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寄生虫病予防法と、その汚物掃除法
    および清掃法との関係
       −昭和前期の衛生問題と屎尿−

△講話者 稲村 光郎 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

 大正〜昭和初期において屎尿が都市で余剰化し,不法投棄による河川汚濁が発生するなどし,汚物掃除法施行規則の改正が行われ市による処理が実施された過程については既報で述べた 注1)。しかし,同時期の,特に農村部において寄生虫が蔓延し,その悲惨とも言える状態の改善に内務省等が取組んだ経緯については,戦後のそれも含め,ほとんど忘れられている。さらに近年の循環型社会形成をめざす流れの中で,安全に循環出来ていたわけではない過去の屎尿の肥料利用を無批判に美化する風潮も一部に見られ,結果として先達の努力や成果を定めることにもなっている。
 そこで本論では,大正期から昭和前期における寄生虫をめぐる状況と内務省の取組み,中でも特に注目されることの少ない寄生虫病予防法(以下「予防法」)を中心に,それと汚物掃除法および戦後の清掃法との関連など,屎尿の安全な肥料利用化への取組みを述べる。

1 大正期における内務省の取組み

 1)わが国で,寄生虫問題が本格的に取組まれるようになったのは大正期のことである。明治末に北米で十二指腸虫卵保有者の上陸拒否がなされるようになったのに応じて,大正2年には同地への渡航者に対し,予めその検査を行うようになった。その成績によれば当時の,毎年1万人を越える対象者中に25%程度の同卵保有者がいたことが判る。またわが国における住血吸虫の中間宿主の研究が進んだのも大正年間である。一方,当時の衛生上の大きな課題であった乳幼児の高い死亡率の改善を検討する中でも寄生虫問題が取り上げられ,調査の結果,地域的に見られる貧弱な体格やそのことによる徴兵検査合格率の低さなどが,それと深く関わるものではないかとして注目されるようになった。
 大正8年発刊の内務省衛生局「寄生虫病及地方病予防」は,宮入慶之助による実務家向け講演録であるが,回虫や十二指腸虫の対策として@野グソをしないこと,Aはだしで外に出ないこと,B薬を服用することを強調するなど,当時の農村の危険性がうかがえる。なお同書が,屎尿は肥料溜めの中で十数日置くことにより寄生虫卵の大半が死滅するとしているように,この頃までには屎尿中での死滅策に気づかれていた。
 また大正12年内務省衛生局発刊「寄生虫」は,一般向けであるが予防として,@便所を屎尿が流れ出たりハエが人らぬように完全化し,尿を十分に混ぜ腐敗させること,A中間宿主の撲滅,Bはだしで湿地に人らぬことや衛生的な調理など,感染経路を遮断することを挙げている。

 2)上記「寄生虫」によれば全国九ヵ所の農村約一万七千人を対象とした調査で,有卵者が約86%となっているように農村地域でのその高率は極めて憂慮すべきものがあった。その実情を「農村保健状態の改善」(大正14年 内務省衛生局)で見ると,同書でも農村部での有卵者の比率を80%〜90%としている県が多いが,さらに十二指腸虫比率を示した府県では18%(大阪),20〜25%(宮城),25%(鳥取),30%(兵庫),さらに肝臓ジストマを挙げた一例では10〜30%(宮城)と今日から見れば驚くべき高率となっている。各府県とも対策は駆虫以外には実質的に行っておらず,それも「県下全住民に対する調査はもちろんその駆除は到底不可能」(長野),「農村保健調査に当りて駆除せしもの二村,その他一,二村あるに過ぎず」(宮城)という有様であった。
 また意見としては「人糞肥料問題を解決せざる限り之が根本予防策は(困難であり)」(富山),「(虫卵が死滅するとされる)屎尿を腐熟させるには相当の設備を要する上,施肥時期の関係上で腐熟まで待てないこともあり,(問題の)大部分は経済関係による」(奈良),そこで「施設に対する補助金や奨励金」(三重)を必要とするとし,「(検査を)法令の力によりて」(岡山)と強制力を期待する声もあった。なお,ほとんどの道府県が農村における飲料水や住宅(日照,便所,下水等)の改善を課題とし,「現今の農村の状態にては再感染の機会少なからず」(石川)であることが指摘されていた。

