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屎尿の臭いの記憶

地田 修一 氏

目次
1.はじめに
2.臭いの記憶とその表現
3.家の中での臭い
4.汲取り時の臭い
5.街角での臭い
6.畑での臭い
7.おわりに




 臭いの記憶は感情的かつ断片的であるがゆえに、得てして曖昧になりがちである。屎尿そのものやトイレの臭いは不快と感じられるが、嗅覚には個人差がかなりあり、また余りにも日常的であるがゆえに、記録類にはほとんど記述されていない。たまたま、屎尿やトイレの臭いに敏感な方々が書いた自分史をいくつか入手することができた。本報告は、これらの文章表現を披露するとともに、臭いに関する二、三の文献から得た知見を紹介するものである。

キーワード;屎尿、臭いの記憶、臭いの表現、悪臭、臭いの自分史

1.はじめに

 15年ほど前に仲間と,一緒に出版した『江戸・東京の下水道のはなし』(東京下水道史探訪会編、技報堂出版、1995)のプロローグで筆者はこんなことを書いた。
 「その頃、家の庭は今でいう家庭菜園として使われていた。私の母が農家の出身であったためか、野菜の肥料として自分で屎尿を汲み取って与えていた。随分臭いがしたであろうと思うが、私の記憶には残っていない。ただ、新鮮なキュウリやナスやトマトをおやつの代わりに食べたことを、よく覚えている。…
 小中学校のトイレも汲取り式であった。(中学校では)トイレの掃除は当番制で生徒が行っていた。アンモニア臭のする臭いトイレで、…
 この頃、デパートなどの大型店舗が進出してきた。それらの店にある客用のトイレは水洗化されていた。駅前にあった公衆トイレとは雲泥の差のきれいさであったので、よく利用させてもらった。…
 狭い宅地内にある猫の額ほどの家庭菜園に撒いた汲取り屎尿の臭いが記憶に残っていない一方で、小中学校のトイレの臭いや駅前の公衆トイレの印象はむしろ鮮明である。何故だろうか。筆者だけのことなのだろうか。こんな漠然とした疑問が頭の隅に引っかかっていた。
 日常生活にあまりにも密着しているせいか、得てしてトイレに関する記述は少ない。いわんや、その臭いに言及したものはほとんど見当たらない。そうしたなかで、屎尿の臭いに感受性の強い方々が書いた自分史的なエッセイをたまたま読む機会があった。それは『ふる里信州諏訪』(高橋俊夫著、鳥影社、1992)であり、『人はなぜ匂いにこだわるか知らなかった匂いの不思議』(村山貞也著、KKベストセラーズ、1989)である。
 本報告は、これらの方々の屎尿の臭いについての記憶とその文章表現を披露するとともに、いくつかの文献に示されている臭いに関する知見を紹介するものである。

2.臭いの記憶とその表現

2−1 臭いの記憶
 ヒトの喚覚は、
 「人間はいくら努力しても、現在鼻の前に存在していないニオイを、頭に思い起こすだけでそれを感じることはできない。… 脳の中で感覚が占領している広さは、視覚が第一に大きく、嗅覚や味覚はそれに比してはるかに狭く、発達の程度も低い。したがって、記憶の内容も乏しいといえる」、そのうえ「文明の発達は嗅覚を鈍感にさせた。…人間の嗅覚が疲労し易いことはよく知られている。悪臭に思わず止まった呼吸も、やむなく少しずつ最低限度に行っていると、やがて何も感じなくなって平気で呼吸し悪臭のことを忘れてほかゐことに考えを奪われてしまう」(『嘆覚の話』(高木貞敬著、岩波書店、1974)という弱点を持っている。
 さらに、荻野洋一は『そこが知りたい匂いの不思議』(雄鶏社、1993)の中で、嗅覚の発達に関して、
 「トイレのにおいはすべての人に共通の不快臭であるといっても過言ではないが、人間は本来、ウンコのにおいが嫌いではないことが最近の研究でわかってきた。嗅覚の発達は、はやくからはじまり、幼児でもかなりさまざまなにおいを喚ぎ分けることができる。しかし、このころにはまだウンコのにおいを嫌う傾向はあらわれない。ウンコばかりでなく、ほかの悪臭にも嫌悪を示さないのがふつうである。ところが、どんなに遅くても十五歳くらいまでには、一様にウンコのにおいを嫌がるようになるという。それは、ウンコは汚くて臭いものと教育されて育った結果なのだ。つまり後天的なものだということになる」
と述べている。
 ところで、嗅覚にはこんな不思議な一面がある。それは、
 「いかなる悪臭も、その濃度が稀薄になれば、不快の感情は起こらなくなり、時には、快いニオイとなるものさえある。麝香ジカから取り出した分泌腺自体は不快な糞臭をもっているが、このニオイを希釈していくと、やがて化粧品の主体となるような、えもいわれぬよいニオイを生じるような例は多く知られている。…インドールは希薄な時には快適な花のニオイをもつが、濃くなると糞尿のニオイとなり、悪臭物質の例としてよくあげられる」(『嗅覚の話』)である。
 また臭いには、
 「他人の子どもの大便のニオイは、はっきりと臭いと感じ、不快感をもつが、自分の赤ん坊の大便の’ニオイは臭いけれどもさほど不快感をもたない」(『匂いの科学』(高木貞敬著、朝倉書店、1989))
というように、感情が強く働く側面をもっている。

