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江戸の屎尿施肥事情

△講話者 森田 英樹 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

 わが国では,ほぼ鎌倉時代から屎尿を肥料として施肥することが行われており,化学肥料が登場するまで,屎尿を農地へ還元するリサイクル機構が整備されていました。当時の農村では,屎尿の他にも,牛馬の糞,鳥の糞,乾魚,芝草肥,草木灰,油糟,溝泥など実に多くのものが肥料として併用されていました。屎尿は,あくまでも数ある肥料のうちの一つでした。
 今回の講話は,江戸期の農書である「十字號糞培例」の現代語訳を通じて,農村での屎尿施肥事情を明らかにしようとするものです。 (地田 修−)

はじめに

「十字號糞培例」は,佐藤信淵が曽祖父の佐藤式行(元庵翁)から伝授されたことを,文政7年(1842)に筆記したものとされています。佐藤家は,代々学者の一系で,農政学を中心とした家学を5代にわたって継承していました。この本は,同じく佐藤信淵が筆記した「培養秘録」の付録的な性格のものです。
 現代語訳にあたっては,私が所蔵している織田完之が訂正を加えた明治5年判を底本にしました。以下に,「十字號糞培例」の現代語訳の抜粋を掲げ,要所要所に,私が「培養秘録」(明治6年判,織田完之訂正)を参考にして,注を加えました。
 江戸期に著された農書の中には,屎尿の重要性やその扱いについての記述が見られるものもありますが,残念なことに,屎尿施肥の実態について重点的に詳述している文献はごくわずかです。「十字號糞培例」は農民の手によるものではなく,学者の農書であるために,農家における屎尿施肥をありのままに再現しているとは言えないかもしれません。しかし,この「十字號糞培例」は,屎尿の調合方法あるいは施肥量について記述している稀な文献です。

「十字號糞培例」現代語訳の抜粋

 〜緒言〜
 ……思うに,田畑を開発して草木を作ろうと願っても,痩薄,陰冷,浮洋,太肥,亢陽の不同があって,作物を成熟させないことがある。これを土地の5患と名づけている。そのために,気候の良い国であっても,ときどきこの5患によって,耕作に苦しむことが多い。……ゆえに元庵翁は,この5患から免れるべき方法を工夫し,36種の糞培料を,あるいは,23種,あるいは,56種を配合して,甲,乙,丙,丁,戌,己,庚,辛,壬,癸の十字の糞培例を著した。

写真−1 馬によるシロカキ(葛飾区郷土と天文の博物舘 常設展示図録)

 いわゆる,痩薄の土地には甲乙2号の肥料を用い,陰冷には丙丁の2号,浮洋には戌己の2号,太肥には庚辛の2号,亢陽には壬癸の2号の肥料を用い,それをもって,その過不足を平等にし,陰陽虚実を中和した。……
 もし農業に初心の者であっても,この書に関して,田畑耕作および,肥料の方法を工夫すれば,決して5患の災いなく,終生これを用いたとしても,その利を尽くすことができない程の霊妙があるものである。

 注)
 痩薄:堅く固まり過ぎたり,軟らか過ぎて,作物が成熟できない土地。
 陰冷:山谷の間や森林の陰などで風や水が冷たく,作物が成熟できない土地。
 浮洋:水が多く泥のぬかるみが深く,作物が熟することができない土地。
 太肥:茎や葉ばかり生育し,必要なところが成長しないこと。
 亢陽:用水が不足して損害が多いこと。

甲字号第5番肥養方

 この方は,冬は大麦・小麦を作り,夏は水田にして稲を植えるのに使用する。また,水田にしないで,麦のあいだに草綿を作る時にも大変よろしい。
 濃糞5荷,草木灰6俵,芸とう油粕10貫匁,細軟砂10貫匁 以上をよく調合して数日間休み置いておき,種蒔きの一両日前に田地によく混ぜて使用する。

 注)
 濃糞:混ざり物を取り去った人糞10荷と雨水10荷を混ぜ合わせ,雨露が入らないようにした肥料小屋で60日程かき回し発酵し,真っ青に変色し水のような状態になったもの。しかし,半年以上使わないでいると効力が減退してしまう。

甲字号第1番水糞方

 草木を大いに繁らす水糞は,痩せ地にとっては最大の宝である。翁はかって,水糞の製法を研究したところ数10の方法があった。しかしながら,効能は異なり様々であるので,各号に散って見ることができる。
 馬糞3荷,草木灰3荷,活物肉腐汁3荷,酒粕3荷,人糞5荷,水50荷;以上6種類を糞壷の中でよく掻き混ぜ,半月休み置いた後に,これを作物の根の付近に穴を穿けて注ぎ土を覆い被せておくこと。この肥料は性格は温暖・滋潤で必要な所を成長させるには,最も優れた肥料である。

