屎尿・下水研究会

TOP

屎尿・下水研究会の概要

お知らせ

発表タイトル

特別企画

企画図書類

更新履歴


読み物シリーズ


映画・映像にみる屎尿、トイレ、下水道

地田 修一 氏


目次
1.はじめに
2.広報映画
3.テレビ広報番組
4.手作り映像
5.劇映画
6.おわりに

 簡易水道・屎尿・トイレ・下水道を扱った広報映画、テレビの広報番組、手作り映像、下水道を舞台にした劇映画を、屎尿・下水研究会の例会等で鑑賞してきた。文献上の記述、識者からの聞書き、あるいは絵画・写真をもとに議諭してきたことが、そこではものの見事に具現化されていた。まさに「百聞は一見に如かず」である。

キーワード:広報映画、広報番組、劇映画、手作り映像、ドキュメンタリー

1.はじめに

 屎尿・下水研究会では、平成10年より今日まで100回余にわたって屎尿、トイレ、下水道等に関する講話会を開いているが、理解を深めるため、講話の中で映画・映像を補助的に使用することがあり、ときには鑑賞そのものを目的とすることもあった。
 例会等で鑑賞した映画・映像のタイトルと、そのときの演題・演者は次のとおりである。

広報映画
 『生活と水』:農村改善運動とトイレ・上下水道、小峰園子。
 『し尿のゆくえ』:研究会所蔵ビデオの放映、研究会幹事。
 『汚い!と言ったお嬢さん』:劇映画に見る下水道、安彦四郎。
 明治以降の東京における下水道整備のあゆみ、地田修一。

テレビ広報番組
 『地下1世紀1方キロ』:東京・下水道よもやま話、新保和三郎。

手作り映像
 『うんこのススメ』:研究会所蔵ビデオの放映、研究会幹事。
 『下水道技術アーカイブス・シリーズ』(ミーダ型汚泥掻き寄せ機、ベルトフィルター型真空脱水機、多段炉型汚泥焼却設備、中防ミキシングプラント、下水汚泥焼却灰セメント混練固化物の埋立て):消えゆく下水処理設備を映像に残す、竹島正。

劇映画
 『真夜中の河』:研究会所蔵ビデオの放映、研究会幹事。
 『レ・ミゼラブル』、『第三の男』、『地下水道』:劇映画に見る下水道、安彦四郎。

 本報告は、これらの映画・映像の制作意図・背景を紹介するとともに、ナレーターや登場人物が語っている印象的なフレーズを披露するものである。

2.広報映画

2−1 『生活と水』
 かつて農漁村において行われていた、天秤棒による水源からの飲料水の運搬や非衛生的な農業用水の利用を解消するためには、近代的な水道(簡易水道を含む)を引く必要があった。本作品は、厚生省の後援のもと岩波映画製作所が、昭和27年(1952)に企画・制作(羽仁進監督、19分)した簡易水道を造る過程を克明に追ったドキュメンタリー映画である。全国簡易水道協議会に所蔵されていた。集落の皆んなが総出で勤労奉仕をして、規模は小さくても、きちんと管理される水道が設けられたことによって、水汲みの労力から解放され、生活がいかに衛生的になり明るくなったかが端的に示されている。
 「この村では、(水道を引く)事前の相談が神社の杉林の中で開かれているところです。大勢でドロドロの風呂にしか入れないお百姓さんたちは一生懸命です。消防団の人たちは水が足りなくて村の半分を焼いてしまった火事のことを話しています。家庭で働く女の人たちも出席しています。県の衛生部や保健所の技師たちも相談に加わっています。水道を引くためのお金の半分は国と県が持ちます。村の出さなければならない分のため、ここの杉の木をいくらか売らなければならないと考えられています。」
 「この村では、もう仕事(注:水道工事)が始まっています。前には、田んぼの中の川で顔を洗っていた人たちですが、一夏に70人も赤痢に罹ることがあり、水道が欲しいと皆んな考えていました。しかし、費用が十分でないので、とにかく自分たちで仕事を始めています。」

2−2 『し尿のゆくえ』
 この作品は、昭和35年に厚生省の監修のもと、日本環境衛生協会が制作した16ミリフィルム(25分)である。ビデオテープにダビングされたものが(財)環境衛生センター【現 日本環境衛生センター】に所蔵されていた。全編、実写で構成されており、ナレーションはNHKの人気アナウンサー・宮田輝が担当している。
 昔なつかしい柄杓による汲取り、農地への施肥風景から始まり、やがて農村還元の行き詰まりから、素掘り穴や海に投棄している光景が写し出される。この後、屎尿の科学的・衛生的な処理技術、屎尿処理場建設の重要性に話が移り、嫌気性消化槽、汚泥乾燥床、汚泥の肥料化の画面が続き、次のナレーションで終わる(『トイレ考・屎尿考』(技報堂出版、2003))。
 「近代社会において必要で欠くことのできないこういう施設(注:屎尿処理場)が日本中どこにも欲しいものです。残念なことに、それはまだ少なく、現在運転中のものは昭和33年度末で全国でわずか60箇所余であり、その処理量は処理すべき全屎尿量の1割にも満たないのが現状です。…人々は生きるためには食べる。その結果、1人が1日に排泄する屎尿は平均1l。その中に、1人平均約4万個の寄生虫の卵を出しているといわれています。チフス菌や赤痢菌は、水の中で数週間も生存するということです。私たちは、もっともっと真剣に屎尿処理の問題に取り組まなければなりません。」