2−2臭いの表現
 嗅覚は原始的な感覚であり、その感性には個人差が大きいといわれているが、嗅覚が非常に鋭敏でニオイ世界の経験が豊かであった作家として、フランスのエミール・ゾラやH.バルザックが知られている。例えば、『においの歴史』(アラン・コルバン著、山田登世子・鹿島茂訳、藤原書店、1990)によると、バルザックは家に籠る臭いを気にし、
 「ゴミ捨ての臭い、掃除のいきとどかない部屋にこもる悪臭、そこに居つく独身男たちの発散物で汚れてしまった事務所の空気、空気の通わぬ部屋に特有の臭気、身体のぬくもりをおびたベットのむかつくような臭い、ほこりまみれの古びた壁掛けや箪笥からたちのぼる油の腐ったような臭い、死体安置室にこもる臭気」
を嗅ぎわけ、
 「下宿屋の…むっとこもって、黴くさい、油の腐ったような臭いがする。ぞくぞくするような臭い、しめっぼく鼻につく臭いがJ着物にまでしみている…」
と、臭いを様々に言い表わしている。
 日本の作家では、三島由紀夫が『禁色』の中で、東京の街のニオイを鋭い嗅覚で次のように描写している。
 「夕方の街の匂いが敏感に鼻孔をくすぐった。…果実やネルや新刊書や夕刊や厨房や珈琲や靴墨やガソリンや漬物の匂いが、入りまじって街のなりわいの半透明なおぼろげな絵地図をうかばせた」

2−3 ニオイの種類
 「上水試験方法」(日本水道協会、1993年版)によると、臭気は、
 芳香性臭気:芳香臭、薬味臭、メロン臭、すみれ臭、にんにく臭、きゅうり臭
 植物性臭気:藻臭、青草臭、木材臭、海藻臭、藁臭
 土・かび臭:土臭、沼沢臭、かび臭
 魚臭・なまぐさ臭:魚臭、なまぐさ臭、はまぐり臭
 薬品性臭気:フェノール臭、タール臭、油様臭、油脂臭、パラフィン臭、硫化水素臭、塩素臭、クロロフェノール臭、その他薬品臭  金属臭:金気臭、金属臭
 腐敗性臭気:厨芥臭、下水臭、豚小屋臭、腐敗臭
などに分類されるという。
 また、嗅覚検査に使われる基準臭は、次のように表現されている。
β−フェニルエチルアルコール:バラのニオイ
シクロテン         :焦げたニオイ
イソ吉草酸         :汚れた靴下のニオイ
γ−アンデカラクトン    :桃のニオイ
スカトール         :糞のニオイ
エグザルトライド      :化粧品のニオイ
フェノール         :病院のニオイ
dl−カンファー       :樟脳のニオイ
ジアチルサルファイド    :ニンニクのニオイ
酢酸            :酢のニオイ
さらに、悪臭防止法(昭和47年施行)でいう悪臭物質は、
 アンモニア        :糞尿臭
 メチルメルカプタン    :腐ったタマネギのようなニオイ
 硫化水素         :腐った卵のようなニオイ
 二硫化メチル       :腐ったキャベツのようなニオイ
 トリメチルアレン     :腐った魚のようなニオイ
 アセトアルデヒド     :青臭い刺激のあるニオイ
 スチレン         :ガスのようなニオイ
などと表現されている。
 屎尿やトイレの臭いは、糞便の含有物であるインドール(C6H7N)やスカトール(C9H9N)、あるいは尿の含有物である尿素が分解され生成したアンモニア(NH3)から発せられるものであり、「糞臭」とか「糞尿臭」とかの言葉で表現される。

