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三府五港の公衆便所(2)

△講話者 松田 旭正 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1 大阪府の公衆便所

1.外国人の見た共同便所

路傍の共同便所(日本かわや図絵)
 京・大阪では町の辻に立つ木戸門の傍に小便檐桶(たご)を置き、近郊の農家が肥料として農家でできた野菜と交換していたが、この小便桶の権利は近世まで一部の団体(町組)の特権として認められていた。明治五年一月十三日大阪府は市街地の(団体)町組を廃止した。
(出典:大阪市資料調査会)

 京阪では近世になると人口の増大に伴い都市の開発が盛んになり,表通りに面した町屋の裏は空地になっている空間が利用されはじめ,共同で使用していた便所を各戸に備えると共に,裏長屋には共同便所が設けられた。
 近世初頭に滞日したキリスト教の宣教師フロイスは,かれの著書『日欧文化比較』のなかで「欧州人の便所は,家屋の後の方で,なるべく人目につかない場所に設けられているのに,日本人の便所は家の前にあって,すべての人に開放している」と記している。
 日本でも当時家庭の便所は,家屋の後ろであったが,農村では家の人口の横に小便所が置かれていた所もあった。フロイスの見た便所は道路に面した場所の便所が目について路傍便所を見たのではないかと思われる。共同便所の糞尿についてフロイスの記述によれば,「欧州人は,糞尿を汲取り,便所を掃除してくれる人に金を払う,ところが,日本では汲取り入が糞尿を買い,米と金を支払っている」とあり,近隣の農家が肥料にするために,日本では,人糞尿は有価物として取りあつかわれた。  明治二十二年(1889)大阪に市制が施行されたときには「路傍便所」は千五百カ所も数えられ,明治半ばの大阪の町のにぎわいを伺うことが出来る。(出典大阪の歴史31)

2.都市と農村における屎尿問題(大阪)

 都市の屎尿は,近世以来近郊農村から汲取に来ていた。その汲取りの契約方法は農民が自由に都市の家を訪ねて汲み取るのではなく,農村には汲み取り取締役が選ばれ その取締役が都市の地域を農民個人に割り当てる方式が大阪では行われていた。
 明治三年(1870)下屎(しもごえ)騒動が大阪で起こり,その結果七年三月下屎(しもごえ)仲間は解散を命じられた。

3.屎尿一揆と近代化の道

 大阪府は明治五年(1872)四月に封建的な下屎(しもごえ)の近代化を打ち出し株仲間一般を明治七年三月解散する通達を出した。
 同十一年一月「屎尿取締概則」を決め,屎尿取締まりは警察において支配するものとし,その汲み取りは午前五時〜午前九時,その運搬桶は蓋を覆い臭気が出ないこと,汲取り人は取締りの鑑札,船には取締の小旗を建てる,汲取り範囲は市中及び近接の郡・村の屎尿に限る,嶋上・嶋下・豊嶋・東成・西成の六郡には小区に世話係を設置し,取締りの協議・事務の取扱いをさせ衛生管理の面から規制を強化した。
 明治十三年七月から汲取り時間帯を四月〜九月間は午前八時まで,十月〜十二月までは午前九時までとし厳しくした。
 大阪府第四十六号の府令に基づき,明治二十一年三月十日「旧来ノ弊害ヲ矯正シ,摂河両国十二郡村屎尿汲み取り人ノ保安ヲ維持スル為メ,各郡村汲取人協議」,一致団結して屎尿汲取組合規約を調製して大阪知事に願出でた。八月一日認可され,これが「屎尿汲取人申合規約」である。
 近代化政策の一つである幕府時代からの屎尿仲間を一挙に解散させて,住民の自由汲取りにしようとしたことがしもごえ(しもごえせ)一揆の反発を受け,旧の慣習の存続を認めざるを得なく,規制を強めながら農民側に近代化のありかたを学ばせ,その成果を得た。(出典大阪の歴史31)

