読み物シリーズ
写真にみる管渠清掃作業の歩み (2024/03/15)
地田 修一 氏
(筆者紹介)
地田 修一
(ちだ しゅういち)
昭和41年、東京都に入都、下水道局に。以後、各処理場に勤務し、平成4年技術開発課長、5年施設管理課長を経て、北部第一管理事務所長を最後に平成13年退職。現在 屎尿・下水研究会
目次
昭和29年の管渠清掃作業(H18/10)
管渠清掃の作業手順
管渠内での清掃作業
清掃作業のアラカルト(H18/12)
マス及び取付け管の支障処理
マス工事
清掃作業車の導入(H19/2)
高圧洗浄車の登場(H19/4)
汚泥吸引車との併用
給水車も同行
桝や取付け管の閉塞処理
管渠清掃作業の民間委託
「目は口ほどに物を言う」 と言いますが、カメラの眼がとらえた写真から発信される情報は撮影した人の意図をはるかに超え多種多様です。見る人が異なれば、また違ったものをキャッチできます。このシリーズで示す解説記事は「写真の読み方」の一つに過ぎません。この一文がきっかけとなって、工事や作業の古い現場写真を発掘し、それに解説記事をつけて保存していく「史料整理」 の輪が広がっていけば、下水道の技術史に興味を抱く者として、こんなにうれしいことはありません。なお、このシリーズの執筆に当たっては多くの先輩の方々のサジェスチョンを受けています。
昭和29年の管渠清掃作業
夜間作業(昭和31年)手巻ウインチによる管渠しゅんせつ作業
この写真は、昭和29年当時の東京・銀座における管渠清掃作業の現場を撮ったものである。解説の都合上、写真の個々の映像に番号を付けてある。
洋服店の英国屋(I)や日劇(S)のネオンサインが見える。服部時計店の時計台(Q)の針が六時二十分を指しており空もまだうす明るいことからすると、初夏のたそがれ時であろう。作業員の服装(M、O)が局(当時の東京都水道局)職員に支給されていたものと異なることから、民間会社への請負作業ではないだろうか。小型発電機によって電球(H)に明かりを灯し作業を行っている。カンテラ(J)もいくつか置いてある。この頃の管渠清掃はまったくの手作業でした。清掃箇所の上流(写真手前)と下流(写真奥)のマンホールに手巻きのウインチ(C、G)を置き、さらに四股(F)を組み滑車を取り付け、ワイヤーロープに曳樽(B)を付け管渠内を曳くことによって汚泥を集め、地上に引き上げていた。
管渠清掃の作業手順
何本かの割り竹を針金で繋いで、三十〜百mにし上流のマンホールから管渠の中に入れ、下流に向かって送る。下流のマンホールに届いたならば、上流側の割り竹の先端にワイヤーロープを結び付け、割り竹をたぐる。
下流のマンホールにワイヤーロープが届くと、割り竹から外す。手巻きウインチにこのワイヤーを取り付ける。この時、上流側には曳樽、カルバートスクラッパー(A)などの清掃器具を結び付ける。
そして、下流のウインチで巻き取り、堆積している汚泥(土砂)を下流に集める。汚泥が流出しないように下流に簡単な堰を作っておき、この堰に溜まった汚泥をマンホールから作業員が管渠内に降り、丸シャベル(E、管径が小さい時には柄を短く縮める)でバケツ(P)または鉄桶に入れて一杯になると、地上に吊り上げる。地上に四斗入りの樽桶(@)をいくつか置いておき、この中に上がってきた汚泥を入れる。
溜まった汚泥は作業現場近くの道路脇の枠で囲ったところに運び、消毒のためサラシ粉を撒いて、数日間置いて水切りをした後、土捨て場にトラックで運搬する。
