読み物シリーズ
シリーズ ヨモヤモバナシ
屎尿投棄船に乗って
△講話者 鈴木和雄
コーディネーター 地田修一(日本下水文化研究会会員)
1.はじめに
昭和の初め頃から東京に人口が集中してきて,屎尿の汲み取り量も非常に増えてきました。その頃の汲み取りは,近郊の農家の人が肥桶を何本か載せた馬車を挽いて来て,トイレを回って汲んでいきました。
汲み取りに来る日も時間も決まっておらず,不定期にくるので何日も来ないような時はトイレ(便所と言った方がわかりやすいですが)があふれそうになって,特に夏など,蝿がわいてしょうがなかったという記憶がかすかに残っています。
2.屎尿投棄船の建造
はるかに遡りますと戦前,清掃課というのが東京市保健局にあったのですが,そこで作成した「東京市清掃事務成績」という古びた書類が私の手元にあります。これに,農耕地への屎尿の払い下げのこととか,綾瀬作業所での屎尿の処理のこととかの記事が載っています。
昭和12年の記録に「直営の投棄船で海中に糞尿を捨てるようになった」という記事が残っています。問題は,‘それ以前の雇い上げの屎尿運搬船が指定された海域まできちんと行っていたかということです。誠に眉つばものでして,おそらく東京港内に捨てることはなかったと思いますが,「港を出外れた途中で,ぼつぼつと捨てていたのでは?」といううわさは立っていました。
直営の投棄船をいつ頃造ったかといいますと,昭和8年に保健局所管の時代に初めて,屎尿の海洋投棄が立案され,昭和10年12月に「むさしの丸」が造られました。積載量が1,800石ですから324キロリットルの,非常にちまちました狭っくるしい船でした。この船の建造費は19万9,000円で,今で言うと高校卒業者の初任給ぐらいですが,その当時としてはかなりの額です。
昭和12年1月に初めて屎尿を投棄できる海域が定められました。それは,剣崎より南南西8.5海里,洲崎より西北西5海里3/4の地点です。
引き続いて何隻かの直営の投棄船が造られましたが,戦時体制が強化されたこともあり,昭和19年以降,直営船による屎尿の海洋投棄は一時中止されました。「むさしの丸」も繋船されたままで使用されませんでした。
3.海洋投棄の再開
繋船状態のむさしの丸を改造し,直営船による屎尿の海洋投棄が再開されたのは,戦後5年を経た昭和25年になってからです。復員軍人や満州,朝鮮,シナなどの外地から引き揚げてきた人達で人口が急増し,屎尿を農村へ還元するだけでは,処分しきれなくなってきたからです。
この頃,所管が民生局から衛生局に代わり,清掃事業部となっています。このほかに,民間から雇い上げた船を使っての委託投棄処分も並行して行われました。私は昭和25年に清掃事業部に入りました。
海洋投棄を再開して間もなくして,「途中で垂れ流しているのではないか」という指摘が漁業関係者から出るようになり,事実,投棄点に近い海岸に屎尿が流れ着くということが起きました。
そこで,雇い上げの船による投棄作業を監視するため,都の職員を随時に乗船させたらどうかということになりました。ところが,職員の間でパニックが起きました。捨てるものが捨てるものですから,非常に臭いです。船に乗るとプーンと臭うわけです。
それだけでなく,蛆がハッチの隙間から出てきて甲板を這い回るわけです。まるで雪が降ったように甲板が真っ白になります。こうしたことから,船に強い人はともかく,波に揺られても酔うような船に弱い人は,「汚物の臭気と揺れで,とても耐えられない」と,辞退者が後を絶ちませんでした。
屎尿海洋投棄の海域(東京都清掃局資料)
4.監視役として乗船
その頃,私はたまたま人事課におりましたが,人事係長が,「鈴木君,行ってくれないか,船は大丈夫か」と言われ,「船は好きだし,強いから大丈夫ですよ」と答え監視役として乗船することがしばしばありました。
「むさしの丸」にも2〜3回乗りました。投棄船は,お昼頃までに糞尿を積み終り,一晩休んで翌日の午後2〜3時に出航します。東京湾をずーと下って行って観音崎の先の投棄点で屎尿を捨てて,すぐに∪ターンをして,また品川埠頭まで帰ってくると午後の2時前後になります。
私ら監視役の担当者は,午後の3時頃,指定された浦賀の民宿に着いて,ご飯を食べて,夜中の2時頃に起きて浦賀の埠頭に行くと,そこに投棄船が待っていました。7〜8隻の船団を組んで来ていました。午前3時頃,そこを出航して投棄点まで行き,屎尿を投棄し,後は東京湾を北上して東京に戻ってくるのが一航海です。浦賀の宿は,には浄化槽汚泥などを含めて投棄が廃止されました。ここに,70年に及ぶ屎尿の海洋投棄の歴史に幕が降ろされました。
「最後の投棄船を見に行きませんか」ということで,確か大東丸という船だったと思いますが,海洋投棄をし終わって帰って来て繋留されているところを久しぶりに見学しました。船内も案内してもらいましたが,私が乗船していた頃のものに比べてたいへんきれいで,雲泥の違いでした。
(本講話は,平成14年3月30日に東京・飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターの会議室で行われた第14回屎尿研究会例会におけるものです。)
*屎尿科学研究会主宰,元東京都清掃局.医博。