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ケルネル博士を想う

△講話者 森田 英樹 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1 はじめに

 ひょんなことから『ケルネル田圃』という言葉を耳にした。トイレ問題を考えている我々にとって,ケルネルと言えば明治初めに肥料問題の視点から,日本人の糞尿の成分分析をしたことで有名な,お雇い外国人。もしかすると,この田圃はケルネル博士と何か関係があるのかもしれない。さっそく,地図で調べてみた。京王井の頭線の駒場東大駅の駅前に駒場野公園がある。どうやら,この公園の中にケルネル田圃があるようだ。このあたりは,かつて人の背丈ほどもある笹が一面に生え,ところどころに松林が茂る広い原野で,駒場野と呼ばれていたそうである。明治になると,農業の近代化をはかるために,この広い原野を利用して駒場農学校が開校したそうである。やはり,ケルネル博士となにやら,日く因縁がありそうだ。田圃であるならば,冬場では様子が良くわからない。稲も育った6月頃ならさほど暑くもなく見ごろであろう。しかし果たして,現在でも使用している田圃なのであろうか。まあ,あまり深く考えずに6月を待つ事にした。

2 駒場野公園訪問

 北門を入ると左手の木立の切れ間から田圃らしきものがすぐに目に飛び込んできた。迷う事もなかった。案内板の要を得た説明のおかげで瞬時に全ての疑問が氷解した。

ケルネル田圃は,旧駒場農学校の実習田です。
 駒場農学校は.明治政府が近代農学に基礎をおく欧米農法を取り入れるために,農業指導者を養成する学校として明治11年に設置されました。
 札幌農学校がアメリカ系統の農業技術を導入したのに対して,駒場農学校にはドイツ系統の農学が取り入れられました。
 ドイツ人のオスカー・ケルネルは,駒場農学校の教師として招かれ,日本農業の特質を配慮しながら農芸化学を応用した実験を中心に土壌,肥料などの研究と教育を行い.多くの成果を収めました。
 ドイツ人教師ケルネルの名をつけたケルネル田圃は,新しい日本農業の指導者を育てた駒場農学校の実習地の跡として貴重な史跡です。
 なお,駒場農学校は,後に東京農林学校となり,東京帝国大学農科大学等を経て筑波大学に継承されました。
 現在,ケルネル田圃では筑波大学附属駒場中学校.高等学校により教育水田として生徒が実習しています。

 さて,問題の田圃であるが,谷津の谷間の細長い地形を利用してつくられている。田圃に下る道は立ち入り禁止になっており,近づくことはできない。木立が生い茂り,その切れ間から田圃の存在はわかるものの全貌が定かではない。写真スポットを探すにも往生する。管理上,やむを得ないにせよ,近づけないのが無念である。稲は膝丈位に成長している姿を想像していたが,田植えが終わったばかりの様子である。少々,訪れる時期を間違えたようだ。せっかく来たからには,何か思わぬ収穫がないものか,とあれこれ彷徨ってみたものの特に発見は無い。駒場野公園を散策して帰ることにした。デイキャンプ場もあるためであろうか,若者たちが大勢いた。心休まる,植物園のような公園であった。

3 ケルネル博士の研究

 ケルネル博士は,1851年にドイツのシレジア(現ポーランド南西部・チェコ・ドイツの一部)に生まれた。ブレスラウ大学,ライプツィヒ大学などに学び,1874年卒業。博士号を取得している。その後,プロスカウ,シレジア,ホーヘンハイム等の農事試験場に勤務し1881年(明治14年)来日,11年にわたり農芸化学の教師として農学教育を行った。日本永住の考えもあったようであるが,故国ドイツからメッケルン農事試験場長に就任するよう要請があり,1892年(明治25年)帰国した。
 この間の研究は,『農芸化学分析書原稿ノート』(Keller’s notes on the quantitative analysis)や『実験分析結果ノート』(Results of analysis performed at the Chemical Laboratory of Imperial College of Agriculture),『農科大学学術試験彙集報』などにまとめられている。
 日本農芸化学会で所蔵する『農芸化学分析書原稿ノート』は,来日直後から講義を開始したケルネルの講義ノートである。課目は,土壌肥料学,植物生理学,家畜飼養学から気候学にまで及んでいる。これは,化学分析実験の指導のために書かれた英語の原稿ノートで,来日後に駒場で行った分析実験結果も盛り込まれている。
『実験分析結果ノート』は,前任者のチンキが記入した実験ノートを,後任のケルネルが引き継いで分析結果のデータを記したものである。対象は土壌分析,桑の病原菌防除,人糞尿の分析,千草の栄養価分析など日本の国土に根差したものであった。

