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トイレ探訪 −史料行脚の旅−

△講話者 地田 修一 *

コーディネーター 地田 修一(日本下水文化研究会会員)

1.歴史を探る手法

 歴史の見方の一つに古いものがだんだん改良されて新しいものになっていくという進化論的な考え方がありますが,下水道・トイレの歴史を調べていくとどうもそうではなく,和風,西洋風,古いもの,新しいものすべてが,全部同時期に並行して存在しているのではないかと思えてきます。言い換えると多様性に富んでいるということです。
 私は学生時代,魚のことを勉強していましたが,生態学では多様性と言う言葉は重要なテクニカルタームです。多様性は,進化とか古いとか新しいとかは言いません。様々な形態や行動を棲(す)み分けへの適応であるとして容認するのです。
 歴史の調べ方の一つである「聞き書き」は,そのまま方言や何から何まで話してもらったとおりに記述するやり方と,聞き手が整理し読みやすくするやり方とがあります。後者の場合は,補足,入れ換えをして話の流れがスムーズになるようにします。勿論,話し手の了解を取りつけますが。
 また,「聞き書き」の良い所は裏話が聞けることです。原稿用紙に向かっているとどうしても美辞麗句が並び,本音が書けません。その点,聞き書きは臨場感を醸(かも)し出すことのできる良い手法です。

 最近,「水声」という職場の文化会機関誌に記事を頼まれまして,「写真を読む」という新しいシリーズを始めました。これは現場の経験が豊富な人に頼んで,古い写真を見てもらいながら思い出されたご自分の体験を好きに喋ってもらうものです。「下水管渠の清掃」に関する写真を見ながら話してもらった後,葛西処理場に保存してある管渠の清掃道具をお見せして,様々な道具の使い方について尋ねたことがありました。
 道具の使い方などは,できればビデオで録画しておけば動きが分かり貴重な史料になります。工具や道具を残しておくことは重要なことです。きわめて具体的な「作業」という新しい視点から,下水道の歴史を掘り起こすことのできる大変重要な物証です。

 江戸時代の文献には,下水というキーワードで探しても記述がありません。栗田彰さんは川柳を材料に下水のことを丹念に拾い出して調べ,「江戸の下水道」(青蛙房)という本を出されましたが,苦労が多かったと思います。
 会図や絵を調べるやり方もあります。多くの読み本や浮世絵などが出版されました。読み本は字だけでなく,絵がついています。これらの会図や絵からも貴重な情報が見つかります。時代はさかのぼりますが,絵巻物に出てくる絵も当時の生活実態を描写しています。
 さらに,柳下重雄さん(「江戸 神田の下水」の著者)のように,古文書を読み解いていくやり方は,専門知識がなくてはできませんが,役所の文書が多く残っていますので沢山の史料が発掘される可能性があります。
 私が「江戸・東京の下水道のはなし」(技報堂出版)のプロローグを書くときに参考にしたのは,各種の写真集に載っていた古い写真でした。写真を見ていると様々な記憶が蘇(よみがえ)ってきますし,写真には撮影した人が意図した以上のたくさんの情報が盛り込まれていますので,有力な史料となります。
 最近流行の自分史を史料として活用することも可能なのではないでしょうか。町の図書館にも寄贈されたものが置いてあります。自分史の中にも重要な歴史情報(特に社会風習に関して)が潜んでいることがあり,下水道・トイレ史の発掘にも繋がると思います。私の書いたプロローグも言ってみれば下水道・トイレに関する自分史です。
 下水道やトイレ関係のことには多様性があるので,自分の住んでいる町だけではなく,出張で立ち寄ったよその町で,また世界を旅したときの外国の街角等で,過去のものと思っていたものから最新のものまでの様々な様式を現実のものとして見ることができます。その点,鈴木清志さんの「世界のトイレ」(第4回下水文化研究発表会論文集)はユニークな視点での発表です。