4.辻便所板囲

 辻便所についての記述は(南大組大年寄日記,下)に注目すると,市中の辻々に小便桶が置かれ,近世においてはそれを収集利用することが集落の特権として認められていた。明治五年四月二十四日の本書の記述によれば,従来の小便桶を各町ですべて取り払い,新しく板囲いさせるよう命じ,それを西成郡十一ヵ村と東成郡一村にも通達している。
 これは明治四年八月に出された「賎民廃止令」により,集落が市中の辻便所桶について特権を失ったことが見られる。

 また板囲いの図は,従来未見のもので注目されるものである。    (出典大阪市史料調査会 大阪市史料輯)

5.汚物掃除法と施行規則

 政府も屎尿を農業に欠かせない有機肥料として認めていた。明治三十三年(1900)公布の汚物掃除法は,汚物を「塵芥,汚泥,汚水及ビ屎尿」と規定し(施行規則第五条)搬出・処分は市行政の役割とした。しかし同二十二条においては「屎尿ニハ当分ノ内第五条ノ規定を適用セス,掃除義務者ニオイテ之ヲ処分スヘシ」と屎尿だけを特別措置している。
 1900年代屎尿処分権を都市に取り戻し財源にする意見が,大都市では強くなっていった。明治四十年に,大阪市では下水改良工事の財源として「屎尿市営」案(大阪市がし尿処理許認可権をもつこと)が登場し調査が行われ,そのためには汚物掃除法施行規則の改正が必要となり,大阪市は変更申請を行った。大阪の前に東京・名古屋が同様の申請を行ったが不許可になり,大阪市も不許可となった。(大阪朝日新聞 明治42・3・11)
 内務省は,こうした都市の要求に応え四十三年四月四日汚物掃除施行規則を改正した。(内務省令一三号)同法二十二号
 改正二十二条 但しシ土地ノ状況ニ依リ,地方長官ニ於テ必要ト認メタル場合ニハ,市ヲシテ処分セシムヘシ。前項但書ノ場合ニ於テハ,地方長官ハ其ノ処分方法ヲ具シ,内務大臣ノ認ヲ受クヘシ。
           出典新修 大阪市史第6巻

2 大阪の路傍便所を対象とした屎尿取締

(1)東区長から府知事宛て上申書
 客年地第八拾壱号即達ニ付,路傍傍屎尿取締之儀,当役所ニ於テ速ニ着手可候処,旧臘(ろう)第四百六十三号ヲ以上申候通従来人民中ニテ取あつかい,随テ客年中之該代価申請仕済之趣申立候ニ付,従前之契約取消候棟予メ申達置候,然ルニ従来之便所囲ヒ溜桶等甚不潔ヲ極,且園等ハ多分所有主モ判然不致而巳(じすでに)ナラス,其構造ニ於テモ粗造ニシテ.只三方ヲ囲ヒ覆蓋無之ヨリ平常日光ヲ射,炎暑ニ至リテハ一層悪気散却シ,甚(じん)衛生上之患害ヲ醸シ侯ニ付,今度取締着手之際囲ヒ溜桶等モ新ニ設置候ニ付テハ,戸長役場且前述人民中之惣代ヲ以テ契約致侯,勘上定元締メ申侯者并(あわせ)旧請負人等ヘ従来之分客年限取払方相達置候処,右勘定元締メ請負人トノ契約中ニ閑シ,今度当役所ニ於テ取締着手之方法,右受負人於テ不服ヲ喝(かつ)シ出訴候,然(ぜん)ニ付テハ右訴訟中ハ従前ノ通汲取侯様抔(ぷ)不法抔(など)申立溜桶汲取入之所有取払不致ヨリ戸長役場ニ於テ外囲取払難相成旨申立候向ニ有之,尤該掛印各戸長役場ヘ出張懇々理由説諭候得共,取払着手躊躇(ちゅうちょ)仕,甚(はなはだ)取締上ニ於テヲ生シ第一不潔汚穢之場所路傍ニ差置侯儀ハ摂生ニ関シ不相済次第ニ付テハ,右取払塗所分方警察署ニ於テ取計相成候様致度,
 此段相伺候迅速何分之即指揮相仰侯也,
    明治十四年一月十二日
      東区長  森田 稔(印)
 大阪府知事  建野 郷三 殿
 (大阪府衛生課 割印)