2−3 『汚い!と言ったお嬢さん』
 昭和25年に東京都水道局によって企画された下水道広報映画である。叔父から勧められた縁談の相手が下水処理場勤務と知らされたお嬢さんは、一旦断るが、下水道のない生活環境がいかに不衛生で非文化的であるかを悟り、下水道の必要性を再認識し、めでたく縁談が成立すると云うドラマ仕立てになっている。その合間に、シンプレックス式、パドル式などのばっ気装置、散水ろ床法や汚泥の天日乾燥のシーンが写し出され、記録映画としても大変貴重な作品である(『ごみの文化・屎尿の文化』(技報堂出版、2006))。間接的にビデオテープ化したものを本会会員の栗田彰氏が所蔵していた。ナレーターが、下水道マンの心意気を高らかに読み上げてフィナーレとなる。
 「臭い・汚いモノの処分こそ、我々の使命です。もし、下水管が詰まったら即座に掃除をします。
 暗いのも臭いのも湿っぽいのも、もとより覚悟の上です。繁華街での夜間作業は勿論、激しい雨との闘いや泥まみれの埋設工事も厭いはしません。工事の細かな設計のあれこれも、水質検査の複雑な分析も苦にはなりません。下水屋さんと呼ぶのも結構、掃除屋さんと呼ぶのも結構。我々の求めているのは我々への拍手喝采ではなく、皆さん方自身の健康と清潔で文化的な大東京都の建設なのです。」

3.テレビ広報番組

3−1 『地下1世紀1万キロ』
 この番組は、東京都における近代下水道開始100周年に当たる昭和57年に制作され、東京都提供の広報番組『こんにちは東京』(テレビ朝日、30分)の枠で放映されたものである。本会会員の新保和三郎と松下行雄のほか名著『厠考』の著者。李家正文が、インタビューに答える形で解説を加えている。講師を務めた新保氏が所蔵されていた。

(1)新保(元東京都下水道局)は、神田下水、長与専斎の『松香私志』、森鴎外の『衛生談』、中島鋭治による合流式下水道設計などについて軽妙に話している。
 「明治維新後、外国との交流が盛んになり外国からいろいろな文化が入ってくると同時に、病気も持ち込まれた。コレラ、チフス、赤痢などの伝染病です。当時の内務省衛生局のキャップであった長与専斎が医学的立場も併せて、伝染病予防対策として上下水道の近代化を推進しました。」
 「大正2年に、第1期の下水工事が着工されました。当時の下谷区、浅草区が人口も多く排水状況も良くなかったということで、まずここから下水道管渠工事を始め、その終末に三河島処理場を造るということになりました。… 震災後は、帝都復興事業の一環として、下水道工事が再開されました。昭和に入り、芝浦系統の第2期工事の継続分がほぼ完成し、さらに砂町系統の江東地域の下水道工事も相当に出来上がりました。こうして終戦前までに、旧15区の8割近くに下水道が施行され、さらにその周辺の区でも3〜4割程度に下水道が普及していました。」

(2)李家(元朝日新聞社)は、屎尿の肥料としての利用、西欧との水洗化への認識の相違、財政難・戦争の影響などによる水洗化の遅れについて文化論的に語っている。
 「日本では長い間、厠(汲取り便所)に溜めた屎尿を汲取って肥溜めでさらに腐熟させて、農地に撒き肥料として利用してきました。それで、庶民は「屎尿を水洗トイレにより水に流すことは、川や海に捨ててしまうことであり、本来屎尿は農作物の肥料になるのにもったいないではないか」と云う感情をもったようです。」
 「やがて昭和の初めになり、大都市においては下水処理場が建設されるようになり、陶器製の便器を用いた水洗トイレが本格的に普及するようになりました。その結果、蚊はいなくなる、ハエもいなくなると云うことで、それらの地域では非常に誇り高い思いをしたわけです。…予防衛生の上から、その必要性が叫ばれていながら、資金上の問題やさることながら、農村での屎尿の肥料としての需要に伴う抵抗が根強くあり、一朝一夕には水洗トイレへ進みませんでした。下水道や水洗トイレを普及させようと去う人たちの苦労は、並大抵のものではなかったと思います。」

