読み物シリーズ
シリーズ ヨモヤモバナシ
漁業者からみた屎尿の海洋投棄
△講話者 地田 修一 *
コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)
1.はじめに
汲み取り屎尿を海洋に投棄する処分法は,昭和の初めから一部の大都市で行われていました。戦後,屎尿の農地への還元が行き詰まりみせた昭和25年頃からは全国的な広がりをみせ,沿岸の多くの都市で実施するようになりました。当初は内湾部へのほんの少量の投棄でしたが,その量が増えてくるとともに,「アサリやハマグリへの病原菌汚染」や「海苔養殖への被害」が起こり,次第に外洋域への投棄に移っていきました。
屎尿の海洋投棄に対する漁業関係の学者の考え方は,当初,「海は潮の流れが強く自浄作用も大きいので,少しぐらいの屎尿投棄で海が汚濁されることはない。外洋を流れている黒潮は,栄養分の小さい海域なので,屎尿投棄により栄養分が補給され,魚の餌さとなるプランクトンの繁殖が助長される」というのが主流でした。しかし,瀬戸内海や東京湾の水質汚濁が社会問題化した昭和45年頃になると,「海の自浄作用を超える無計画な屎尿投棄は,漁場の荒廃を招く。海をゴミ溜めにすべきではない」という考え方の方が正論化されてきました。
ところで今まで,当事者である漁師の立場からの「屎尿の海洋投棄に対する見解」を,文章でみることがありませんでした。これは専門分野の異なる私が目にする機会が少なかっただけなのかもしれませんが。
たまたま,数年前に神田の古本屋さんで掘り出した『自伝 漁界懸命記』は,生粋の漁師である中井国之助さんが書いた一代記です。昭和55年の出版(現代史出版会)です。
この本の中で,「し尿投棄問題の勃発」と題する一つの節を設けて,「屎尿の海洋投棄」にまつわるエピソードが18ページにわたってとりあげられています。
2.著者・中井国之助氏とその著書の紹介
中井国之助さんは,明治35年,現在の和歌山県田辺市の江川で生まれました。ここは典型的な漁村で,彼の父親も漁師です。当時,田辺では,図−1にあるような人力で艪を漕ぐ船で魚を獲りに行っていました。田辺に動力漁船が現れたのは,明治41年になってからです。
図−1艪船による鰹釣り(「山海名産」より)
図−2 動力船による鰹の一本釣り(「海からの幸」より)
大正4年に小学校を卒業した中井さんは,見習いの漁師として船から船,港から港へ渡り歩く出稼ぎに出ました。大正から昭和20年にかけての頃,和歌山県の潮岬から白浜の沖合いは,黒潮に乗って回遊してくる鰹や鮪の良い漁場で,江川の漁港は大漁船で大いに賑わいました。
図−2は,動力船での鰹の一本釣りの様子です。漁師の西川恵与市さんが書いた『土佐のかつお一本釣り』という本によりますと,鰹釣りの様子はこのようです。読んでみます。
「(かつおの群れに)近づいて当て餌を投げこむと,なんなくいわしに食いついた。「わいたぞ!」と言って,餌飼え(えどがえ)が多量のいわしを投げこむ。食い気旺盛,はえている群で,かつおが飛び飛びして餌をとり,船に押し寄せる。釣れるわ釣れるわ,一時間ぐらいで船はぐらりと左にかしぎ,甲板はかつおの山となった」
通常,鰹は海面下すぐのところを群れて泳いでいるのです。
中井さんは,その後,郷里の江川にもどり,やがて地元の漁業組合長を経て昭和49年に和歌山県の漁業協同組合連合会(県漁連)の会長に推されます。
3.屎尿の海洋投棄問題の勃発
中井さんは,この本の「屎尿の海洋投棄」問題についての節の書き出しで,
『し尿の海上投棄というのは,広大な海の自然浄化作用を元々利用してのことで,なにも当時に始まったことではない』
とまず一般論を示しています。しかし現実的には