2.トイレの歴史を尋ね歩く

 トイレのことになると,がぜん史料になる本が増えてきます。原書的なのは「餓鬼草紙」の絵が有名です。出典は「絵巻物による日本常民生活絵引(平凡社)」です。平安時代に描かれたものです(図1)。
 平安時代では,京都の町中でも一般民衆は図1のようであった。貴族も中国や朝鮮の宮廷の風習を真似てトイレをもたなかった。会議の最中でも中座して廊下などで,おまるや尿筒(しとづつ)という竹筒のしびんを用いてすましていたということです。寝殿造りの建物ではトイレがありませんでした。
 今でもこういう光景を目にしますが,小便は野外でという風習。明治になってお上の力で止められました。明治政府が,外人から苦情を言われたからとか。田辺貞之助氏の「江東昔ばなし」(菁柿堂)にこんな文があります。「子供の頃お父さんと一緒に立ち小便をしていたら巡査に怒られ,50銭の罰金をとられた。……その後,町が静かなので尋ねるとコレラが流行ったためで皆避難したということであった。」大はトイレで,小は野外で立ち小便という風習がまだ残っていたのです。明治の末頃の話です。

図1 餓鬼草紙に描かれた排便風景
(「絵巻物による日本常民生活絵図」 渋沢敬三編 平凡社)

写真1 外トイレ
(「写真で見る日本生活図引き」後藤功編 弘文社
〈長野県下伊那郡阿   智村,昭和30年,熊谷元一撮影〉)

 家の間取りを調べてみました。農家では,居室から離れたところにトイレがあります。馬,豚,鶏等の家畜を飼っている近くです。外トイレも多くみられました。江戸時代の下級武士の家の間取りでは,廊下づたいの奥にトイレが湯殿と近接してあります。

写真2 江戸期武家屋敷の厠(かわや)(便所)の一例

 明治10年の住宅ですと,トイレが居室に近づいています。江戸時代から家屋の中のトイレは大,小が別々になっていることが分かります。この当時は,台所とトイレは離すのが通例です。汲み取りトイレだったからでしょう。現在は水洗化すると,水回りとして同じ場所に集められますが。

図2 東京市街風景の一つ,肥桶を運搬している
(「マンガ明治・大正史」金森健生,現代教養文庫,社会思想社)

 トイレのルーツを調べてみました。「トイレの考古学」(大田区立郷土博物館)によると,縄文末期では2つの方法があったようです。一つは素掘りの穴,もう一つは下に水が流れている所でするものです。素掘りの穴は,時代が下ると下に瓶(かめ)を入れた汲み取り型になります。
 写真1は,昭和中頃の農家のものです。風呂場と一体化している外トイレです。このほか,母家に入るところには小便用の軒下トイレがありました。
 女性も立って小便をする風習があり,昭和40年頃までみられたようです。西日本ばかりでなく,関東,東北にもありました。太宰治の小説にも,このことがエピソードとして出てきます。
 大便をした時に拭くのに使った薄い板を「ちゅう木」と言いました。一度使ったものも洗って再使用していたらしい。奈良時代では紙が貴重で文字を板に書いていたが,それが用無しになった後,ちゅう木として用いています。トイレと思われる穴から出てきた板に字が書いてあったと「トイレの考古学」に書いてありました。昔は新聞紙をトイレット用に使っていたことがありましたが,それと同じ発想です。
 公衆トイレは江戸時代にもありました。縁日で人が多く出る時には,肥え桶をたくさん置いておきました。小便は肥料として使われたのでお金になったからです。
 漫画にも描かれていますように,明治の東京の町では,肥え桶を大八車で運ぶ風景が日常的に見られました。漫画家は感性が鋭いので時代を見抜き単純な線で社会を表現しています。漫画もよく見ると情報が詰まっており面白いです。

 表1 ふん尿終末処理実績(昭和12年〜18年,1日当り)

 船そのものがし尿の貯槽になっているタンカー型の肥船があって,こういうタイプの船は江戸に多かったです。このほか,船に肥え樽を積んで運ぶ場合もあります。
 北区の区史でも志茂の半農,半し尿運搬のことが記載されています。郷土史の中にも数多くの史料があります。