3.家の中での臭い

 高橋俊夫は1924年長野県諏訪市で生まれ、県内各地の小・中学校の教員を歴任した後1981年に退職している。著書に、エッセイ集の『心象風景』、『日常の感賞』、『ふるさと』、『ふるさとU』、『ふる里信州上諏訪』、『ふる里信州諏訪』などがある。
 歯科医であった父が病気となり辞めたため、昭和8年小学校4年生の時、同じ市内の湯の脇の借家に引っ越している。十代の後半(昭和13〜19年)には、勉学と就職のため、東京・神田の親戚の家や会社の寮(東京・中野)に寄宿し、そこでは水洗トイレの恩恵を受けている。その後帰郷し、教職に就いている。
 まず、諏訪市内の家の汲取り便所の実情と臭いの記憶をこのように述べている。
 「湯の脇の借家は、家の小さいのに応じて便壷は大きい瓶を埋めたくらいで、兄弟の多いわが家なので、壷はすぐいっぱいになり、時として便が外へあふれ出した。それを見るのは子供心にもつらかった。この便の汲み取りは、大和区のある農家と契約してあって、汲み取りを頼みに行くと無料で汲み取ってくれた。…頼みにいく仕事は、私の役目になっていたからだ」
 「便所時代は、その臭気が便所からもれて、部屋いっぱいに広がり、なかなか消えない。自分の時だけでなく、妻の時も、.二人の子供の時も同じように広がった。二人が続けてはいると、一時間ぐらい部屋中が臭っていた。それがやっとなくなった」
 ここで、「それがやっとなくなった」と言っているのは、便所が水洗トイレになったからである。その時の感激をこのように描写している。
 「十年前、湯の脇地区にも各家庭に温泉が引け、同時に下水道ができて、便所を水洗にできるという話を聞いて、早速申し込んだ。…水洗トイレにすれば、私のいみ嫌う便の臭いをかぐこともなく、壷の中にどろどろしている便のかたまりを見ないですむのだから、…。いち早く温泉と水洗トイレの設置を業者に依頼した。…出したばかりのとぐろを巻いた糞のかたまりが、ザァーと流出する水と共に筒の中へ吸い込まれていくのを見ていると、気持ちが晴々してくる。(便所が臭くないなんて便所ともいえないな。臭くない便所をトイレというのかな)、なんて勝手に決めている」

4.汲取り時の臭い

 さらに高橋は、便所の汲取り作業中に辺りに立ち込める臭いにも敏感に反応し、次のように述べている。
 「窓を開けると、汲み取りの臭いが、どっと部屋の中へよせてきて、あわてて窓を閉めた。わが家のトイレを水洗にしてもう十年近くなるというのに、この近所の家には、まだ衛生車で汲み取りをしている家があるようだ。風向きによっては、一キロも離れている家の汲み取りの臭いが、わが家まで届くことがある。幸い、汲み取りに要する時間は短いので、臭いが部屋の中にただよっている時間はそんなに長くは無い」
 高橋と同様に、屎尿の臭いに強い感受性を持つある家庭の主婦の振る舞いを詳細に描写した、少女の作文を『綴方教室』(豊田正子著、木鶏社)から紹介する。
 「庭の裏木戸があいて誰かが入って来た。小母さんは又、口を袂で押さえて、「ほら、来た。豊田さん、貞子も、早く、早く」といって自分から先に家へ入ってしまった。私も何が何だかわからないで、小母さんの後につづいてお勝手から入った。小島さんがお勝手と廊下をしめた。小島さんに、「何あに」と聞くと、小島さんは、「おわい屋、おわい屋」と言って笑った。…ガボッガボッとおわいを汲む音が聞こえる」
 口を袂で押さえてという「しぐさ」はいかにも女性らしい(図−1参照)。この家の主婦は作者の豊田正子も言っているように、人並み外れて綺麗好きであったそうであるが、便所の汲取り時の態度は一般にもこれと似たようなところがあったであろう。

