として活躍をするという芸術一家の環境で育ったようである。問題の便器は,1917年デュシャン30歳の時に,ニューヨークの独立芸術家協会の展覧会に出品しようとして物議をかもした作品である。デュシャンの芸術は「既製品」を意味する,レディ・メイドと呼ばれる。できあいの工業製品の中から何かを「選ぶ」こと,そしてそれをひとつの美術品だと「名づける」ことで芸術行為は可能なのだという考えだ。レディ・メイドの素材は多種多様であるが,基準は「美的関心を呼び起こさないものであること」であり,できるだけデュシャン自身の個人的趣味が反映しないように,周到に選ぶことを心がけていたそうである。1913年デュシャン26歳の時に,自転車の車輪と椅子を組み合わせた作品を製作し,これが最初のレディ・メイドといわれている。しかし,本人にはその自覚はなかったようである。翌14年には,フランスではごく普通の日用品である瓶乾燥機(洗浄して濡れた瓶を棒に刺し,逆さまにして自然乾燥させる用具。ツリー状になっていて,何本もの瓶を干す事ができる)を製作。1915年に,金物店で購入した雪かきシャベルに署名をした作品「折れた腕のまえに」を,はじめて「レディ・メイド」と命名した。そして1917年,問題の便器が物議をかもす事となる。なるほど話は解った。しかし本当に,「便器をぽつんとひとつ展示するだけなの?」俄かには信じがたい。それにつけても7年前,川村記念美術館に見に行かなかった事が口惜しい。

3 三度目の正直

 2011年,森美術館で開催される『フレンチ・ウインドウ展』のリーフレットを手にした。「フレンチ・ウインドウとは何だろう?」裏面を見ると何と,くだんの便器の写真が小さく掲載されている。デュシャン本人を含む28名の作品を一挙公開すると書かれている。今度こそ,行かねばならない。  入口を入ると間もなく,写真で見慣れた便器がぽつんとひとつ展示されている。やはり,特にそれ以上のものではなさそうである。便器の脇に置かれた,解説プレートには『泉 Fountain l917/64 小便器/手を加えたレディ・メイド1964年シュヴァルツ版 京都国立近代美術館蔵』と書かれている。
 壁面に貼られている『〈泉〉をめぐる議論』という解説板には,次のように書かれていた。ちなみにMuttとは便器の製造メーカーの“もじり”のようだが,何というメーカーであるのか,そして今日に続くメーカーであるのかを知りたいところである。

 1917年デュシャンは男性用小便器を購入して〈泉〉と題しR.Muttという署名をして自らが審査員の一人として関わっているニューヨーク独立芸術協会の展覧会に提出しました。この展覧会は無審査であったのも関わらず〈泉〉は物議をかもし,展示されることはありませんでした。既製品の便器を公衆の面前にさらすことは,当時の美術界では,ショッキングなことだったのです。後にデュシャンは「〈泉〉がマット氏自身の手で作られたかどうかではなく,彼がそれを選んだことこそが重要なのだ。彼は日用品に新しい名称と見方を与えて,その実用性を消し,新たな解釈を作りだしたのだ」と語っています。硬直した美術界を刺激して議論を起こすことそのものがデュシャンの目的のひとつだったともいえるでしょう。〈泉〉をめぐる議論はデュシャンの精神を象徴するエピソードとして,後世に伝えられるとともに現代美術の手法,思想の手がかりとして多くのアーティストに影響を与えています。

 解説プレートにある,1917/64という年号の併記と1964年シュヴァルツ版という記述が気になり係りの人に質問をしてみた。オリジナルの〈泉〉は1917年のものであるが,その現物は紛失し,その後に多くの芸術家がレプリカを作成したようだ。その数,実に688点にも及び,数百点が現存しているようだ。中でも特にガレリア・シュヴァルツが作成した8個のレプリカが有名でシュヴァルツ版と呼ばれているそうである。50年前のレプリカでありながら京都国立近代美術館に収められているとは,やはりなかなかの代物である。しかし,オリジナルが紛失してしまったということは,レプリカ作成にあたって便器は便器でも形状が随分異なる事も考えられる。そのあたりの事情を質問してみた。すると,現存する唯一の写真をてがかりにレプリカが作成されたとの事で,大きな差はないであろうとの事であった。後日,その写真が見たくなり探した。撮影者はアルフレッド・ステイーグリッツ。1917年の出品拒否事件の後に撮影をし,その直後に便器は紛失したそうである。写真を見る限り,シュヴァルツ版は,良く似てはいるが,細部では若干の違いがあるような気がする。しかしなにせ,たった1枚の写真であるので,他の角度からの様子がわからない。同じと言われれば同じ。違うと言われれば違う,と言ったところでろうか。

4 おわりに

 せっかくの機会であるので,デュシャンのレディ・メイドも含め,他の芸術家の作品も見てみた。正直,良く判らない。たとえ既製の日用品と言えども,それをデザインした人がいるはずである。その最初のデザイナー(製作者)抜きに,レディ・メイドを云々できるものなのであろうか。まあ,芸術を解さない私があれこれ語るのは,やめておこう。しかし,どうしても『なぜ,これがアートなの?』という言葉が頭を離れない。だが,いずれにせよ,100年の長きにわたり物議を醸し続けているデュシャンの便器は,『世界で一番有名な便器』であることは否めない。

本講話は,NPO法人 日本下水文化研究会 会報『ふくりゅう 通巻70号』(平成23年10月17日発行)に掲載した『世界一有名な便器の事』を再構成したものです。