3 戦時中のし尿処理処分の苦難の歴史

 表1は貴重な情報です。太平洋戦争中の東京におけるし尿処分の状況を示しています。下水道と,し尿の汲み取り・処理・処分との関係が良くわかります。「農村還元」はし尿を肥料として使うこと,「農村汲み取り」は農家が汲み取ることです。
 し尿を海に捨てる「海洋投棄」船は大型船です。しかし,戦争が激しくなるとこの海洋投棄船は燃料不足のため使えなくなり,し尿の処分に大きな影響を与えることになりました。
 「綾瀬」とあるのは,東京市の清掃課綾瀬作業所(昭和8年から稼働)のことで,今の小菅処理場の所にあったし尿処理施設です。汲み取りし尿を船で持ってきて,綾瀬川の水で20倍に薄め,散気式活性汚泥法で処理し,汚泥は嫌気性消化していました。発生したメタンガスは消化槽の加温に使っています。

       

   
    散 気 式     シンプレックス式    シェフイールド式(パドル式)

ばっ気法のいろいろ

 どれも下水に空気を溶けこます方法のちがいであって、活性汚泥法としての原理は同じである。パドル式は水車で槽内の下水をかきまわす方式。シンプレックス式は人工的に対流を起こさせながら水面上四方に水滴としてふりまく方式。散気式はばっき槽内に細かい気泡を送る方式。
 ばっ気法導入以前、例えば東京都三河島処理場では大正11年より「散水ろ床法」が採用され、活性汚泥法に近い微生物処理が行われ、戦後のし尿処理場の多くにも導入された。(編集部注)。(出所:「江戸・東京の下水道のはなし」(東京下水道史探訪会編、技報堂出版)。「新下水道入門」(栗林宗人編、水道産業新聞社)

 この綾瀬作業所に関するパンフレットは浄化槽関係の人が探してくれました。これは大変貴重な史料です。これを手掛かりに昭和初期のし尿処理技術を調べてみたいと思っています。当時の東京の下水処理はまだ機械式ばっ気(パドル,シンプレックス)で,散気式は採用していません。散気式は昭和34年の芝浦処理場が最初です。
 し尿の海洋投棄もできず,し尿の汲み取りが停滞し,東京では神田川に捨てたり,庭に浸透させたりと大変な苦難の時代でした。救世主は昭和19年から始まった西武鉄道や東武鉄道で行われた鉄道によるし尿の運搬です。鉄道沿線にし尿の貯槽を造り,夜,専用の貨車で郊外の農村に運びました。終電後郊外に運び,帰りに農村から野菜を積んできました。戦後も継続され,昭和30年まで続きました。
 表1で「下水道」とか「三河島」とかいうのは,マンホールや投入施設から汲み取りし尿を下水管や処理場に入れていたことを指しています。いま,清掃局で最後に残った汲み取りし尿を森ヶ崎処理場に送って処理処分しようとしているのと同じ考え方です。

 下水道の役割のなかにし尿の処理処分が本格的に入ってきたのは,この時あたりからではないかと考えています。その前は下水道が普及してもなかなか水洗化が進まなかったのです。そこで,これを契機に補助金を出して水洗化を促進しようという気運になってきました。

4.パリのトイレ

 岩波文庫の大杉栄の本を買って読んでいましたら,「日本脱出記」の中に1923年当時のパリのトイレのことが書いてありました。その頃は,パリのトイレ事情も大変だったことが読み取れます。
 「高級ホテルでは湯もあり西洋風呂,西洋便所もあった。安ホテルは西洋トイレではなく,ただ,たたきの傾斜があり底に穴があり…その汚さはとても日本の辻便所の比じゃない。」,いかがですか。
 私は子供のころからの昆虫好きで,何種類かの「ファーブルの昆虫記」を読んでいるのですが,大杉栄が獄中で訳したものは文章も優しく名文です。このパリの便所と題する紀行記も実に生き生きとパリでのトイレ体験を描写しています。

(本講話は,平成10年2月27日に日本水道協会会議室で行われた日本下水文化研究会の定例研究会におけるものの一部です。)

*日本下水文化研究会 運営委員