屎尿・下水研究会

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シリーズ ヨモヤモバナシ



東海道中膝栗毛に見る船の便所A

△講話者 松田 旭正 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

『弥次北と髪結いの問答』における上方女性の立ち小便について
     (女性ホルモンと関西婦人の立小便)

 女性の卵巣濾胞より分泌するホルモン(卵胞ホルモン)は,女子の生殖機関を発育せしめるばかりでなく,植物の生長発育をも促進する作用を有している。……(中略)
……女性ホルモンは婦女の排出する尿の中に含有せられている故,若しその人尿を肥料とするときは,穀類野菜類の生長発育を促進し,随ってその収穫量を増多することができるわけで現にホルモン研究家として学界に其名を知られている医学博士伊藤正雄氏の所説によると,同氏の友人某氏は野菜の栽培に,加里,窒素,燐酸の如き化学的肥料をいかに配合しても,婦人尿の作用に及ばざることを話したといひ,また女性ホルモンを含有する婦人尿を肥料に用いると,米の収穫高は八十%の増加をみるとのことである。………(中略)
………以上述べた如く,婦人尿には植物の生育発育を促進する女性ホルモン及発育ホルモンを含有 することを念頭においてから,近年に至る迄も関西の婦人間に行はれた立小便の風習を回顧したならば,そこに尠からざる興味を看(みる)出すであらう。
 曲亭馬琴の旅行記『覇旅漫録』中に『女の立小便』と題して『京の家々の厠の前に小便担桶(たご)ありて,女もそれに小便するが故に,富家の女房も悉(ことごとく)立てするなり(中略)月々六回ほどづゝこの小便を汲みに来るなり。供二三人連れたる女の道端の小便桶へ立ちながら尻を向けて小便するに恥づる色なく笑ふ人もなし』と記し,京 阪の婦人の風習の一たる立小便を嘲笑(ちょうしょう)している。
 かやうな習俗のない関東人の眼には奇異なる卑俗醜風のやうに映じたが為であらう。  大場柯公の随筆『ペンの踊』の中にも『京大阪』の条に『私は大阪や京都に旅行して,たとひ一両日でも逗留すると,必ず気になる一事些事がある。それは小便所の隅に紙屑籠があって用のすんだ不浄な紙をその中に蓄へてあることである(中略)不浄な紙をためるところに京大阪人の経済的に細かい気分が窺われるが,その他に風俗上の問題として女の立小便といふ風習がこの紙屑籠の素因をなしているのである』と記している。………(中 略)
………京阪婦人の立小便をする風習は,肥料の一なる尿を糞便より分つてその量を多くし.沢山に肥料を得んがために起こつた農業本位の伝統的慣習であり,糞便を『もと肥え』尿を『かけ肥え』といつて別々に分けて慣習により,女の立小便といふ風習を生むに至つたのであるが,………(中略)
……農業上に効験のある婦人尿を採集するに役立つ女の立小便の風習はけつして笑うべき醜風随俗(しゅうふう・ろうぞく)でなく寧(むしろ)有意義の行為として是認すべきのであることを肯定し得られるであらう。

『旅人(上方)の江戸における放尿(小便)について (江戸と放尿)

(前略)……伝教大師は京都の一条より九条までの地に,法華経九万部を埋めてある。(中略)京洛の地中には尊い御経が埋まっているから京都の人々は地上に放尿するのは勿体ない,悌罰があたるといふ信念から路上に共同便所の小便おけを設けて之に放尿したものである。
 しかるに江戸では京都に於ける如き伝説が無いので,共同便所の設けも無く,それが漸く(ようやく)出来た文政以来でも至てお粗末な小便溜りで路地の地面に樽を埋めただけのものに過ぎなかった。それゆえ小便は垂れ流しの有様であって『静軒痴談』にも『江戸の女子は暗夜といへども途次にでは出恭(はばかり)せず,これに反して男子の憚(はばかり)なきことは他方に無きことなるべし』とある。
 斯様に小便が垂れ流しであったので,これを防ぐがため,所々の町辻には『小便無用』の制札をたてた。(中略)また『静軒痴談』に『小便無用の札は男子のみを戒めるためなれば,あるいは無用と書きてその上に剪刀(ハサミ)を書けるなどあり。この所へ小便すれば之を切らんとの意なるべし云々』とある。
 是に由て之を見ても『小便無用』の制札が江戸の町々に立てられたことが分かり(以下略) (出典・歴史民俗学資料叢書I 糞尿の民俗学編著者 礫川全次(こいしかわ ぜんじ))

『平成の江戸における放尿』について

 平成の世では公共の便所は不便することのないくらい各所にあるし,昼間はさらにデパートや駅等の施設も利用できる。夜になると飲み屋街の近くの路地や道路の植え込み,人通りのない暗いビルの陰は平成の江戸でも天保の世と変わらない。

平成18年6月22日撮影(朝日新聞東京本社前)

立小便禁止の法律(横浜市中へ御蝕の趣き)
 立小便を禁止(明治元年九月二十三日もしほ草)
一 往来端にて小便所これなき所,諸人の見前もはばからず,立ちはだかり小便いたし候儀はなはだ不作法至極,外国人へ対し候ては別して恥入り候儀に付き,以来右様の儀,決てこれなきよう仕るべく,この上取用いず候えば御取糺(きゅう)しの上,お咎め仰付けらるべく候事。 酔って小便,罰金六銭二厘五毛(明治六年八月十九日 郵便報知)
 武州荏原郡弦巻村農鈴木一作弟 鈴木三郎
 その方儀大酔の上道路へ小用致すに付き,警視出張所にて取糾(とりしらべ)され,贖罪(しょくざい)金(六銭二厘五毛)差し出し,差免され立出る折,取留めざる儀高声に相よばわり,ことさらにふたたび往還に小用致す科(とが・罪)不応為律に擬(なぞらえ)し懲役三十日申し付くべき処,宥恕(ゆうじょ・情けをもっておおめにみる)を似て贖罪金二円五十銭申付ける。
軽犯罪法(昭和二十三年法律三十九)
 第一条 二十六 街路又は公園その他公衆の集合する場所で,たんつばを吐き,又は大小便をし若しくはこれをさせた者
 第二条 前条の罪を犯した者に対しては,情状により,その刑を免除し,又は拘留及び科料を併科することができる
 第三条 第一条の罪を教唆し,又は幇助した者は,正犯に準ずる。