『(投棄し尿は,)急激な人口増に伴いその量を増し,… その質も昔とはだいぶ違ってしまった。その結果,紀州沖に北上してくる鰹,鮪が,し尿投棄付近の海上では全く散ってしまい,漁獲高が減少の一途を辿ったわけである』
と,漁業者にとっての死活間違にまで発展してしまったことを鋭く指摘しています。
3−1 海洋汚染防止法の改正に伴う余波
屎尿の海洋投棄は,昭和25年頃から沿岸の多くの都市が本格的に行うようになりました。当時の経済的,技術的な実情からは,海洋投棄に頼らざるを得なかったのです。屎尿の海洋投棄は,衛生問題や海水浴場などへの環境汚染のほか,水産業にも悪影響を及ぼしていました。
そこで,昭和47年6月,海洋汚染防止法が改正され(制定は昭和45年),48年4月以降は,全国どこでも,屎尿は沿岸から15海里(約27.8km)以内への投棄が禁止されることになりました。このため,たくさんの島が点在する瀬戸内海への投棄が,現実的に不可能となり,屎尿処理施設が完成するまでの暫定措置として,兵庫,岡山,広島,徳島,香川,愛媛,の六つ県は,昭和50年8月末を期限に,和歌山県と高知県の沖合い潮岬南方64海里(約118.5km)の海域に屎尿を投棄することが暫定的に許可されました。その量は地元の二つの県の分も含めると,日量約3,600m3となり,400万人分に相当するものでした。
ちなみに,この法律以前には,屎尿の海洋投棄は,清掃法により規制されていました。それは,屎尿投棄に伴う東京湾岸での赤痢患者の多発などの被害があったことが背景にあります。昭和29年に清掃法が施行されたとき,東京湾,相模湾,伊勢湾,大阪湾,備讃瀬戸,広島湾,周防灘,玄界灘の8つの海域における,屎尿投棄を禁止する水域が具体的に示されました。それは,海流調査を行って決められたものです。たとえば,東京湾では,三浦半島の剣崎と房総半島の野島岬とを結ぶ線の外の海域です。また,相模湾では,沿岸から10km以上離れた海域としています。
しかし,不法投棄が絶えなかったため,厚生省は昭和31年7月にあらためて,各都市の責任を明らかにするため.投棄方法の規制を実施しています。
写真−1屎尿を海洋に投棄する(「トイレ・屎尿考」より)
海上で屎尿を投棄している様子が,『沖縄トイレ世替わり』(平川宗隆,ボーダーインク)に載っていましたので,次に紹介します。参考として写真−1をご覧ください。
「ここは海洋汚染防止法に基づくし尿投棄の許された海域である。… 投棄海域では船は停泊せず海面を疾走しながら,右舷後方に在る直径50センチほどの排出孔から積んであった750トンのし尿を船外へ吐き出し始める。もくもくと排出されたし尿は海水より比重が軽いせいで海面をただよいながら,コバルトブルーの海面を帯状に糞色に染めていく… 例の糞尿特有な臭いが辺り一面を覆い尽くす。投棄が終了するまで約35分かかったが,しばらくすると空色を塗ったあとの筆洗液に黄土色を使った筆をつけたかのように濃紺の海に飲み込まれていった」
ところで,暫定的に認められた,潮岬沖合いの屎尿投棄海域は,先ほど述べたように鰹の漁場に当たっていました。黒潮の流れる海域です。中井さんはこのように記述しています。
図−3 鰹の群(「土佐のかつお一本釣り」より)
『鰹というのは,海面近くを群遊する性格をもっていて,だからこそ釣りもできるのだが,それが,このし尿投棄がなされると海面が濁るため一斉に深く潜ってしまう』
図−3をごらんください。鰹は極端に濁りを嫌う魚なのです。そのため,一本釣りによる鰹の漁獲高が大きく激減してしまったのです。
屎尿の陸上での処理施設の建設は,どの県においても住民の反対運動が強く,遅々として進みませんでした。解決策らしい解決策がどこからも出ないままに,ただ漁民のみが被害を受け続けて,暫定の期限が迫ってきました。