 書面伺之趣ハ其役所ニ而(じ)取払方取扱可致事,
    明治十四年一月十四日
     大阪府知事  建野 郷三(印)

(2)区長上申書の趣旨(1)上記の原文の要点)
 区長の上申書の内容を纏めると当時の大阪では,幕政の旧慣習が残る大阪府と明治政府の方針との間に齟齬(そご)が生じ,府知事から指示される地元戸長役場は路傍便所の取締・汲取,の件は戸長役場では対応が厳しいことが具体的に示されている。

(3)路傍便所の取締は官か,民か,(1)の上申書の内容要点のみ)
1 路傍便所の取締・汲取は区役所で行うこと
2 客年(昨年・明治十三年)の屎尿代価は人民(農民)が既に支払っているため,本年(明治十四年)一月から区役所が屎尿汲取りに着手すること
3 従来の契約関係はすべて取消すこと
4 従来の便所囲い・溜樽などは不潔を極め,衛生的に不都合であり,区役所が着手するに際してこれらを新たに設置(交換)すること
5 区役所が溜樽などを交換することについて,従来汲取について関わっていた「勘定元締メ」・「受負人」が異議を唱え訴訟問題に発展していること
6 取締強化を進めていく上で訴訟問題が障碍(しょうがい)となっており,囲いなどの取り払いを警察署に任せたいこと
*これまでも路傍便所の屎尿汲取りに関する方法や規制は大阪府など行政機関で行なわれいたが「取締」を区役所で行うことは実際の汲取り作業を民間から区役所に移行することで,取り払いは警察署に委託,その他路傍便所のすべての諸問題を大阪府知事から区役所に委任するという事である。(取締とは:便所の設置・管理・汲取り作業も含む)

(4)路傍便所の諸費用と地方税
 第八十二号
 路傍便所取締向キ所轄区役所ニ於担当侯ニ付テハ,囲ヒ溜樽其外該所之用物ヲ新旧交換ノ際,運搬ノ用ニ供スル為,右便所ノ尿代金ヲ以テ購求之該区役所ニ備置キ候,
 船車ノ義ハ地方税規則第三十六条土木工業用ノ官有船車塵芥運搬用の区町共有船車ニ準シ,該税免除シ国税ノミ徴収候義ト相心得可然候哉,此旨相伺候也
    明治十四年第十二月九日
     東区長心得
         書記心得 熊谷 新(印)
 大阪府知事  建野 郷三 代理
    大阪府少書記官  遠藤 達(印)

(5)諸費用地方税免除 上記(4)の説明
 東区役所の希望として路傍便所にかかる備品設置(便所の囲い・屎尿の溜樽など)について諸費用を尿代金から念出する旨を述べている。後段は屎尿運搬用の船・車は区町共有のものに準じ,地方税は免除されるべきとの意見書である。
 大阪府はこの要望をすべて受け入れた。

(6)路傍便所及長屋合雪隠
 甲第七十五号
 諸市場・演劇場・遊技場・寄席路傍等ニ設置スル便所及ヒ長屋合雪隠,其他公衆ノ用ニ供スル便所ノ悪臭ヲ防カナレハ虎列拉病毒醸発ノ媒介ヲ為スモ難計ニ付,自今其持主ニ於左ノ割合ニ従ヒ防臭薬ヲ散布ス可シ,此旨布達候事,
    明治十五年七月二十日
        大阪府知事  建野 郷三