なお、ワイヤーロープをウインチで巻き取る時には、マンホールの下部に滑車を付けた支柱を斜めに立てておく。これは、滑車を経ることによって巻き取る力を軽減するためであるが、直接ワイヤーロープが管壁に触れ、ロープが切れたり管壁が傷つくことを防ぐ役目もあった。この時、バリと呼ぶ心張り棒を使って支柱を固定した。
管渠内での清掃作業
人が立って歩けるほどの大きな管渠では、中に入って汚泥の除去作業を行った。胸当ての付いた股までの胴長靴を履いて、長いゴム手袋をはめ、頭にヘッドランプを付けて、木で作った船型の台船の上に鉄桶を載せて、シャベルで汚泥をすくいこの鉄桶の中に入れた。一杯になると台船を引っ張ってマンホールの下まで運び、地上にいる人がこの鉄桶を手巻きウインチで吊り上げた。
(管渠を守る人々)
管渠清掃用自動車を使っての作業(昭和31年)
管渠清掃割り竹使っての支障処理(昭和38年)
管渠清掃(昭和38年ごろ)
清掃作業のアラカルト
一、 汚泥をほぐす器具
昔は道路が現在のように舗装されていなかったので、砂とか砂利が雨マスを通して下水管渠に入ってきたので汚泥といってもかなり硬く締まった状態になっていた。このため、昔はマンホール蓋の下に穴の開いた中華鍋のような形の中蓋を設置して、土砂が管渠に入るのを防いでいるところもあった。
こんなところでは最初から汚泥を掻き寄せる器具を使うことができないので、汚泥をほぐすための器具が必要となった。「8の字」とか「コンペイ糖」とか「スプリングスクラッパー」が使われた。
「8の字」は、ワイヤーロープを短く切って8の字の形に折り曲げたもので、これをワイヤーロープに取り付けて汚泥をほぐした。汚泥がほぐれて隙間が広くなると、「8の字」 の本数を二本、三本と増やしてだんだんと隙間を大きくしてから、頃合いをみて曳樽などの清掃器具を使用した。
「8の字」 で汚泥をほぐした後、「コンペイ糖」と呼んでいた器具を使ってさらに汚泥をほぐす作業を行わうこともしばしばあった。「コンペイ糖」は、直径五cmくらいの鉄の棒にお菓子のコンペイ糖のように長さ二cmくらいのイボイボの突起がが沢山ついているものである。
スプリングスクラバー(21)も汚泥をほぐすために使われたが、効果はそれほど高くなかった。
毛ブラシは、管渠清掃の仕上げの段階で使ったものでしょう。
スプリングスクラッパーと毛ブラシ
二, 汚泥を掻き寄せる器具
「カルバートスクラッパー」は、管渠の大きさに合わせて直径二百五十mm、三百mm、四百mmと、いろいろなサイズがあった。お椀のような形をしていて、凹んでいる部分に汚泥を溜めながら下流に集めてくる仕掛けである。汚泥が集まり過ぎて、引っ張ることが難しくなることがしばしばあった。
管渠の口径が大きくなると、曳樽を使った。口径五百mm以上からでしょうか。いくつかの大きさがあった。大きな管径であっても、はじめは小さいサイズの曳樽を使い、管渠の隙間が大きくなるに従って、だんだんと大きいサイズのものに変えていった。
曳樽
三、 清掃作業中のトラブル
汚泥をほぐしてから清掃器具で汚泥を集めてくるわけであるが、汚泥が柔らかくて沢山集めてしまい、手巻きウインチで引っ張りきれなくなることがあった。このような時は、一旦作業を中止し、下水が溜まってくるのを待って、ワイヤーロープを上流側や下流側に交互に動かし、汚泥をほぐした。どうしてもワイヤーロープを引っ張りきれない時は、穴を掘って管渠を掘り出してその部分を壊して汚泥を取り除いたこともあった。
四、清掃器具の保管
一日で作業が全部終らなくて翌日にかかる時には、マンホールの足掛け金具を利用しバリなどを渡し棚を作り、それに籠、支柱、清掃器具などを載せておいた。ワイヤーもウインチから外してマンホールの中に入れ、ウインチは道路の脇に置いた。
五、手作りの器具