写真−1 柄杓で汲取る (「トイレ考・屎尿考」より)



図−1 肥桶の運搬 (「マンガ明治・大正史」より)

5.街角での臭い

 村山貞也は1925年東京に生まれ、コミュニケーション論を専攻し津田塾大学の講師を務めており、『人はなぜ色にこだわるか』(KKベストセラーズ)などの著書がある。『人はなぜ匂いにこだわるか』の「あとがきにかえて」の項で、
 「人それぞれ、今日までの自分の歴史を、においでつないでみようとすると、結構においは記憶に残っているものだ。はじめて見たり、聞いたり、味わったり、触ったりした記憶はこたしかに強いが、においは人生に別な情緒を醸してくれる。においで、半生を綴ってみることも面白く、おすすめしたい」
と、臭いに関する自分史を推奨しているが、その実例として自ら次のように書いている。
 「私の家の、その塀は、割合、長かったから、区の屎尿の汲取桶の一時的集積場所になってしまった。当時は、役所に文句をいったりすることもなかなかできにくい時代であった。横に十以上、縦に三段ぐらい積み上げて、牛の荷車がくるまで、一、二日放置されるので、近所じゅうがくさくて、たまったものではなかった。むろん、薄い板塀一枚で、(わが家の庭の)露地にもにおいが充満していたが、たまたまお茶会が重なれば、もう為す術はなかった」
とある。街角から家の中へ忍び寄ってくる屎尿の臭いには、お手上げであったことがよくわかる。
 高橋も街を歩いていて、衛生車が屎尿の汲取り作業をしているところに出会い、
 「最近でも街のメインの通りに衛生車が止まっていて、あの鼻をつくにおいをあたり一面にまきちらしていた。いろいろ事情はあるだろうが、もうそろそろ無くなってもいい時期じゃあないかと思う。…あの衛生車を使わなくて済むのは何時になることか」
と、手厳しい苦言を呈している。

6.畑での臭い

 村山は、学校農園で肥料として撒いた屎尿の臭いを強烈に記憶している。
 「児童に、芋や大根や茄子や胡瓜やトマトをつくらせ、林間で授業もやった。その頃の肥料は人間の屎尿を溜めた最たる有機肥料であったから、そのにおいは、いまでもけっして忘れられない」
 一方、高橋はこれとは逆に、あれほど毛嫌いしている屎尿の臭いではあるが、自分が汲取って畑に撒いたその臭いには、むしろ親しい気持ちが湧いたと述べている。
 「松本の神戸の家は今でも便壷で、…わが家だけは糞尿を肥料として、畑にまいている。妻は週二回、私は週一回ここに行くのがいいとこだから、糞尿もたくさんはたまっていないのに、私は行く度に便壷から汲みだしては畑の穴に入る。…意地になって汲み取っては、畑に撒く。こういう作業の時は、糞尿が多少手についたっておかまいなしだ。あのにおいが大嫌いな俺が、どういうことだろうと反省してみた。…糞尿に対すること敵に対するかごとくとなる。そのくせ畑で臭う糞尿には何ら敵意は感ぜず、…」
 畑での屎尿の臭いに対する高橋の感性がトイレに対するそれと違ったのは、農作物の収穫への期待感からであろうか、それとも、便所に溜まった汚物を掃除できたという達成感からであろうか。

写真−2 肥桶の仮置き (「トイレ考・屎尿考」より)



写真−3 屎尿の施肥 (「トイレ考・屎尿考」より)

7.おわりに

 現代は清潔志向が進み、無菌的な環境を当然のごとく享受している。臭いに関しても然りであり、ちょっとでも手入れの悪い公衆トイレに入ったりすると、思わず一瞬息を止めたりする。屎尿などの不快な臭いに対して敏感なのはヒトに備わった本能ではあるが、臭いの記憶には感情が介在するがゆえに、記憶に残っている臭いを再現するにあたってはリアルな表現がしにくいのではなかろうか。


【参考文献】(本文中で明記したものを除く)
1)安田政彦著:平安京のニオイ、吉川弘文館、2007
2)おいしい水を考える全編:水道水とにおいのはなし、技報堂出版、2001