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大正〜昭和初期における屎尿問題

△講話者 稲村 光郎 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

 周知のように,江戸時代から都市の屎尿は,貴重な肥料として有料で引き取られていました。明治時代には,その収入の受領権をめぐって裁判も起こっています。またその収入を下水道建設の財源とするため,屎尿の汲取りを直営化した市もありました。
 しかし,そのような農村と都市との関係は大正半ばに至り逆転し,都市住民が費用(汲取り料)を支出する逆有償となり,東京の場合,大正7年(1918)〜8年にそれは本格化しています。このような屎尿の価値の下落にともない,東京市は営業者の来ない地域を対象とする汲取りを実施し,大正11年にはその一部を下水道に放流しています。すなわち屎尿が廃棄物化したのです。またこれを契機とする屎尿の不法投棄も行われるようになります。
 廃棄物問題の先駆的事例ともいうべき本問題について,東京を中心にその背景や不法投棄の実情,行政の対応を述べることとします。

I 産業構造の転換と屎尿の余剰化

 逆有償化の背景については,昭和4年(1929)の「東京市屎尿処分調査概要」が,いくつかの要因を挙げていますので,それらについて検討しました。

図−1 東京の人口と屎尿消費量の推移

1)人口増にともなう過剰
 図−1は東京府の人口からみた推定排出量と府内の屎尿消費量の関係 注1)を示しています。人口増にともない消費量も増えてはいるのですが,関東大震災(大正12年)ころから横ばいになり,昭和6年以後になると急激に減少します。古くから東京の屎尿は他県に移出されていたのですが,この図から明らかなように,他県へ依存せざるを得ない量が飛躍的に増えたのです。府内消費量の減少要因には,市街地の拡がりに伴う農地の減少があることは言うまでもありません。表−1は東京市および周辺五郡の田畑面積 注2)ですが,大きく減少していることが判ります。

2)労働賃金の高騰
 東京市内でも周辺の農村地帯に近い一部地域では,農民が直接汲取りに来ていたのですが,都心部をはじめ大部分の地域では営業者が汲取っていました。そして他県への搬送を担っていたのも営業者で,そこでは収集輸送に従事する雇用者の賃金が問題となります。図−2は労働賃金の例 注3)ですが,5年間で3倍以上という大変な急騰を示しています。

 表−1 東京市と近郊五郡の田畑面積推移(民有有祖地、単位:町)

 特に大正8年は,第一次大戦による好景気の影響が残っている上,大戦直後の米国における絹ブームで養蚕農家が潤うなど,農村が恵まれた年でもあったのです。東京周辺の農家が白米を食べられるようになった年だともいわれています 注4)。従って労働賃金の高騰は,屎尿輸送を担っていた農村部の雇用者へも波及したと推測されます。
 その結果,大正8年には農村での屎尿購入価格が上がります。表−2 注5),表−3 注6)に示すように東京市内での購入価格は大正7,8年とも,概ね2銭/貫程度なのに対し,千葉県では大正7年こそ2.6銭/貫と東京市内とあまり変わらないのですが,翌大正8年には4.9銭/貫と高騰します。これは大阪市の場合 注7)も,都市部近傍と郡部との間で同様の傾向となっています。この単価上昇が原因と思われますが,表3で示すように,千葉県における大正8年購入量は,対前年比6割と大幅に減少しています。すなわち東京の屎尿の行く先が減ったのです。
※1貫=3.75kg

3)他の販売肥料との競合
 同じ表3から大正8年の含有窒素量あたりの価格を見ると,屎尿は他の販売肥料に比べ高価な肥料となっています。当時の主要な販売肥料である大豆粕の場合,単価は上がっているものの,その値上がり幅が屎尿に比べ小さく,購入量も屎尿とは逆に増えています。

図−2 労働賃金(日雇人夫)の推移

 なお化学肥料(硫酸アンモニア)の購入量は,第一次大戦の終戦(大正7年)にともなう輸入増により,急増はしてはいますが,まだその量は他肥料に比べて多くはありません。

4)屎尿施肥農作物の忌避など
 「東京市屎尿処分調査概要」では,その他の要因として農村子弟の都市への吸収による農村での労働力不足や衛生概念の普及による屎尿施肥農作物の忌避などを挙げています。前者は先に述べた労働賃金の高騰化に起因するものでしょうが,後者については疑問があります。昭和12年(1937)の「京都市に於ける蔬菜清浄栽培に就いて」(京都市産業部)は,東京での清浄栽培を世田谷等の6戸としています。清浄栽培に対する関心が,この程度であったとすれば,屎尿の需要に影響を与えるほどの忌避があったとは思えません。