諸市場・演劇場・遊技場・寄席 一日 四回以上
路傍便所及長屋合雪隠     一日 一回以上

*この布達では,悪臭の防止が唱えられ,公衆・共同便所のおける防臭薬の散布が命じられている。  目的はコレラ対策の一環として考案されたもので,一日一回以上又は四回以上の防臭薬の散布は便所の所有者(持主)により行うとの判断であった。(出典大阪市公文書館研究紀要 第十五号)

(7)大阪市規則第四号
 路傍便所規則
第一条  市内路傍便所は総数九百五十ヶ所以内トシ実際ノ便宜ニ応ジ之ヲ設置スルモノトトス
第二条  路傍便所掃除汲取又ハ点灯ハ毎年四月一日ヨリ翌年三月三十一日迄ヲ一期ト定メ入札ヲ以テ請負ヲ命スヘシ但請負ノ方法ハ別ニ定ムル所ニ依ル
第三条  掃除又ハ汲取ハ毎日一回之ヲ行フヘシ但屎尿満溢又ハ汚物アル場合ニ於テハ臨時汲取又ハ掃除スルコトアルヘシ
第四条  悪疫流行又ハ炎暑ノ際ハ毎日防臭薬ヲ散布スヘシ
第五条  臨時主務吏員ヲ派シ掃除又ハ汲取ノ実況ヲ監視セシムベシ
    (出典大阪市条例・大阪市公文書館蔵)

(8)路傍便所掃除汲取及点灯入札請負規則
    明治二十二年十月一日
          (大阪市告示第二十二号)
第 一条 路傍便所掃除汲取又ハ点灯ハ各別ニ其請負ヲ命スヘシ但点灯ハ街燈請負費額ヲ以同請負人ニ命令シ之ニ関スル規定ハ橋燈及街燈点火入札請負規則ヲ適用スヘシ
第 二条 汲取ノ請負ヲ命セラレタルモノハ身元保証金トシテ請負金額四分ノ一差シ出スヘシ
第 三条 便所数ヲ増減シタル場合ト雖も其数五十個所以内ニ止マルトキハ掃除又ハ汲取請負金ハ特ニ之ヲ増減セサルヘシ但五十個所以上ヲ増減シタルトキハ其翌月ヨリ請負金ヲ増減スヘシ
第 四条 掃除又ハ汲取等ニヨウスル器械ハ経て請負人ノ自弁タルヘシ
第 五条 略
第 六条 掃除請負人ハ請負ヲ命セラレタル後五日以内掃除人夫一人ニ対スル担当区域及巡回路線掃除ノ時間ヲ定メ認可ヲ受クヘシ其之ヲ変更スルトキ亦同じ
第 七条 掃除ハ毎日一回之を行フヘシ但便所ノ周囲壱間以内ニ於テ塵芥其ノ他汚物アルトキハ併テ掃除スヘシ
    *掃除不十分ト認ムルトキハ臨時掃除ヲ命スヘシ但其費用ハ請負人ノ負担トス
第 八条 掃除請負人ハ毎月一回以上自費ヲ以テ各便所ノ周囲ニ平均壱荷以上ノ土砂ヲ散布スヘシ
第 九条 便所に小破損(板離ノ類)アルトキハ掃除請負人は自費ヲ以テ之ヲ修理スヘシ
第 十条 掃除請負人ハ便所に大破ヲ生シタルトキ又ハ汲取方不充分ト認ムルトキハ速ニ届出ヘシ
第十一条 悪疫流行又ハ炎暑ノ際ハ掃除請負人ハ毎日防臭薬ヲ散布スヘシ但薬品ハ府庁ヨリ下付スヘシ
第十二条 掃除費金ハ毎月二十五日其月分ヲ請求スヘシ
第十三条 汲取ハ毎日一回之ヲ行フヘシ若シ不充分ト認ムルトキハ臨時汲取ヲ命スヘシ
第十四条 屎尿満溢等ニヨリ至急汲取ヲ要スルトキハ臨時他ノ営業人ヲシテ汲取シムルコトアルヘシ此場合ニオイテハ其屎尿ハ請負人ノ損失トス
第十五条 略
第十六条 便所の容器内ニ溜滞スル土砂等ハ時々浚ルヘシ但農作肥料ニ供スルノ外猥(みだり)リニ他ノ箇所ニ投棄スヘカラス
第十七条 略
第十八条 略
第十九条 略
第二十条 請負人規則命令ニ違背(いはい)スルトキハ期限内ト雖モ直ニ其請負ヲ取消スコトアルヘシ
     前項ノ場合ニ於テハ身元保証金ヲ没収スヘシ
       大阪市参事会
        大阪府知事  西村 捨三