 3)内務省は,大正末〜昭和はじめに「大宮の実験」として知られている本格的な実験調査(代表:高野六郎)を行った。実験は@「糞尿中における回虫卵並びに十二指腸虫卵の生存期間」について,回虫卵では生活卵数が死滅卵数の10%以下となるに要する日数は約六ヶ月であるが,なお十ヶ月に及ぶものがあること,十二指腸虫卵では二〜三ヶ月,病原菌は長くても一ヶ月程度で死滅すること,Aこのことから三ヶ月も貯蔵すれば大半が死滅すること,および回虫卵についてはその比重が大きいため下層に滞留し越流しないとして工夫された「実験的改良便池」による研究が進められ,実際に一農村の全戸に作った結果,保卵率が低下した。これが直ちに内務省式改良便所として普及が図られ,県によっては補助規程を設けるなどの支援もあり,昭和4年中までには全国で同様のものも含め2,500個以上が設置され,戦中戦後を通じ3万個に及んだとされる。すなわち調査の段階から対策の時代に移ったのである。昭和に入り,駆虫薬の消費量も飛躍的に伸びている。

2 寄生虫病予防法の制定

 以上のような経過を踏まえ,内務省は岡田良一(兵庫県衛生課長)に「寄生虫予防に関する調査報告」(昭和5年12月)をまとめさせた。同書はその対策について改めて次のように述べている。
「糞便内虫卵撲滅は寄生虫病予防上重大なる意義を有するものである…そして…普通採用される消毒法ではこれを撲滅することが出来ない。そこで…醗酵作用及び糞尿混合による卵子撲滅法はその操作簡単で効果多きものと認めるのである。この目的を達するには一つは改良便所設置の普及であって,一つは農家に用いる糞尿貯留槽の完備である。而して糞便は尿とよく混合して雨水等の混合せざるように貯留するように普及せなければならない」
 さらに報告の末尾には「寄生虫病予防法案」が提案されている。これは岡田の私案とされているものの,翌6年には実際に予防法が制定され,その法案審議作業と本報告書作成の時期が重なることから,本私案は法案に対する内務省の考えを代弁したものと考えられる。同法は,法案作成者である高野六郎が「その実は糞便処分法である」と述べたように 注2),内務省衛生局が取組んだ「大宮の実験」の成果を広く普及させるために作られたと言ってよく,特にその第三条は次のように謳っている。「地方長官ハ糞便其ノ他寄生虫病伝播ノ媒介ト為ルベキ物件ノ処置ニ付寄生虫病ノ予防上必要ナル命令ヲ発シ又ハ処分ヲ為スコトヲ得」
 これは寄生虫予防の観点から,改良便所あるいは同趣旨の貯留槽の設置もしくは設置命令など,その地方の状況に応じた屎尿処理を各地方長官に期待した条項であり,その具体的な例示を,岡田私案では「(各種営業者や農業者へ)寄生虫蔓延の媒介となるべき事項を制限,禁止…必要なる施設をなさしむること」,「(市街地建築物法で)新築又は改造の便所及び屎尿溜の構造を制限」,「地域を限り各戸の便所の改造を命ずる」と述べている。ちなみに内務省は,後に23府県の各一個町村を模範地区に選び,その内務省式改良便所の設置に補助金を支出することとしている。
 そして,本条項は冒頭で述べた昭和5年の「汚物掃除法施行規則」改正とセットとみることが出来る。すなわち内務省としては,市の地域にあっては同施行規則で屎尿の処理を市の仕事として安全な処分の責任を負わせ 注3),市以外の地域にあっては本条項で地方長官に命令権を与え,あるいは道府県が自ら貯留槽の設置などを行うなど何らかの処置をとることで,わが国の屎尿処理の衛生的改善が実現できると考えたのである。
 実際に東京市や大阪市で行った農村還元では,既報のように遠隔地の農村に仕切り板を備えた大容量の貯留槽を設置し,そこへ直送することで内務省の意図は達成された。しかし,その実現には時間を要した上,市内でも周辺区にあっては一部もしくは全域を市営対象から除外して農民汲取りを容認し,また農民も大貯留槽の必要性を理解していなかった 注4)。さらに戦時体制が進んだ昭和10年代末期には,市はその処理義務を半ば放棄し,戦後は肥料の逼迫事情も手伝い,その施策が結実することはなかった。とは言え,その意欲的な実験の成果を二つの法令に反映させた,肥料利用の実情に即した解決方法は評価されてよいと考える。