(3)松下(元東京都下水道局)は、水需要の増大、河海の水質汚濁、オリンピック開催(昭和39年)に伴う下水道工事の促進、昭和45年の公害国会以降の下水道事業の急伸、建設費の肥大化、荒川以東地域での普及の遅れ、下水道普及に伴う河川水質の改善、昭和60年代に区部100%普及の目標等について丁寧に説明している。
 「戦前あるいは昭和30年代頃までにすでに下水道を造った地域でも、浸水が起きている所があります。そういう所の方々からは、「下水道の普及が100%であるのに、これではその排水効果は実態的にはゼロではないか」との強い不満の声が出ています。それぞれの下水道施設を造ったときの東京と、現在の東京の状況とが全然違うわけです。土地の利用形態が違ってきたり、水の使用状況も異なってきているわけです。そのため、雨水の排除が円滑に出来なかったり、あるいは汚水についても処理能力不足の問題とか、いろいろと新たな課題が出てきました。そこで、すでに下水道が普及している区域内でも、既設施設の改良・再構築事業を行なうべく、予算を付けて取り組んでいます。」
 「23区ではおおむね昭和60年代中に普及率100%に、また多摩地区では都で実施している流域下水道を昭和70年代までに完備すべく鋭意努力しているところです。」
 この番組ではこのほか、公共下水道整備の遅れにより浸水被害が多発し、未水洗便所が多数残っている地域(周辺の6区)の担当課長や一般住民が登場し、下水道の早期実現を訴えている。

4.手作り映像

4−1 『うんこのススメ』
 この映像は、屎尿・下水研究会の準会員であった大友慎太郎が映像学科に在学中に自主制作したものである。小学校の先生や屎尿の海洋投棄に従事している船長等から話を伺い、それぞれの立場で「屎尿」をどのように捉え接しているかを追求したドキュメンタリーである。
 大友は制作の意図について、このようなメッセージを寄せている。
 「屎尿は本来的に社会的課題を抱えているにも関わらず、多くの人々は「屎尿」という言葉を聞いただけで、無意識のうちに「屎尿なんて汚いだけ…」と、しまいがちですが、私は映画の題材として「屎尿」をあえて選びました。それは、「屎尿」のみを見るのではなく、「屎尿」を通して実生活の中で見落としがちなモノに、もっと興味を持ってより充実した生活を送ってもらいたいと考えたからです。」
 ほんのさわりであるが、誌上での上映を。( )内はナレーションである。
 「(一昔前、農家は屎尿を農地に撒いていた。屎尿は自然循環の一翼を担っていた。)
農家の人:「便壷に溜まった屎尿を汲取って肥料として使っていました。土壌は肥え、作物が実り、食べ物となりました。」(とこうが、現在では屎尿は利用するモノではなく処理するモノと見なされ、ただ汚いだけのモノと解釈されるようになった。)
 小学校の先生: 「昭和51年から「うんこの学習」を行なうようになりました。きっかけは、便秘気味でお腹が痛いという生徒が多くいたことです。学校ではうんこをしないようにしているというのです。理由は、汚いとか、いじめられる、とかなんです。食べ物を摂ると、うんこが体の中でどのようにして出来てくるのかを、わかってもらおうと教材作りから始めました。自分のうんこを観察させることにより、なぜうんこが出来てくるのかを理解させ、その性状を見て自分の体調を見極める力をつけてもらうことにありました。」(平成14年に環境省は、、5年以内に屎尿の海洋投棄を禁止する決定を行なう。)
 屎尿投棄船の社長:「屎尿そのものが有機物濃度が高いので、これを投棄すると海洋を汚染することになるのだというような中身の問題よりも、汚い屎尿をそのまま海洋に投棄するのはなんとなく良くないという見た目の問題が先にたっているような気がします。」
 船長:「屎尿投棄船が港に着くことをいやがるんですよ。自分たちが出したモノを処分するというのに。うんこが海底に残っているというアメリカの映像を見たことがあります。確かに、こういう仕事をしていても、海を汚したくないという考えはあります。」

4−2 『下水道技術アーカイブスシリーズ』
 これらの映像をアーカイブとして残すことを考えた背景について、講師を務めた竹島正(本会会員)は次のように語っている。
 「森ヶ崎水再生センターに勤務していたとき、今まで活躍してきた処理設備が年々、新しい機種に更新され、従来型がどんどん撤去され跡形も無くなっていく状況を目の前にして、かつて第一線で下水処理や汚泥処理を担ってきた設備を、運転されている状態でビデオに記録することによって、後世に生きた教材として残したいと考えました。担当者が、今までの資料を整理してシナリオを書き、稼働中のそれぞれの設備の前で、その設備の動きなどについて解説します。それをビデオに撮り「映像と音声」とで、それら設備の在りし日の姿を保存することにしました。」
 次に紹介する3作品のほか、「中防ミキシングプラント」や「下水汚泥焼却灰セメント混練固化物の埋立て」も制作している。