5)まとめ
 以上の内容から,大正半ばにおける東京の屎尿問題は,第一次世界大戦を契機としたわが国の急激な農業国家から工業国家への転換やそれに伴う都市化,農業の商業化への進展,労働力の高騰と集中など産業構造の転換が背景にあったことは明らかです。

表−2 東京の屎尿価格

表−3 千葉の窒素肥料価格

 なお,明治40年(1907)の「市内屎尿調査書」(東京市会)は,郊外町長等からの「水増しは一般に許容されている」,「(そのため)大豆粕を使い屎尿の需要量は年々減っている」,「弊害に耐えず化学肥料を試すもの(が出てきた)」等の報告を紹介しています。このような水増しへの不信も屎尿の肥料としての衰退を助長したと考えられます。

U 化学肥料−もう一つの要因−

 このようにわが国は,第一次世界大戦を契機に大きく経済成長を遂げたのですが,周知のように,関東大震災や昭和初期の世界大恐慌を経て,経済状況が悪化します。先の図2に見るように,上昇した労働賃金も大正末には低下傾向に転じています。それによって,新たに屎尿汲取りに参入する営業者や農家が出現したと言います 注8)。しかし,それにもかかわらず屎尿をめぐる環境は好転しません。
 その最大の理由は,この時期から進展する化学肥料,とりわけ硫安(硫酸アンモニア)の低廉化です。この点については先の「東京市屎尿処分調査概要」が「化学の進歩と共に施用に簡便な化学肥料が普及」としているとおり,昭和元年の硫安消費量に対し昭和6年には150%を,昭和10年には200%を越えています。しかし,生産手段の変革には慎重で,「石や砂のようなものに金を出すのは馬鹿らしい」 注9)として,なかなか化学肥料を相手にしなかったといわれる農民が,なぜ急速に使用するようになったのでしょうか。それには以下のことが無視できないと考えます。


1)多肥化農業と化学肥料の普及
 化学肥料が,使い慣れた有機肥料に代わり普及した最大の理由は日本農業の変遷と関係があります。大正7年(1918)の米騒動が象徴的ですが,わが国の経済発展に伴い,米の総需要量は大正7〜11年間でおおよそ20%増という状況となり,米は輸入増加に頼らざるを得ず 注10),食糧増産が国家的課題となっていました。そのための手段としては増産性の高い品種の育成をし,その上で肥料を多く施し増収する方法(多肥化農業)がとられました 注11)。すなわち肥料増に応じて多収穫となる(肥料反応性の高い)品種の投入です。図−3は,東北地方で採用された稲品種でのそれらの関係 注10)です。「亀の尾」は主として大正時代の品種で,「陸羽132号」は昭和初期の品種です。図中のAとBに示すように「亀の尾」では,肥料増に対する収量増は一定程度に留まりますが,「陸羽132号」では高肥化することで最高2割近い増収が見込まれるため広く普及しました。しかし,そのために必要とする肥料の増量分は,本図から2倍近くなることが明らかです。一般農家は堆肥などの自給肥料でそのような肥料増ができる筈がなく販売肥料に頼らざるを得ません。増収を望みながらも,肥料費の増大に悩む農家は伝統的な肥料と比較し,安価な化学肥料を選択したのです。また国もそれを推進しました。図−4 注11)に示すように硫安の消費量(窒素換算量)は,昭和初期に屎尿や堆肥,大豆粕を越え,急激に増加しています。
 硫安の低廉化そのものはドイツによる第一次大戦中の工業化を契機とする,わが国を含めた世界的な過剰生産により年々進行しました。図−5 注11)はそれを示しています。絶対的な肥料需要の増大とそれに呼応する価格の低廉化を可能にしたのが硫安だったのです。