昔は器用な人が出張所に沢山いて雨が降って作業ができない日には、竹を割ったり、支柱を槍で作ったり、つるはしの先やノミを研いだり、「8の字」、「コンペイ糖」、「島田」など、いろいろな器具を職員が作っていた。
マス及び取付け管の支障処理
「マスが詰まったので処理してほしい」との連絡を受けると、ミゼットのオート三輪車に割り竹、浚渫器、バケツなどを積んで運転手一人と作業員二人のチームが現場に向かった。
マスや取付け管の詰まりは、下水がマスから溢れて初めて気が付くことが多いので、詰まっているものが硬くなっている。そこで、バケツに水を汲んできて水を加えて堆積しているものを柔らかくした。
詰まりを取り除く時に使う割力竹の先には「島田」が付けてあり、割り竹をくるくる廻し、「島田」 を上下左右に動かし堆積物をほぐした。この「島田」は、割り竹を女性の髪型の一つである「島田」のような形[α]に折り曲げたものである。
現場を調べた結果、マスではなくマスと下水管との間の取付け管が詰まっていることが分かると、マスを開けて割り竹をマンホールの方向に入れて詰まっているものを竹で突ついてほぐした(図−1)。
マスの掃除では、手動のつかみ式浚渫器(写真)で汚泥をあげる。硬く固着している場合は、鉄製の突き棒で柔らかくしてから浚渫した。
ミゼットが配車されたのは、昭和三十五、六年である。それ以前の支障処理では、自転車に乗って現場に向かった。初めは割り竹を引きずって運んでいたが、道路が車で混んできて危なくなったので、その後は輪に巻いて肩に担いで運んだ。
割り竹を使っての支障処理
取付け管の清掃作業(図−1)
つかみ式浚渫器(写真)
マス工事
マスの設置工事は、昔直営でやっていた。大八車に底塊、側塊、砂利などを積んで三人一組で工事現場に向かう。重いので三十分ほどの距離であっても汗びっしょりになるほどであった。工事が終ると、現場の土をタコで固めその上に砂利を敷いておいた。コンクリート管を壊したり穴を開けたりする作業も大ハンマーで叩くとかノミを使うとか手作業で行った。マスも全部コテで仕上げた。
マス工事
清掃作業車の導入
東京都で下水管渠の清掃作業が機械化され、管渠清掃作業車が導入されたのは昭和三十年になってからである。今の中部と東部第一の二つの管理事務所に、一台づつ配車された。
小型トラック(トヨペット)とその後ろに連結されたトレーラーとで一組になっており、それぞれに自動ウインチと滑車付きのアングルが搭載されていた。
順次、他の事務所にも配車された。これにより管渠清掃は、清掃箇所の上流と下流のマンホールに手巻きのウインチを置き、さらに四股を組み滑車を取り付け、ワイヤーロープに曳樽を付け管渠内を曳くことによって汚泥を集め、地上に引き上げる完全な手作業によるものと、この作業車によるものとの二本立ての時代に入った。
もっとも清掃作業の機械化といっても、手巻きウインチと四股とで行う作業部分のみが機械化されたのであり、割竹、ワイヤー、曳樽(各種サイズ)、鉄桶、シャベル、バリケードなどの作業用具一式は、従前どおり作業車に積み込まれていた。
次に紹介する四枚の写真は、この作業車が導入された昭和三十年代前半のものと思われる。構図がビシッと決まりピントもきっちりと合っているので、相当の腕前の人が撮影したのではないだろうか。完全な手作業の段階から高圧洗浄作業へと進む中間の、過渡期における管渠清掃作業を記録した貴重な映像である。
管渠清掃作業車
一、自動ウインチの操作