3 寄生虫の実態

 ここで,昭和戦前期における寄生虫保有の実態を農村部とは対極にあった東京市の調査「東京市学童寄生虫卵検査成績(昭和8年9月〜昭和9年7月)」に見ることとする。本調査は,東京市内の10万人を越える児童を対象としていること,昭和7年に東京市が周辺の町と大合併した直後であり地域差が明瞭であること,学校ごとに集計が出ているので個別に検討できることなどの特徴がある。表−1から旧市内と新市内との違い,とりわけ都心区と東部周辺区では大きな差があることが判る。すなわち@農地の乏しい旧市内では概ね15〜20%の保有率であるが,本所深川のような水郷地帯では25%近くに及んでいる,A新市域でも山の手側の西部地域では20%前半であるが,南部の海寄り地域や農地のまだ多い低地域では30%前後以上ある。B特に,江戸川,足立,葛飾などの水田地帯は,板橋(現練馬を含む)のような畑作中心地域に比べても非常に高い。しかし,全市全校を通じて十二指腸虫の比率は極めて低く,その他の吸虫等などの深刻な被害も少なかった。

表−1 昭和8〜9年 東京市学童寄生虫卵検査区別成績(尋常科)

@( )は原表中に記載がなく原本の緒言に述べられている数字である。原表には全区が網羅されていない。A網掛けは旧市内を指す。B回虫に次いで暁虫が多いが、本表では省略した。

表−2 学校別保有者比率(上下各5校) 原表には全区が網羅されていないため全市の上下5校ではない。
図−1 寄生虫卵保有率(%)の推移 +回虫roundworm
 Posivityrateonworm−segginspection(Japan) 一食一一全体worms

 次に表−2は,学校ごとに上下各五校を示す。ただし,本表は原表に学校別の記載がない葛飾,足立区などは含まれず,実情を正しく反映したものではないが,それでも,@地域的に,あるいは親の階層から条件的に恵まれていると思われる学校でも10%前後はあること,A都心の京橋昭和が40%を越える高率となっていること,B東京市内ではあっても一部の農業地帯では一般農村と同様の高い保卵率であること,などが判る。
 すなわち当時の社会環境からすれば,東京市内といえども再感染の機会は極めて多く,常時の検査とそれに基づく駆虫は不可欠であったと言えよう。
 そのことを示すのがわが国の保卵率を示す図−1である。昭和15年には30%台まで降下していた回虫卵保有率が終戦時には50%を越えていた。「東京都衛生行政史」は「終戦時には80%にも及び,しかも駆虫薬(サントニン)は統制薬品のため一般都民は自由に入手できない状態にあった」と述べている。回虫駆虫薬が戦中戦後に入手難であったことは,輸入途絶等によるものであるが,昭和22年には「必要量の約1% 注5)」しかなく,それが全国的な保卵率の上昇につながった大きな原因と考えられる。