2)屎尿と化学肥料との類似
 屎尿は肥料としてわが国では古くから使用されてきたわけですが,その肥料としての特性を明らかにしたのは「肥料としての人糞尿の組成,貯蔵及施用法に関する研究」(明治21年 オ・ケルネル,森要太郎)が最初です。そこでは「農家が施用するものは新鮮なものは決して用いず,必ず施用前に腐敗または発酵させる。その発酵中に有機物の分解が烈しく行われ,窒素は炭酸アンモニアとなる」とし,@人糞尿は窒素含有量の割合には有機物が少ない。A土壌が腐食有機物を必要とする場合には多年にわたり人糞尿のみを施すことは不可である。この場合は堆肥肥料を投入せねばならないとしています。
 このことは古くから屎尿が,即効性のある極めて貴重な肥料とされてきた理由を,その貯蔵中に有機物の多くが発酵・無機化され,施用段階ではその窒素分が植物の吸収しやすいものになるという,他の有機肥料に見られない特性があると裏付けたことになります。それと同時に,堆肥を必要としたことが,後に例えば「有機分が少ないから堆肥だの厩肥などと一緒に用いるのがよい」 注12)と一般化されました。屎尿はこのように有機肥料ではありますが化学肥料と類似の性質を持っていたため,化学肥料(硫安)と比較的容易に置き換えられたと推測されます。

V 屎尿の不法投棄と行政の対応

1)廃棄物化によって起こった「不法」投棄
 屎尿汲取りが,円滑に行われなくなった大正半ばには,市民の中には自家の屎尿を河川や溝渠に不法投棄するものがいました。しかし,汲取り料金の誕生は屎尿の収集作業そのものが新たな収入源となったこともあり,あらたに営業人による大規模な不法投棄が問題となります。

図−3 稲品種による肥料投入量と収量の関係

図−4 肥料消費量(窒素換算量)の推移

図−5 肥料価格(窒素換算値)の推移

 その実態については新聞雑誌 注13)で繰り返し報道され,また有識者から問題視 注14)もされていますが,法的に軽い罰則 注15)である上,社会的にも廃棄物の河川投棄が半ば常識化していた時代ですから,屎尿の不法投棄にもあまり罪悪感がなかったのかも知れません。しかし,その結果,東京市や大阪市の報告書 注16)では,需要の少ない冬季を中心に営業人による屎尿の半分もしくはそれ以上が行方不明と書かれるほど,すさまじい不法投棄が行われる ようになりました。
 以下の東京市,大阪市の各報告書(抜粋)が,その実態の一端を示しています。
 「東京市屎尿処分調査概要」(東京市役所 昭和4年)から
@殆ど汲取営業人の手に委ねられたる現今の都市屎尿処分の実状は前記汲取料に売払代を加うるも尚時季に依りては運搬処分の実費を償うに足らず為に或は衛生上寒心すべき処分方法を採用することあり……。
A営業人の有する汲取並処分の設備……すこぶる不完全なりと云うの外なし……船舶数が処分量に比しはるかに少なく且つ天候不良期,農村不需要季等に於ける応急設備に就いて何等考慮する所なく,尚設備に就いても衛生的施設あるものなし……営業とすること自体が不自然……。
B農村に不需要季節に於いては……屎尿処分上行詰りを見ること少なからず,此の場合河川溝渠等に屎尿を放流することすら之あり。

 「大阪市屎尿処理実状調査」(大阪市 昭和12年)から
@投棄は専ら河川舟運によるものに多く,船に屎尿を積載すると同時に底部にある孔を開放し,水分を放流……30石船に50石以上の荷役は殆ど常例となっている
Aただ汲取料金収入のみを目的とせる関係上,‥・実は全部之を放流する者すら決して少なくはなく……降雨時の低地に於ける雨水混じりの屎尿の如きは……殆どの業者が之を投棄して……
B恐らくその約50%は投棄処分に付されつつあるものと見て大過なかるべく……
※10石=1.8m3

