読み物シリーズ
シリーズ ヨモヤモバナシ
しゃがむ姿勢と日本人
なぜしゃがんで排便するのか
△講話者 平田 純一
コーディネーター 地田修一(日本下水文化研究会会員)
日本人は,何故,しゃがんで排便をするのだろうか?。 このことを突き詰めていくと,「日本人は,しゃがむ姿勢をとることが習慣的であった」ことに行き着きます。
そこで,本日は,しゃがむ姿勢,特に「そんきょ(蹲踞)」の姿勢について考えてみたいと思います。
座り方のいろいろ
日本人は,古来から,いろいろな座り方をしてきました。
例えば,
あぐら(胡座。下腿(ひざから足首までの部分)を交差して座る。)
きざ(脆座。かかとを立て,膝を床につけて体重を支えて座る。)
かつざ(割座。膝を折り曲げ両脚を左右に開きその間から尻が直接畳につけて座る。女性 がペッタンと座る姿勢。)
たてひざ(立て膝。膝を立てて座る。)
うたひざ(歌膝。片膝だけを立てて他方はあぐらのようにして座る。朝鮮半島の人が今でも普通にする座り方。)
せいざ(正座。日本の儀礼的な座り方。朝鮮半島では犯罪人にさせる屈辱的な座り方とされている。江戸時代中期から庶民にも,儀礼として普及した。)
などです。
日本人の座り方の変遷は,家屋構造の影響が明らかに認められます。室町時代に始まった書院造りの茶室における作法としての座り方が,その後,一般に普及し,これが「儀礼的な」正座に発展したと考えられています。
そんきょ(蹲踞)の姿勢
これに対して,「そんきょ(蹲踞)」の姿勢は,足の裏だけで体を支えているという意味から言うと,座る姿勢ではなく,立つ姿勢に分類されるものです。「蹲」は,脚を一所に引き締めて立つことを意味し,「踞」は,膝を立てて尻をかかとの上に載せることを意味しています。しゃがんだり,うずくまったりするのも,この姿勢に属します。日本ばかりでなく,アジア,アフリカ,オーストラリア(原住民)で見られます。
フランスの人類学者マルセル・モース博士が,「幼児がしゃがむのは普通である。ところが,われわれ(ヨーロッパの人たち)は,今となっては,しゃがむことができない。… 思うに,しゃがみこむ姿勢は,子供にはそのまま続けることができる好かれる姿勢なのである。… われわれの社会以外では,全人類がそれを維持していた。」と言っているように,蹲踞は,大人になったヨーロッパ人には苦手な姿勢のようです。
また,ブルーノ・タウトは,「日本の家屋と生活」の中で,「しゃがむ姿勢はヨーロッパ人にこそきついが,日本人には何のことはない休息の姿勢なのである。・‥ この人たちにとっては,しゃがんでいることは,われわれが椅子に腰掛けているのといっこうに変りがないらしい。」と,指摘しています。
しゃがんで休んだ縄文人
正座が普及する以前の日本人の最も普通の姿勢は,「あぐら」と「そんきょ」であったと考えられています。ともに,頭の位置を低いところにとっています。
特に,「そんきょ」は,それこそ一日中この姿勢をとり続けていたのではないかと思われるほど,竪穴住居に暮らしていた頃の縄文人の一般的な生活姿勢であったと想像されています。
蹲踞には,足の裏をペタンと地面につけるものと,「かかと」を浮かすものとがあります。相撲取りが立会いのときに行う「かかと」を浮かすつま先立った蹲踞は,そんなに難しい姿勢ではありません。
蹲踞の姿勢を長い時間し続けるには,「かかと」を地面に下ろさなければなりません。縄文時代の日本人は,かかとを地面につけて足の裏全体で,楽々と蹲踞を続けていました。足首の関節を大きく曲げることができたために,「かかと」を地面につけ足の裏全体で体重を支える姿勢をとることができたのです。
縄文人は,脛骨(すねの骨)と距骨の接触部に蹲踞面という関節のような窪みが発達していました。半関節といわれる構造です。この部分が現代の日本人よりもはるかに大きく曲がり,このため,「かかと」を地面につけた蹲踞の姿勢をとることが簡単にできたのです。
▲ 縄文人の家族生活
週刊朝日百科34 日本の歴史・原始・古代4 縄文人の家族生活 朝日新聞社2003.1
習慣的な姿勢による骨変化
しゃがむ姿勢を習慣的にとりつづけると,骨にも影響を与えてきます。一般に,日常生活で機械的な刺激が強いほど骨形成が勝っていき,機械的な刺激が弱いほど骨吸収が優勢となります。
