会のロゴ

特定非営利活動法人
日本下水文化研究会 分科会 屎尿・下水研究会
Japan Association of Drainage and Environment
日本下水文化研究会は新しい人と水との関係を考えていきます。
Smart Water Use and Drain Keep the Environment Healthy

TOP

屎尿・下水研究会の概要

お知らせ

発表タイトル

特別企画

企画図書類

日本下水文化研究会 HP

関西支部
HP

更新履歴


読み物シリーズ


シリーズ ヨモヤモバナシ



富士山のトイレ

△講話者 森田 英樹 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1.はじめに

 今から10年ほど前,夏と冬に,職場の同僚2人と2泊3日程度の旅をすることを常としていた。一人はひたすらハンドルを握り続けても運転が苦にならないドライバー,もう一人は前世が鮭か渡り鳥かと思わせるほど正確な体内地図を持ち,決して道に迷うことのないナビゲーター,そして私の3人である。毎回まさに珍道中であった。
 ところが,今回ばかりは事情が違った。かの二人が突然私の前に現れ,「今年は富士山に登ろうと思うんだ」と言い出した。私は絶対に嫌だった。猛反対をした。しかし,「民主的多数決により,富士登山は決定された」「朝6時に車で迎えに行く」と宣告して去って行った。
 体力,気力,ともに人一倍自信のない私にとって,富士山は遠くから眺めるもの。何用あって頂きを訪ねることがあるものか。葛飾北斎が描く「冨嶽三十六景」も遠く霞ヶ浦・諏訪湖・名古屋などからは描くものの,富士登山の場面は僅かに一枚「諸人登山」があるのみである。江戸の健脚たちをもってしても,かくも疲労国憊している様は富士登山への警鐘の図としか思えなかった。

葛飾北斎 冨嶽三十六景「諸人登山」

2.山岳トイレへの問題意識

 そんな私にも,僅かばかり心の救いはあった。当時,山岳トイレの問題が叫ばれ始めていた。登山とは無縁の私は,山のトイレのことなど考えたこともなかった。日本トイレ協会のシンポジュウムで,富士山のトイレのスライドを見た。山小屋から下る斜面一面に白い残雪の広がる綺麗な写真に思えた。しかし,解説を聞いて仰天した。白く見えるは,残雪ではなく,トイレからそのまま放流されたトイレットペーパーとの事である。なかなか分解されること無く,悪臭を放ち問題化しているという。愕然とした。富士山の世界遺産への登録が見送られたのも,このようなトイレ事情やゴミ問題が一因であったと聞いている。これは富士山に限ったことではなく,多くの山の実態であるそうだ。一見きれいに見える山の湧き水から大腸菌が検出され,飲用に適さない所も現れているという。
 そんなトイレを見ておきたい。しかし,私にとっては無謀な願いでもあった。

3.高山病にもめげずに…

 さて,くだんの2人によって車に押し込められた私は,昼頃,富士山5合日で降ろされた。天気快晴。悪天候を盾に登山中止を主張しようとしていた私の最後の目論みもはかなくも消え去った。金剛杖を購入し,2人に従って登り始めた。見上げれば,北斎の描く通り,富士山は徹頭徹尾上り坂である。登山の諸人は,テレビで見るようなリュックサックを背負った重装備の山男もいれば,ミニスカートにサンダル姿の女性も登っている。奇怪な5合目であった。
 6合目に到着した。どうやら各合目で,金剛杖に記念の焼印を押してくれているようだ。迷った末,押してもらった。今から思えば,次を目指す励みの一つになった。
 7合目に到着した。さっそく焼印を押してもらった。しかし,この辺りからがいけない。とにかく辛い。最初はどのくらいのペースで休憩するのが良いのか思案していたが,そんな心配は無用であった。次第に休憩の間隔が短くなり,しまいには数十歩進むと自然と足が止まり,呼吸を整えることの繰り返しであった。歩くとは無意識に足が前に出るものではなく,1歩1歩,努めて足を前に出すことだということを知った。
 夕刻,9合目の山小屋「万年雪荘」に到着した。ここで仮眠をとることになった。いつごろから始まったのであろうか。頭痛,吐き気,寒気,とにかく堪らない。
 ここに至るまでにトイレも見てきた。シンポジウムでのスライドほどではなかったが,斜面に広がるトイレットペーパーも見てきた。やはり,遠目には残雪に見えた。予備知識がなければ,それと気づくことはあるまい。しかし,どれもこれもフワフワと靄のかかった夢の世界をさまよっている様な記憶で,感動もなければ,全てが他人事の様に自分の前を流れていく。明らかに脳の様子が何か変だ。三途の川に立つとは,こんな心持ちであろうかと推察された。
 山男でもない限り,私のような俄か登山者たちは,トイレを前にして,問題意識を持ち理性的に考える余裕などおそらく残されていないのではあるまいか。山のトイレ問題が放置されてきた理由の一つがわかったような気がした。

4.山頂に立つ

 朝,眼下に望む雲海の切れ目から昇る日の出は絶景であった。「富士に登らぬ馬鹿,二度登る馬鹿」とは良く言ったものである。なるほど私は馬鹿ではなかったと思うと,なんだか元気が湧いてきた。一路,山頂を目指した。
 山頂は人で賑わっていた。最後の焼印を押してもらった。有名な富士山レーダーは,山頂でも最も高い,剣が峰に位置している。レーダーはすでにその役割を終えて,施設は閉鎖され南京錠が掛けられていた。入口には『トイレはお貸しできません トイレはエンジン室の奥にあり危険な為職員が同行しなくてはなりません 業務に支障を来すのでご容赦願います。 富士山測候所』という古びた貼り紙が残っていた。標高3776メートル日本最高峰,剣が峰のトイレを何としても見てみたかった。

5.おわりに

 1999年,環境省は「山岳環境浄化・安全対策緊急事業」により,環境浄化に必要な施設整備の経費の一部支援を開始した。特に短期集中的な整備が求められた,富士山においては静岡県・山梨県による整備も含め,2006年までに全てのトイレの改良が完了した。
 さて,時も流れ2010年正月,この原稿を書くに際して富士登山の時の写真を探した。家中をいくら探しても断じてみあたらない。どこに仕舞い込んだのやら見当もつかない。不思議で仕方がない。よもや,この富士登山は「一富士,二鷹,三茄子」新年早々の吉兆であったのか? いやいや,「トイレ」だけに,有り難い初夢なのかは,カミのみぞ知るところであろう。

本講話は,NPO法人日本下水文化研究会 会報『ふくりゅう 通巻63号』(平成22年2月6日発行)に掲載した『諸人登山の事』に加筆・ 修正を加え,再構成したものです。