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シリーズ ヨモヤモバナシ



網走監獄のトイレ

△講話者 森田 英樹 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1.はじめに

 生まれて初めてレンタカーで北海道を旅した。北海道の雄大な大地を自動車でひたすら走る旅を一度は経験してみたいと思っていた。最終日,知床にいた。女満別空港発の最終便を予約していた。出発までの時間,何をしようかな。
 そんな折,1枚の観光案内に目が留まった。「博物館 網走監獄」。網走刑務所の旧建造物を保存・公開している野外博物館のようだ。「絶対にトイレがある」。いつもの感覚が甦ってきた。年中無休,午後6時まで,入館は午後5時まで,とある。カーナビの到着予定時刻は丁度,17時と表示されている。急げば間に合う。とにかく,急ごう。急発進した。

2.ゲリラ豪雨

 快調に走り出すやいなや,一転にわかに天候が悪化してきた。強風,大雨,いわゆるゲリラ豪雨というやつだ。速度も20〜30kmを出すのがやっとだ。道中,初めての雨が,何でよりによってこんな時に。やがて,天候も回復してきた。急ごう,遅れを取り戻さなくては。徐々に回復していく視界の先を走る車の姿が何か変だ。あれは,よもやパトカーでは…。道中で初めて見るパトカーであった。絶望的だった。ありがたいことに網走まで,パトカーがゆっくりと先導してくれた。不思議なことに時刻はまだ17時前だ。間に合った。狐につままれたようだった。

3.現在の網走刑務所の部屋の再現

 入館して,唖然とした。広さ5万坪。行刑資料館を含め,その数30を超える建物が広がっている。予習もしていない状態では,とても1時間では手に負えない。とりあえず,全体像を知るためにも,行刑資料館に行った。
 昭和59年に建設された現在の網走刑務所の実際の部屋が再現されていた。解説プレートには, 「被収容者の処遇環境は老朽化した木造舎房から清潔な鉄筋コンクリート造りの施設に変わり.居住性に問題の多かった舎房は現在,採光,風通しの良い衛生的な構造の居室へと格段に向上しました。流す涙も凍ると言われた網走刑務所も現在は快適な温度管理がなされています。被収容者は刑務所に収容されると,単独室,又は共同室に収容されます。定員は原則として.単独室は1名,共同室は6名です。網走刑務所の新しい単独室の広さは7.25u(約4畳半)です。現在,日本の刑務所は単独室の数を大幅に増し,被収容者の居住空間の向上に努めていますので,網走刑務所においても単独室938部屋となり(平成22年1月現在),共同室に比べ格段に多くなっています。各室内には,机,布団が置かれています。被収容者は身の回りの品の他,室内装飾品として写真や花瓶を置くことが許されています」
とある。

4.現在の刑務所のトイレ

写真−1


写真−2

 単独室(写真−1)では,部屋の奥の右手に簡単な衝立で仕切られた形で,洋式水洗便器が設置されている(写真−2)。便器に腰掛ければ,上半身が外から見えるくらいの高さである。一方,共同室(写真−3)では,入口右手の個室の中に洋式水洗便器が設置されている。個室になっているものの,上部に窓があるので腰掛けると上半身が外から見える構造である。共同室のトイレには,被収容者の高齢化のためだろうか,手摺が付いている。

写真−3


写真−4

5.五翼放射状平屋舎房

 時間が無い。他の建物のトイレを探さなくてはいけない。明治45年から昭和59年に現在の網走刑務所が新築されるまでの間,実際に使用されていた「五翼放射状平屋舎房」に向かった。この建物は,中央の見張りを中心に,5本の指を放射状に広げたように建物が配列されているため,五翼放射状平屋舎房と呼ばれている。少人数でも監視しやすいという利点があり,ベルギーのルーヴァン監獄を模倣したものといわれている。
 この舎房の5棟には,雑居房は収容定員3〜5名で126室あり,部屋の広さは6畳である。独居房は100室あり,部屋の広さは3畳である。雑居房,独居房併せて226室で構成されている。
 独居房のトイレ(写真−4)は,部屋の奥に衝立で仕切られた形で,そこには桶が置かれていたそうである。また,雑居房のトイレは,ガラス張りの電話ボックスのような個室となっている(写真−5)。上部は透明ガラスだが,下部は磨きガラスである。面白いことに,トイレの床は居室と同じ高さの平面ではなく,掘り込まれた状態でコンクリートの土間になっている。やはり桶が置かれていたそうである。どうやら,建設当初はガラスの電話ボックス状の仕切りは無く,中に入ると下半身が地下に潜るような状態で目隠しとなっていたという。つまり,上半身が外から確認できる構造であったのである。

写真−5


写真−6

 興味深いことは,ベニヤ板をくり貫いた板(写真−6)が残されていたことである。これは桶の上に置いて使う便座である。少し痛そうだが,桶に直接腰掛けるよりは,はるかにましだったことであろう。

6.休泊所

 もう残り時間も少ない。休泊所に向かった。休泊所は明治24年に建設されたもので,昭和58年に再現された建物だ。休泊所とは,受刑者が塀の外に出て,日帰りできない作業を行う際に寝泊りした仮小屋のことである。別名「動く監獄」と呼ばれ,作業の進行に伴い,次々と休泊所を建てては移動していったのである。部屋の中央は土間で,左右に寝台が設けられ,突き当たりがトイレである。トイレには簡単な囲いがあり,桶が置かれている(写真−7)。

写真−7

7.肥桶を筏で運ぶ

 網走刑務所の前方には,網走川が流れている。刑務所ではこの川を利用して生活物資を運び入れたり,農場へ下肥を運ぶなど,貴重な水路として利用していた。平成14年に復元された「網走刑務所水門」では,筏に肥桶を載せて農場に運ぶ様子がマネキン人形で再現されていた(写真−8)。様々なことに利用されていた水門(網走川への出入り口)であるにもかかわらず,復現にあたって,よりによって肥桶を搬出する場面を再現するとは…。何と素晴らしい博物館なんだ。

写真−8

8.おわりに

 時刻は6時になった。もう時間切れだ。閉門され,刑務所の高い塀の中に閉じ込められるのは,いかに素晴らしい博物館でも勘弁願いたい。気がつけば全身汗びっしょりである。他の見学者には,さぞや奇怪に見えたことであろう。
 やはり,1時間では足りなかった。見落とした所もたくさんあったはずである。無念でならない。到着までの時間を食われた,あのゲリラ豪雨とパトカーがうらめしい。しかし,待てよ。見方を変えれば,あのゲリラ豪雨とパトカーのおかげで,当初予定していなかった「トイレ見学」が交通違反も事故も無くできたのではないか。感謝,感謝である。終わり良ければ,全て良し。充実したトイレを訪ねる旅であった。

 本講話は,NPO法人日本下水文化研究会会 報『ふくりゅう 通巻67号』(平成23年1月21 日発行)に掲載した『網走監獄の事』に加筆・ 修正を加え,再構成したものです。

※日本下水文化研究会会員