3−2 県漁連の抗議行動
和歌山県漁連は,海洋投棄の暫定期限があと2ヶ月となった,50年6月,和歌山県当局ならびに県議会に,屎尿の海洋投棄即時中止を要望する旨の陳情を行いました。
『現在,し尿投棄中の海域は,日本でも有数の漁場であり,かつお,まぐろ漁操業に多大の支障を生じている。… 我々は,本県沿岸漁場環境保全上重大な危機感のもとに,実力行使を含め,あらゆる手段をもって対処して行く考えである』
と,強く訴えるとともに,屎尿の陸上での処理施設の整備に関する具体的な対応策の提示を迫っています。
3−3 行政側の対応
この県漁連の強い要望を受けて,和歌山県当局も瀬戸内海環境保全知事市長会議(昭和50年7月24日)の席上,緊急提案を行っています。それは,
『陸上処理施設に対する実情に即した国庫補助制度の大幅な改善など,国は所要の処置を構ずべきだ。同時に他の廃棄物処理についても政府は抜本対策を確立されたい』
と,いうものです。
これに対する厚生省の回答は,
『し尿はあくまで陸上処理が原則である。…国庫補助は,現在海洋投棄をしている県下に優先配分し,補助率の改善も検討する』
というものでした。
4.屎尿投棄問題の新たな展開
ところが,関係の各県は,屎尿の陸上処理計画の遅れを理由に,和歌山県に対し,「海洋投棄をもうしばらく続けさせて欲しい」と,再度,強く申し入れてきました。
これは明らかに約束違反です。
4−1 県漁連からの逆提案
海洋に投棄される廃棄物(屎尿も該当)は,清掃法(廃棄物処理法と名称を変更)および海洋汚染防止法によって,種類に応じて,A海域,B海域,C海域とその投棄海域が指定されており,排出方法についても規定されています。
県漁連は,
『漁場保護,海洋汚染防止のため,認め難いという基本姿勢を持ちつつも,… 持っていき場のないし尿を抱え,各県が深刻に悩みぬき,弱り果てている姿も無視できない。
そこで私たちは現実的処理案として,今後三年間の期限つきで,和歌山県の外洋にあたる陸岸から約140海里(約260キロメートル)沖のB海域へのし尿投棄はやむをえない』
という案を示しました。
位置関係は,図−4をみてください。
しかし,問題はこれでおさまりませんでした。
図−4 屎屎投棄の位置(「自伝漁界懸命記」より)
4−2 傘下の漁協からの反対運動
B海域への投棄続行を了承した和歌山県および県漁連に対して,県下の紀南の五つの漁協(田辺漁協を含む,後に七つの漁協に増える)は,「和歌山県し尿投棄絶対反対漁民連絡協議会(し尿投棄反対連協)」を結成し,猛烈な反対運動を展開しました。
『私にすれば,まさにこれは,足元から火の手があがったという感じであった』
と,中井さんは述べています。
一方,県内の17の市町村からは,「昨今の地方財政危機の軌 B海域までの遠方へのし尿の海上投棄については非常に困難であり,即刻の実施は不可能である」という申し入れがあり,これが反対運動に「火に油を注ぐ」ことになりました。
4−3 県漁連として補償費を要求
今まで仲介的立場に立っていた県漁連は,ここに至ってついに,県当局に対し補償費を要求することになりました。それは,
『県漁連は三年後の陸上処理施設の建設を目標に,それまでの間,県下の市町村に限り現行の64海里海域への投棄続行を認める。その代りに,漁民が払う犠牲補償,迷惑料という形で,県補助金を含め一人当たり二百五十万円の補償費を,三年間で通算約二億八千万円ほどになるが,払ってほしい』
と,いうものです。
交渉の結果,この金額が県漁連に支払われることになりました。県漁連は,この補償費をあくまでも県下全体の漁業振興に役立てようと考えました。
ところが,これがまた,新たな騒動の発火点になってしまいました。
4−4 し尿投棄反対連協が被害当事者への償還を要求