管渠清掃作業車である。幌が半開きになっており、その中で一人が自動ウインチを操作している。作業車の横には「東京都水道局下水部」と書かれている。「下水道本部」になったのが昭和三十四年十二月であるから、この写真は少なくともこれ以前のものであろう。この作業車の後ろにトレーラーを連結して走っていた。
管渠清掃作業車に搭載してある自動ウインチを操作中
二、作業現場へのトレーラーのセット
作業現場にセットされたトレーラーである。作業車と同様、ガソリンエンジンで作動する自動ウインチと、滑車の付いた逆U字型のアングルが搭載されている。
すでにマンホールの蓋が開けられ、手前と奥に二つの頑丈な木製のバリケードが設置され作業現場を防護している。バリケードの左には、曳樽で集めてきた汚泥を地上に引き上げる時に使う鉄桶が置いてあり、その中にスコップが入れられている。その右にはこの半分ほどの大きさの鉄桶がみえる。
その手前にあるのは「コンペイ糖」と呼ばれていた、硬く締まった汚泥をほぐす時に使うイボイボがたくさん付いている鉄製の用具である。
自動ウインチと滑車付アングルを搭載したトレーラー
円内はコンペイ糖と呼ばれた器具
トレーラーはいつでも作業を開始できるように固定されている。ウインチの先のワイヤーロープを左に辿っていくと、曳樽あるいは鉄砲と呼ばれた鉄製の採泥器が取り付けられているのがみえる。
バリケードには、作業現場を掃除する竹等が立て掛けてある。
三、トレーラー上での操作
一人がトレーラーに乗り自動ウインチを操作している。後ろにみえるトラックは、管渠内から引き上げた汚泥を捨て場まで搬送するためのものであろう。
手前の人は、長いゴム手袋をはめ、股までの長靴をはいている。マンホールから管渠内に入り、作業していたのだろう。帽子のマークからすると、局の人たちのようである。直営の清掃業であろう。
管渠清掃の作業現場の様子
四、汚泥を運ぶ
曳樽で集め、地上に引き上げた汚泥をリヤカーに積んでいるところである。一杯になると、この現場の近くに設けた汚泥の仮置き場(板の枠で囲った程度のもの)まで運び、数日間置いて水切りをする。この時、消毒のため汚泥の上にサラシ粉を撒いた。この後、トラックで決められた「土捨て場」まで運んだ。
ムギワラ帽子の人がいるが、たぶん局の人であろう。この頃はムギワラ帽子も支給されていた。
曳樽で集めた汚滝をリヤカーに積む
管渠清掃用具
高圧洗浄車の登場
バケットマシンによる管渠清掃は、まだ手作業の面影を色濃く残している部分的な機械化であったが、今回述べる高圧洗浄技術が登場したことにより、管渠清掃は抜本的な完全機械化へと飛躍した。
写真@ ノズルのいろいろ
この技術は欧米、特にドイツにおいてすでに1955年頃から下水管渠の清掃に威力を発揮していたもので、日本には昭和30年代後半に導入された。2トンあるいは.4トン車に高圧水発生装置、水タンク、ホースリールなどを搭載したものである。
高圧ポンプはドイツのボーマー社製のアチユーマットが使用された。水圧はさほど高くないが噴出水量が多いという特性をもち、汚泥を集める能力に優れていた。ホースの先端に取り付けたノズルから高圧水が後向きに噴出する仕掛になっている。この技術は、ヨーロッパの下水道の分野で開発・実用化されたものである。
写真A ノズルからの噴出水
管渠清掃作業にあたっては、下流のマンホールから上流方向に向けて噴出水の推力で洗浄ホースを前進させ、その後ホースリールで巻き取りながら噴出水が堆積した汚泥をマンホールの下まで集めてくる。このとき、洗浄ホースを到達させる位置は汚泥の集積が可能なところまでに止め、ホースの前進と引戻しをこまめに繰返し清掃を行うことが肝要である。
洗浄ホースを入れたマンホールの底部に、汚泥が下流に流出しないように堰き止めるもの(土嚢、汚泥止板など)をセツトする。