2)法令の改正
 屎尿の不法投棄の横行は,行政にとって深刻な問題でした。上記「東京市屎尿処分調査概要」は,「市民の保健上憂慮すべきものあるを以て,先ず法規を改正して屎尿処分をして須(すべから)く,市の義務に属せしむを要す」と,法改正によって屎尿処理を市の義務とすることを主張しています。
 このようなこともあったのでしょう。翌昭和5年には,汚物掃除法と関連法令の改正が行われました。その時の会議録(昭和5年5月2日 帝国議会衆議院委員会)では「(現在のような)屎尿の処理方法を採っておりましては,衛生上非常な危険……。今日のような状況では屎尿の処分が完全に行われないで,衛生上甚だ面白くないということが,実は此改正案の趣旨である……」と明確に述べられています。この時の主な改正は次の二点です。
・汚物掃除法施行規則22条改正(屎尿処理を原則として市の事務にした)
・汚物掃除法4条の2追加(市財政を考慮し,処理料金徴収を可能とした)

3)東京市と大阪市の対応
 この法令改正に対し,東京市は昭和9年(旧市内) 注16),昭和11年(新市域) 注17)と二段階に分け,また大阪市は昭和12年 注18)・注19)に対応策を実施します。どちらもほぼ同じ対応をしていますが,第一は遠隔農地へ屎尿を直送することです。またその直送は原則として自動車輸送となります。その理由として船では対象地域が限定され,かつ需要の少ない水田地帯が主であることを挙げていますが,故意の流出等を懸念したのかも知れません。第二は対象とする農地に,非需要期に備えた大規模でかつ衛生的な貯留槽を設置させ,それに補助金を支出します。ここでいう衛生的な貯留槽とは,内部に仕切りを設け沈殿した回虫卵等が汲取られないような構造のものを言います。第三が海洋投棄です。専用船によって東京湾,大阪湾に投棄されるようになります。
 以上が,戦前に行われた屎尿処理対策です。貯留槽設置に対する補助制度は第二次大戦中から戦後にかけて農林省によっても行われましたし,海洋投棄も,戦後は外洋に変わりましたが,続けられてきたことはご承知のとおりです。


注1)東京府編「東京府史 行政編 第二巻」(1935),図中の人口は国勢調査等による
注2)東京府「各年度 東京府統計書」
注3)日本銀行調査局編「本邦経済統計 大正10年」〜「同14年」,内閣統計局「労働統計要覧 昭和10年版」
注4)山川菊栄「わが住む村」三国書房(1943)
注5) 梅邑右源治「米糠の肥料的価値を論じ各種肥料の価格に就て」東京府農会報30(1919)
注6)千葉郡役所「大正九・十年郡長会議 種類販売肥料消費額調」
注7)大阪府編「肥料統計 大正3年」〜「同11年」
注8)伊東寿(警視庁)「都市清掃の常識」都市衛生社(1933)
注9)日合重道「肥料の歴史とその考察」(1989)
注10)崎浦誠治「稲品種改良の経済分析」養賢堂出版(1984)
注11)黒川計「日本における明治以降の土壌肥料考 中・下巻」(1978)
注12)古市末雄「人糞尿の話」軍隊農事講習講演集第二集(1915),他にも皆吉進「肥料と其使用上の注意(一)」東京府農会報79(1923),燕佐久太「下肥」(有隣堂1914)などに同趣旨が記載されている
注13)国民新聞 大正9.6.5,読売新聞 大正15.3.15。小川仁示編「戦前昭和期大阪の公害問題資料」ミネルヴァ書房(1973)に「大阪毎日新聞」,「大大阪」の関係記事がある
注14)戸田正三(京都大学),藤原九十郎(大阪市立衛生試験所)等による批判があった
注15)汚物掃除法は,公共溝渠への投棄は禁止していたが,河川等への投棄禁止は昭和5年改正からであり,海洋投棄禁止は規定されなかった。取締りは警察犯処罰令で行われたと見られる
注16)東京市「東京市に於ける屎尿の農村還元処分法に関する考察」(1933),大阪市「大阪市屎尿処理実状調査」(1937)
注17)東京市役所「新市域屎尿処分市営計画に就て」(1936)
注18)大阪市保健部清掃課「受託事業実行計画概要」(1937)
注19)大阪府経済部農務課「大阪平野に於ける屎尿利用の変遷」(1949)

(本講話は,平成17年9月2日に東京・飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターの会議室で行われた屎尿研究会例会におけるものに加筆したものです。)

*廃棄物学会ごみ文化研究部会