し尿投棄反対連協は,50年12月8日,県漁連に対し個々の被害当事者への補償を求めてきました。それは,
『@海洋投棄反対運動費用,休業補償四千万円の弁済。A初年度迷惑料は,被害補償として反対連協に重点配分。B迷惑料の漁民への還元。』
というものです。
県漁連内に設けられた汚水対策協議会の小委員会では,
『し尿投棄反対連協が展開してきた運動の成果を高く評価しながらも,被害補償などについては認定が極めて困難である』
との意見が大勢を占めていました。そのため補償費は,
『漁業振興資金の創設基金として活用する方が,全員福祉,公平分配になって好ましいのではないか』
というものでした。
ところが,まさにこの時,この小委員会の傍聴をめぐって,し尿投棄反対連協との間がこじれてしまい,県漁連の建物(水産会館)が占拠されてしまいました。事態は緊迫していました。何度も,話合いがもたれ,中井さんは,
『私は会長としての腹案があるので,とにかく県漁連と汚水対策協議会との合同役員会で全力を尽くす。だから,どうか水産会館の封鎖を解いてもらいたい』
と訴え,ようやくし尿投棄反対連協から,
『納得のいく回答を出すなら,封鎖を解除してもよい』
との,歩み寄りを得ました。
4−5 県漁連会長案を提示
昭和50年12月24日,水産会館会議室での合同役員会の席上で,このような県漁連会長案を示しました。
『@51年度の迷惑料である四千六百万円のうち,四千百五十万円をし尿投棄反対運動諸経費等の弁済のため,し尿連協を結成している七漁協に配分し,四百五十万円を汚水協経費に充当する。A51年度,52年度以降の県支払い分それぞれ四千三百万円については,来年早々,水産振興,公害防止,漁民救済,操業安全確保諸対策費として運用する方策を考える』
さらに,その席上で,
『53年夏までの,し尿の陸上処理の実現をめざして,全漁民が結集し運動する』
という追加案も出され,いずれも承認されました。
こうして,屎尿の海洋投棄をめぐる,県漁連の内紛もようやく解決をみたのです。
5.おわりに
県漁連会長の立場と一漁業者との狭間で,一途に悩みながらも情熱をもってその解決に懸命に当たってきた中井さんは,このように感慨を述べています。
『私にしてみれば内部紛争は,漁連の信用問題にもかかわってくる問題だっただけに,政治生命を賭けて必死に努力するよりなかった。… 将来の(し尿の)陸上処理施設の早期完成の問題をどうするかなど,前途にはなお多難ないくつかの問題が残されていた。…
海に生活を求める漁民にとっては,一日も早く後遺症のないきれいな海をとり戻し,大事な食糧源の資源確保にまい進できることを心から願う』
そして,この本の「あとがきにかえて」を,中井さんは次のような言葉で結んでいます。
『一人の男の漁界懸命の一生が,移りかわりゆく漁界にどうかかわり,どうあがき努めたか。このあとも勢い鋭く海に押し出す若い方々に,一掬いのなぐさめと励ましになれば,こんな嬉しいことはありません。海よ広かれ,美しかれと,漁師は永久に願っております』
さて,その後の行政の動きですが,海洋汚染防止法は,昭和45年に制定されて以来,「廃棄物投棄による海洋汚染の防止に関する条約(いわゆる「ロンドン条約」)」の規制強化を受けて,幾多の改正が加えられてきました。屎尿の海洋投棄については,5年間の経過措置を設けたうえで,平成14年から全面的に禁止となりました。
参考文献(本文中で明記したものを除く)
1)「漁民残酷物語」:霞堂宣夫,エール出版社
2)「下水処理水と漁場環境」:渡辺競編,恒星社厚生閣
(本講話は,平成21年11月28日に東京・市ヶ谷の水道会館で行われた第10回下水文化研究発表会での口頭発表原稿に基づいています。)
※日本下水文化研究会会員