汚泥吸引車との併用
当初、高圧洗浄により集めてきた汚泥の搬出は、相変わらず、鉄桶に入れてウインチで地上に引き上げるという昔ながらの作業で行っていた。すでに屎尿の汲取り作業の分野で昭和30年代から使われていたバキュームカーを、汚泥の吸引に適用するようになったのは昭和40年代の半ばに至ってからである。
高圧洗浄車と汚泥吸引車は、文字通り管渠清掃の完全機械化を実現させる車の両輪であった。
管渠内に堆積する汚泥が少ない場合は高圧洗浄車で汚泥を集めてから汚泥吸引車で吸引したが、堆積汚泥が多いときは高圧洗浄車を使わずに直接汚泥を吸い上げることもあった。
写真B 高圧洗浄車と汚泥吸引車の併用(昭和55、6年頃)
写真Bは、台東区・浅草界隈で管渠の清掃作業しているところである。手前が汚泥吸引車、奥が高圧洗浄車である。奥の二人の作業員は高圧洗浄車の後方に設置してある操作盤を使って洗浄ホースの前進、引戻し作業を繰返し行い、汚泥をマンホールの下に集めている。一方、左後方の作業員は汚泥吸引車に繋がる吸引ホースをマンホールの底部に挿入し、集まってきた汚泥を吸引している。高圧洗浄車には運転手のほかに作業員が別に一人同乗するが、汚泥吸引車の運転手は作業員も兼ねるのが一般的であった。
図@ 高圧洗浄による清掃作業
給水車も同行
高圧洗浄作業には大量の洗浄水が、使われる。高圧洗浄車にも水タンク(3000g)が搭載されているがこれだけでは足りないので、給水車(10トン車)が同行し洗浄水を補給した。洗浄水には水道水あるいは下水の処理水が用いられる。欧米では消火栓からの水道水の利用が認められているが、我が国では今のところ利用することができない。
したがって、高圧洗浄により管渠清掃を行うには、高圧洗浄車、汚泥吸引車に加えて給水車(運転には大型免許取得が求められる)の出動が必須となる。結果的に、三種類の特殊車両を事前に用意しておかなければならず、この仕事を実施するにはかなりの設備投資が強いられるのである。
桝や取付け管の閉塞処理
布切れ、ビニール、木片などが汚水桝や取付け管に流れ込んで曲がり部やソケット部に引っかかり下水管を閉塞させることがあるが、このような閉塞を処理するためにも、高圧洗浄はたいへん有効である。
下水道使用者からの閉塞情報を受けての緊急的な支障処理を迅速に行うために、東京都下水道局では昭和39年から高圧洗浄車(2トン車、水タンクは300g)を各出張所に順次配備するようになった。
写真C 高圧洗浄車による閉塞処理(昭和49年頃)
写真Cは、銀座の歌舞伎座前に高圧洗浄車が急行し取付け管の閉塞処理を行っているところである。閉塞処理に用いる洗浄ホースは管渠清掃に用いるもの(口径24mm)より細く(口径16mm)、また高圧ポンプも噴出量が少ないタイプが搭載されている閉塞処理専用の高圧洗浄車である。
管渠清掃作業の民間委託
汚水桝や取付け管の閉塞処理は下水道局の直営作業として実施されたが、管渠の清掃作業は昭和40年頃から政令指定都市を中心に民間業者に業務委託されるにようになった。民間業者は高圧洗浄車をはじめ必要な機材を取り揃え、また人材の確保を図るなどこれに対処できるよう努力した。
現在では、閉塞処理も委託化されており、管渠の維持管理は民間業者の力に負うところがますます大となっている。
(完)
参考資料
1.東京の下水道・100年のあゆみ 東京都下水道局(1983)
2.TOkyo下水道物語 東京都下 水道局(平成7年)
3.下水道管路施設・維持管理マニュアル 日本下水道管路維持管理業協会(1997)
4.情報提供 三輪長保、新井謙吉、長谷川清。管清工業