同じ姿勢を習慣的にとり続けていると,股関節やひざや足首の関節に,関節面の延長や圧痕などの特有の変化が生れてきます。これを,蹲踞面といいます。したがって,骨を観察して,このような変化(蹲踞面の形成)が認められれば,その骨の主が生前行っていた習慣的な姿勢を類推することができます。
「骨考古学」の研究成果によると,東日本の縄文人の蹲踞面の出現頻度は,現在の日本人よりもずっと高く,また現在のインド人やオーストラリア原住民に匹敵するのだそうです。
一方,現在のヨーロッパ人の骨では,この蹲踞面が極めてまれにしか見られません。用便をたすほどの短い時間でさえ,この姿勢をとることができない人が多いことと関係していると考えられています。腰掛け式のトイレが必要となってくるわけです。
現在の日本人の半数は,蹲踞の姿勢をとることが可能です。しかし,「かかと」を地面につけることのできる人の割合は,次第に減少しつつあります。椅子に腰掛ける生活が普及したことから,遠からず,つま先立った蹲踞しかできなくなるでしょうし,さらにはやがては,これもできなくなるでしょう。
しゃがむ姿勢
現在のツッパリ少年 明治初めの行商人 歌麿「青楼十二時寅ノ刻」の女
「信貴山縁起絵巻」の男 縄文土偶 ネアンデルタール人
縄文人のしぐさ
縄文時代に存在した独特な道具が,彼らに特有なしゃがむ姿勢を生み出したと考えることができます。
その一つが「石皿」です。石皿はひとかかえもある岩石の平坦な面に,木の実などを置き,手に「磨り石」を持ってこれを粉砕する道具です。地面に固定された石皿を利用するためには,必然的に,中腰のしゃがみこんだ姿勢をとらざるを得ません。体重を磨り石にかけながら石皿に向かうことのできる「蹲踞の姿勢」が,思い描かれてきます。
同じように,磨製石斧をつくるときも,この姿勢をとったことでしょう。
縄文人が作った土の人形(土偶)は,直立した姿勢をとるものが多いのですが,両ひざをたてて座った姿勢のものが10例ほど知られています。手を複雑な形に組み合わせたりしているところから,神に向かって呪文を唱えている呪術者を表しているのではないかといわれています。蹲踞の姿勢が,あえて選ばれているのは,これが縄文人のしぐさの中で重要な位置を占めていたことを示しているものと思われます。
東洋と西洋における精神世界の遣い
ヨーロッパの人たちは,何故,しゃがむ姿勢を早々と捨ててしまったのでしょうか? これは,精神世界に分け入って,説明せざるを得ません。
人間の思考方法は,森林的思考と砂漠的思考の二つに分けることができます。日本をはじめ東洋は森林的思考,ヨーロッパ,アメリカなどの西洋は砂漠的思考です。
森林の中では,人は地表の一点に定着し,回りの樹林と真上の天を見上げる存在です。下から上への視点です。バラモン教から仏教を経て引き継がれてた,宇宙の中心が「我」にあるという視点です。絶えず目線を低くとる姿勢(しゃがむ)が習慣的となりました。
一方,砂漠では一点にいて生活することはできません。意識の中では,常に鳥の高さで広域を見通していなければなりません。上から下の視点です。俯瞰的視点です。砂漠の視点が西洋全般の視点となるためには,ユダヤ教やキリスト教という一神教が媒介となりました。
一神教の持つ論理的な優勢によって,砂漠を越えてヨーロッパの森林地帯にも浸透したのです。目線を高くとる姿勢(立つか腰掛ける)が習慣的となりました。
西洋の腰掛け式トイレと東洋のしゃがみ式トイレ
今まで,体質,骨の蹲据面の形成,作業を行うときの習慣的なしぐさ,思考方法などの面から,「何故,日本人はしゃがんで排便をするのか」の根本的な理由を考えてきました。
「西洋では腰掛け式トイレが,東洋ではしゃがみ式トイレがそれぞれ普及してきた」ことを,このような論理で説明してみました。これは,あくまでも私が提案する一つの仮説です。皆様方からの忌憚のないご意見をお待ちいたします。
なお,参考にした文献は次ぎのとおりです。
1.「日本人の体質・外国人の体質」佐藤方彦,講談社
2.「日本人の誕生」佐原真,小学館
3.「古人骨は語る」片山一道,角川書店
4.「縄文人のしぐさ」宮尾亨,朝日新聞
5.「森林の思考・砂漠の思考」鈴木秀夫,日本放送出版協会
(本講話は,平成15年12月4日に東京ボランティア・市民活動センターの会議室で行われた第24回し尿研究会定例会におけるものです。)