2 京都府の公衆便所

(1)京と江戸の便所の話

雪隠(せっちん)・後架(ごうか)とも便所の呼び名で、上方では雪隠、江戸ではごうかと呼ばれた。雪隠は雪寵(ちょう)禅師(せっちょうぜんじ)が淅江省(せきこうしょう)の雲隠寺で厠の掃除を掌(つかさど)った故事から、(後架)は禅寺で僧堂の後に架け渡して設けられた洗面所が転じて便所になった。左の雪隠の図とごうかの図を比較すると、出入口の扉の構造が異なり、ごうかは上下に吹き抜け部分がみられる(守貞漫稿)
(図録・都市生活史事典)

(2)東海道中膝栗毛の小便汲
 弥次・喜多が京の三条で宿をとろうと道を急いでいると,小便たごを担いだ男が,「大こん小便しょしょ」と大声で向こうから歩いてきた。大根と小便を交換しようというのである。この小便取の声を聞いて出てきた二人の中間(ちゅうげん)。「こちゃ こちゃわしらふたりがここで小便してやるが,その大根三本,おくさんかいな」と二人は路地裏で小便たごに小便をはじめたが二人の小便の出が悪かったので,小便取りは怒って,大根を二本に値切り,一方の中間(ちゅうげん)は量より質を強調して口論となり,あわやつかみあいの喧嘩かと云う所で,ちょうどうまいぐあいに喜多さんが尿意をもよおし話はうまくおさまった。

小便汲み
近世以降日本の農業において肥料のなかで人糞はとりわけ貴重なものであった。そのため都市近郊農村では屎尿供給をめぐる騒動が絶えず、京都では享保年間(1716)に市中の汲み取り責任区域が決定された。しかし、小便だけでも大根などの野菜と交換ができるため、それを専業とする行商人が登場した。
(日本かわや図絵)

 京都では小便をめぐって喧嘩や暴動がたえなかった。正徳元年(1711)には,小便取と中間(ちゅうげん)が口論の末,刃傷沙汰になった事件が起こっている。

(3)羇旅(きりょ)漫録(巻之中三十一引用)
【八十二】女児(おなご)の立小便
 京の家々厠の前ふ小便檐桶(たんおけ)ありき。女もそこに小便をする。故(ゆえ)に富家の女房も小便を悉(ことごと)く立ち居てするなり。但し良賎とも紙を用いず。妓女などはふところにかみをもちて便所にゆくなり。(月々六回づつ小便桶を持ってくるなり)或は供二三人つれたる女。道端の小便たごへ立ちながら尻の方を向けて小便をするが,恥じるいろなく笑う人なし。