4 屎尿をめぐる戦後の変遷と清掃法の制定

 1)周知のように戦時中から始まった食料不足は昭和20年の大凶作もあって極めて深刻な状況となり,荒廃した化学肥料工場の再建が焦眉の課題となるとともに屎尿についても,その活用が重視された。GHQの肥料に関する最初の公式覚書(昭和21年5月)でも「都市より農村への人糞尿の集荷配給を促進すること」としている。既に農商務省は昭和16年度以降,補助金を交付し都市屎尿の共同利用貯留槽の設置を推進していたが,この覚書を受け,その集荷に必要なガソリン,タイヤ,地下足袋の特別配給や利用協議会の設置など体制整備に努めた。また都市近郊農村では,肥料不足から屎尿争奪も起こり「人糞尿ブーム」を現出した。
 これは同時に「いかにサントニンを用いても,この食料事情,肥料事情ではどぶにダイヤモンドを投じるのと同じ」(「公衆衛生学雑誌」Vol.3 No.5)という状況を招いた。昭和22年秋にマッカーサーの招聘で来日した社会保障制度調査団は,その報告書で伝染性内部疾患の高比率は「人力による農耕法と人糞肥料の使用」によるものと断じ,人糞の使用が近い将来廃止する見通しがない以上,完全なものとする努力が必要とし,「(三ヶ月以上の貯留法は)部分的解決策ではあるが,完全な実際的解決策とはならない」と否定した。そして「糞尿処理の問題は根本的且つ組織的観点から考究する必要がある。かかる見地からの研究が既に計画せられている。」と指摘している。この報告にもとづくとみられるGHQからの「示唆 注6)」もあり,国は経済安定本部資源調査会内に衛生部会を設け,その検討の結果,処理屎尿の完全肥料利用が可能な嫌気消化方式が各省庁・自治体に勧告された。なお,この米国報告書が触れている日本側の研究計画の内容は不詳ながら,ここでは戦前〜戦中の広瀬孝六郎らによる屎尿の嫌気性消化の研究を,肥料使用を前提とした衛生工学からの先駆的なアプローチとして指摘しておきたい 注7)。
 しかし,化学肥料の急速な生産復旧に伴うその統制解除(昭和25年8月)による価格下落 注8)や都市人口の増加とともに,都市部における未利用屎尿の不適正処理も目立ちはじめた。新潟市の事例では,それらに加えて昭和21〜25年に行われた農地改革に伴う耕地整理で,既設の屎尿貯留槽や運搬水路の減少を招き,乾田化や水門閉鎖,排水機場の設置などの基盤整備も水路使用を困難にするなど運搬業者の経営を圧迫し,昭和27年には屎尿が廃棄物化した 注9)。このような事態に対応するため農林省による都市屎尿農村利用共同貯留槽設置事業も昭和27年から開始されたものの,余剰化は避けがたく「崖から大小便を海の中へ放り込んで,黄金の滝と俗に言っております 注10)」という有様となった。