ケルネル博士

 『農科大学学術試験彙集報』は.滞日中にケルネルが発表した30編近くの論文を,門下生が和訳し刊行したものである。この2点は,東京大学農学部図書館に収められているが.いずれも貴重書に分類されているため,容易には見られない。そのため人糞尿の成分分析の結果や肥料的な視点での考察は,後に大正3年に燕佐久太氏が著した『下肥』や大正6年に吉村清尚氏が著した『新編肥料学全書』などの記述に頼らざるをえない。
 これらの,書から感ずるケルネルの糞尿分析の意義は,まず当時の日本における糞尿の肥料的価値の高さに着目した点である。さらに,その分析に際しても糞尿を一緒くたに捉えるのではなく『農夫の人糞尿』『市人の人糞尿』『中等官吏の人糞尿』『軍人の人糞尿』の4種に分け採取し,窒素・燐酸・加里をはじめとする14項目の分析を行っている点にあるであろう。

4 屎尿の分析結果

5 異なる屎尿の価格

 ケルネル博士の糞尿の分析の数値の差が,肥料的価値や科学的に作物の生育にどの程度影響するものなのかは,科学的知識の無い私には何とも判断ができない。しかし,くみ取るトイレの場所によって糞尿の価値は異なり価格も異なっていたようである。『この道ひと筋に』という本の中に興味深い記述がある。この本は,ごく普通に住む市民11人の生き方を聞き書きし,庶民史としてまとめたものである。話者は,大正13年から昭和20年まで東京江戸川区で下肥販売業を営んでいた人物であり,これは昭和55年,話者70歳当時の聞き書きによる記録である。
 この聞き書きから軍人の糞尿が高価であったことがわかる。また,『こやしと便所の生活史』(ドメス出版)において,楠本正康氏はケルネル博士の糞尿成分分析をもとに,日常の食生活の違いにより,含有肥料成分にかなり大きな差が生じる事を指摘している。すなわち,軍人の糞尿が最も肥効に富み,官吏がそれに次ぐとしている。

 話の開きついでに,もう一つおもしろい話があるよ。前に地域でおわいの値段が違っていたといったが,くみとりの場所によっても違っていたね。一番高く売れたのは,陸海軍のおわいでね,安いのは小学校,女学校,映画館だったね。船橋なんかじゃよく,肥えをこさえて下さい,なんていわれて塩水をまぜて適当なこさにして売って喜ばれたもんですよ。その時でも兵隊さんのだと,何倍もうすめられるね。小学校のこやしはうすいからまかないで,濃いのと合わせて使ったりしていたね。それと小便の方はつまみなのこやしにしていたね。女学校のがなんで安いのかは想像におまかせするよ。映画館のは,これはだめだったね。売るのに苦労したよ。
                    『この道ひと筋に』下町タイムス社1980年

6 ケルネル博士のその後

 ところで,ドイツに帰国後のケルネルであるが,メッケルン農事試験場の場長に就任し,農業の研究と技術の普及システムの確立に多大の業績をあげた。その様子は,ロストック(旧東ドイツ最大の港湾都市)に設立されたrオスカー・ケルネル研究所』の研究活動からも伝わってくる。現在ではケルネルゆかりの子孫の方々もなく,ライプツィヒ郊外の墓所に眠っておられる。
 オスカー・ケルネル博士。1851年5月13日生まれ,1911年9月22日病没。享年61。
 今年は,没後100年にあたる事を知った。

ケルネル田圃

本講話は,NPO法人 日本下水文化研究会 会報『ふくりゅう 通巻69号』(平成23年7月15日発行)に掲載した『ケルネル田圃の事』に加筆・修正を加え,再構成したものです。
※日本下水文化研究会会員