(4)路傍便所構造および掃除の規則(京都府)
 [不達要約]明治十六年五月二十四日
 第壱条  路傍へ新ニ便所ヲ設置セント浴スル者ハ,井水ニ隔絶シタル地ヲ撰(えら)ヒ,該町協議ノ上構造方図面相添其区役所ヘ願出検査ヲ受クヘシ
 第弐条  便所ニハ持主(共有ナレハ其負担人)掃除人ノ住所氏名ヲ記シタル左ノ雛型ノ標札ヲ掲クヘシ。(共通二同じ)
 第三条  便所ハ日光ノ直射ヲ防キ,雨水ノ流入セサル様構造スヘシ
 第四条  屎尿器ハ陶製ヲ用ヒ,周囲ヲ堅牢ニシ,汚汁ノ浸潤ヲ防クヘシ。
 第五条  便所接近ニ街燈アラサル場所ハ構内暗黒ナラサル様点灯スヘシ
 第六条  便所内外ハ一日壱回以上必ス清潔ニ掃除シ破損所アレハ,速ニ修繕ヲ加ヘ常ニ臭気ノ発散セサル様注意スエシ。
 第七条  屎尿ハ堆溜セサル様汲み取りヲ怠ルヘカラス。
 第八条  便所を取払ヒ,若クハ構造ヲ変換セントスルトキハ,其旨区役所へ願出検査ヲウクヘシ。
 第九条  此規則ニ違背シタルトキハ刑法第四百二十六条ニ拠リ罰セラレヘシ

(5)御布令之譯(わけ)
『京都府違式註違條例』を府民に解り易く広く知らせるために図解したもの
          (京都府立総合資料館蔵)



(6)舎蜜局(せいみきょく)注1に於いて防臭薬を製し発売せしむるを以て本府のち屎尿運搬規則を定め管内に布達す
 布達   明冶八年三月
国立公文書館所蔵

               

 第百三十号
 屎尿は人体を補給したる飲食の余分滓(し)物なり若し閉止め腹内に欝(うつ)滞すれば即ち疾病をなす此の臭気もまたこれに等しくこれを嗅ぐ時は諸々の悪病を伝染するはこれ衆人の知る所なり,ひと常にこの臭気を防ぐことは難儀をもってしかたなくこれを忍ぶところにして農民と雖もこの臭気を好む者一人も無きは生来人に害あるの兆候なり,しかれどもこの臭気植物には却(かえ)って毒せず沃(よく)品となり大に有益の品に,これを棄物とせば国家の損失たるなり また衆人の知る所故にこの両事適せんと舎(せい)蜜(み)の術を以てたびたび試験しようやく今日に至り一術を発明するを得たりその方法至って筒易にしてその薬剤も又廉(れん)なりこの法を以て屎尿の発臭気を防止しその発臭気屎尿中に含有して他に散出せずその効力常に倍すること明らかなり実に国家の有益ならん特に市中に住する人民は農民に比すれば悪励気伝染の諸病多きを以てつねに此法を以て便所を清潔ならしめ悪励気を絶ち身体保護を専一とすべくまた農民に於いては第一その毒臭を吸引せずよくその身体を保護し且植物培養の効力常に倍するを得べく又屎尿運送及び取り扱も便利なればその幸益浅少ならざるなりよって些少(さしょう)の費を嫌わず堅く規則を守るべしこの法術は簡易なりと雖もこれを発明することは頗る心力を尽くし財用を費したびたび試験を経てようやくここに至れり是人身保護と農業利益とを合わせんと深く苦慮してこの発明をなしこの規則を建てるなり疎にかんがえるなかれ
        京都府知事     長谷 信篤
   注1:舎蜜局=明治初期に理化学の実験と教育のために設立された機関。
京都府達式謹達条例は明治九年十二月に施行された。京都府の条例は他の府県と違いは第六十二条で屎尿の運搬時間を厳しく規制した処にある。京都府の統計によると屎尿運搬規則に違犯した者483人(科料24円15銭)市中往来での大小便245人(科料24円55銭)が罰せられた
(国立公文書館所蔵)