甲字号第8番水糞方

 濃糞10荷,雨水10荷;以上を糞壷の中で調合し,50日程休めて置き,色が青みを帯びたものを本肥と言う。土に耕し混ぜると,その土地を肥沃にすることは他に類を見ないほどである。およそどんな作物を作るにも不適切であることはない。
 この次にあたる肥料は,活物肉腐汁10荷,雨水10荷を調合し50日程休み置いて使用する。これも本肥と言う。その効能が同じであるがためである。2種類の本肥を作物によって使い分け,水で薄めて使用することを水糞の加減と言っている。

写真−2 最近まで残っていた肥溜め(葛飾区郷土と天文の博物舘 特別展図録)

 下肥とは,本肥1斗,水2斗を調合したものである。
 水糞とは,本肥1斗に水6斗を加えたものである。
 淡き水肥とは,本肥1升に水1斗以上を加えたものである。
 培養の奥深さは,この水糞の加減の濃淡にあることを心得ておきなさい。
 翁はいわれた,痩せ地で草木が繁茂することができないのは,土地が堅く固まり過ぎることに原因がある場合と,土地が軟らか過ぎることに原因がある場合がある。この堅く固まり過ぎる土地には,必ず粗起こし法を行い埋肥を施さなくては,甲字号の糞養を行っても労ばかりで効果はない。いわゆる,皮の存せず毛将に何んか,とはこのことである。ゆえに,痩せ地を耕作するには,まずその土地を慎重に観察して事に当たることである。また,軟らか過ぎる土地には乙字号の肥養を使用すること。

 注)
 粗起こし法:土地を開墾する方法のひとつ。木々を伐採し,根株を取り除き,牛に鋤ですかせる。牽引力が極めて強い牛が必要であり,2頭立,3頭立で使う。鋤先も鋼鉄製の頑強なものが要求される。
 埋肥:畑に穴を掘り,空堀のように底を平らにし,腐ったムシロ,菰,藁,木の枝葉などを,掘り上げた土とサンドイッチ状に埋めていく。ゴボウ,大根,こんにゃく等を栽培する時に適する。

乙字号第3番肥養方

 合肥10荷,草肥10荷,酒・醤油及び豆腐・ふすまなどの糠10荷,小便灰10俵 以上の4種類をよく調合して,積み重ねて置き,半月ほど蒸しておくこと。この肥料は,漆木,はじ,どくえなどを,野原あるいは山野などに植えて,早く生育させ,かつ,速やかに結実させたいと思うときに使用する。

写真−3 下肥用の田舟(葛飾区郷土と天文の博物舘 特別展図録)

 また,その苗を移植しようと思う場所に広さ2尺余り,深さ3尺程の穴を掘り,その穴にこの肥料を1尺5寸ずつ埋め,その上に土を被せ,よく踏み固め,その中に苗木を1本ずつ植える時は,多くの年を必要せずにその木は生長し,大層早く結実する。
 その他様々な果樹を植える場合も同様である。また,こうぞ,みつまた,桑も植えることができる。

 注)
 合肥:黒ぼく土(火山灰)50荷,草木灰10俵,米糠12俵をよく混ぜ合わせ,人糞20荷を加え混ぜ,乾燥させる。良く乾燥をした後,槌で砕き,ふるいにかけて麻の実の大きさ程にしたもの。
 小便灰:藁の灰やその他草木灰を藁俵に入れ,3,40日位便所の小便溜めに漬けておき,取り出してすぐに施肥する。

甲字号第2番肥養方

 土地が硬く作物が成熟することが不可能な場合は,粗起こし法を行い埋肥すること。あるいは,深く犂いてこの肥料を施しても作物は豊かに実る。厩肥3荷(草肥の蒸腐したものでもよい),活物肉腐汁1荷,小便糟2俵。
 この厩肥を1段畑にきりまじえて,その後,ほかの2種をその土に混ぜ,その後種を蒔くこと。

注)
 小便糠:米麦その他雑穀の粗糠を俵に詰め,便所の小便溜か小便を腐熟させている大桶に3ヶ月ほど漬けておき,その後小便を良く切って肥料小屋に積んで置き,少しばかり腐った時が施肥時である。

おわりに

 江戸期の屎尿は,都市部から農村に運ばれた後,様々な工夫がされた上で,施肥されていたのです。昨今,下水処理過程で発生する汚泥のコンポスト化や,コンポストトイレの試みがなされておりますが,科学的知識の乏しかった江戸期においてさえ,屎尿の施肥に当たっては経験則に基づいた英知が結集されていたことを再認識すべきでしょう。
 なお,江戸期の農書で入手しやすいものを次に紹介しておきます。
「農家肥培論」:大蔵永常 文政9年(1826),天保3年(1832)頃執筆
「百姓伝記」:著者不詳 元禄年間,天和年間頃執筆
「農業全書」:宮崎安貞 元禄10年(1697)
「村松家訓」:村松左衛門 天保10年(1839)

(本講話は,平成17年5月5日に東京・葛飾区郷土と天文の博物舘特別展「肥やしのチカラ」の記念講演をもとに再構成したものです。)

*日本下水文化研究会会員,聖徳大学附属中学・高等学校教諭