(1)ミーダ型汚泥掻き寄せ機
 建設当時はリンクベルト型の導入事例がまだ少なく、従来のサイホン型採泥機の持つサイホン切れという欠点を解消することができ、しかも丈夫な構造であることが着目され、この形式が採用された。往復運動や掻き寄せ板の上下操作などの制御には、多数のリミットスイッチが使われている。

(2)ベルトフィルター型真空脱水機
 石灰・塩化第二鉄の無機凝集剤を用いた汚泥脱水機としては、東京都に現存する唯一のものでしたが、平成20年度末に休止となった。

(3)多段炉型汚泥焼却毅傭
 南部スラッジプラントで稼動していた多段炉は、真空脱水機から出る石灰ケーキ用の焼却炉である。ベルトプレスや遠心脱水機から出る高分子ケーキの焼却には不向きであり、近年順次、流動炉タイプに移行している。平成20年度末をもって休止した。

5.劇映画

 『ごみの文化・屎尿の文化』(技報堂出版、2006)の「映画に登場する下水道」の項の執筆者・安彦四郎(元本全会員)は、その冒頭でこのように述べている。
 「下水道を舞台にした本格的な劇映画は、わが国ではほとんどなかったといって過言ではありません。その理由として、地下空間であるので照明が難しい、足場の確保が困難、法的手続きが必要等、いくつかあげられます。しかし、最大の理由は、劇映画に適した大規模な下水道が少なかったことに尽きるのではないでしょうか。一方、欧米の劇映画には、しばしば下水道が登場します。下水道が暗くて汚いというイメージからか、不本意ながらプラスイメージには取り扱ってくれてはいないようです。すなわち、強奪、脱獄、怪奇または戦争などの舞台の一部に登場し、時には鰐、ねずみの大群、正体不明の物体、エイリアンなども出没したりします。こうした玉石混交ともいうべき映画の中でも、いくつか名作があることも事実です。」

5−1 『真夜中の河』
 この作品は、『北の国から』、『駅』、『マルサの女』などへの出演で知られる南雲佑介が制作・脚本・監督・出演した16ミリ・カラー映画(昭和63年(1988)、1時間25分)である。南雲氏が俳優としての下積み時代の約10年間、アルバイトとして実際に体験した「下水管渠の清掃」を題材としている。下水管渠内での清掃作業が克明に描かれ、作業員の働く姿・人間像に肉迫している。南雲監督がかつて勤務していたY建設(株)がDVD化したものを所蔵していた。

5−2 『レ・ミゼラブル』
 数ある映画化(原作:ヴィクトル・ユゴー)の中でも、1957年のフランス映画(ジャン・ポール・ル・シャノワ監督、主演:ジャン・ギャバン、3時間6分)が決定版である。ジャン・バルジャンが重傷のマリウスを背負いながら、偶然見つけたマンホールの蓋から入ったパリの大環状下水道を逃げ歩くシーンは真に迫るものがある。

5−3 『第三の男』
1949年のイギリス映画(キャロル・リード監督、1時間45分)で、第二次大戦後のオーストリアの首都・ウィーンで繰り広げられるサスペンスドラマである。オーソン・ウェルズ扮する犯人は下水道に逃げ込み、それを捜査員が追跡し、甲高い声が管内にこだまし、犯人が追い詰められる…。

5−4 『地下水道』
 ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督のドキュメンタリー・タッチのノンフィクション映画である(1957年、1時間37分)。舞台は1944年のポーランドの首都・ワルシャワで、27名のレジスタンス運動家が最後に残された迷路のような下水道に潜伏して抵抗するが、…。
以下に、「映画に登場する下水道」(『ごみの文化・屎尿の文化』)よりワン・シーンを掲げる。

写真−1 汚い!と言ったお嬢さん



写真−2 レ・ミゼラブル (写真協力(財)川喜多記念映画文化財団)



写真−3 第三の男(写真協力(財)川喜多記念映画文化財団)



写真−4 地下水道(写真協力(財)川喜多記念映画文化財団)

6.おわりに

 次の映画・映像のDVDも、屎尿・下水研究会で所蔵している。
 『都市と環境をささえる東京の下水道』;企画:東京都下水道局、製作:毎日映画社。
 『アキラのタイムトリップ〜下水道ってすごい〜』;企画:東京都下水道局、製作:東京都映画協会。
 『翔太の不思議旅行〜下水道ワールドへようこそ〜』;企画:東京都下水道局、製作:桜映画社。

参考文献(本文で明記したものを除く)
1)『映画大全集 増補改訂版』:メタモル出版、2003