(7)屎尿運搬規則
               国立公文書館所蔵
 第一条  屎尿の発臭を防止し悪れいを除去する薬水を当府舎蜜局において製し発売すべし
 第二条  居宅の?厠(せいし)街頭の便所溝溜田園の糞壷屎尿運搬等にこの薬を用ゆれば速やかにこれを清潔ならしめ亜気を絶ち人身を保護するものとす
 第三条  市中し尿を郊外へ運搬するにはこの薬水を以て取り扱うを要す
 第四条  薬水を用いて悪気を防止するには屎尿平均一荷毎に薬水一合(価格五厘に当たる)を水一升に和しその半を取り屎の上面に流布し…以下略
 第五条  この薬水を用いて屎尿を運搬せんと欲せば第一印雛型の通りにて願出べし
 第六条〜第十条略
 第十一条 居宅の?厠溝溜等清潔にする為供用するものは鑑札に及ばず一度に八升以上舎蜜局にて売り渡すべし最も陶製の壷或いは壜等相応の貯器持参すへし
 第十二条 この薬水は当府舎蜜局の他にて類品を製し販くをゆるさず
 第十三条 この運搬規則に背くものは相当の処分あるべし

(8)府下屎尿を運搬するに防臭薬を用ひずあるいは覆蓋を設けさるもあるを以てその取締方管内に布達す
 布達  第二百七号
 市中屎尿運搬の義につき本年第百三十号を以て布告置候のところ間々心得違の者あり薬水用い方不行届且桶蓋をなさず持ち運びはなはだ不都合のこと薬水用法は行届臭気発散の害者なしと雖も不潔を顧みず……略  以後薬水用方不行届者は勿論桶の洗い方粗奪或いは桶に蓋せざる者はその筋の者見当たり次第取り締まり運搬鑑札を取り上げる事
    明治八年五月
           京都府知事  長谷 信篤

(9)内務省指令
 別紙伺之うち乾号各項下記の通り相心得おくべきその他聞き置き候以後罪目増減分は本年第五十一号公達の通り当省へ届け出べき相達候こと
    明治九年八月十一日
         内務卿   大久保 利通 印
違式註違条例之内
一 市街祖裼(そてい)赤裸にて戸外へ立出る者
一「市街道路に猥(みだりに)糞尿する者」
 但(ただし)二ヶ条共野蛮卑劣の風儀且身体の健康を妨げるにつき市街にては禁野外農作其のほか職業へついてはこの限りにあらず
  注「」については付箋あり
一 市中糞尿其の外悪水汲除きは日の出より一時間前に限るを違う者  但し京都は東京,大阪の如き直ちに川筋を舟にて運送するとは地勢相変り始終擔荷(たんか)に付時限なり群聚(ぐんしゅう)の中を運搬候では臭気人身の健康を妨げ或は衣装を汚し又誤って道路を汚し諸人の妨げと相成り侯ところ四方農村間近き事につき時間を限りて運輸の者の妨げには不相応事につき本文の通り

(10)明治九年違式註条例を管内に布達す
 布達   第三百八十五号
    違式註違条例別紙之通相定候管内無洩相達者也
    明治九年十月二日
          京都府 権(ごん)知事  槇村 正直
別紙
違式註違条例
 第一条 違式の罪を犯すものは七拾五銭より少からす百五拾銭より多からさる贖金を追徴す
 第二条〜第七条略
違式罪目
 第七条〜第二十六条まで略
 第二十七条 川堀下水等へ土芥瓦礫等を投棄し流通を妨く者
 第二十八条〜第三十七条まで略
 第三十八条 市中糞尿運搬鑑札所持にて薬水を用るものは午前十一時三十分限りとす薬水用いず運搬する者
 第三十九条〜第五十二条まで略
註違罪目
 第五十三条〜第五十九条まで略
 第六十条  下掃除の者蓋なき糞桶を以て運搬するもの
 第六十一条 市中往来筋に於いて便所に非さる場所へ大小便する者
 第六十二条 市中糞尿運搬無鑑札にて薬水用いず運搬する者は日の出前一時前に限るを犯す者
 第六十三条〜第百四条まで略

 その後京都府の違式註違條例は数回にわたり変更されている。