 2)以上のように,一方では屎尿の肥料利用を背景として「赤痢と腸管寄生虫のごとき野蛮病は戦前を凌駕する猛威を逞しくし,…ほとんど大部分の国民が回虫,鈎虫の保卵者」(三浦運一)でありながら,他方では余剰屎尿の処理に困窮する状態が生じた。その中で,主として後者に対応すべく汚物掃除法に代わり,清掃法(昭和29年)が制定された。
 これを予防法との関連で見ると,まず「ふん尿は厚生省令で定める基準に適合した方法によるのでなければ,肥料として使用してはならない」と未処理屎尿の肥料化を禁じ,また収集・運搬・処分業を許可制とするなどし,これらは予防法と同一精神であると評価できる。しかし,都市の廃棄物処理改善を主目標としている清掃法は主たる対象地域を市街地中心の「特別清掃地域」等に限定したため農村地域が事実上放置された。
 また禁止規定自体に罰則のない上,市町村に対しても「(そのため)ふん尿を肥料として使用できるように必要な施設その他の措置を講ずるようっとめなければならない」との努力規定に留まっていた。これらは法的に,本来は市町村の責務であるべき屎尿処理に対し,「例外的な 注11)」農民汲取りが数多く存在していたり,市町村の経済事情を汲んだ時代的な制約と言うべきではあろうが,実効性に欠いたことは明らかである。そして上記の「厚生省令で定める基準」は,1に「冬期3ヶ月以上,夏期1ヶ月(水田は2週間)以上貯留し,腐熟させて使用するとき」を挙げている。これは高野六郎が予防法制定直後から示した次善策ではあるが,設備というより運用的な基準であること,そして同基準が2以下に挙げている特別な設備を要する基準である「ごみ焼却余熱などを利用した加熱処理」などから考えれば,旧内務省以来の改良便所方式貯槽の普及は政策目標から外れたと言えよう。
 しかし,ここで示された「加熱処理」や「し尿分離」,「浄化槽あるいは消化槽」による処理は,その大半が肥料利用を前提とした方式として,わが国の研究者が取組んだ成果で,それがこの清掃法の基準に反映されたのである。
 3)図−1に示したように昭和30年代から,わが国の寄生虫卵保有率は戦前を下回り急速に低減した。増田陸郎(日本医事新報No.2032)はそれが主として駆虫によるものではなく「第一義的には国民経済,直接には糞尿農村還元」にあるとし,環境改善が対症療法に勝ることを示唆している。この間,化学肥料が屎尿に急激に置換わった理由としては,これまでその価格の相対的な低下や40分の1と言われる施肥労力の差などが指摘されている 注12)。
 かくて屎尿利用を前提とした各種対策は無用となり,屎尿が田畑に棄てられる事態が生じ,清掃法の対象地域を全地域に拡げる廃棄物処理法が制定された。予防法は検査と駆虫に大きな役割を果たし,また対策の主柱であった屎尿にはさしたる効果をあげ得なかったものの,中間宿主(巻貝)駆除対策としての溝渠コンクリート化には大いに活用された。
 なお,以上の経過を見る限り,戦後の屎尿肥料への寄生虫対策は旧内務省時代から積重ねられた歴史の延長上にあったとは言えようが,GHQの影響は先の「示唆」以上には感じられない 注13)。「(GHQは)寄生虫にも関心を示さなかった。そのかわり寄生虫に対しては,わが国の野菜の購入には厳格な規制を行い」とする長門谷洋治の見解(医学史研究No.20)が,回虫などについては近いように思われる。


注1)「都市と廃棄物」Vol.36,No.6(2006)
注2)第三回全国都市問題会議総会「研究報告第二議題編」(昭和7年)p.20など
注3)「汚物処理法施行規則」改正の審議過程で,内務省は「(都市における屎尿処分は)改良便所を拡大したる屎尿溜の如きを設置したし」とし,人口1万人市の場合の設置試算例まで示している。第14回保健衛生調査会報告(昭和5年)
注4)鎌形初太郎「南葛飾郡農会史資料」に,「搬入屎尿は次々に施用」し,大容量の貯槽は必要ないとする陳情書(1934)がある。
注5)昭和22年7月28日衆議院厚生委員会議事録
注6)柴田三郎「資源委員会衛生部会の性格とその方向」都市清掃No.2(都市清掃協会1959)p.2 注7)資源調査会衛生部会の主要メンバーである広瀬は,米国留学中から研究を開始し,昭和15年から東京市の委託で屋外実験を行った。
注8)黒川計 注12)は統制解除により価格上昇したと述べているが,これは公定価格との比較であろう。松井米雄 注9)は逆にヤミ価格の数分の一に下落したとしている。
注9)松井米雄「新潟市の清掃事業発達史」(1979)p.94−96
注10)昭和29年3月参議院予算委員会第三分科会議事録
注11)昭和23年5月25日衆議院治安及び地方制度委員会における鈴木俊一答弁
注12)黒川計「日本における明治以降の土壌肥料考」下巻p.464
注13)三浦運一「国民衛生」vol.30No.314(1962)p.101は「(屎尿対策について)さすがの米進駐軍も一向に手をつけようとせず」としている。

(本講話は,平成19年11月17日に東京・市ヶ谷の日本水道会館の会議室で行われた第9回下水文化研究発表会におけるものです。)

*廃棄物学会ごみ文化研究部会